シッポウシティに入ったときには、もう空の青はほとんど夜へ傾いていた。
町の明かりは、カノコタウンやサンヨウシティのそれより少し落ち着いて見えた。道幅は広くないが、木組みの建物が整って並んでいて、通りにはどこか古い匂いがある。石畳の隙間に一日の熱がわずかに残っていて、踏むたびに乾いた感触が靴の裏へ返ってきた。
夢の跡地を出てからずっと張っていたものが、町へ入った途端に少しだけ緩む。
けれどベルだけは、完全には気を抜けていない顔をしていた。
振り返らないと決めたように前だけを見て歩いていたくせに、視線の奥のどこかだけが、まだ町の外に残っているように見える。
シンはその横顔を見ながら、何も言わなかった。
町の入口近くで、案内板を読んでいたチェレンが振り返る。
「とりあえず今日は宿を取ろう。博物館もジムも、もうこの時間じゃ動けないだろうし」
「賛成」
トウヤが即答する。「腹減った」
「そこはぶれないね……」
ベルが苦笑する。 でも、その苦笑いもどこか上の空だった。
宿はすぐに見つかった。二階建ての、こぢんまりした建物だった。入口に吊るされたランプが風で揺れ、橙色の光が木の扉にやわらかく広がっている。
食事を済ませて部屋に戻る頃には、四人ともさすがに疲れていた。
プラズマ団との一件。 夢の跡地の空気。 道中の長い移動。 そして、シッポウシティ手前までついてきたムンナ。
どれも、軽い話ではなかった。
それぞれの部屋へ荷物を置き、最低限の支度を済ませる。ミジュマルはようやく緊張が切れたのか、丸くなって早々に眠りはじめた。シンは窓際に腰を下ろし、外を見た。
町の夜は静かだ。 人の気配はあるのに、騒がしさはない。遠くで犬のような鳴き声がして、少し遅れて誰かの笑い声が通りを横切る。旅の途中で立ち寄る町はどこも違うのに、夜になると少し似る。誰かが休んでいて、誰かがまだ起きていて、それでも世界は朝までちゃんと続いていく。
コン、という小さな音がした。
扉を開けると、ベルがいた。
「起きてた?」
「起きてる」
「そっか」
ベルはすぐには続けず、部屋の中を少しだけ覗く。ミジュマルが寝ているのを見て、声を落とした。
「ちょっと外、行かない?」
「今から?」
「うん」
シンはベルの顔を見る。 眠そうではない。 疲れてはいる。でも、それ以上に落ち着かなさそうだった。
「ムンナ?」
ベルは驚いたように目を瞬かせて、それから小さく頷いた。
「……見に行きたい」
「ひとりじゃなく?」
「ひとりは、なんか、やだ」
「じゃあ行こう」
廊下へ出ると、向かいの部屋の扉が少しだけ開いた。
「やっぱりね」
チェレンが腕を組んで立っていた。完全に眠る気配のない顔だ。
「なんでいるの」
「君が大人しく眠るとは思ってなかったから」
「それ、褒めてないよね?」
「褒めてないよ」
そのやりとりの向こうで、さらに奥の部屋の扉が開く。
「行くなら僕も行く」
トウヤだった。 寝起きには見えない。たぶん、最初から起きていたのだろう。
「みんな来るの……?」
ベルが半分困ったように言う。
「君ひとりで行かせる方が面倒そうだから」
チェレンの言い方は相変わらずだが、結局は心配しているのだと今のベルにはもうわかるらしい。少しだけ頬を膨らませただけで、それ以上は言い返さなかった。
四人は宿を出た。
夜のシッポウシティは昼よりもさらに静かだった。博物館の大きな影が通りの先に沈んで見える。昼間なら人の集まる場所も、この時間は扉が閉まり、窓から漏れる灯りだけが建物の輪郭を示していた。
ベルは町の入口の方へ足を向ける。
「本当にいると思う?」
歩きながら訊く声は、期待と不安がちょうど半分ずつだった。
「わからない」
シンが答える。
「わからないけど、行かないと気になるんでしょ」
「……うん」
トウヤが先を歩きながら言う。
「いたらいたで困るし、いなかったらいないで落ち込む顔だね」
「そういう言い方やめてよ!」
「当たってる?」
「当たってるけど!」
小さく笑いが起きる。 緊張が少しだけほどける。
町の灯りがまばらになるあたりまで来ると、さすがに空気が変わった。人の匂いより土や草の匂いが強くなり、道端の影も深くなる。シッポウシティの外縁。昼間に四人が振り返った、あの林道の延長だ。
ベルが自然と足を遅くする。
誰も何も言わないまま、同じ方向を見る。
夜目に慣れた頃、道の脇の低い木立ちの陰で、かすかに丸い影が揺れた。
ベルの息が止まる。
「……いた」
そこにいたのはムンナだった。
昼間と同じように、完全には近づかない距離。 でも、完全に離れもしない距離。 町の灯りが届くぎりぎりの場所で、ムンナはじっとこちらを見ていた。
ベルが思わず一歩出る。 ムンナの身体がわずかに強張る。 ベルはすぐ止まった。
「ごめん」
小さく謝る声に、ムンナは逃げなかった。
シンはそのやり取りを見ながら、昼間の「ここまで」という感じとは少し違うのを感じていた。ムンナはまだ迷っている。けれど、昼の境目で立ち止まっていた時より、ベルから目を逸らさない。
ベルがしゃがみこむ。
「……来てたんだね」
ムンナは答えない。 ただ、丸い体をほんの少し上下させる。
「町の中、入りづらいよね」
ベルの声はひどく静かだった。懐かせようとか、安心させようとか、そういう作った調子ではない。ただ、いま自分が思ったことを、そのまま低く置いている。
「人、多いし。知らない匂いもいっぱいするし。こわいよね」
風が吹く。 街灯の光が葉の影を揺らす。
ムンナはまだ木立ちの陰にいた。
チェレンが小声でシンに言う。
「無理に近づかない方がいいね」
「うん」
「今は“呼ぶ”より“待つ”方が正解だと思う」
その意見に異論はなかった。 ベルもたぶん、同じところにたどり着いている。
「今日はもう戻る?」
トウヤがベルに訊く。 追い払うためではなく、選択肢を出すような声音だった。
ベルはムンナを見たまま、少し考える。 それから頷いた。
「うん。……ここで無理したくない」
その答えに、シンは少しだけ安心した。 ベルは気持ちで突っ走ることがある。でも今は、気持ちだけで踏み込まないことを選べている。
立ち上がる前に、ベルは最後に一度だけ言った。
「わたし、明日もいるから」
ムンナの耳のような部分が、わずかに揺れた。
「来たくなかったら来なくていい。でも、来るなら……ちゃんと見る」
それだけ残して、四人は宿へ戻った。
誰も大きな声では話さなかった。
ベルも、その晩はそれ以上何も言わなかった。 でも、部屋へ入る直前にシンへ小さく言った。
「ありがとう」
「なにが」
「ひとりで行かなくてよかった」
「うん」
シンはそれだけ返した。 それで十分だった。
翌朝、ベルは誰よりも早く起きていた。
宿の一階で朝食が出る頃には、もう落ち着かない顔で窓の外を見ている。チェレンがパンをちぎりながら眉を上げた。
「そんなに見ても、町の中までは来ないと思うよ」
「わかってるもん」
「じゃあ座って食べなよ」
「食べてる!」
言い返しながら、ベルの意識が半分外にあるのは丸わかりだった。
トウヤがスープを飲みながら言う。
「食べ終わったら見に行けば」
「……いいのかな」
「いいも悪いも、自分で決めることでしょ」
その返しはいつも通りだったが、突き放しているわけではなかった。ベルもそれはわかっているらしい。
食事を終えると、四人はひとまず町の入口近くまで出た。
朝のシッポウシティは、昨夜よりずっとはっきり輪郭を持って見えた。博物館の大きな建物。整った街路樹。店の扉を開ける人たち。静かな町だが、生きている気配はちゃんとある。
そして町の外れ、昨夜ムンナがいたあたりへ近づくと、ベルの足が自然に遅くなった。
「いた?」
シンが訊く。
ベルは首を横に振る。
「まだ……」
その時だった。
道の反対側、街路樹の影のそばで、小さなざわめきが起きる。
「きゃっ、なにこれ!」
若い女の声。 続いて、犬ポケモンのような唸り声。
見ると、通りの脇で野生のヨーテリーが何かに向かって威嚇していた。人の匂いの強い町に入り込みすぎて興奮しているのかもしれない。しかも、その先にいるのは――
「ムンナ!」
ベルが叫ぶ。
ムンナは街路樹の根元に追い詰められるようにして縮こまっていた。町の中に踏み込みきれず、かといって外へも逃げにくい位置だ。ヨーテリーは縄張りを主張するように吠え、近づこうとしている。
ベルは反射的に駆け出した。
「ベル!」
チェレンの声が飛ぶ。 だが止まらない。
それでも無茶苦茶に飛び込むのではなく、ベルは途中でボールを掴んだ。
「ミジュマル、お願い!」
白い光とともにミジュマルが現れる。まだ完全に状況を理解していない顔だったが、ベルの焦りはすぐ伝わったらしい。
「みずでっぽう!」
細いが勢いのある水流が、ヨーテリーの足元の石畳を叩く。まともにぶつけるのではなく、牽制するための一撃。ヨーテリーが驚いて半歩引く。
だが、完全には退かない。 むしろこちらへ向き直って唸り声を低くした。
ベルの肩が一瞬だけ揺れる。 怖いのだ。 それでも、下がらなかった。
「ミジュマル、前!」
ミジュマルがベルの前へ滑り込むように出る。守る位置取りだった。後ろにムンナ、前に自分たち。その形をベルはちゃんと選んでいた。
シンたちもすぐに追いつく。
「シン、右!」
「うん!」
ミジュマルを出す時間も惜しく、シンはまず声をかける。「そのまま、ベル!」
ベルは頷き、息を吸う。
ヨーテリーが飛びかかってくる。 その瞬間、ベルの声が響いた。
「ミジュマル、しっぽをふる!」
一瞬、シンは目を見開いた。 攻撃ではない。 けれど、ヨーテリーの意識をずらすには十分だった。大きく揺れた尾の動きに視線が逸れ、その間にベルが続ける。
「みずびたし!」
水が絡みつくようにヨーテリーの体を濡らす。 冷たさと不快感で動きが鈍る。
「今、シン!」
「ミジュマル、たいあたり!」
シンのミジュマルが横からぶつかり、ヨーテリーの向きを町の外側へ押し返す。そこへトウヤの声が重なる。
「ツタージャ、にらみつける」
空気がぴんと張る。 ヨーテリーが足を止めた。 最後にチェレンが短く言う。
「ポカブ、ひのこ。足元だけ」
火の粉が石畳の手前ではじける。 直接傷つけるためではない。「これ以上は危ない」と知らせるための火だ。
ヨーテリーは数歩後退し、唸りながらもやがて町の外へ駆け去っていった。
静けさが戻る。
ベルはすぐにムンナの方を見た。
「大丈夫!?」
ムンナはまだ震えている。 でも、昨夜までと違って、逃げる方向を見失っているようではなかった。驚いている。怖がっている。けれど、その目はベルから離れない。
ベルがそっとしゃがみこむ。
「ごめんね、びっくりしたよね」
ミジュマルが息を荒くしながら前に立っている。見栄っ張りな顔つきのまま、でもベルの足元からは動かない。守ったことを誇っているのだろう。
チェレンが周囲を見回す。
「人目が増える前に、少し端へ寄った方がいい」
「うん」
四人は街路樹の並ぶ外れの空き地へ移動した。町から完全に離れるわけではないが、少なくとも人通りは少ない場所だ。
ムンナはベルから一定の距離を取ろうとしたが、離れすぎはしなかった。さっきの件で、完全に逃げるより近くにいる方が安全だとわかったのかもしれない。
ベルはしばらく黙っていた。
何を言えばいいのか考えている顔だった。たぶん、頭の中ではいっぱい言葉がある。でも、どれも違う気がしているのだろう。
シンはその横顔を見ながら、口を挟まないことを選んだ。 ここで必要なのは励ましでも助言でもない。 ベルが自分で言葉を選ぶ時間だ。
やがて、ベルが息を吐いた。
「……わたし、昨日ずっと考えてたの」
ムンナを見ながら言う。
「気になるって思った。でも、だからってわたしの方から“来て”って決めるのは違う気がしてた。あの子がどうしたいか、ちゃんと見たいって」
ムンナはじっと聞いている。
「でも、さっき見てわかった。見てるだけじゃ足りない時もある」
その言葉に、トウヤがほんの少し目を細めた。 チェレンも何も言わない。
ベルは続ける。
「怖いなら怖いでいい。まだ決められなくてもいい。でも、もし困ってる時に、わたしのところへ来るなら……その時は、ちゃんと手を出したい」
声は震えていた。 だけど、揺れているのは怯えだけじゃない。 決めようとしている震えだ。
ベルはバッグの中へ手を入れた。 指先が触れたモンスターボールを、すぐには取り出さない。
「ねえ、ムンナ」
その呼び方は、もう野生のポケモンへ声をかけるだけの音ではなかった。
「わたし、強い子じゃないよ。ミスもするし、すぐ泣くし、びびるし。たぶん、今日だってみんながいなかったらちゃんと守れなかった」
自虐みたいな言い方なのに、不思議と弱く聞こえなかった。 自分をよく見ているからだろう。
「でも、置いていかない」
ベルの目が、まっすぐムンナを見る。
「わたしと来るなら、ちゃんと一緒に考える。無理やり前に出したりしないし、怖いのもわかったふりしない。……うまくできないことはあると思う。でも、そのたびにちゃんと考える」
風が止む。 朝の光だけが、街路樹の葉の隙間から揺れて落ちる。
「だから」
ベルはようやくボールを取り出した。 両手で大事に持つ。
「もし、わたしを選んでくれるなら」
そこで言葉が少し詰まる。 でも逃げなかった。
「……わたしの手持ちになって」
静かな沈黙が落ちた。
シンは息を止めていたことに、その時気づいた。 チェレンも、トウヤも、何も言わない。
ムンナはその場でじっとしている。 逃げない。 けれど、すぐには近づかない。
長く感じる数秒のあと、ムンナがゆっくりと前へ出た。
一歩。 また一歩。
怖がっていないわけではない。 それでも、自分で進いている。
ベルの目が揺れる。 泣きそうなのを、必死でこらえている顔だった。
ムンナはついにベルの手が届く距離まで来た。 そこで止まる。 額の花模様が、朝の光の中でやわらかく見えた。
「……いいの?」
ベルがほとんど囁くように言う。
ムンナは、答える代わりみたいに、その丸い体をベルの手の甲へそっと寄せた。
ベルの肩が震えた。 でも今度は、怖さではない。
ゆっくりと、ベルはボールを差し出す。 無理に押しつけるのではなく、見せるように。 選ぶ余地を残したまま。
「来て」
ムンナは一瞬だけボールを見つめ、それから光に包まれるようにして中へ吸い込まれた。
ボールがベルの手の中に収まる。
一度、揺れる。 二度、揺れる。 三度目のあと、静かに音がした。
決まった。
ベルはすぐには息をできなかったみたいに、その場で固まっていた。 やがて、信じられないものを見るみたいに両手の中のボールを見下ろす。
「……え」
小さな声。 次の瞬間には、泣き笑いみたいな顔になっていた。
「え、うそ、ほんとに……?」
「ほんとだよ」
シンが言うと、ベルの目尻がとうとう緩む。
「ムンナ……」
その名前の呼び方が、もう少しだけ変わっていた。 “あの子”ではなく、“自分のポケモン”として呼ぶ響きが、たしかに混じっている。
ベルはそっとボールを胸の前に抱えた。
「ありがとう……」
その声はムンナに向けたものだったし、同時に、自分へ来てくれたことそのものへの礼でもあった。
チェレンが小さく肩の力を抜く。
「よかったね」
「う、うん……!」
ベルが勢いよく頷く。目元はまだ少し赤い。
トウヤがいつもの調子で言う。
「これでベルの手持ち、少し変わりそうだね」
「どういう意味!?」
「そのままの意味」
「絶対なんか含んでる!」
「含んでるよ」
いつものやり取りなのに、ベルはさっきよりずっと軽い声で言い返していた。
シンはその様子を見ながら、自分の胸の中にも小さく何かが灯るのを感じていた。
ベルは弱い、と見られることが多い。 実際、怖がりだし、迷いやすいし、自信も揺れやすい。 でも今みたいに、相手の選ぶ余地を残したまま、それでも自分の気持ちを差し出すのは、簡単なことじゃない。
追いかけない強さ。 急がない強さ。 でも、必要な時にはちゃんと手を伸ばす強さ。
たぶんベルは、そういう形で前へ進いている。
「出してみる?」
シンが訊くと、ベルははっと顔を上げた。
「あ……うん」
少し緊張した手つきでボールを開く。 白い光がやわらかく広がり、ムンナが再び姿を見せる。
さっきまでの警戒がまるごとなくなったわけではない。 でも、ベルの足元からは離れなかった。
ベルはしゃがみこんで、そっと笑う。
「……よろしくね、ムンナ」
ムンナは小さく鳴いた。 その声は、夢の跡地で聞いた怯えた響きより、ほんの少しだけ丸く、柔らかかった。
ミジュマルがむっとしたように一歩前へ出る。 自分の位置を脅かされると思ったのかもしれない。
「な、なにその顔」
ベルが慌てる。
ミジュマルは胸を張るように鼻を鳴らす。 ムンナは驚いて半歩下がるが、逃げない。
それを見たシンは吹き出しそうになった。
「もう張り合ってる」
「いま!?」
チェレンが口元を押さえる。 トウヤは隠しきれずに笑っていた。
ベルは困ったように、でも嬉しそうに二匹を見た。
「けんかしないでよぉ……。仲良くしてっていきなりは言わないけど、せめて怖がらせないでね」
ミジュマルは不満そうな顔のままそっぽを向く。 ムンナはベルの足元に少しだけ寄る。
その距離を見て、ベルの表情がまたやわらかくなる。
町の朝が、少しずつ本格的に動き出していた。 通りの向こうから人の声が聞こえる。博物館の方でも扉の開く音がした。
シッポウシティでの新しい一日が始まる。 ジムもある。 次の戦いもある。 たぶん、また迷うこともたくさんある。
それでも今は、その前にひとつだけ確かなことがあった。
ベルの隣に、ムンナがいる。
昨日、夢の跡地で怯えていた小さな影は、自分でベルを追い、町の手前で立ち止まり、最後には自分の意思でここへ来た。
ベルもまた、無理に決めつけず、でも決めるべき時には言葉にした。
その両方が重なって、いまこの形になっている。
シンはミジュマルの頭を軽く叩いた。
「負けるなよ」
ミジュマルが不満げに見上げる。 何に対してだと言いたげな顔だった。
トウヤが歩き出す。
「じゃあ、そろそろ行こうか。町に来た理由はそれだけじゃないし」
「うん!」
ベルの返事は、昨日までより少しよく通った。
ムンナがその足元で、小さく揺れる。 まだ町の匂いにも、人の多さにも慣れてはいないだろう。 でも、ベルが歩けば、たぶんついていく。
チェレンがそれを見て、淡く目を細めた。
「ベル」
「なに?」
「今度は“気になる”じゃ済まないね」
「……うん」
ベルはムンナを見たあと、少し照れたように笑った。
「ちゃんと大事にする」
その言葉に、誰も茶化さなかった。
旅の道は続く。 同じ道を歩いていても、見る景色はひとりずつ違う。 けれど、その違いの中で誰かを選び、誰かに選ばれる瞬間がある。
シッポウシティの朝の光の中、ベルは新しい仲間と一緒に最初の一歩を踏み出した。
その歩幅はまだ少し不安定で、でも昨日までより確かだった。