BW素晴らしきイッシュ   作:もののふ教

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第19話 同じ道の、ちがう景色

夢の跡地の奥は、外から見た廃墟よりもずっと静かだった。

 

崩れた壁の隙間から差し込む夕方の光が、床に長い帯をつくっている。そのあいだを、白く淡い靄のようなものがゆっくり流れていた。風ではない。けれど、息を吸うたびに胸の奥へやわらかく入り込んでくる、不思議な気配だった。

 

ベルが小さく息をのむ。

 

「……これ、もしかして」

 

「ゆめのけむり、かもしれないな」

 

チェレンが周囲を見渡しながら答える。その声は低いが、慎重すぎるほど固くはなかった。再挑戦を終えてから、彼の張りつめ方は少しだけ変わっていた。以前のように、すべてを整えてから動こうとするのではなく、揺れの中で考えることを覚えはじめている。

 

シンは足元の割れた床を見ながら、ミジュマルの頭を軽く撫でた。ミジュマルもまた、耳を澄ますように周囲を見ている。

 

「何かいる」

 

短く言うと、トウヤがすぐに視線を上げた。

 

「前だな」

 

その言葉どおり、崩れた柱の向こう、暗がりの中に丸い影があった。小さくて、やわらかそうで、けれど近づこうとするとすぐに身を引く。薄桃色の体。額の花のような模様。ムンナだ。

 

ベルの顔がぱっと明るくなる。

 

「いた……!」

 

けれど一歩踏み出しかけたベルを、チェレンが手で制した。

 

「待って。怯えてる」

 

ムンナは四人を見ているのではなかった。四人のさらに向こう。壊れた壁の影、そのもっと奥を見て、小さく震えていた。

 

次の瞬間、足音がした。

 

乾いた瓦礫を踏む、無遠慮な音だった。ひとつではない。二つ、三つ。人の気配が、こちらへ真っ直ぐ近づいてくる。

 

「いたぞ!」

 

「ムンナだ!」

 

揃いの服を着た男たちが、瓦礫の陰から現れた。胸元の紋章。どこか芝居がかった口調。ベルが眉をひそめる。

 

「……あの人たち」

 

「プラズマ団」

 

トウヤが、ほとんど反射のように言った。

 

男たちは四人の存在を見ると、一瞬だけ足を止めたが、すぐに薄く笑った。

 

「子どもか。邪魔をするな。我々はポケモンを解放するためにここへ来た」

 

「そのムンナが出す夢の煙は、ポケモンの未来のために必要なのだ!」

 

声だけは立派だった。けれど、ムンナに向ける手つきには、奪う者の雑さしかない。

 

シンの奥歯がきしむ。

 

ポケモンのため。解放のため。そう言いながら、怯えている相手を追い詰める。言葉とやっていることが、噛み合っていない。

 

トウヤは一歩前へ出た。迷いのない足取りだった。

 

「嫌がってるだろ」

 

「なに?」

 

「それで通ると思ってるなら、雑すぎる」

 

挑発でも断罪でもなく、ただ事実を突きつけるような言い方だった。その温度の低さが、かえって相手を逆なでした。

 

「生意気な……!」

 

男のひとりがボールを投げる。飛び出してきたのはミネズミ。もうひとりの手からはチョロネコが現れ、低く身を沈めた。

 

「来るよ!」

 

ベルの声と同時に、シンは前へ出ていた。

 

「ミジュマル、みずでっぽう!」

 

青い水流が、崩れた床すれすれを走る。真っ直ぐではない。床の傾きを使って角度を変え、ミネズミの進路を削るように撃ち込む。まともに倒すためではなく、まず足を止めるための一手だった。

 

「トウヤ!」

 

「わかってる。ツタージャ、まきつく!」

 

動きが鈍ったミネズミへ、しなるように伸びた体が巻きつく。完全に締め上げるには浅い。だがそれでいい。足場の悪い場所で自由を奪われれば、それだけで十分な隙になる。

 

チョロネコが横から跳び込んできた。ベルがびくりと肩を震わせる。けれど次の瞬間には、もう逃げていなかった。

 

「ミジュマル、みずびたし!」

 

ベルのミジュマルが勢いよく飛び出し、丸い体をひねる。放たれた水がチョロネコの全身にまとわりつき、毛並みを重く濡らした。

 

ベル自身も、出した指示の意味をすぐ理解していた。これは倒す技じゃない。でも――変えられる。

 

「トウヤ、今!」

 

「ツタージャ、つるのむち!」

 

緑の鞭が空気を裂く。濡れたチョロネコの体を正面から打ち、吹き飛ばした。壁にぶつかった相手が呻く。

 

ベルが目を見開いた。

 

「……できた」

 

ただ言われた通りに動いたんじゃない。自分で考えた一手が、ちゃんと誰かの動きに繋がった。その実感が、声に混じっていた。

 

だが、相手も終わらない。巻きつきを振りほどいたミネズミが、ポカブへ向かって突っ込む。

 

「チェレン!」

 

「ああ。ポカブ、こらえる!」

 

体勢の悪い場所で無理に打ち返さない。正面からぶつかり、踏みとどまる。ミネズミの体当たりでポカブの足が瓦礫に沈む。けれど倒れない。息を詰め、押し返されながらも一瞬だけ耐えきる。

 

「そのまま、ひのこ!」

 

至近距離だった。逃げる間合いはない。火の粉が真正面から弾け、ミネズミのひげ先を焦がす。悲鳴のような鳴き声が響き、相手がたじろいだ。

 

チェレンはすぐに次を重ねない。代わりに一歩、位置をずらした。壊れた柱と壁のあいだ、狭い通路を塞ぐ角度に入る。

 

シンはそれを見て、すぐ意図を読んだ。

 

「ミジュマル、たいあたり!」

 

ミジュマルが低く駆ける。まともに吹き飛ばすのではなく、横からぶつけて、逃げ道のない方向へ押し込む。そこへトウヤの声が重なる。

 

「ツタージャ、にらみつける!」

 

一瞬の硬直。ほんの半拍だが、それで十分だった。ポカブの火の粉がもう一度走り、ミネズミはついに膝をつく。

 

残るチョロネコは、じり、と後ろへ下がった。

 

男たちの顔色が変わる。数の上では有利なはずだった。けれど、狭い足場で、互いの動きを繋げてくる相手は思ったより面倒だったのだろう。

 

シンは息を整えながら、視線だけを動かした。

 

トウヤは前を見ていた。ベルはもう怯えていない。チェレンは次の動きのために足先をわずかに開いている。

 

同じ場所に立っているのに、見ているものは少しずつ違うのだと思った。

 

トウヤは勝てる流れを嗅ぎ取っている。

チェレンは崩れた形の中で最適を探している。

ベルは怖さを抱えたまま、それでも置いていかれないよう前を見ている。

 

そして自分は、その全部を見て、自分の一手を選ぼうとしている。

 

同じ道を歩いているのに、景色は同じじゃない。

 

けれど――だからこそ、並べる瞬間がある。

 

「まだやるの?」

 

シンが一歩出ると、男たちは露骨に顔をしかめた。そのときだった。

 

ムンナが高く鳴いた。

 

白い煙が、さっきまでより濃く広がる。光を含んだような柔らかな霧が、瓦礫のあいだを満たしていく。男たちが思わず目を細めた。

 

「な、なんだ……!」

 

その奥から、もうひとつ大きな影が現れる。ゆるやかな弧を描くように漂う、夢そのものみたいな姿。ムシャーナだった。

 

ムシャーナはムンナの前へ滑るように出ると、プラズマ団の男たちへ向けて静かに念を放った。派手な衝撃ではない。ただ、そこに立っていられなくなるような圧だけが広がる。

 

男たちは数歩よろめき、そのまま後ずさった。

 

「くっ……覚えていろ!」

 

ありがちな捨て台詞を残して、彼らは逃げていく。瓦礫を踏む音が遠ざかると、跡地の中にはまた静けさが戻った。

 

ベルが大きく息を吐いた。

 

「……終わった?」

 

「たぶんね」

 

トウヤはそう答えたが、目はまだ奥を見ていた。逃げた男たちの背中ではなく、その先にあるものを考えている顔だった。

 

ムシャーナは四人をしばらく見つめ、それからムンナの体をそっと包むように寄り添った。淡い煙が、ふたたびゆるやかに流れ出す。今度のそれは、さっきの緊張をほどくような、ぬるい息みたいな気配だった。

 

シンの視界が、ほんの一瞬だけ揺れる。

 

走る背中が見えた。

追いつきたいと思った。

追いつけないかもしれないと思った。

それでも走るしかない、と胸のどこかが知っていた。

 

「……シン?」

 

ベルの声で我に返る。どうやらベルも、チェレンも、トウヤも、それぞれ少しだけ遠い顔をしていた。

 

「今の、見えた?」

 

ベルがおそるおそる訊く。

 

「少しだけ」

 

チェレンが答える。

 

「夢、みたいなものかもしれない」

 

トウヤは短く笑った。

 

「同じ煙でも、見えるものは違うらしい」

 

その言葉に、シンは小さく頷いた。

 

同じ煙。

同じ道。

同じ旅。

 

でも、見えている景色はきっと、ひとりずつ違う。

 

それでいいのだと思った。

違うまま並ぶから、誰かの見えないものを別の誰かが拾える。

同じ形じゃないから、一緒に進める。

 

やがて、跡地の入口のほうから慌ただしい足音が近づいてきた。

 

「みんな、大丈夫!?」

 

駆け込んできたのはマコモ博士だった。白衣の裾を揺らしながら、ムンナとムシャーナ、それから四人の顔を順番に見て、あからさまに胸を撫で下ろす。

 

「よかった……。ゆめのけむりの反応が急に強くなったから、何かあったのかと思って」

 

「何かあった、どころじゃなかったよぉ……」

 

ベルがへなへなとその場にしゃがみこむ。けれど声には、さっきまでの震えだけじゃなく、ちゃんとやりきったあとの力の抜け方が混じっていた。

 

マコモ博士はムシャーナが残した淡い煙を慎重に採取しながら、四人に何があったのかを尋ねた。プラズマ団の名前を口にしたとき、彼女の表情が一瞬だけ曇る。

 

「そう……。やっぱり、動いてるのね」

 

「知ってるんですか」

 

シンが訊くと、マコモ博士はすぐには答えなかった。

 

「詳しいことはまだわからないわ。でも、あの人たちが掲げてる言葉と、実際にしてることが同じとは限らない。今日のことは、ちゃんとアララギ博士にも伝えておく」

 

トウヤが静かに目を細める。

 

「限らない、じゃなくて。たぶん、もうズレてる」

 

その言い方に、誰もすぐには返事をしなかった。

 

外へ出ると、空はもう夕焼けから群青へ変わりはじめていた。壊れた建物の向こうに伸びる道が、薄暗い中でかすかに白く見える。

 

ベルがその道を見ながら、小さく言う。

 

「同じところ歩いてるのに、みんなぜんぜん違うこと考えてるんだね」

 

「今さらかい?」

 

チェレンが言う。けれどその声は、以前ほど刺々しくなかった。

 

「でも、それでいいんじゃない?」

 

ベルは少し笑った。

 

「違うから、話せることもあるし」

 

シンはその言葉を聞きながら、ミジュマルを抱え直した。腕の中で、ミジュマルがふんと鼻を鳴らす。お前はお前で、たぶん自分なりの景色を見ているのだろう。

 

トウヤが先に歩き出す。

 

「行こう。止まってても、次は来ない」

 

その背中を見て、シンも歩き出した。

 

追うためじゃない。

並ぶためでもない。

 

ただ、自分の景色を見失わないために。

 

四人の足音が、夕暮れの道に重なる。

同じ道の上で、少しずつ違う速さと違う思いを抱えたまま、それでも確かに、次の町へ向かっていた。

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