BW素晴らしきイッシュ   作:もののふ教

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第17話 バッジの次に来るもの

四人そろってジムを出たとき、サンヨウシティの空は、昨日までより少しだけ高く見えた。

 

同じ町のはずなのに、景色の見え方だけが変わっている。

シンはそれを不思議だとは思わなかった。町のほうが変わったわけじゃない。変わったのは、自分たちのほうだ。

 

ベルはバッジを何度も出してはしまい、また出していた。見せびらかしたいのか、自分でもまだ本当に手に入れたのか確かめたいのか、その両方なのだろう。

 

足もとのミジュマルは、当然だと言わんばかりに胸を張っている。けれどベルがちらりと見るたび、わずかに顎の角度が上がるから、こっちもかなり意識しているらしい。

 

チェレンは、ベルほどわかりやすくはなかったが、ポケットの中のバッジに何度か指先を触れさせていた。確認しているようにも、落ち着かせているようにも見える。表情は整っているのに、その仕草だけが妙に正直だった。

 

トウヤだけは最初から最後まで軽い。

勝っても負けても、その場に必要以上に熱を残さない。そういうところが、やっぱり天才っぽいとシンは思う。腹が立つほど自然で、でも目を逸らせない。

 

「で、これで全員だな」

 

トウヤが歩きながら言う。

 

「一応そうだね」

 

チェレンが頷く。

 

「シン、トウヤ、ベル、僕。全員トライバッジを持った」

 

「“一応”ってなによ」

 

ベルがすぐに噛みついた。

 

「なんか今、“ベルだけ一回負けてるけどね”みたいなの含んでなかった?」

 

「含んでない」

 

「嘘っぽい」

 

「でも一回負けてるのは事実だよ」

 

「チェレンもでしょ!?」

 

チェレンが咳払いをして目を逸らす。

そのやり取りを聞きながら、シンは小さく鼻を鳴らした。

 

昨日までより、空気が軽い。

勝ったからというより、負けたままで終わらなかったやつが二人いるからだろう。

 

ジム戦は終わった。

でも、それで全部が綺麗に片づくわけじゃない。

 

シンの中にはまだ、デントの読みの深さも残っているし、トウヤの勝ち方の眩しさも引っかかっている。ベルとチェレンだって、再挑戦で掴んだものが、そのまま明日から全部使いこなせるわけじゃないはずだ。

 

それでも、昨日とは違う。

 

“次を考えられる終わり方”だった。

 

ポケモンセンターへ戻る途中、四人は通りの店で軽く昼食を取ることにした。町の人たちは普段通りで、旅人がバッジを取ったくらいでは世界は止まらない。当たり前のことなのに、その普通さが少しありがたかった。

 

ベルはサンドイッチを持ったまま、やたらと機嫌がいい。

 

「なんかさあ、ジムのあとってもっとこう、すっごい特別な感じになるのかと思ってた」

 

「特別だったろ」

 

シンが言うと、ベルは口を尖らせる。

 

「そういう意味じゃなくて。町じゅうが“おめでとー!”みたいな」

 

「なるわけないでしょ」

 

チェレンが即座に返した。

 

「そんなの毎日誰かしら挑んでるかもしれないんだから」

 

「夢がないなあ」

 

「現実だよ」

 

その言い方がいつも通りで、ベルは少しだけ安心したようにも見えた。

 

トウヤは窓の外を見ながら、ぽつりと言った。

 

「でも、普通なのはいいじゃん」

 

「なにが?」

 

「自分たちの勝ち負けだけで町が変わるわけじゃないってこと。そういうほうが、次に進みやすい」

 

シンはその言葉を聞いて、少しだけ考えた。

 

トウヤはたまに、何でもない顔でそういうことを言う。

重くは言わない。でも、軽く流しているわけでもない。ただ、自分にとって自然なこととして口にする。シンにはまだ、その自然さが少し羨ましかった。

 

食事を終えてポケモンセンターへ入ると、空気がひんやりしていた。回復を終えたポケモンたちの鳴き声があちこちで重なり、町の外とは違う穏やかな騒がしさがある。

 

受付の近くまで来たとき、不意に聞き慣れない声がした。

 

「あの……すみません。あなたたち、アララギ博士から図鑑を受け取ったトレーナー、ですよね?」

 

振り向くと、白衣を着た女性が立っていた。年上ではあるけれど、研究者という肩書きの堅さより、どこか眠たげで柔らかい雰囲気のほうが先に目につく。けれど、その目はちゃんとこちらを見ていた。

 

「そうですけど」

 

チェレンが先に応じる。

女性はほっとしたように息をついた。

 

「よかったぁ……。探してたんです、ちょうど」

 

それから少しだけ背筋を伸ばして、言い直す。

 

「わたし、マコモといいます。アララギ博士とは研究つながりで」

 

アララギ博士の知り合い。

その一言で、四人の注意が自然とそろう。マコモ博士はそれを確認するように微笑んでから、少しだけ声を潜めた。

 

「お願いしたいことがあるんです。少し、時間もらえますか?」

 

案内されたのは、町はずれにある研究施設だった。

 

外から見れば普通の建物だが、中へ入ると空気が違う。薬品と紙の匂い、積み上がった資料、机の上に放置されたメモや器具。きちんと整理しようとした形跡はあるのに、途中で別のことが気になって手が止まったような部屋だと、シンは思った。

 

ベルが小声で呟く。

 

「なんか、アララギ博士の研究所と似てるけど、もっと眠そう」

 

「えへへ、よく言われます」

 

マコモ博士はあっさり認めた。

 

「でも散らかってるのは、ちゃんと意味がある……はずです。たぶん」

 

「たぶんなんだ」

 

シンがぼそりと言うと、トウヤが肩を揺らした。

 

けれど、マコモ博士が話し始めた途端、その場の空気は少し変わった。

 

「みなさんに頼みたいのは、“夢の跡地”に行ってもらうことなんです」

 

「夢の跡地?」

 

ベルが聞き返す。

その名前だけで、少しだけ不思議な響きがあった。

 

「サンヨウシティの外れにある古い建物です。今はほとんど使われていないんですけど、そこにムンナが現れることがあるんです」

 

マコモ博士は机の上の資料を一枚めくる。

 

「ムンナは“ゆめのけむり”って呼ばれるものを出すことがあります。夢や記憶、心の動きに関わる、とても珍しい現象で……わたし、その研究をしてるんです」

 

ベルが少しだけ身を乗り出した。

 

「夢のけむり……」

 

「もちろん、無理に傷つけたり捕まえたりしたいわけじゃありません」

 

マコモ博士は慌てたように付け加える。

 

「できれば安全に観察したいんです。もし出会えたら、その様子を見てもらって、どんな状態だったか教えてほしいんです」

 

シンはその説明を聞きながら、胸の奥に小さな引っかかりを覚えていた。

 

研究のため。

ポケモンのため。

夢のため。

 

言葉だけ聞けば穏やかだ。マコモ博士の口調に押しつけがましさはないし、利用しようとする冷たさとも違う。それでも、前に広場で聞いた“ポケモンのため”という言葉が、頭の片隅に残っていた。

 

N。

ポケモンの声。

解放。

 

あれと今の話は別物だと頭ではわかる。けれど、ポケモンに人が関わる理由について、前より少し敏感になっている自分がいた。

 

「シン?」

 

ベルに呼ばれて顔を上げる。

 

「どうしたの」

 

「……いや、なんでもない」

 

そう返しながら、なんでもなくはないと自分でも思う。ただ、まだうまく言葉にできない。

 

トウヤが先に聞いた。

 

「そのムンナって、最近も出てるの?」

 

「ええ。少なくとも痕跡はあります」

 

マコモ博士が頷く。

 

「ただ、わたしひとりで行くと警戒されちゃうこともあって……。もし同年代くらいのトレーナーがいたら、空気が変わるかなって思ったんです」

 

「なんで同年代」

 

シンが聞くと、マコモ博士は少し考えてから答えた。

 

「なんとなく、です」

 

「研究者の答えじゃないな」

 

「こういうのは、理屈だけじゃないんですよ」

 

その返しに、トウヤがくすっと笑った。

 

チェレンは資料に視線を落としながら、すでに夢の跡地までの位置関係を頭に入れている顔をしていた。ベルは興味と不安が半分ずつといった様子で、ミジュマルはそんなベルの足もとで、なぜかやたらと偉そうにしている。

 

シンは少しだけ黙ってから、口を開いた。

 

「……行く」

 

三人がこちらを見る。

自分でも、思ったより早く返事が出たと思った。

 

「気になるから」

 

「ムンナが?」

 

ベルが聞く。

シンは一瞬だけ迷ってから、肩をすくめた。

 

「それもある。でも……それだけじゃない」

 

Nのことも、広場のことも、ちゃんと説明する気にはまだなれなかった。説明したところで、自分の中でもまだまとまりきっていないものは、そのまま曖昧にしか出てこない気がした。

 

ただ、行って見ておきたかった。

 

ムンナというポケモンを。

夢の跡地という場所を。

そこにある空気を。

 

そして、自分が何を感じるのかを。

 

「僕も行くよ」

 

チェレンが迷いなく言う。

 

「サンヨウシティで起きていることなら、知っておくべきだと思う」

 

「じゃあ、あたしも」

 

ベルも続いた。

 

「ちょっと怖いけど、なんか放っとけないし」

 

最後にトウヤが、当たり前みたいに頷く。

 

「四人で行くなら、そのほうが早い」

 

そうして決まると、あとは早かった。

マコモ博士から場所の詳しい説明を受け、簡単な準備だけ済ませて、四人は研究所を出る。

 

外へ出ると、昼の光が少しだけ傾き始めていた。すぐ暗くなるほどではないが、長居できる時間でもない。夢の跡地へ向かう道は、町の中にあるのに、どこか町の外れらしい薄さがあった。人の気配が減り、建物の並びもまばらになる。

 

ベルが小さく言う。

 

「……なんか、急に静かになったね」

 

「町の端だからでしょ」

 

チェレンはそう返したが、自分でも少し警戒しているのが声でわかった。

 

足もとのミジュマルたちも、さっきまでとは少し違う歩き方をしていた。ベルのミジュマルは相変わらず堂々としているが、耳だけは周囲の音を拾っている。シンのミジュマルは、前へ出たがるくせに今日はむやみに駆けない。空気を探るように、半歩先で止まることが増えていた。

 

角をひとつ曲がると、古びた建物が見えてきた。

 

壁はところどころ崩れ、窓は割れたまま放置されている。人が使わなくなった時間が、そのまま形になったみたいな場所だった。けれど、不思議と完全に死んだ感じはしない。風が抜けるたび、どこか奥のほうでまだ何かが息をしているような気配があった。

 

「ここが……」

 

ベルが小さく呟く。

 

「夢の跡地」

 

チェレンが地図と見比べ、確認するように頷いた。

 

シンは建物の入口を見ながら、喉の奥が少しだけ熱くなるのを感じていた。

怖いわけではない。わくわくとも少し違う。何かが起こる前の、じわじわした落ち着かなさだ。

 

足もとでミジュマルが、短く鳴く。

 

「……行くぞ」

 

シンが言うと、三人もそれぞれ頷いた。

 

四人と四匹は、崩れた入口の前でわずかに足を止める。

外の光と中の影の境目は思ったより濃く、半歩踏み込むだけで空気の温度が変わりそうだった。

 

そのとき。

 

建物の奥のほうから、ほんのかすかに、やわらかい音がした。

 

風ではない。

瓦礫の崩れる音でもない。

 

何かが、そこにいる。

 

ベルが息を呑む。

チェレンの視線が鋭くなる。

トウヤの口元から、いつもの軽い笑みが少しだけ消える。

 

シンは入口の暗がりを見つめたまま、静かに息を吸った。

 

ジム戦は終わった。

でも、旅はそこで一区切りになるほど単純じゃない。

 

バッジの次に来るものは、きっとまた、答えのない何かだ。

 

その気配を胸の奥で受け止めながら、シンは最初の一歩を踏み出した。

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