BW素晴らしきイッシュ   作:もののふ教

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第14話 負けたままじゃ、並べない

サンヨウシティの朝は、昨日までと同じように明るかった。

 

けれど、シンには少しだけ違って見えた。街の空気が変わったわけじゃない。変わったのは、並んで歩く四人のほうだ。

 

トウヤはいつも通りだった。勝ったから浮かれているわけでも、負けた二人に気を遣って妙に静かになるわけでもない。ただ自然に前を歩いて、気になったものがあれば立ち止まる。その軽さが、今日は少しだけ眩しく見える。

 

ベルは口数が少なかった。完全に落ち込んでいるというより、自分の中で何かを何度も反芻している顔だ。隣ではミジュマルが、いつもみたいに偉そうに胸を張って歩いている。だが、ベルが黙るたびにちらちらと見上げているあたり、本当に平気なわけではないのだろう。

 

チェレンはもっと分かりやすかった。静かに見えて、頭の中では昨日の戦いを何度も組み直している。歩幅は乱れていないし、表情も崩れていない。それでも、考えすぎているときの癖みたいな硬さが肩に出ていた。

 

シンはその二人を横目で見ながら、どう声をかけるべきか少し迷っていた。

 

勝った側の言葉は、だいたい余計だ。

 

わかっているつもりでも、実際に口を開くと違う。励ましたくて言ったことが、相手にはただの正論や慰めにしか聞こえないことがある。

 

それは昨日、自分がジム戦のあとに受け取った視線の重さを思い返せば、なんとなくわかった。

 

だからシンは、しばらく何も言わなかった。

 

先に口を開いたのはベルだった。

 

「……あたし、昨日さ」

 

前を向いたまま、ぽつりと落ちる。

 

「シンの真似、してた」

 

その言葉に、チェレンが一度だけ視線を動かす。トウヤは振り返らない。

 

ベルは続けた。

 

「いや、真似っていうか……たぶん、自分ではそういうつもりじゃなかったんだけど。シンがやってたこと見て、ああしたら勝てるのかなって思って。で、気づいたら、相手じゃなくて“正解っぽい動き”のほう見てた」

 

足もとのミジュマルが、小さく「ミジュ」と鳴いた。

 

ベルは苦く笑う。

 

「ね。たぶん、あなたもやりにくかったよね」

 

ミジュマルはすぐには顔を上げなかった。ふん、と鼻を鳴らして少し先へ出る。そのくせ完全には離れない。その半端な距離が、逆にベルには答えみたいだったらしい。

 

「でも、どうしたらよかったのかなあ……」

 

その弱いこぼし方に、シンは胸の奥が少しざらついた。

 

昨日のベルは、ちゃんと戦っていた。怖がっていたし、迷っていた。でも、逃げたわけじゃなかった。なのに本人の中では、“足りなかった”感触ばかりが強く残っているのだろう。

 

「焦りすぎたんだろ」

 

言ってから、少しぶっきらぼうすぎたかと思った。

 

だがベルは怒らなかった。代わりに、素直にこくりと頷く。

 

「うん。たぶんそう」

 

「おまえ、相手が何してくるかより先に、自分がうまくやれるか気にしてた」

 

「……それ、やっぱ見えてた?」

 

「見える」

 

ベルが顔をしかめる。

 

「やだなあ」

 

「でも、直せるってことだろ」

 

シンがそう言うと、ベルは少しだけ黙った。慰めではなく、普通のことみたいに言われたのが、かえってよかったのかもしれない。

 

一方でチェレンは、ずっと口を閉じたままだった。

 

街外れの空き地まで来たところで、トウヤがようやく足を止める。昨日までシンがミジュマルと動き方を合わせていた場所だ。石がいくつか転がっていて、地面には細かい段差もある。真っ平らじゃないからこそ、練習にはちょうどいい。

 

「やるなら、ここでいいんじゃない」

 

トウヤがそう言うと、ベルが少し目を丸くした。

 

「え、やるの?」

 

「やらないで落ち込んで終わるなら、朝から外出てこないでしょ」

 

あまりにも当然みたいに言われて、ベルは返事に詰まる。だが、その横でチェレンが小さく息を吐いた。

 

「……そうだね」

 

そこで初めて、チェレンが自分から前へ出る。

 

「僕も、整理したい」

 

「整理?」

 

ベルが聞き返すと、チェレンは地面の一点を見ながら言った。

 

「負けた理由はわかってるつもりなんだ。届きそうなところまでは行けていた。でも、あと半歩が届かなかった」

 

「うん」

 

「問題は、その“あと半歩”を、僕がまだ理屈でしか見ていないことだ」

 

シンは少しだけ目を細めた。

 

チェレンの言い方はいつも通り理屈っぽい。けれど昨日よりも、自分の負け方を真正面から見ている感じがした。言い訳をしていない。だからこそ、余計に悔しいのだろう。

 

「知ってるだけじゃ足りないってこと?」

 

ベルの問いに、チェレンは頷いた。

 

「たぶん。組み立てることはできても、その場で踏み込む判断がまだ遅い。安全に寄せすぎると、最後の一手が鈍る」

 

「それ、チェレンっぽいな」

 

トウヤが軽く言う。

 

嫌味ではない。ただの事実として置かれたその言葉に、チェレンは一瞬だけ口元を引き結んだあと、否定しなかった。

 

「そうだね。僕っぽい。だからたぶん、そこを変えないといけない」

 

シンは少し意外だった。

 

チェレンは、自分の長所を伸ばす方向で考えることはあっても、短所をそのまま認めるのはあまり得意ではない。崩れるのが嫌いだからだ。けれど今日は違う。負けたことを、そのまま次の材料にしようとしている。

 

空気が止まりそうになる前に、トウヤが両手を軽く叩いた。

 

「じゃ、ベルからやる?」

 

「えっ、あたし!?」

 

「迷ってる時間長いし」

 

「ひどくない!?」

 

「長いのはほんとでしょ」

 

ベルがむうっと頬を膨らませる。その反応を見て、さっきまで張っていた空気が少しだけゆるんだ。

 

結局、最初はベルからになった。

 

相手役はシンのミジュマル。ベルのミジュマルは最初こそ堂々としていたが、いざ向かい合うと昨日の負け方を思い出したのか、ほんの少しだけ足の置き方が硬い。

 

ベルもそれに気づいていた。

 

「……えっと、まず」

 

言いかけて、止まる。

 

たぶん昨日までのベルなら、その空白を埋めたくて急いで次の指示を出していた。だが今日は違った。ベルは一度息を吸って、ミジュマルを見た。

 

「ごめん。今のなし。あなたの動き見てから決める」

 

その言い直しに、シンは少しだけ眉を上げる。

 

ベルのミジュマルも、ぱちりと目を瞬かせたあと、ほんの少しだけ姿勢をやわらげた。待たされることより、見てもらえないことのほうが嫌なのかもしれない。

 

「いくよ、ミジュマル」

 

シンの声で、二匹が同時に動く。

 

最初の一手は軽いぶつかり合いだった。シンのミジュマルは前へ出たがる。ベルのミジュマルはそれを正面から受けるのではなく、一歩横へずれた。昨日なら焦って押し返しにいっていた場面だ。

 

「いい、そのまま!」

 

ベルの声はまだ少し硬い。でも、相手ではなく自分のミジュマルを見ていた。

 

横へ流し、間を取る。相手がもう一度踏み込む。そこでベルのミジュマルは今度こそ前へ出た。真っ向からの押し合いじゃなく、相手が体勢を移す瞬間を狙ったぶつけ方だった。

 

シンのミジュマルがたたらを踏む。

 

「……へえ」

 

思わず漏らすと、ベルがこっちを見る。

 

「なに」

 

「いや、ちゃんと見てるなって」

 

「見てるもん!」

 

「さっきまで見てなかったみたいな言い方するなよ」

 

「したのそっちでしょ!」

 

言い返しながらも、ベルの頬には少しだけ赤みが戻っていた。悔しさだけじゃなく、手応えが混ざり始めている。

 

そのあとも何度かやり取りを重ね、ベルは無理に綺麗な正解を追わないようにしていた。まだ迷う。まだ遅れる。けれど、その遅れを焦って誤魔化さなくなったぶん、ミジュマルとの噛み合い方は昨日よりよく見えた。

 

最後にベルのミジュマルが、少し得意げに胸を張る。

 

「……あ」

 

ベルが目を丸くする。

 

「今の顔、ちょっと昨日よりむかつく」

 

ミジュマルは「当然でしょ」と言いたげに顎を上げた。

 

でもそれは、いつもの見栄っ張りな顔だった。ようやくそこまで戻ってきたのだと、ベルもわかっているらしい。苦笑しながら、その頭を軽く撫でた。

 

「ありがと」

 

その言葉に、ミジュマルは一瞬だけ目を逸らした。

 

次はチェレンだった。

 

チェレンは最初から、自分の課題をはっきり決めていた。組み立てることではなく、踏み切ること。だから相手役にはトウヤが出た。

 

「僕がやるの?」

 

「そのほうが嫌でしょ」

 

トウヤの言い方は軽い。だが、チェレンは小さく頷いた。

 

「うん。たぶんそのほうがいい」

 

勝てる流れを早く嗅ぎ取るトウヤ相手に、迷っている暇はない。安全に寄せすぎれば、その時点で置いていかれる。

 

対面した瞬間から、空気が少し変わる。

 

ベルのときとは違う種類の静けさだった。チェレンは無駄を削るように相手を見て、トウヤはその視線ごと楽しむみたいに立っている。

 

最初の数手は、ほとんどチェレンの形だった。距離を測り、逃げ道を見て、相手の出方を限定する。丁寧で、正確だ。けれどその正確さが整うほど、最後の踏み込みだけが遅れる。

 

「そこ」

 

トウヤが軽く動く。

 

それだけで、チェレンの組んだ形が半歩ずれる。崩されたというより、置いていかれる感じだった。

 

チェレンは唇を噛む。だが、止まらない。

 

もう一度組み立てる。今度は少しだけ早く。まだ安全圏に寄っている。でも、その寄せ方を自分で嫌っているのが見えた。

 

「チェレン!」

 

思わずベルが声を上げる。

 

「いま行けたんじゃない!?」

 

チェレンははっとしたように目を上げた。

 

たぶん、本人もわかっていたのだ。行けた。でも、確信が一段足りなくて踏み切れなかった。

 

トウヤは追撃しない。ただ待つ。

 

その待ち方が、かえって嫌だったのかもしれない。チェレンは一度だけ息を吐き、それから次の一手で、今までより半歩深く入った。

 

危ない角度だった。きれいではない。けれど遅くない。

 

その踏み込みに、トウヤの目が少しだけ細くなる。

 

「……それ」

 

トウヤが笑う。

 

「そっちのほうがいい」

 

最終的に勝ち負けだけ見れば、まだトウヤのほうが上だった。だがチェレンの中では、昨日よりはっきりしたものが残っていたらしい。終わったあと、乱れた呼吸を整えながら、それでも目は死んでいなかった。

 

「わかった気がする」

 

「なにが?」

 

ベルが聞くと、チェレンは少し考えてから答える。

 

「完璧に見えてから動くんじゃ遅いんだ。たぶん僕は、“外してもいいから先に行く一手”を持たないといけない」

 

「それ、めちゃくちゃ勇気いるやつじゃん」

 

「いるね」

 

そう言って、チェレンは珍しく少しだけ笑った。

 

シンはその顔を見ながら、自分の胸の奥にも小さく何かが触れるのを感じていた。

 

ベルはベルで、自分のミジュマルをちゃんと見る必要がある。

チェレンはチェレンで、整えるだけじゃ届かない場所へ踏み込まなければならない。

 

それぞれの負け方は違う。だから立て直し方も違う。

 

昨日の時点では、負けた二人と勝った二人で線が引かれたように見えた。けれど今は少し違う。ただ遅れているだけではない。それぞれ別の形で、次へ進もうとしている。

 

トウヤが地面の石をひとつ蹴る。

 

「じゃ、今日はこんなもんでいいんじゃない」

 

「え、もう?」

 

ベルが不満そうに言う。

 

「まだやれるよ?」

 

「やれるのと、ここでやりすぎないのは別」

 

その言い方が妙に大人びていて、ベルは少しだけむっとした。だがチェレンは同意するように頷いた。

 

「今日は、手応えを持ったまま終わったほうがいい」

 

「……それはそうかも」

 

ベルは自分のミジュマルを見る。ミジュマルもまだやる気はある顔だったが、ベルが覗き込むと、少しだけ肩を落とした。強がっていても、疲れてはいるらしい。

 

シンはその様子を見て、なんとなく笑った。

 

「ちゃんと見てるじゃん」

 

「だから見てるって言ってるでしょ」

 

「昨日よりな」

 

ベルは言い返しかけて、やめた。代わりに、悔しそうでも照れくさそうでもある顔で鼻を鳴らす。

 

空き地を出るころには、朝の硬さは少し薄れていた。

 

負けたことそのものは消えていない。たぶん簡単には消えない。思い出せばまだ悔しいし、噛み合わなかった瞬間を考えれば胸の奥もざらつく。

 

でも、そのざらつきの向こう側に、昨日よりちゃんと次が見える。

 

ベルが前を向いて言った。

 

「次は、もっとちゃんと並ぶ」

 

誰に向けた言葉かはわからない。自分のミジュマルかもしれないし、負けた相手かもしれないし、勝ったまま先へ行こうとしている仲間たちかもしれない。

 

チェレンも小さく続ける。

 

「僕も、次は届かせる」

 

トウヤは振り返らず、ただ片手を上げた。

 

シンはその背中を見ながら、少しだけ息を吐く。

 

昨日の勝ちで終わりじゃない。

今日の立て直しも、たぶんまだ途中だ。

それでも、負けたまま立ち止まる二人ではないことだけは、もうはっきりしていた。

 

足もとでミジュマルが、いつものように半歩だけ先へ出る。

 

その背中を見て、シンも歩き出す。

 

同じ道を進いていても、並び方はきっと毎回変わる。

 

それでもまた並ぶために、今日みたいな一日は必要なのだと、今は少しだけ思えた。

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