BW素晴らしきイッシュ   作:もののふ教

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第31話 強さの置き場所

翌朝のシッポウシティは、昨日よりも少しだけ静かに見えた。

 

博物館から戻されたドラゴンのホネは、町の空気を完全に元へ戻したわけではない。けれど、失いかけたものがちゃんとそこへ戻った、という事実だけで、人の呼吸は少し落ち着くのだろう。通りを歩く人々の顔にも、まだ疲れは残っているが、昨日のざわつきだけではない色が戻っていた。

 

宿の朝食の席で、四人はいつもより少し真面目な顔をしていた。

 

ベルはムンナのボールを膝に置いたままパンをちぎり、チェレンは紅茶の湯気の向こうで考え込むように黙っている。シンはミジュマルの頭を軽く押さえながら、窓の外に見える博物館の屋根を見ていた。

 

最初に口を開いたのはトウヤだった。

 

「俺が最初に行く」

 

迷いのない言い方だった。

 

チェレンが顔を上げる。  ベルもパンを持ったまま目を瞬かせた。

 

「やっぱりそうするんだ」

 

シンが言うと、トウヤは頷く。

 

「昨日のあとだからね。今の自分が、どこまで通るか見たい」

 

その言い方に、チェレンが小さく反応する。

 

「勝てるか、じゃなくて?」

 

「それもあるけど、そっちが先」

 

トウヤはパンをひと口だけ食べて続ける。

 

「アロエさん、たぶん昨日のこと込みで見てくるでしょ。ただ技が当たるかとか、力があるかとか、そういうのだけじゃなくて」

 

ベルが小さく息をつく。

 

「なんか、やだなあ。そういうの見られるの」

 

「でも、見る側なら面白い」

 

チェレンが言う。

 

「君らしいね」

 

ベルが少しだけ笑った。

 

シンはそのやり取りを聞きながら、自分の中にある緊張の形を確かめていた。

 

トウヤが最初。  それは自然だと思う。  誰よりも先に前へ出ることに、あいつは変に迷わない。たぶん、最初に勝つことよりも、最初に“いまの自分たちの基準”を置きにいくつもりなのだろう。

 

「そのあと、どうするの」

 

ベルが訊く。

 

チェレンが少しだけ指を組み直した。

 

「僕はすぐでもいいし、ひとつ見てからでもいい」

 

「どっちなの」

 

「見て決める」

 

「ずるい言い方」

 

「慎重と言ってほしいね」

 

ベルが半分だけ呆れた顔をする。  けれど、その空気は重くなりすぎなかった。

 

シンはそこで、自分のカップへ視線を落とした。

 

前までは、こういう時、自分の順番なんてあまり強く考えなかった気がする。強いやつから行けばいい。自分はそのあとで追えばいい。どこかで、そういうふうに思っていた。

 

でも今は少し違う。

 

追うだけじゃない。  見て、自分で選ぶ番が来る。

 

そのことが、怖いというより、静かに重かった。

 

シッポウジムは、博物館とひと続きの空気を持っていた。

 

見学のための静けさと、戦うための緊張が、同じ建物の中に不思議と並んでいる。昨日は「守る側」の場所として見た廊下が、今日は「挑む側」の道に見えるからおかしい。

 

アロエはすでに待っていた。

 

昨日の館長としての顔とは少し違う。柔らかさが消えたわけではないが、その奥に“測る者”の視線がある。

 

「来たわね」

 

「はい」

 

最初に返したのはトウヤだった。

 

アロエは四人の顔をひとつずつ見て、それから短く頷く。

 

「順番は決まったのかしら」

 

「俺から行きます」

 

トウヤの声は静かだった。

 

アロエはその返事に驚かなかった。

 

「そうでしょうね」

 

ベルが思わず小さく吹き出しそうになる。  トウヤ本人は気にした様子もない。

 

「ただし、ひとつだけ先に言っておくわ」

 

アロエはトウヤをまっすぐ見る。

 

「昨日のあなたと、今日のあなたは同じじゃない。強くなったという意味でも、弱くなったという意味でもなく、“背負っているものが増えた”という意味でね」

 

トウヤは答えなかった。  でも、否定しない顔だった。

 

ジムの戦闘場は、サンヨウのときよりずっと簡素に見えた。

 

派手な仕掛けがあるわけではない。  広さも、特別大きいわけではない。  だが床の木目も、戦う位置も、まっすぐすぎるくらいまっすぐ整えられていて、誤魔化しの利かない場所だと思った。

 

観戦位置に下がったシンは、無意識にミジュマルの頭へ手を置いていた。  ミジュマルは珍しく嫌がらず、前を見ている。

 

「最初の挑戦者はトウヤ」

 

アロエが場の中央で言う。

 

「使用ポケモンは二体。交代は自由。戦闘不能になった時点で終了。いいわね」

 

「はい」

 

トウヤはボールを構えたまま、ほとんど瞬きもせずアロエを見る。

 

「では――始めましょう」

 

白い光が弾ける。

 

アロエの最初の一体はハーデリアだった。  展示室で見た古い骨格とは違う、もっと生き物らしい重さを持ったポケモン。低く構えた姿勢が、いかにも隙がない。

 

対するトウヤの前に出たのはツタージャだった。

 

細い。  しなやかだ。  けれど、昨日までより一本芯が通って見える。

 

戦闘開始の合図と同時に、ハーデリアが先に踏み込んだ。

 

「いきなり来るよ!」

 

ベルが小さく声を漏らす。

 

速い。  だがトウヤは、そこで真正面からぶつけなかった。

 

「ツタージャ、横」

 

短い指示だけで、ツタージャの身体が床を滑るようにずれる。  真正面の衝突を外し、わずかに角度を変える。  ハーデリアの体当たりは空を切り、ほんの少しだけ体勢が流れた。

 

「にらみつける」

 

ツタージャの視線が鋭く落ちる。  ハーデリアの足が一瞬だけ止まる。

 

そこへ、間を置かずに。

 

「まきつく」

 

細い身体が低く走り、相手の前脚へ絡む。  締め上げるには浅い。だが、それでいいのだとシンにもわかった。動きを完全に止めるためではなく、“次の踏み込み”だけを奪うための巻きつき方だった。

 

アロエの目が少しだけ細くなる。

 

「面白い入り方をするのね」

 

すぐにハーデリアが身体を振り、ツタージャを引きはがす。  その勢いのまま、今度は間合いを変えて横から食い込むように踏み込んだ。

 

鋭い。  同じ攻め方をしない。

 

ツタージャの肩が弾かれる。  トウヤはそこで初めて、一歩だけ重心を前へ寄せた。

 

「つるのむち!」

 

緑の鞭が床を叩くのではなく、ハーデリアの進路の前へ落ちる。  止めるためではない。選ばせるためだ。  飛ぶか、引くか、踏み切るか。  その一瞬の判断に迷いが入る。

 

だがアロエはそこで攻めを切らない。

 

「そのまま前へ」

 

ハーデリアが躊躇なく踏み込む。  鞭を越え、多少崩れた姿勢のままでも、前へ出ることを優先したのだ。

 

ツタージャがまともに受ける。  小さく息が漏れる。

 

ベルが思わず身を乗り出した。

 

「うわ……」

 

「ハーデリアは、“形が崩れても前に出る強さ”を知ってる」

 

チェレンが低く言う。

 

シンはその言葉を聞きながら、昨日のアロエの姿を思い出していた。  守る者の強さだ。  綺麗な形が崩れたとしても、支えることをやめない強さ。

 

トウヤもそれを見ていたらしい。  ツタージャが距離を取った瞬間、追撃はさせなかった。

 

「たいあたり」

 

今度はツタージャの方が短く踏み込む。  押し勝つためではない。  ぶつかる寸前で角度をずらし、ハーデリアの重心線を揺らす当たり方だった。

 

「つるのむち!」

 

返すように、今度は鞭が横から打つ。  ハーデリアの脚がもつれ、わずかに床を滑る。

 

小さな隙。  けれどトウヤはそこへ深追いしない。

 

アロエはそれを見て口元をわずかに動かした。

 

「あなた、自分のポケモンに“勝たせる”より、“通す”ことを先に考えるのね」

 

「そうかもしれません」

 

トウヤは短く答える。

 

そのやり取りのすぐあと、ハーデリアが再び低く身を沈めた。  今度は来る、と誰にでもわかる構えだった。

 

トウヤは半拍だけ遅れて言う。

 

「ツタージャ、前」

 

正面から受けにいった。

 

シンは思わず息を止めた。  さっきまで避けていたのに。

 

衝突。  鈍い音。  ツタージャの身体が揺れる。

 

けれど、倒れない。

 

「しんりょく、か」

 

チェレンが小さく呟く。

 

ツタージャの葉が、わずかに深い色を帯びて見えた。  追い込まれた分だけ、草の力が鋭くなる。

 

「つるのむち」

 

今度の一撃は、さっきまでと違った。  しなる軌道も速さも、わずかに深い。  ハーデリアの前脚を払うのではなく、踏み込んだ軸そのものを崩しにいく。

 

ハーデリアがたたらを踏む。

 

「まきつく!」

 

その一瞬を逃さず、ツタージャが身体を巻きつけた。  今度は前脚ではない。首元に近い位置。  完全に締め切るには足りないが、体勢を立て直す時間は奪える。

 

「たいあたり」

 

最後の一手は短かった。  けれど十分だった。

 

ハーデリアが後ろへ崩れ、戦闘不能の判定が下る。

 

ベルが「うわ……」と、今度は感嘆に近い息を漏らす。

 

トウヤはほとんど表情を変えない。  だがツタージャの方を見る目だけが、少し柔らかかった。

 

アロエはハーデリアを戻しながら言う。

 

「無理に押し切らなかったわね」

 

「押し切れる相手じゃないから」

 

トウヤの返事は簡潔だった。

 

「崩して、通る形にしただけです」

 

「そう」

 

アロエは二つ目のボールを手に取る。

 

「でも、次はそう簡単には通らないわよ」

 

現れたのはミルホッグだった。

 

ハーデリアよりも、露骨に“見る”目をしたポケモンだった。じっと相手を観察し、どこへ動くかを読む視線。ツタージャのしなやかな動きとは、噛み合わせの悪い相手に見える。

 

「嫌な相手だね」

 

チェレンが言う。

 

「うん」

 

シンも同意する。  ハーデリアが“崩れても前へ出る”強さなら、ミルホッグは“崩れないように先に見る”タイプだ。  トウヤのやり方と、少し似ている。

 

戦いは、さっきより静かに始まった。

 

どちらもすぐには踏み込まない。  ミルホッグがじっと見て、  ツタージャも距離を測る。

 

ベルが小さく言う。

 

「なんか、動かない方が怖い……」

 

「見られてるからね」

 

チェレンが答える。

 

先に仕掛けたのはトウヤだった。

 

「にらみつける」

 

視線のぶつかり合い。  だがミルホッグは引かない。  むしろ、その一瞬の間を利用するように、横から鋭く踏み込む。

 

「速……!」

 

シンの声とほぼ同時に、ツタージャが弾かれる。  真正面ではない。死角に近い角度からの一撃だった。

 

トウヤの眉が、初めて少しだけ動く。

 

ミルホッグは次も迷わない。  相手が構え直す前に、さらに位置を変えて圧をかける。

 

ツタージャは避けきれない。  いや、避けるだけでは押し返せない。

 

アロエの声が落ちる。

 

「見えているだけでは足りないの」 「支えるって、相手の形を崩したあと、自分の形を保てるかどうかでもあるわ」

 

トウヤはそこで一度、ツタージャを見た。

 

ただ指示を飛ばすのではなく、今の一撃が何を崩したかを確認するみたいに。

 

「……前に出る」

 

ぼそっと言って、次の指示を投げる。

 

「たいあたり」

 

ツタージャが、今度は迷わず正面から入った。  さっきまでのように“通る場所”を探すのではなく、自分で押しにいく当たり方だ。

 

ミルホッグが受ける。  そこで生まれた半拍に、トウヤが重ねる。

 

「まきつく!」

 

巻きつきは浅い。  だが十分だった。  見るための距離を潰され、ミルホッグの体勢がほんの少しだけ近すぎるものに変わる。

 

「つるのむち!」

 

今度の鞭は、相手を払うためではなく、自分の間合いへ引き戻すような打ち方だった。

 

シンはそこで気づく。

 

トウヤは読まれていた。  だから、自分の“読む戦い方”を少し崩したのだ。  得意な形だけにこだわらず、ツタージャと一緒に“押しにいく形”へ寄せ直している。

 

「それが、今のあなたの答えなのね」

 

アロエが言う。

 

ミルホッグが再び踏み込む。  だが今度は、ツタージャも退かない。  近い距離で、見るより先に絡めて、崩して、押す。

 

綺麗ではない。  最短でもない。  でも、昨日までよりずっと“支えるものを持った前進”に見えた。

 

最後は一瞬だった。

 

ミルホッグの視線がツタージャの動きを追いきるより先に、  ツタージャが低く潜り、  たいあたりで軸を揺らし、  つるのむちが床すれすれから跳ね上がる。

 

ミルホッグの身体が浮き、着地で大きく崩れる。

 

判定が下りた瞬間、館内の空気がひとつ解けた。

 

ベルが思わず両手を握る。

 

「勝った……!」

 

シンも、止めていた息をようやく吐いた。  チェレンは黙っていたが、眼鏡の奥の目が少しだけ細くなっている。

 

トウヤはツタージャの前にしゃがむ。  いつものように大げさには褒めない。ただ短く言う。

 

「よくやった」

 

それだけで、ツタージャは十分らしかった。

 

アロエはミルホッグを戻し、静かに歩み寄る。

 

「勝ち方が変わったわね」

 

トウヤが立ち上がる。

 

「前より?」

 

「ええ。前のあなたは、“通る形”を見つけるのが上手かった」 「でも今日のあなたは、形が崩れたあとも、自分で支え直して前へ出た」

 

トウヤはすぐには答えなかった。  少しだけ視線を落として、それから短く言う。

 

「昨日、そうしないと守れなかったから」

 

アロエは、その返事に満足したようでもあり、少しだけ厳しい目でもあった。

 

「それを覚えたなら、このバッジはあなたに渡せるわ」

 

ベーシックバッジが、トウヤの手に渡る。

 

きらきら光る、と言うほど派手ではない。  けれど、昨日までとは違う重みを持ってそこにあるように見えた。

 

ベルが小さく笑う。

 

「やっぱり取るんだ」

 

「取るよ」

 

トウヤはいつもの調子で答える。  でも、その声は少しだけ柔らかかった。

 

アロエは次に、観戦していた三人へ目を向けた。

 

「さて」

 

館内の空気がまた変わる。

 

「次は誰が来るのかしら」

 

ベルが無意識にムンナのボールを握る。  チェレンはアロエの足運びや視線の動きを思い返している顔だ。  シンは、自分の胸の中にある緊張を、今度はもう見て見ぬふりしなかった。

 

トウヤの勝ち方は、真似できない。  でも、それでいいのだと思う。

 

同じ道を歩いていても、立つ場所は少しずつ違う。  だから次は、自分の立ち方で前へ出る番だ。

 

シンは、ミジュマルの頭にそっと手を置いた。

 

ミジュマルが見上げる。  その目は、もう十分わかっていると言いたげだった。

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