BW素晴らしきイッシュ   作:もののふ教

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第23話 ひとりぶんの朝

シッポウシティの博物館は、近くで見ると町の他の建物よりも少しだけ呼吸が深いように見えた。

 

大きいからではない。  重たいからでもない。

 

木と石で組まれた外壁は静かで、派手さもないのに、前に立つと自然と声を落としたくなる。長くここにあったものだけが持つ落ち着きが、そのまま形になっているみたいだった。

 

トウヤが扉の前で足を止める。

 

「なんか、ジムっていうより図書館っぽいね」

 

「図書館というか、資料館だろう」

 

チェレンがすぐ訂正する。

 

「似たようなもんじゃない?」

 

「似てるところもあるけど違うよ」

 

「始まった」

 

ベルが小さく笑う。  その足元で、ムンナが少しだけ身を寄せた。町の中を歩くことには少し慣れてきたようでも、初めて入る大きな建物の前ではまだ緊張するらしい。

 

ベルがすぐ気づいて、しゃがみこんで声を落とす。

 

「大丈夫。無理そうならすぐ出ようね」

 

ムンナは答えない。  ただ、昨日よりは迷いなくベルのそばにいた。

 

シンはそれを見てから、博物館の扉へ視線を戻した。

 

朝のうち、少しだけ別々の時間を過ごした。  チェレンとトウヤは町を見た。  ベルはムンナと向き合った。  自分はその横で、ベルの朝を見ていた。

 

いま四人はまた並んでいる。  でも、完全に同じ場所へ戻った感じはしなかった。  それぞれがそれぞれの時間を持ったまま、またここへ集まった、そんな感じだ。

 

「入るよ」

 

チェレンがそう言って、先に扉を押した。

 

中は外から見た印象より少し暗かった。  暗いというより、光がやわらかい。高い窓から入る朝の光が床へ細長く落ち、そのあいだを静かな埃が漂っている。足音は吸い込まれるように響かず、代わりに衣擦れや息遣いのほうが耳につく。

 

「わ……」

 

ベルが小さく声を漏らす。

 

正面には大きな展示骨格があった。太い肋骨、長く伸びた首、巨大な頭骨。ポケモンの化石なのだとわかっていても、いまにも動き出しそうな迫力がある。

 

「すご」

 

トウヤが珍しく足を止めて見上げた。  チェレンはすでに説明板へ目を走らせている。  ベルはムンナの様子を気にしながらも展示に目を奪われていた。  シンは少し遅れて、その全部を見ている自分に気づいた。

 

「いらっしゃいませ」

 

受付の奥から、館員らしい女性がにこやかに声をかけてくる。

 

「見学ですか?」

 

「はい」

 

チェレンが答えるのと、ベルが「たぶん」と小さく付け足すのがほとんど同時だった。

 

女性は四人の顔を見て、最後にムンナへ視線を向ける。

 

「ポケモンもご一緒で大丈夫ですよ。ただ、驚かないようだけ気をつけてくださいね」

 

ベルがほっとしたように頷く。

 

「ありがとうございます」

 

ムンナは広い館内の空気にまだ少し戸惑っているようだった。ベルの足元から離れない。ミジュマルのほうは、最初こそ大きな骨格に警戒した顔をしていたが、誰も驚いていないとわかるとすぐに偉そうな顔へ戻った。

 

展示室の中を進きはじめると、四人の歩く速さは自然にばらけた。

 

チェレンは説明板の前でいちいち立ち止まる。  トウヤは文字より全体の配置を眺める。  ベルはムンナが怖がらない位置を探しながら、そのついでに展示を見る。  シンは、その中間みたいな場所を歩いていた。

 

ひとつの展示の前で、チェレンが足を止める。

 

「これは昔この地方で見つかった骨格の復元か」

 

「読んでわかるのすごいね」

 

ベルが言う。

 

「日本語だよ」

 

「そういう意味じゃなくて!」

 

ベルが言い返す横で、トウヤが頭骨の角度を見ながらぽつりと言う。

 

「これ、戦うとしたら真正面より横からの方が強そう」

 

「なんでそういう見方になるの……?」

 

シンが思わず言うと、トウヤは少し肩をすくめた。

 

「だってそう見えるし」

 

「見えるけどさ」

 

チェレンが説明板から顔を上げる。

 

「でも、そういう見方は案外間違ってないかもしれない。骨格の形って、どう動いてたかにも関わるだろうし」

 

「チェレンまで乗るの?」

 

「いや、理屈としてね」

 

ベルが困ったように笑った。

 

その時、足元でムンナが小さく身を揺らした。

 

視線の先には、展示の隅に置かれた鏡面のガラスケースがある。そこに映り込んだ大きな骨格の影が、角度によって少し歪んで見えたらしい。ムンナはそれを気にしているようだった。

 

ベルがすぐにしゃがみこむ。

 

「大丈夫。あれ、本物じゃないよ。えっと、本物っていうか本物だけど、動かないから」

 

自分でも何を言っているのかわからなくなったのか、途中で困った顔になる。  シンは笑いそうになったが、ムンナはベルの声に意識を向けているらしく、少しずつ落ち着きを取り戻した。

 

「声で戻ってくるんだね」

 

シンが小さく言うと、ベルは少し驚いた顔をした。

 

「え?」

 

「ムンナ。怖くても、ベルの声の方見る」

 

ベルはムンナを見て、それから少しだけ照れたように笑う。

 

「……だとしたら、うれしいけど」

 

展示室をさらに進むと、古い道具や町の記録をまとめた区画に入った。化石ポケモンだけではなく、シッポウシティそのものの歴史が並んでいる。古地図、発掘道具、昔の生活用品。派手ではないが、見ているとその町の時間が少しずつ浮かんでくる。

 

トウヤが壁の地図を見上げる。

 

「昔から通り道だったんだね」

 

「森と町と遺跡が近いからだろうね」

 

チェレンが言う。「人が集まる理由がある」

 

「集まるってことは、通り過ぎるだけの人も多いんだろうな」

 

トウヤのその一言が、シンの胸のどこかに引っかかった。

 

通り過ぎるだけの人。

 

旅ってそういうものだ。  町に入り、何かを見て、次へ進く。  立ち止まったようでも、たいていは通過していく。

 

でも、その中でどれくらいちゃんと見ているのだろう。  どれくらい自分のものとして受け取っているのだろう。

 

「シン?」

 

ベルの声で我に返る。

 

「ん?」

 

「なんか、さっきから少しぼーっとしてない?」

 

「してるかも」

 

「してるんだ」

 

ベルが笑う。  その足元で、ムンナが今度は壁に掛かった古びた仮面の展示を見ていた。目の穴が黒く落ちているせいで少し不気味に見える。ムンナの身体がまたわずかにこわばる。

 

「ムンナ、こっち見よっか」

 

ベルが少し離れた別の展示へ誘導する。  その声が、ミジュマルに向ける時よりもわずかに柔らかい。  まだ新しい関係だからだろう。  慎重で、確かめるみたいな優しさだ。

 

シンはそのあとを見ながら、ふと足を止めた。

 

「ちょっと見てくる」

 

誰に言うでもなくこぼすと、チェレンがすぐ反応する。

 

「ひとりで?」

 

「すぐ戻るよ」

 

「迷うなよ」

 

「子ども扱いしないで」

 

「してない。君は普通に迷いそうだから言ってる」

 

ひどい言い草だと思ったが、否定しきれないのが腹立たしい。  トウヤが横で笑っている。  ベルは「行ってらっしゃい」と軽く手を振った。

 

シンは展示室の奥へ歩いた。

 

別に何か明確な目的があったわけじゃない。  ただ、みんなと一緒にいるのに、少しだけひとりになりたかった。

 

静かな廊下を抜けると、小さな部屋に出た。  そこは表の展示室よりさらに人が少なく、古文書や発掘記録の複製が並んでいた。壁際には木の机があり、来館者が自由に閲覧できる資料も置かれている。

 

窓から入る光が細く、空気が少し冷たい。

 

シンは机の前に立ち、古い地図の複製をぼんやり眺めた。  今の道路とは違う線が、森の中を縫うように伸びている。人の通り道は、ずっと同じようでいて、少しずつ変わってきたのだろう。

 

その時、背後で小さな紙の擦れる音がした。

 

振り返ると、ひとりの男の子が床に膝をついていた。持っていたらしい写し用の紙束を落としたのだろう。数枚が散っている。

 

「あ」

 

シンは反射的にしゃがんで、一緒に拾った。

 

「ありがとう」

 

男の子は少し恥ずかしそうに言う。年は自分たちよりだいぶ下だろう。隣にはチョロネコがいて、こちらを少しだけ警戒するように見ていた。

 

「写してたの?」

 

「うん。父さんが、ちゃんと見てこいって」

 

そう言って見せてくれた紙には、骨格展示の簡単なスケッチや、説明板から写したらしい文字が並んでいた。上手いとは言えないが、丁寧だった。

 

「好きなんだ」

 

「べつに」

 

男の子はすぐそっぽを向く。「でも、忘れないように」

 

その言い方が少しチェレンっぽくて、シンはなんとなく笑ってしまう。

 

「なに」

 

「いや、なんでもない」

 

男の子は紙を抱え直すと、少しだけ迷ってから訊いた。

 

「旅してるの?」

 

「うん」

 

「じゃあ、いっぱい見てるんだ」

 

その問いに、シンは一瞬だけ答えに詰まった。

 

いっぱい見ている、のだろうか。  距離なら歩いている。  町も越えてきた。  人とも会ってきた。  でも“見る”って、ただ通ることと同じじゃない。

 

「……見てるつもり」

 

そう答えると、男の子は「ふうん」とだけ言った。  それから、自分の紙束を見下ろしてぽつりとこぼす。

 

「ぼく、同じとこ何回も見るよ。すぐ忘れるから」

 

その言葉が妙に残った。

 

何回も見る。  すぐ忘れるから。

 

旅は前へ進くものだと思っていた。  でも、前へ進くことと、ちゃんと見ることは、たぶん同じじゃない。  時々立ち止まって、自分ひとりぶんの速さで見ないと、通っただけで終わるものもあるのだろう。

 

男の子は「じゃあ」と言って去っていった。  チョロネコだけが一度だけ振り返り、すぐにそのあとを追う。

 

シンはしばらくその場に立っていた。

 

ひとりの朝。  ひとりの見方。  ひとりの覚え方。

 

朝のうち、みんなが別の時間を持ったことを思い出す。  ベルはムンナと向き合った。  チェレンは情報を集めた。  トウヤは町の癖を見た。  自分はその横で、どっちつかずにいたつもりだった。

 

でも、いま少しだけわかる。  自分にも、自分ぶんの見方があるのかもしれない。  誰かを追うための視線じゃなく、自分が拾いたいものを拾うための見方が。

 

「こんなとこにいた」

 

声がして振り返ると、ベルが立っていた。  後ろにはムンナとミジュマル。少し遅れてチェレンとトウヤもいる。

 

「ほんとに迷ってたじゃないか」

 

チェレンが言う。

 

「迷ってないよ」

 

「戻ってこない時点で半分迷ってる」

 

「それは理屈が変」

 

シンが言い返すと、トウヤがくすっと笑った。

 

ベルは机の上の古地図をのぞき込む。

 

「何見てたの?」

 

「昔の道」

 

「わかるの?」

 

「わからないけど、なんとなく」

 

ベルは「ふうん」と言って、それ以上は深く訊かなかった。代わりに、少しだけやわらかい声で言う。

 

「ひとりになりたかった?」

 

シンは少しだけ驚いた。  でも、隠すほどでもない気がして頷く。

 

「少しだけ」

 

「そっか」

 

ベルはそれを変だと言わなかった。

 

「わたしも、朝ちょっとそうだったし」

 

その言葉に、チェレンが眼鏡を押し上げる仕草をする。

 

「別行動を否定しなくてよかっただろう?」

 

「自慢げに言うなよ」

 

シンが言うと、チェレンは少しだけ口元を緩めた。

 

その時、廊下の向こうから落ち着いた足音が近づいてきた。

 

館内の静けさに馴染む、無駄のない歩き方だった。

 

現れたのは、ひとりの女性だった。

 

濃い色の髪をきちんとまとめ、品のある服装をしている。派手ではないのに、一目でこの場所に馴染んでいるとわかる立ち姿だった。

 

「おや」

 

彼女は四人を見て、穏やかに微笑む。

 

「見慣れない顔だと思ったら、旅の子たちかしら」

 

チェレンがすぐに姿勢を正した。

 

「はい。見学させてもらってます」

 

「それは嬉しいわ」

 

女性は展示室の空気そのものみたいに落ち着いていた。「私はアロエ。この博物館の館長で、ここのジムも預かっているの」

 

ベルが小さく息をのむ。  トウヤはほんの少しだけ目を細める。  シンも自然に背筋が伸びた。

 

アロエは四人の顔を順に見たあと、最後にムンナへ目を留めた。

 

「その子、まだ少し緊張しているわね」

 

「きのう仲間になったばっかりなんです」

 

ベルが答える。  アロエは「なるほど」と頷いた。

 

「それでこの町へ入るのは、少し勇気がいったでしょう」

 

ベルは少しだけ目を丸くし、それから小さく笑う。

 

「……はい。かなり」

 

「でも、ちゃんと来たのね」

 

「はい」

 

アロエの視線は厳しくない。  けれど相手をよく見ている。言葉より先に、どこが張っていて、どこが揺れているかを拾うような目だった。

 

彼女は四人の持つ空気をひとしきり眺めたあと、ふっと笑みを深くする。

 

「いい朝を過ごしたみたいね」

 

誰もすぐには答えられなかった。

 

いい朝。  そう言われると、たしかにそうかもしれない。  何もかも順調だったわけではない。  綺麗に揃っていたわけでもない。  でも、それぞれに必要な時間を持って、またここで合流した朝だった。

 

アロエは軽く手を振った。

 

「もしよかったら、このあと博物館の裏側も見ていく? 表の展示だけじゃわからないことも多いの」

 

トウヤの目が少しだけ鋭くなる。  チェレンは興味を隠さない。  ベルはムンナの様子を見てから頷く準備をする。  シンは、その言葉の先に次の出来事の気配を感じた。

 

表から見えるものだけじゃ足りない。  たぶん旅も同じだ。

 

「行きます」

 

最初に答えたのは、シンだった。

 

自分でも少し驚いたが、不思議と迷いはなかった。

 

アロエが静かに笑う。

 

「じゃあ、案内するわ」

 

四人は顔を見合わせる。  揃ってはいない。でも、誰も遅れていない。

 

シッポウシティの朝は、もう完全にそれぞれのものになっていた。  だからこそ、また同じ方へ歩ける。

 

ムンナがベルの足元で小さく鳴く。  ミジュマルがそれに対抗するみたいに鼻を鳴らす。  ポカブは眠そうな目をこすり、ツタージャは静かに首をもたげた。

 

アロエのあとを追って歩き出しながら、シンは思う。

 

ひとりぶんの朝を持ったままでも、一緒に進くことはできる。  むしろ、その方がちゃんと並べる時もあるのかもしれない。

 

博物館の静かな廊下に、五人分と四匹分の足音が重なっていった。

 

 

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