BW素晴らしきイッシュ   作:もののふ教

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第3話 演説の先

カラクサタウンへ入ったとき、シンが最初に覚えたのは、道の空気が少しひらけた感じだった。

 

カノコタウンは、家と家の距離が近いぶんだけ、町そのものがどこか身内の声に包まれている。けれどカラクサタウンは、もっと外へ開いていた。建物の高さはそう変わらないのに、道の抜け方が違う。人が通るための広さだけではなく、その先へ行く者と、どこかからやって来る者のための余白がある。

 

まだ旅の最初の町だ。

 

それでも、カノコタウンとは違う匂いがした。

 

風に混じる土の感じも、人の立てる音も、少しだけよそよそしい。

 

「着いたぁ……」

 

ベルがほっとした声を漏らす。

 

朝から何度目かの大げさな息だったが、今度のそれにはちゃんと実感があった。一番道路を越えてきた疲れも、野生のポケモンと戦った緊張も、ひとまずここで区切りがついたような顔をしている。

 

「思ったよりちゃんと町だね」

 

トウヤが言った。

 

「それ、どういう感想?」

 

チェレンがすぐに返す。

 

「いや、もっとこう……次の町って、ただの通過点みたいな感じかと思ってた」

 

「それはトウヤが雑なんだよ」

 

「でもちょっとわかるかも」

 

ベルが口を挟む。

 

「一番道路を抜けた先って聞くと、もっと小さい場所を想像しない?」

 

「わたしはしてた」

 

自分で言ってから、ベルは少し首をかしげた。

 

「いや、してたっていうか……ちゃんと考えてなかったかも」

 

「君らしいな」

 

チェレンが淡々と言う。

 

ベルはむっとした顔をしたが、疲れているせいか言い返す元気まではないらしかった。

 

シンは町の中をゆっくり見渡した。

 

中央へつながる道の両脇に、家や店がほどよい間隔で並んでいる。人通りはそこそこあるが、せかせかした感じはない。旅人も町の人間も、同じ風の中に混じっている。立ち止まる者もいれば、荷物を抱えて足早に通りすぎる者もいる。

 

そのどれもが、自分たちより少しだけこの空気に馴染んでいた。

 

シンはそのことに妙な新鮮さを覚えた。

 

たったひとつ道路を越えただけなのに、もう自分たちは“ここではない場所から来た側”になっている。

 

その感覚は少し心もとなくて、同時に、どこか気分を高くした。

 

「まずどうする?」

 

トウヤが聞く。

 

「ポケモンセンター?」

 

「それがいいと思う」

 

チェレンがすぐ頷いた。

 

「一番道路は短かったけど、最初の戦闘もあった。回復して、情報も少し集めておきたい」

 

「情報って、もうそんなにいる?」

 

ベルが言う。

 

「いるだろ」

 

「まだ最初の町だよ?」

 

「最初の町だからこそ、わかることもある」

 

チェレンの答えはいつも通りだった。

 

細かい。理屈っぽい。けれど、外へ出てからはその慎重さが少しだけ頼もしく思える瞬間が増えている。

 

シンはそのことを、まだ口には出さなかった。

 

ポケモンセンターはすぐに見つかった。

 

赤い屋根と白い外壁は、どの町でも目立つように作られていると聞く。たしかに初めて来た場所でも迷いにくい。扉の前にはすでに何人かのトレーナーがいて、旅を始めたばかりらしい子どももいれば、少し年上の落ち着いた雰囲気の者もいた。

 

中へ入ると、外の風とは違う静かな涼しさがあった。

 

機械の低い音、受付の穏やかな声、ポケモンたちの小さな鳴き声。いろんなものが混じっているのに、不思議と落ち着く。旅の途中で一度ここへ入れば、それだけで肩から重さが少し落ちるのだろうと想像できた。

 

「わあ……」

 

ベルがまた小さく声を漏らす。

 

「ほんとに来たんだって感じする」

 

「研究所でも言ってなかったか?」

 

シンが言うと、ベルはすぐに返した。

 

「研究所は始まりって感じだったの。ここは、ちゃんと外に出たあとの場所って感じ」

 

「だいぶ感覚で生きてるな」

 

「そうだけど?」

 

開き直った顔が妙に堂々としていて、トウヤが吹き出した。

 

四人はそれぞれポケモンを預け、回復を待つあいだ、センターの一角で軽く腰を落ち着けた。

 

朝の家で食べたぶんは、もうとっくに消えている。腹が減っていた。身体の奥にも、道を歩いた疲れが少しずつ溜まってきていたらしい。座った途端、足が少しだけ重くなる。

 

「思ったより疲れてるかも」

 

ベルが言った。

 

「さっきも言ってたよね、それ」

 

トウヤが笑う。

 

「でも今度はほんと。さっきは勢いで言ってたところもあったけど」

 

「勢いで疲れるなよ」

 

シンが返すと、ベルがじろりとにらんできた。

 

「シンって、たまにひとのこと雑に扱うよね」

 

「たまにじゃない気がする」

 

トウヤがぼそっと足した。

 

「おい」

 

「でも悪気が薄いから余計に腹立つんだよ」

 

ベルが深く頷く。

 

「それは少しわかる」

 

チェレンまで乗ってきたので、シンは軽く眉を上げた。

 

「なんでそこでそろうんだよ」

 

「事実だから」

 

チェレンの答えは短かった。

 

シンは言い返しかけて、やめた。

 

反論しても、こういう流れのときはだいたい数で負ける。

 

そのかわり、視線を少し横へ逃がす。窓際の席に座っている年上のトレーナーが、地図をひろげて何かを確認していた。別の席では、リュックの中身を整えながら友人と話している二人組がいる。

 

自分たちだけではない。

 

旅に出る者はたくさんいる。

 

その当たり前のことが、妙に現実味を帯びていた。

 

自分たちの旅は自分たちにとっては大きい。けれど世界全体から見れば、そのうちのひとつでしかない。そう思うと少しだけ気が楽になって、同時に、ちゃんと進んでいかないと簡単に埋もれてしまいそうな気もした。

 

「どうしたの?」

 

ベルに聞かれ、シンは肩をすくめる。

 

「別に」

 

「そういう“別に”のとき、だいたい何か考えてるよね」

 

「ベルだってそういうときあるだろ」

 

「わたしは顔に出るからすぐわかるもん」

 

それはそうかもしれない、とシンは思った。

 

ベルは考える前に気持ちが出る。

 

チェレンは考えたあとに言葉を選ぶ。

 

トウヤは思っているより多くを飲みこんだ上で、軽く見せる。

 

自分はどうだろう、と少しだけ考えて、うまく答えが出なかった。

 

ミジュマルたちが回復して戻ってきたあと、一行はセンターを出て、近くの店で軽く食べ物を買った。

 

町の中央へ向かう道沿いには、小さな屋台のような店も出ていて、焼き菓子や飲み物、持ち歩きやすい軽食などが売られている。旅人向けなのだろう。味より実用性を優先したものも多そうだったが、それがいまはありがたかった。

 

四人は広場の端にあるベンチで簡単に昼をとることにした。

 

日が高くなり、朝より人通りも増えている。広場そのものはまだ穏やかだが、どこか落ち着かないざわめきが遠くから混じっていた。

 

「なんか、人多くない?」

 

ベルがパンを片手に言う。

 

「たしかに」

 

トウヤもそちらへ顔を向ける。

 

「町の広場のほう、集まってるな」

 

チェレンは少し周囲を見回してから言った。

 

「催しか何かじゃないか?」

 

「最初の町で?」

 

「最初の町だから、かもしれない」

 

シンも広場の中央に目をやった。

 

まだ何があるのかはわからない。ただ、人が自然に集まっているというより、何かひとつの方向へ吸われていくような流れがある。旅人だけではなく、町の人間もそちらへ向かっている。

 

「あとで行ってみる?」

 

トウヤが言った。

 

「気になるし」

 

「ええ……休みたい」

 

ベルが本音をこぼす。

 

「ずっとじゃないだろ」

 

「わかってるけど、いまはちょっと座ってたいの」

 

そう言いながらも、ベルも気になっているのは顔を見ればわかった。

 

結局、食べ終えたあと、四人は広場の中央へ向かった。

 

近づくにつれて、人の輪郭がはっきりしてくる。

 

黒い服を着た者たちが数人、きれいに並んで立っていた。統一された服装のせいで、遠目にもよく目立つ。その中央に簡単な壇のようなものが設けられ、そこを囲むように町の人たちが集まっている。

 

「……何あれ」

 

ベルが小さく言う。

 

近くにいた年配の女性が、四人の様子に気づいて答えてくれた。

 

「プラズマ団よ」

 

「プラズマ団?」

 

トウヤが聞き返す。

 

「各地を回って、ポケモンのことを考えましょうって話をしてる人たちさ」

 

女性の声には、特別な好意も嫌悪もなかった。

 

知っているから説明した、という程度の落ち着いた口ぶりだったが、その言葉はシンの中に少しだけ引っかかった。

 

ポケモンのことを考える。

 

それだけ聞けば、悪い話には思えない。

 

けれど、ああいうふうに服をそろえ、壇まで用意して人を集めている光景には、妙な固さがあった。

 

「演説、ってやつかな」

 

トウヤが呟く。

 

「たぶん」

 

チェレンの返事は短い。

 

「聞いてみる価値はあるかもしれない」

 

「チェレン、こういうの興味あるの?」

 

ベルが意外そうに聞く。

 

「内容次第だよ。ポケモンと人間の関係をどう考えてるのかは、旅をするなら無関係じゃない」

 

それはたしかにそうだった。

 

シンは何も言わず、人垣の隙間から壇の方角を眺めた。

 

やがて、ひときわ存在感のある男が壇へ上がった。

 

背が高く、身振りにも声にも場慣れした圧がある。周囲の空気が少し変わるのが、離れていてもわかった。男は両手をひろげ、広場全体へ向けて語りはじめる。

 

ポケモンは人間と共にいることで、本当に幸せなのか。

 

モンスターボールに収められ、戦いに使われることが、ポケモンにとって正しい在り方なのか。

 

人は、自分たちの都合でポケモンを縛ってはいないか。

 

言葉は滑らかだった。

 

強く言い切る場面もあれば、考える余地を残すような言い回しも混ぜてくる。聞いている者の中には頷いている人もいたし、腕を組んで黙っている人もいた。子どもたちは半分わかっていない顔をしていたが、それでもなんとなく圧に飲まれて静かになっている。

 

シンも黙って聞いていた。

 

内容がまったく理解できないわけではない。

 

ポケモンが嫌がることだってあるだろう。

 

人間の勝手で振り回されることも、きっとある。

 

それを考える必要がないとは思わない。

 

でも、言葉が整いすぎている気がした。

 

きれいに並んだ理屈は、正しいときほど少し怖い。

 

「……なんか」

 

ベルが小さく呟く。

 

「悪いこと言ってる感じじゃないのに、ちょっと落ち着かない」

 

シンはそれにすぐ返事をしなかった。

 

自分も似た感覚を覚えていたからだ。

 

隣ではチェレンが真顔のまま聞いている。

 

トウヤは話している男より、むしろその周囲――黒い服の連中や、聞いている人たちの反応を拾っているように見えた。

 

演説はしばらく続いた。

 

最後に男は、ポケモンの真の解放こそが目指すべき未来だと高らかに言い切り、聴衆へ向かって一礼した。周囲ではぱらぱらと拍手が起こる。感心した者もいれば、場の流れで手を打っただけの者もいるだろう。

 

人の輪が少しずつほどけ始める。

 

そのときだった。

 

シンは、人の流れの中にひとりだけ妙に静かな気配を見つけた。

 

年は自分たちとそう変わらないはずなのに、立ち方が周囲と違う。浮いているわけではない。ただ、同じ場所にいるのに、空気の層が少しだけずれているような静けさがあった。

 

緑がかった髪。

 

真っ直ぐすぎるほど澄んだ目。

 

その少年は、広場を離れていく人々のあいだでひとり足を止め、自分たちのほうを向いていた。

 

いや、自分たちではない。

 

もっと狭い一点に、意識が定まっている。

 

「……何だ?」

 

シンが低く呟く。

 

少年はゆっくり近づいてきた。

 

ベルが少し身を引き、チェレンが自然に位置をずらす。トウヤは静かなまま、その少年から視線を外さなかった。

 

近くで見ると、やはり雰囲気が妙だった。

 

敵意をむき出しにしているわけではない。

 

けれど、こちらをただの“人”として見ていない感じがある。もっと別の何かを確かめに来た顔だった。

 

「君たちのポケモンの声がする」

 

少年はそう言った。

 

ベルが目を丸くする。

 

「……え?」

 

「声?」

 

チェレンが眉を寄せる。

 

「何を言ってるんだ」

 

少年は平然としていた。

 

「そのままの意味だよ。彼らは話している。人間の声より、ずっと素直に」

 

広場を抜けていく風が、その場だけ少し冷たくなった気がした。

 

シンは自分の腰のボールに指先が触れるのを感じた。

 

中にいるミジュマルは、さっきまでと変わらず落ち着かない気配をしている。その気配まで、本当にこの少年には聞こえているのだろうか。

 

「聞こえるって、何が?」

 

トウヤが先に聞いた。

 

少年は少しだけ考えるように目を伏せ、それから言葉を選んだ。

 

「苛立ち、警戒、好奇心、誇り。君たちのポケモンは、いまそれぞれ違うことを抱えてる」

 

ベルが思わず自分のミジュマルを見下ろす。

 

相棒は妙に澄ました顔で立っていた。たしかに“誇り”くらいは持っていそうだと、シンは一瞬だけどうでもいいことを考えたが、すぐに気を引き締める。

 

「そんなの、勝手に言えば何とでもなるだろ」

 

シンが言うと、少年の視線がこちらへ向いた。

 

静かすぎる目だった。

 

にらんでくるわけでもないのに、まっすぐすぎて、かえって落ち着かない。

 

「君のミジュマルは、まだ迷ってる」

 

その一言に、シンの胸の奥がわずかにざらついた。

 

「迷ってる?」

 

「君を信用するかどうかじゃない」

 

少年は続ける。

 

「君とどこまで噛み合えるかを確かめている。急ぐ気持ちが強くて、でも、ただ走りたいだけでもない」

 

シンは返事をしなかった。

 

できなかったというほうが近い。

 

腹が立った。

 

勝手に知ったふうなことを言われるのが気に食わない。

 

そのはずなのに、完全には笑い飛ばせない。

 

研究所を出てから一番道路を越えるまでのあいだ、自分でもうっすら感じていたことの輪郭を、この少年は平然と口にした。

 

それが余計に腹立たしかった。

 

「勝手なこと言うなよ」

 

声が少し低くなる。

 

「勝手じゃない。聞こえるんだ」

 

「だから何だって言うんだ」

 

「確かめたい」

 

少年はそう言った。

 

「君たち人間と、ポケモンの関係を」

 

ベルが不安そうにシンと少年を見比べる。

 

チェレンは一歩ぶん前へ出て、声を落ち着けた。

 

「君はプラズマ団の仲間なのか?」

 

「仲間、という言い方は少し違うかもしれない。でも、彼らと同じ問いを持っている」

 

「ポケモンを解放すべきだって?」

 

「人間がポケモンを縛っているなら、そうだ」

 

その返答に、チェレンの表情がわずかに硬くなる。

 

トウヤは相変わらず静かだったが、さっきより真剣に相手を見ていた。

 

シンはそのやり取りを聞きながら、喉のあたりに熱がたまっていくのを感じていた。

 

言葉だけなら、整っている。

 

でも、整いすぎている。

 

ポケモンが何を感じているかを、この少年は自分なりに本気で受け止めているのかもしれない。だからこそ厄介だった。軽い思いつきや上っ面の理屈なら、もっと簡単に反発できた気がする。

 

けれど目の前のこいつは、自分の信じるものを疑っていない。

 

疑っていない相手の言葉は、たまにひどく刺さる。

 

「君たちのポケモンは、いま幸せなのかな」

 

少年が静かに言った。

 

問いかけの形なのに、声色は揺れない。

 

シンの中で何かがきしんだ。

 

幸せかどうかなんて、簡単に言えるものじゃない。

 

でも、少なくとも、自分はミジュマルを無理やり縛りつけてここにいるつもりはなかった。さっきだって勝手なぐらい元気で、勝手なぐらい先を急いでいた。そんな相手を“閉じ込めている”と一言で言われるのは、どうにも納得がいかない。

 

「お前さ」

 

シンは口を開いた。

 

「さっきから聞こえる聞こえるって言うけど、聞こえたら何なんだよ」

 

少年は少しだけ首を傾けた。

 

「彼らの本音を知ることは、大事だろう」

 

「知ったつもりになるのと、わかるのは別だろ」

 

その瞬間、少年の瞳がほんのわずかに動いた。

 

驚いたのか、興味を持ったのか、シンにはわからない。ただ、それまで水みたいに静かだった表情に、かすかな波が立ったのだけは見て取れた。

 

トウヤが横で小さく息をつく。

 

ベルはますます不安そうになっている。

 

チェレンは言葉を挟むタイミングを測っている顔だった。

 

それでも、シンは止まらなかった。

 

「こっちだって、何も考えてないわけじゃない」

 

「うん」

 

少年は否定しない。

 

それが逆にやりにくい。

 

「じゃあ何だよ」

 

「確かめたいだけだよ」

 

またその答えだった。

 

静かで、しつこい。

 

「君たちとポケモンのあいだに、本当に信頼があるのか」

 

シンは舌打ちしかけて飲みこんだ。

 

腹の底が熱い。

 

怒っている。

 

それと同じくらい、試されている感じが気に食わない。

 

ベルが小さな声で言った。

 

「ねえ、シン……」

 

止めたいのかもしれない。

 

空気が張っているのは誰にでもわかった。

 

けれど、その声を聞いても、シンの中で熱は引かなかった。

 

むしろ妙に輪郭がはっきりした。

 

自分はこいつの言い方が気に入らない。

 

理屈だけ整えて、人とポケモンの関係を簡単に測られるのが嫌だ。

 

だったら――。

 

「確かめたいなら、やればいいだろ」

 

言葉が先に出た。

 

チェレンが横で目を動かす。

 

トウヤは少しだけ口元を引き締める。

 

ベルはきょとんとしたあと、はっと息を呑んだ。

 

少年だけが、静かなままこちらを見ていた。

 

「どうやって?」

 

「バトルだよ」

 

シンは言い切った。

 

「お前がそこまで言うなら、言葉だけじゃなくて、ちゃんとぶつけてみろ」

 

少年はしばらく黙っていた。

 

広場のざわめきが少しずつ戻りつつある中、その沈黙だけが場の空気を別のところへ引っぱっていく。

 

やがて少年は、ごく小さく息を吐いた。

 

「……いいよ」

 

その返事はあまりにもあっさりしていて、だからこそ軽くなかった。

 

「僕の名前はN」

 

名乗ったその声も、やはり静かだった。

 

けれど、さっきまでよりほんの少しだけ芯が増している。

 

「君たちの関係を、僕はこの目で確かめたい」

 

シンは相手の名を頭の中で繰り返した。

 

N。

 

短い名なのに、妙に引っかかる。

 

「シン」

 

自分も名乗る。

 

Nは一度だけ頷いた。

 

まわりでは人がまた足を止めはじめていた。広場の中央で、見知らぬ少年たちが向かい合っている。気にする者が出るのも当然だった。さっきまで演説が行われていた場所の余熱もまだ残っている。

 

ベルがシンの袖を軽く引く。

 

「ほんとにやるの?」

 

「やる」

 

「即答なんだ……」

 

「ここで引いたら、もっと気分悪い」

 

ベルは何か言いたげに口を開きかけて、それから閉じた。

 

シンの顔を見て、止まらないと判断したのだろう。

 

チェレンが低い声で言う。

 

「熱くなるなよ」

 

「わかってる」

 

「わかってる顔じゃない」

 

「でも止めないんだろ」

 

チェレンは数拍だけ黙り、それから小さく息をついた。

 

「……止めても無駄そうだから」

 

その言い方に、トウヤが少しだけ笑った。

 

「俺もそれには同意」

 

Nはそのやり取りを静かに聞いていた。

 

からかうでもなく、焦るでもなく、ただ確かめるように。

 

その視線を真正面から受けながら、シンは腰のボールに触れた。

 

中にいるミジュマルの気配が、掌越しにやけにはっきり伝わってくる。

 

落ち着かない。

 

けれど怖がってはいない。

 

むしろ、こっちの熱を拾っている感じがする。

 

シンはそれを感じて、胸の奥にもうひとつ別の感情が立ち上がるのを覚えた。

 

腹立たしさだけではない。

 

ちゃんと示したい。

 

自分とミジュマルが、ただ同じ方向に立っているだけじゃないことを。まだ完璧ではなくても、軽く測られて終わるような関係ではないことを。

 

広場の空気が張る。

 

ざわめきが遠のく。

 

さっきまで聞いていた演説の言葉が、急に遠いものに思えた。

 

いま目の前にあるのは、もっと具体的で、もっと生っぽい問いだった。

 

人とポケモンは、どうやって並んで立つのか。

 

それを言葉で答える代わりに、シンはボールを握り直す。

 

Nもまた、静かに自分のボールを取り出した。

 

昼下がりのカラクサタウンの広場で、風だけが二人のあいだを抜けていく。

 

さっきまで町を流れていた穏やかな空気は、もうそこにはなかった。

 

シンはゆっくり息を吸った。

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