BW素晴らしきイッシュ   作:もののふ教

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第25話 町はずれの林と、古い通路

博物館の表通路へ戻ってきても、さっき裏側で見たものは、四人の足から完全には離れなかった。

 

磨かれた床。整えられた展示。高い天井から落ちてくる静かな光。  そのどれもが数分前までと同じはずなのに、一度“うらがわ”を見てしまうと、見え方が変わる。あの骨格の展示も、古い記録の棚も、ただ綺麗に並んでいるだけではなく、その裏で誰かが守り、迷い、選んできた結果なのだとわかってしまったからだ。

 

アロエは四人を、館内の片隅にある小さな応接室へ案内した。

 

表の見学者から少し離れた、簡素だが落ち着いた部屋だった。木の机と椅子が四脚、壁際に低い棚。窓の外にはシッポウシティの並木道が見える。町の音はかすかに届くが、ここまで入ると不思議なくらい静かだった。

 

「座って」

 

アロエに促され、四人はそれぞれ席につく。  ベルは座る前に、ムンナをどうするか一瞬迷ったが、アロエが「その子もそのままでいいわ」と微笑んだので、少し安心したように足元へ視線を落とした。ムンナはベルの靴のそばに寄り、周囲を気にしながらも逃げる様子はない。ミジュマルはシンの横で腕を組むように立ち、ポカブは椅子の脚のそばに丸まり、ツタージャは窓辺の光が届く位置へ静かに身体を伸ばしていた。

 

アロエは椅子に座らず、机の向こうに立ったまま言った。

 

「まず、さっき見た通路と足跡のことだけれど」

 

声の調子が変わる。  館長としての柔らかさを残しつつも、その奥に、状況を見誤らないための張りがある。

 

「現時点では、まだ断定はしないわ。職員の誰かが古い通路を確認しただけ、という可能性もゼロではないから」

 

「でも、可能性は低い」

 

チェレンがすぐに言う。

 

「そう思うわ」

 

アロエは頷いた。「だからこそ、騒ぎを大きくする前に確かめたいの。博物館の中をひっくり返すような真似をすれば、町にも来館者にも余計な不安を与えるし、相手が本当にいるなら、こちらが気づいたことを教えるだけになる」

 

トウヤが椅子にもたれずに訊く。

 

「じゃあ、どうするんですか」

 

「町はずれの林を見たいの」

 

アロエは窓の外ではなく、その向こうにあるものを見ているような目で言った。

 

「さっきの古い通路は、昔の搬入経路の一部だった可能性が高いわ。だとすれば、外へ繋がる先がある。いま使われていない道でも、構造を知っている人間なら出入り口を利用できる」

 

シンは自然と背筋を伸ばした。  裏通路の足跡と、町の外。  そこが線になる。

 

「つまり、林の中に出口があるかもしれないってことですか」

 

「ええ。あるいは、入口ね」

 

アロエはそこで初めて少し笑った。「どちら向きに見るかで意味が変わるでしょう?」

 

ベルが小さく息をつく。

 

「なんか……急に事件っぽい」

 

「事件かどうかを、これから確かめるのよ」

 

アロエはそう返し、それから四人を順に見た。

 

「さっき、“次はジムリーダーとしてあなたたちを見る番”って言ったでしょう」

 

シンはその言葉を思い出す。  たしかに、そう言っていた。

 

「戦うだけがジムじゃないわ。目の前の状況をどう見るか、何を優先するか、誰とどう動くか。そういうものも、私は見ている」

 

その一言で、部屋の空気が少しだけ締まる。

 

トウヤの目が静かに細くなり、チェレンは眼鏡に触れ、ベルは無意識にムンナの方を見る。シン自身も、心の中で何かがひとつ位置を変えるのを感じた。

 

これは単なるおつかいじゃない。  アロエは、彼らに「見てこい」と言っている。  何を見て、何を拾って、どう持ち帰るかを。

 

「もちろん、無理に危ないことをしてほしいわけじゃない」

 

アロエは続ける。

 

「林の中を見て、外側の痕跡を探して、何か不自然なものがあれば戻ってきて報告して。相手がいると決めつけて動く必要はないし、勝手に踏み込みすぎる必要もないわ」

 

「調べるだけ」

 

シンが言うと、アロエは頷いた。

 

「ええ。まずはそれで十分」

 

トウヤが短く息を吐く。

 

「わかりました」

 

「僕も異論はありません」

 

チェレンがすぐに続く。

 

ベルは一瞬だけ迷う顔をしたが、すぐに小さく頷いた。

 

「ムンナが無理そうなら途中で引くけど……行きたいです」

 

アロエの表情がほんの少しやわらぐ。

 

「そう言えるなら十分よ」

 

応接室を出る前に、アロエは簡単な町の地図を一枚持たせてくれた。シッポウシティの外縁、博物館の位置、町はずれの林、おおまかな古道の痕跡。細かくはないが、見当をつけるには十分な図だ。

 

「私は博物館へ戻って職員の確認をするわ。あなたたちは林を見て、何かあればすぐ戻ること。いいわね」

 

四人が頷くと、アロエは最後にトウヤへ視線を向け、次にベル、チェレン、シンを見る。

 

「急ぐべき時と、急がない方がいい時の見極めも、ちゃんとね」

 

その言葉は特定の誰かに向けたものではなかった。  だからこそ、全員に刺さった。

 

シッポウシティの外れへ出ると、昼前の光はもう朝の白さを失いはじめていた。

 

町の中の整った空気から一歩外へ出るだけで、匂いが変わる。土と草と、少し湿った木の皮の匂い。道も石畳から土へ移り、足裏の感触が急に柔らかくなる。

 

林は町のすぐそばにあるのに、入り口に立つと別の場所みたいだった。

 

木々の背はそれほど高くない。けれど葉が重なり、奥の方は薄暗く見える。下草はところどころ踏まれているが、はっきりした道というほどではない。自然のままに近いようで、人の手が少しだけ入っている。そんな中途半端さが、かえって足跡を紛らわせているようにも思えた。

 

チェレンが地図を開く。

 

「博物館の裏通路の向きから考えると、この辺りがいちばん怪しい」

 

「怪しいって言い方、好きだね」

 

ベルが言うと、チェレンは顔も上げずに返す。

 

「状況が怪しいんだから当然だろう」

 

トウヤはすでに林の端を見ている。

 

「“向き”はたぶん合ってる。でも、道として真っ直ぐ繋がってたなら、もっと踏まれてると思う」

 

「つまり?」

 

シンが訊く。

 

「隠してるか、使う頻度が低いか」

 

「両方かもしれないわね」

 

ベルが言うと、珍しくトウヤがすぐ頷いた。

 

「うん。たぶんそう」

 

そこでベル自身が少し驚いた顔をする。  当たっていたことより、トウヤが何のひねりもなく同意したことの方に驚いたらしい。

 

「……なにその顔」

 

「いや、普通に返ってくると思わなくて」

 

「普通に返しただけだけど」

 

トウヤはそう言いながら、林の入口の土へしゃがみこんだ。

 

シンも隣にしゃがむ。  土は乾いているようで、表面は案外柔らかい。小さな足跡や枝の擦れた跡はいくらでもあるが、人の靴底らしい形はすぐには判別できない。

 

チェレンが後ろから言う。

 

「踏み荒らさないでね。見てるものを自分たちで消したら意味がない」

 

「わかってる」

 

シンが言い返すと、チェレンは「ならいい」と淡々と返す。

 

ベルは少し離れた位置でムンナの様子を見ていた。  ムンナは町中よりは落ち着くのか、林の空気に入ってから呼吸がわずかにやわらいでいる。けれど、完全に安心しているわけでもない。耳のような部分がぴくぴくと揺れ、何かを探るように視線をあちこちへ向けていた。

 

「ムンナ?」

 

ベルが小さく呼ぶ。

 

ムンナはベルの方を見たあと、林の右奥へ視線を戻す。  ただ見ているというより、気になる方角がある、そんな反応だった。

 

「どうしたの」

 

ベルが一歩近づく。  ムンナは逃げずに、そのまま右奥を向く。

 

シンは立ち上がった。

 

「そっち?」

 

ベルが頷く。

 

「たぶん。でも、怖がってる感じでもある」

 

「怖がってるのに見るってことは、何かあるんだろうね」

 

トウヤが言う。

 

チェレンは地図をたたみ、周囲の木の並びを見る。

 

「町の外れからこの角度で入ると、ちょうど博物館の裏手と線が合う」

 

「じゃあ行こう」

 

トウヤがすぐに歩き出そうとするのを、ベルが止めた。

 

「ちょっと待って」

 

全員が振り返る。

 

ベルはムンナの前にしゃがみこんでいた。

 

「ムンナ、無理なら言ってね」

 

もちろん返事は言葉にならない。  でもムンナは、ベルの声を聞いてから少しだけ身体の力を抜いた。  それを見てベルも頷き、立ち上がる。

 

「行ける」

 

「了解」

 

トウヤはそれだけ言って、今度は急がずに先へ進いた。

 

林の中は、外から見たより足場が悪かった。倒木こそないが、根が浅く張り出していて歩きにくい。下草も膝ほどの高さで絡みやすく、少し進くだけでも速度が落ちる。

 

こういう道だと、四人の歩き方の違いがよく見えた。

 

トウヤは足場の悪い場所をほとんど迷わず選ぶ。  チェレンは一歩ずつ確認しながらも、全体の位置を見失わない。  ベルはムンナに合わせて時々立ち止まり、ミジュマルと一緒に後ろを気にする。  シンはその間を埋めるように、前も後ろも見ながら進く。

 

十分ほど歩いたところで、トウヤが突然立ち止まった。

 

「ここ」

 

指さした先には、一見なんでもない地面があるだけだった。  だが近づいて見ると、草の倒れ方が不自然だった。上から押さえつけられたように、一列だけ向きが揃っている。

 

チェレンがしゃがみこみ、指先で土の表面を崩す。

 

「最近だ」

 

「わかるの?」

 

ベルが訊く。

 

「完全には。でも、古い倒れ方ならもう少し戻ってる。これはまだ癖が残ってる」

 

シンも横から見る。  たしかに、風で倒れたというより、人が通ったあとに踏み起こしきれなかった感じがある。

 

「こっちへ誰か歩いたんだ」

 

「少なくとも何かはね」

 

チェレンが立ち上がる。

 

その線を辿るように進むと、木々の密度が少し増した。外からだとただの茂みにしか見えない場所だ。だが中へ踏み込むと、古い石積みの一部が半分土に埋もれているのが見えた。

 

「……人工物だ」

 

シンが呟く。

 

石は自然に転がっているのではなく、並べられていたものが崩れた形をしている。壁か、道の縁か、何かの基礎か。時代まではわからないが、ここに昔、人の手が入っていたのは間違いない。

 

トウヤが蔦を払う。  その奥に、斜めに地面へ沈むような窪みがあった。

 

「穴?」

 

ベルが身を乗り出しかける。  チェレンがすぐに止める。

 

「不用意に近づかないで」

 

「わ、わかってる!」

 

シンはしゃがんで、窪みの縁を見た。  完全な穴ではない。石の枠があり、その先へ暗がりが続いている。埋まりかけた入口――そう見えた。

 

「古い通路だ」

 

言ったのはトウヤだった。

 

チェレンも頷く。

 

「博物館の下で見た構造と似てる。おそらく外側の出入口のひとつだ」

 

ベルの足元で、ムンナが小さく鳴いた。  警戒と不安が混ざった、短い声だった。

 

「大丈夫、大丈夫」

 

ベルがなだめるように言う。  けれどその視線は入口から離れない。

 

「ここ、使われてるのかな」

 

シンが訊くと、チェレンは無言で入口脇の石に触れた。  その指先に、薄い茶色の粉がつく。

 

「……土の付き方が新しい。完全に放置されてる感じじゃない」

 

「つまり?」

 

「出入りしたやつがいる」

 

短く言ったトウヤの声に、林の空気が少しだけ冷える。

 

その時、ミジュマルが低く声を上げた。

 

シンはすぐに振り返る。  後ろの茂みが、かすかに揺れた。

 

「誰かいる?」

 

ベルの声が硬くなる。

 

トウヤが身体の向きを変える。  チェレンも一歩下がって全体を見た。  シンはミジュマルの前へ半歩出る。

 

だが、飛び出してきたのは人ではなかった。  小さなモグリューが一匹、驚いたように顔を出し、こちらを見てから慌てて土の中へ潜っていく。

 

全員が一拍遅れて息を吐く。

 

「びっくりした……」

 

ベルが膝から力を抜きかける。  けれどその直後、ムンナがまた違う方角へ顔を向けた。

 

今度は入口ではない。  そこからさらに林の奥、左寄りの方向だ。

 

「また?」

 

シンが言う。

 

ムンナは視線を逸らさない。  ただ怖がるだけではなく、何かを感じている顔だった。

 

ベルがその反応を見て、少し迷ってから口を開く。

 

「ムンナ、よちむ……っていうほど、はっきり見えてるわけじゃないよね」

 

たしかめるような言い方だった。  ムンナは答えない。  けれど、そのまま同じ方向へ意識を向け続ける。

 

チェレンが低く言う。

 

「入口そのものより、その先の“気配”に反応してるのかもしれない」

 

「追う?」

 

トウヤが訊く。

 

早い。  けれど無茶な声ではない。  判断を委ねるための一言だ。

 

シンは林の奥を見る。  何も見えない。  ただ、何かがあってもおかしくないだけの深さがある。

 

ベルはムンナと、自分の足元と、入口と、奥の暗がりを順番に見た。  昨日までのベルなら、ここで完全に引きたくなっていたかもしれない。あるいは逆に、気持ちだけで前へ出ていたかもしれない。

 

でも、今のベルは違った。

 

「……少しだけ」

 

静かに言う。

 

「少しだけ見たい。でも、ムンナが崩れそうなら戻る」

 

チェレンがすぐ頷く。

 

「それでいい」

 

「賛成」

 

シンも言う。

 

トウヤはすでに頷いていた。

 

四人は古い入口から離れ、ムンナが反応した方向へ足を向けた。

 

林の奥は、さらに人の通った痕跡が薄いはずだった。  だが数分も進かないうちに、今度ははっきりした形で“人の残り方”が現れた。

 

折れた細枝。  靴底の角が残った土のへこみ。  そして何より、木の幹に浅く擦れた跡。

 

何かを抱えて急いだ人間が、狭い間を無理に抜けた時につくような傷だった。

 

「……運んでる」

 

トウヤが呟く。

 

「何かを?」

 

シンが訊くと、トウヤは頷いた。

 

「手ぶらなら、こんな当たり方しない」

 

チェレンも幹を見て言う。

 

「しかも一度じゃない。何回か通ってる可能性がある」

 

ベルの顔がこわばる。

 

「じゃあ、博物館から何か……」

 

「まだ決めつけるな」

 

チェレンが言うが、その声には自分自身へ向けた制止も混じっていた。

 

その時だった。

 

林のさらに向こう、木々の切れ目の先から、かすかに乾いた音がした。

 

コツ、という、小さな靴音のような。  あるいは木片がぶつかるような。

 

全員が同時に動きを止める。

 

風はない。  鳥ポケモンの鳴き声も、今は遠い。

 

音は一度きりではなかった。  少し間を置いて、また鳴る。

 

コツ。  コツ。

 

シンの喉が小さく上下する。  人だ。  たぶん。

 

トウヤが振り返らずに言う。

 

「戻るか、見るか」

 

選択肢は二つだけだった。

 

アロエは“調べるだけでいい”と言った。  無理に踏み込む必要はない。  でも、ここで引けば、この音の正体はわからないままになる。

 

ベルの足元で、ムンナが緊張したように身体を寄せる。  ミジュマルも、今度はふざけた様子を見せずに前を向いていた。

 

シンは、音のした方角を見たまま言う。

 

「近づきすぎないで、位置だけ見るのは?」

 

チェレンがすぐ反応する。

 

「ありだね。確認だけなら」

 

「うん」

 

トウヤが短く答える。

 

ベルも一拍遅れて頷いた。

 

四人はできるだけ足音を殺して、木々の切れ目へ近づいた。

 

そこから先は、林が少し開けていた。  草の低い空き地。  崩れた石垣。  そして、その向こうに見えたのは――古びた倉庫跡だった。

 

屋根は半分落ち、壁板も一部剥がれている。だが完全な廃墟ではない。朽ちているわりに、入口まわりだけ妙に踏み固められていた。

 

そして、倉庫の影に、誰かがいる。

 

姿ははっきり見えない。  けれど、人の気配だけは確かだった。

 

ベルが息をのむ。  チェレンがわずかに目を細める。  トウヤの重心が前へ寄る。  シンは無意識にミジュマルの前へ手を出していた。

 

古い通路は、ここへ繋がっている。  そう思うには十分だった。

 

林の匂いの奥で、また足音が鳴る。

 

四人は言葉を交わさないまま、その倉庫跡を見つめていた。

 

表には見えない通路。  町の外から博物館へ伸びる気配。  そして、その先にある人の出入り。

 

“うらがわ”は、まだ終わっていなかった。

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