チェレンがアロエからベーシックバッジを受け取り、試合場の端へ戻ってきても、シッポウジムの空気はまだ終わっていなかった。
古い木の床に残る擦れた跡。
踏み込んだ足の傷。
水のしぶきが乾ききらずに残した薄い染み。
そこには、トウヤのまっすぐな踏み込みも、ベルの震えた声も、チェレンの熱を押し返した一歩も、まだ消えずに残っている気がした。
そして今、その続きとして前に出るのはシンだった。
「次、シンだな」
トウヤの短い声に、シンは「うん」とだけ返した。
返事は軽かったが、気持ちは妙に落ち着いていた。もちろん緊張はしている。相手はジムリーダーだし、トウヤもベルもチェレンも、それぞれ違う形で苦しみながら勝った。簡単な試合になるはずがないことは、もう十分すぎるほど見ている。
けれど同時に、見ていたからこそ、腹が据わってもいた。
ハーデリアは、一歩目が速い。
ただ速いだけじゃなく、相手が受けに回った瞬間に、そのまま押し切る圧がある。
ミルホッグは、一撃が重い。
さいみんじゅつの気配も、かたきうちの踏み込みも、見えたと思った頃には目の前まで来ている。
ベルはそこに怖がりながら立った。
チェレンは熱くなりすぎて、途中で自分の勝ち方を修正した。
トウヤは最初から踏み込んで、自分の速度で押し返した。
シンは、そのどれも自分とは少し違うと思った。
自分はトウヤほど最初の一歩が速くない。
ベルみたいに感情をそのまま前へ出すことも得意じゃない。
チェレンほど綺麗に形を整えて戦うこともできない。
でも、自分には自分のやり方がある。
一回見たことを流さない。
一回受けたことを、そのまま次に持っていける。
失敗した感触を、ちゃんと自分の中に残せる。
それは派手な才能じゃない。
最初から全部が見えるわけでもない。
けれど積み上がったものが、次の一手に変わる感覚だけは、誰より信じられた。
「シン」
ベルが呼んだ。
ムンナを抱いたまま、少しだけ緊張した顔でこちらを見ている。さっきまで自分が戦っていた場所を、今度は仲間が目指している。その実感があるのだろう。
「がんばって」
「おう」
シンは笑って片手を上げた。
「ベルみたいに泣くほど必死にはならない予定」
「な、泣いてないもん!」
「泣いてたろ」
「ちょっとだけ!」
即座に返ってきた抗議に、張りつめていた空気が少しだけ和らぐ。シンはそのやり取りに肩の力が抜けるのを感じた。
チェレンが小さく息をつく。
「君は本当にその調子で行くんだな」
「そのほうがやりやすいんだよ」
「なら、そのまま勝て」
言い方はいつも通りだったが、声は真面目だった。さっきまで自分の悔しさと熱を戦いの中で噛み合わせていたチェレンが、いまはもう次の試合を見る側に回っている。その切り替えもまた、シンには印象に残っていた。
アロエが中央で静かに待っている。
「準備はいいかしら」
「はい。お願いします」
シンは一歩前へ出た。
比べられるのは当然だと思った。最後だからこそ、前三人の戦い方も、勝ち方も、全部背中に乗ってくる。けれどそれを重いとは思わなかった。
見たものは、持っていけばいい。
審判が手を上げる。
「シッポウジム、ジムリーダー・アロエ対挑戦者・シン! 使用ポケモンは二匹、交代は自由! 準備が整い次第、試合を開始します!」
張りつめた静けさの中、シンは腰のボールに手をかけた。
「ミジュマル、頼む!」
白い光が弾け、小さな体が前へ出る。ミジュマルは着地すると同時にほたちを構え、きりっと前を向いた。
シンの最初の相棒。
シェルアーマーを持つ、打たれ強いミジュマル。
アロエのボールが開く。
「ハーデリア」
光の中から現れたハーデリアは、三人と戦ったあとだというのに、少しも疲れた様子を見せなかった。低く姿勢を落とし、いつでも飛び込めるように重心を前へ置く。
シンは一度だけ深く息を吸った。
始まる。
「……試合開始!」
合図と同時に、ハーデリアが床を蹴った。
「たいあたり!」
速い。
見ていた。見ていたはずなのに、実際に自分へ向かってくると、映像で見ていた速さとはまるで違った。シンの喉がひとつ鳴る。
「ミジュマル、右――」
指示が半拍遅れる。ミジュマルは反応したが、完全には避けきれない。肩口を持っていかれ、床を滑った。
「ミジュ!」
ベルが思わず声を上げる。
シンは歯を食いしばった。
やっぱり最初からは合わない。
でも、それでいい。いまのでひとつ分かった。
突進の一歩目が速いんじゃない。
二歩目から重いんだ。
「立てるか、ミジュマル!」
ミジュマルはすぐに立ち上がる。痛そうではあるが、目はまだ死んでいない。
「みずでっぽう!」
水流が飛ぶ。ハーデリアは横に跳んで浅くかわした。完全には当たらない。それでも、シンはその避け方を見る。
水を嫌って外へ逃げるんじゃない。
前へ戻るための角度でかわしている。
「いい目をしてるわね」
アロエが言う。
「でも見てるだけじゃ押し切られるわよ。ハーデリア、かみつく!」
ハーデリアが低く走る。さっきと違う。突っ込む直前、首が少しだけ沈んだ。
シンの目がそこを捉える。
「ミジュマル、ほたちで受けろ!」
ミジュマルがとっさに貝を差し出す。牙が食い込む。強い衝撃。だが首や肩に直接入るよりずっといい。ミジュマルの足がきしみながらも踏みとどまった。
シンの目が細くなる。
見えた。
かみつくの前には、首が沈む。
受け止めた瞬間に、もう次へ繋がる。
「そのまま、至近距離でみずでっぽう!」
貝越しに押し込まれたまま、ミジュマルが顔を上げる。ゼロ距離の水流がハーデリアの顔面を打った。まともに浴びたハーデリアがたたらを踏む。
「今だ、たいあたり!」
ミジュマルがそのまま一歩踏み込む。大きなダメージではない。けれど、押し込まれた側から押し返す一歩としては十分だった。
観客席でチェレンが目を細めた。
「……一回受けたら、次はもう違う」
「うん」
トウヤが短くうなずく。
「最初から見えてたわけじゃないのに」
ベルはじっと試合場を見つめている。
シン自身も、いまそれをはっきり自覚していた。
自分は最初から正解を選べない。
でも、一度目の失敗を二度目まで引きずらない。
「ハーデリア、たいあたり!」
「今度は左! 半歩だけだ!」
ミジュマルが浅く横へずれる。直撃ではなく、擦らせる。勢いの乗り切った一撃を完全に殺すことはできないが、さっきより崩れ方が小さい。
「みずでっぽう!」
すぐに返す。水流が胸元に入り、ハーデリアの足がわずかに止まる。
「そのまま、しっぽをふる!」
「え?」
ベルが小さく声を漏らした。
ミジュマルが尻尾を振って見せる。挑発にも似た、わずかな揺さぶり。技としての効果は防御を崩すものだが、それ以上に、ハーデリアの意識が一瞬だけ前のめりになる。
シンはそこを見逃さない。
「今だ、たいあたり!」
正面からの一撃が入る。ハーデリアがよろめく。さっきまでと違い、踏み込みのタイミングが完全にずれた。
アロエの目が少しだけ変わった。
「そういう使い方をするのね」
「試してるだけです」
「ええ。でも、その試し方が悪くないわ」
ハーデリアがすぐに立て直してくる。
「かみつく!」
首が沈む。
見たことのある動きだった。
「ミジュマル、下がるな! 貝で受けてから、みずでっぽう!」
今度は迷わない。噛みつきを受ける角度も、返しの水流の方向も、さっきよりずっと正確だった。ハーデリアがまともに水を浴びて後退する。
ミジュマルも傷ついている。息は少し荒い。だがまだいける。何より、最初の一撃をもらったときより、ずっと戦えている。
受けたぶんだけ、形が整ってきていた。
「もう一度、しっぽをふる!」
挑発めいた尻尾の揺れ。ハーデリアの意識がまた前へ寄る。
「たいあたり!」
今度は読み負けなかった。防御の崩れた体へミジュマルの突進が入り、ハーデリアは大きくたたらを踏む。そのまま追撃のみずでっぽうが決まり、ついに床へ伏せた。
「ハーデリア、戦闘不能!」
まず一匹。
シンは大きく息を吐いた。楽ではなかった。でも、最初より後半のほうが明らかに戦えていた。それが自分には何より大きい。
アロエがハーデリアを戻す。
「最初から読み切ってたわけじゃないのね」
「そんな器用じゃないです」
「でも、見たものを放っておかない」
シンは少しだけ笑った。
「見たもんは、次に使わないともったいないから」
「ふふ。なるほどね」
次のボールが開く。
「ミルホッグ」
現れた瞬間、空気が一段重くなった。
ハーデリアが前へ圧をかける強さなら、ミルホッグは崩れた相手を確実に仕留めにくる強さだった。ベルのムンナを大きく削ったかたきうち。チェレンのポカブを押し返した重さ。シンはその全部を覚えている。
覚えているからこそ、最初の一手を間違えたくなかった。
「先手はもらうわ。ミルホッグ、さいみんじゅつ!」
肩が、上がる。
シンの目がそこを捉えた。
「ミジュマル、目ぇ見るな! 足元だけ見ろ、右!」
ミジュマルがとっさに視線を落とし、横へ跳ぶ。揺れる眠りの波が頬を掠めた。ぎりぎりだった。
ベルが息を呑む。
「今の、見えてた……」
「ベルの試合で見たんだろ」
トウヤが低く言う。
「肩から入るって」
シンはそこで気を抜かなかった。避けただけだ。次に来るのは、もっと重い。
「かたきうち!」
ミルホッグが一気に距離を詰めてくる。
シンの胸がどくりと鳴る。速い。だが、これはもう見ている。
「ミジュマル、正面で止めるな! 斜めに受けろ!」
ミジュマルがほたちを斜めに構える。衝撃は大きい。足が大きく滑る。けれど真正面から潰されるよりはましだった。勢いを少しだけ横へ逃がし、崩れながらも踏みとどまる。
シンの目に、はっきりと手応えが浮かぶ。
いける。
最初は重い。
でも、重いと分かっていれば、受け方は変えられる。
「みずでっぽう!」
反撃の水流。ミルホッグが顔をそむける。その一瞬を使って距離を取る。
だがアロエはすぐに詰めてくる。
「休ませないわ。さいみんじゅつ!」
また肩が上がる。
シンの頭が、今度は前より少し速く動く。
「下向け、みずでっぽう、床!」
ミジュマルの水流が床を叩き、水しぶきが跳ねる。催眠の視線を切るための小さな幕。完全な対策じゃない。けれどミルホッグの視線とミジュマルの目が合うのを避けるには十分だった。
アロエがわずかに目を見開く。
「工夫するわね」
「見たから」
シンは短く答える。
「何度も同じの食うの、嫌なんで」
それは軽口のようでいて、本音でもあった。
自分は最初から全部うまくはできない。
でも、一回やられたものをそのまま二回目に通されるのは嫌だ。
悔しいし、もったいない。
その気持ちが、そのまま次の一手になる。
「ミルホッグ、かみくだく!」
「ミジュマル、貝を前!」
鋭い歯が貝に食い込む。痛みは腕まで抜けたはずだ。だがミジュマルは耐える。シンはそこでふっと息を整えた。
ハーデリア戦で、噛みつきへの受け方はもう学んだ。
なら次は、その先だ。
「ミジュマル、みずびたし!」
ゼロ距離で水がぶつかる。ミルホッグの全身が一気に濡れ、毛並みが重く張りついた。
ベルが目を丸くした。
「みずびたし……!」
チェレンが少しだけ前へ身を乗り出す。
「ここで使うのか」
ミジュマルの持つ技の中でも、みずびたしは派手な決定打ではない。だがシンはずっと、この技の使いどころを考えていた。
相手をずぶ濡れにする。
体の感覚を変える。
毛並みを重くし、重心のズレを露わにする。
いきなり勝てる技じゃない。
でも、見えるものを増やす技にはできる。
ミルホッグが一歩下がる。濡れた毛が体に貼りつき、さっきまでより肩の動きが分かりやすい。踏み込む前の癖が、少しだけ大きく見える。
シンの目が細くなる。
見えた。
これなら、次はもっと合わせられる。
「ミルホッグ、かたきうち!」
踏み込みが来る。
今度は少し早く分かった。
「左! 半歩だけ!」
ミジュマルが最小限の移動で直撃を外す。掠めた。それでも十分だった。正面から受けないだけで、重さが変わる。
「今だ、しっぽをふる!」
ミジュマルが尻尾を振る。濡れたミルホッグの足が一瞬止まる。重心がぶれる。
「たいあたり!」
ミジュマルの突進が腹へ入る。ミルホッグがよろめく。初めて、明確に崩れた。
トウヤが小さく息を吐いた。
「……あいつ、速くなってるんじゃなくて、合ってきてる」
「うん」
チェレンが答える。
「最初からじゃない。受けながら、合わせてる」
ベルは黙って見つめていた。シンの戦い方は、トウヤともチェレンとも違う。勢いだけでも理屈だけでもない。痛い目を見たぶん、次の動きが少しずつよくなっていく。
まるで、戦いの中でその場の経験を飲み込んでしまっているみたいだった。
だがミルホッグはまだ倒れない。
「さいみんじゅつ!」
肩が動く。濡れた毛並みのせいで、今度はさらにわかりやすい。
「下向いて、みずでっぽう!」
眠りの波を切るように水が飛ぶ。ミルホッグの顔が逸れる。
「そのまま前! たいあたり!」
ミジュマルが踏み込む。だがミルホッグも踏ん張る。さすがに一筋縄ではいかない。押し返される。シンの顔が引き締まった。
ここで無理に押し切るのは危ない。
チェレンが熱くなりすぎた場面を見た。
正面から勝ち急ぐと、アロエはそこを逃さない。
だからシンは、自分の呼吸を一度だけ整えた。
焦るな。
見たぶんだけ勝てばいい。
「ミジュマル、一回引け!」
距離を取る。ミルホッグも追ってくる。濡れた床を踏む足音が少し変わっている。さっきより踏み込みが重い。
シンは、そこで初めて勝ち筋が一本に繋がるのを感じた。
みずびたしで動きの癖が見える。
見えた癖に合わせて、催眠を避ける。
重い一撃は斜めに受ける。
崩れた瞬間に、しっぽをふるで防御を落とす。
最後に、踏み込む。
全部、いまここまで見たものの積み重ねだった。
「ミルホッグ、かたきうち!」
来る。
「ミジュマル、右に受け流せ!」
貝を斜めに構え、衝撃を逃がす。重い。だが倒れない。シェルアーマーを持つミジュマルの体は、急所を断ち切るような鋭い崩れ方をしない。苦しい中でも、形を保ってくれる。
シンはそこへ迷わず声を重ねた。
「しっぽをふる!」
防御が揺らぐ。
「みずでっぽう!」
顔面に水が入る。
「……最後、たいあたり!!」
ミジュマルが叫ぶように突っ込んだ。
濡れた毛並み。崩れた重心。下がりきれない足。そこへ小さな体の全力がぶつかる。派手な技じゃない。けれどここまで積み上げた全部が、その一撃のためにあった。
ミルホッグの体が大きくのけぞる。
一歩、二歩、三歩。
踏みとどまろうとした足が、ついに床を掴みきれず、そのまま崩れ落ちた。
静まり返ったジムに、審判の声がよく通る。
「ミルホッグ、戦闘不能! よって勝者、挑戦者シン!」
しばらく、シンは動けなかった。
勝った。
そう聞こえたはずなのに、すぐには実感にならない。ミジュマルが息を切らしながら振り返る。傷だらけだ。肩も痛そうだし、足元もふらついている。
それでも、ちゃんと立っている。
「……やった」
小さくこぼした声のあと、次には笑いが出た。
「やったな、ミジュマル!」
ミジュマルが飛びついてくる。シンはしゃがみ込み、その体を抱えるように受け止めた。
「ありがとな。最初、けっこう危なかったのに」
ミジュマルが小さく鳴く。得意そうでもあり、疲れきってもいた。シンはその頭を何度も撫でた。
アロエが歩み寄ってくる。
「見事だったわ」
「ありがとうございます」
「あなた、トウヤさんみたいに最初から速く答えに触るタイプじゃないわね」
シンは少しだけ目を瞬かせた。
「たぶん、そうです」
「ベルさんみたいに、不安ごと前へ出す強さとも少し違う。チェレンさんみたいに、最初から綺麗な形を持っているわけでもない」
アロエの言葉に、観客席の三人がそれぞれ少しだけ反応する。
「でも、あなたは一回の経験をすぐ次に変えられる」
アロエの視線はまっすぐだった。
「見たもの。感じたもの。考えたこと。やられて嫌だったこと。全部、置いていかないのね。ちゃんと自分の中へ積み上げて、次の一手にしている」
シンはその言葉を聞いて、少しだけ照れくさそうに笑った。
「たぶん、そうしないと追いつけないから」
「追いつくために積んでいるのに、その積み方自体がもう才能なのよ」
アロエは静かに言った。
「努力できる子はたくさんいる。でも、努力したものをきちんと力に変えていける子は、そう多くないわ。あなたはそこがとても速い。時間がたつほど、強くなる子ね」
差し出されたベーシックバッジを、シンは両手で受け取った。
思ったより重かった。
たぶん、バッジそのものの重さじゃない。ここまで見て、受けて、考えて、ようやく勝ち切ったぶんだけ、自分の中に残っている重さだ。
観客席へ戻ると、最初にトウヤが短く言った。
「勝ったな」
「おう」
「最初は押されてた」
「最初からうまくはいかねえよ」
「知ってる」
トウヤはそれだけ言って、小さくうなずいた。
「でも、あとになるほど良くなってた。シンっぽい」
その言い方に、シンは少しだけ笑う。
次にベルが駆け寄ってきた。
「すごかった! なんか、最初は本当に大変そうだったのに、途中からどんどん受け方も避け方も変わっていって……」
「まあ、見たからな」
「みずびたし使ったの、びっくりした」
「あれ、前からどう使うか考えてたんだよ。水かけるだけで終わるの、もったいないし」
「でも、ちゃんと意味になってた」
ベルが本気でそう言うので、シンは少し照れくさくなって頭をかいた。
最後にチェレンが来る。
彼はミジュマルを見て、それからシンへ視線を戻した。
「君、やっぱり変な伸び方をするな」
「褒めてる?」
「今回はかなり褒めてる」
いつもより素直な口ぶりだった。
「最初から見切っていたわけじゃない。なのに、受けるたびに精度が上がる。戦っている最中に、自分の形を作っていくタイプだ」
「そんな感じかも」
「厄介だよ、そういうのは」
チェレンはそう言いながらも、少し悔しそうで、でもどこか納得したようでもあった。
「僕は整理する。トウヤは速い。ベルは怖くても前へ出る。君は……積み上げるんだな」
シンは、その言葉を静かに受け止めた。
積み上げる。
たしかに、そうかもしれない。
最初から全部が見えているわけじゃない。
けれど、やったことは残る。
見たことは次に繋がる。
受けた痛みさえ、意味にできる。
それなら自分は、これから先もちゃんと強くなっていける。
速さで勝てなくても。
最初の一歩で届かなくても。
積み上げる限り、前へ行ける。
シッポウジムの古い木の匂いの中で、シンはもう一度バッジを見た。磨かれた表面に小さく光が返る。
それは完成の証じゃない。
ここから先、もっと積み上げていくための最初の確かな印だった。
アロエが試合場の中央から四人を見る。
「いい顔になったわね、みんな」
トウヤ。ベル。チェレン。シン。
同じバッジを手にしていても、その意味はきっとそれぞれ違う。
違うままで並べること。
違う強さのまま、同じ道を進めること。
それを四人は、少しずつわかり始めていた。
シンはミジュマルの頭を軽く撫でる。
「次も、ちゃんと積んでいこうぜ」
ミジュマルが元気よく鳴いた。
トウヤが出口へ向かって歩き出し、ベルがムンナを抱え直してそのあとに続く。チェレンも静かに歩き出す。シンは一歩遅れて、もう一度だけ試合場を振り返った。
床にはまだ、さっきまでの戦いの跡が残っている。
けれどそれは、もうただの傷じゃない。
見たもの。感じたもの。考えたこと。
全部が次の自分に積み上がっていく。
それが自分の強さなのだと、今日は少しだけ、はっきりわかった気がした。
まだ完成なんてしていない。
この先もきっと負けるし、迷うし、何度でも足りなさを知るだろう。
それでも、一度通った道をただの通過にしない限り、自分は強くなれる。
そう信じられるだけの手応えが、今日の試合にはあった。
シンは小さく息を吐き、仲間たちの背中を追って歩き出した。
シッポウジムの扉の向こうには、もう次の道が待っている。
見たもの全部を、自分の中へ積み上げながら進むために。
彼の足取りは、ここへ来たときよりも、ほんの少しだけ確かなものになっていた。