BW素晴らしきイッシュ   作:もののふ教

34 / 50
第35話 同じ道の、ちがう足

シッポウシティの朝は、博物館の町らしく静かだった。

 

まだ店の戸も半分しか開いていない時間、石畳の通りには掃き清められた水の筋が細く残り、空気には夜の冷たさが少しだけ残っている。けれど、その静けさの中で、四人の足取りだけは昨日までとどこか違っていた。

 

トウヤ、ベル、チェレン、シン。

 

四人ともアロエからベーシックバッジを受け取った。

 同じジムを越え、同じ町を出ようとしている。

 なのに、その胸の中に残っているものは、まるで同じではなかった。

 

ポケモンセンターの前で、最初に外へ出てきたのはトウヤだった。肩に小さな荷物を引っかけ、いつも通りの顔で空を見上げている。勝ったあとの高揚を引きずるでもなく、かといって気が抜けているわけでもない。ただ、もう次の道を見ている顔だった。

 

そのあとにチェレンが出てくる。服の乱れひとつなく整っていて、表情も落ち着いて見える。だが近くで見れば、昨日までと同じ「整っている」ではないことがわかった。少しだけ、熱の残った整い方だった。

 

ベルはムンナを抱いたまま、ミジュマルと一緒に慌ただしく飛び出してきた。

 

「ご、ごめん、待った?」

 

「まだ全員そろってない」

 

チェレンが答える。ベルは「だよね」と笑って胸を撫で下ろした。

 

「でも、なんか変な感じ。ほんとにみんな勝ったんだなって」

 

「昨日のうちに分かってることだろ」

 

シンの声が後ろから飛んできた。最後に出てきた彼は、ミジュマルを連れて大きくあくびをしている。

 

「朝になってもまだ実感ないのかよ」

 

「だって、寝て起きたら夢だった、ってこともあるかもしれないし」

 

「お前は子どもか」

 

「ベルも似たようなこと言ってたぞ」

 

「えっ、言ってない!」

 

すぐさま否定が飛び、シンが笑う。トウヤはそんなやり取りを横で聞きながら、小さく口元を緩めた。

 

四人の間には、いつもの空気が戻っている。

 けれど、いつものままではなかった。

 

昨日までなら、ジムを越えた達成感はもっと単純なものだったはずだ。やった、勝った、次へ進める――それで十分だった。けれど今回は違う。

 

ベルは、怖いまま前へ出ることを覚えた。

 チェレンは、熱くなった自分ごと勝ち方を更新した。

 シンは、一回ごとの経験をすぐ次に積み上げていく自分の強さに触れた。

 トウヤは、そんな三人の変化を見ながら、自分の歩幅を変えずに先へ立ち続けた。

 

誰も同じ勝ち方をしていない。

 だからこそ、同じ四つのバッジが少し不思議だった。

 

「行く前に、館長さんに挨拶しなくていいのかな」

 

ベルの言葉に、チェレンがうなずく。

 

「したほうがいいだろうね。博物館にも世話になったし」

 

「じゃあ先にそっち寄ろう」

 

トウヤがそう言って歩き出す。三人もそのあとに続いた。

 

朝のシッポウシティは、昨日より少し広く見えた。町そのものが変わったわけではない。ただ、自分たちの見え方が変わったのだと、シンは歩きながらぼんやり思う。

 

博物館に着くと、入口の前ではすでにアロエが職員と何か話していた。四人の姿に気づくと、すぐにこちらへ向き直る。

 

「おはよう。思ったより早いのね」

 

「出る前に挨拶くらいは」

 

チェレンが言うと、アロエは少しだけ笑った。

 

「律儀な子たち」

 

「お世話になったし」

 

ベルも続ける。ムンナが腕の中で小さく耳を動かした。

 

アロエは四人を順に見た。ジムリーダーの目でも館長の目でもなく、その少し両方が混じったような視線だった。

 

「で、次はヤグルマの森を抜けてヒウンかしら」

 

「そのつもりです」

 

トウヤが答える。

 

「そう。あの森は広いわけじゃないけれど、町の道とは違う。視界も狭いし、寄り道も増える。思ったより、自分の歩き方が出る場所よ」

 

その言い方が少しだけ印象に残った。

 

自分の歩き方。

 

たしかに、シッポウまでの道でもそれは十分見えてきている。けれど森に入れば、なおさら誤魔化しが利かなくなるだろう。速く進みたい者、細かく見たい者、不安になって立ち止まる者、気になったものに手を伸ばす者。同じ道を歩いていても、自然に差が出る。

 

「四人なら大丈夫よ」

 

アロエはそう言ったあと、少しだけ声を落とした。

 

「でも、四人だからずっと同じ速さで進めるとは限らない。それは悪いことじゃないわ」

 

ベルが目を瞬かせる。シンは何となく、その言葉の先を考えたが、そこで止めた。今はまだ、その先まで考える必要はない気がしたからだ。

 

「昨日の勝ち方を、今日そのまま持っていこうとしないこと」

 

アロエは最後にそう付け加えた。

 

「町を越えれば、また違う相手がいる。違う道がある。そのとき、自分の強さを決めつけすぎないでね」

 

「はい」

 

四人の返事が重なる。

 

挨拶を終えて博物館を出ると、町の外れへ向かう道で、ベルが小さく息を吐いた。

 

「館長さんって、やっぱりなんか、見透かしてくるよね」

 

「見透かしてるっていうか、見てるんだろ」

 

シンが言う。

 

「ちゃんと」

 

「それが同じ意味じゃないあたり、君は意外といいことを言うな」

 

「意外とは余計だろ」

 

チェレンが少しだけ笑い、シンが不満そうに眉を上げる。ベルもつられて笑った。

 

トウヤは前を見たまま歩いていたが、ふと足を緩めた。

 

「森、入る前に一回休むか」

 

「え、もう?」

 

「ベルが今のうちに落ち着いといたほうがいい」

 

「なんで!?」

 

「入ってから慌てるよりいいだろ」

 

それは半分からかいで、半分本気なのだろう。ベルは頬を膨らませたが、否定はしなかった。

 

町のはずれ、ヤグルマの森へ続く道の手前には、小さな広場があった。旅人が腰を下ろせるよう、古い丸太のベンチがいくつか置かれている。四人はそこで荷物を置き、水筒を回した。

 

しばらくは誰も大きなことを言わなかった。

 

風が吹き、森の入口の木々がざわめく。鳥ポケモンの遠い声がして、ミジュマルが少しだけそちらを見る。ムンナはベルの膝の上で落ち着いた様子で目を細めていた。

 

最初に口を開いたのは、意外にもチェレンだった。

 

「……少し、考えてたんだ」

 

三人がそちらを見る。

 

「何を?」

 

ベルが聞く。

 

チェレンは少しだけ間を置いた。

 

「昨日のことを。というより、シッポウに入ってからのこと全部かな」

 

その言い方に、ベルの背筋がわずかに伸びる。シンも黙って耳を傾けた。トウヤはベンチの端で腕を組んだまま、静かに視線だけを向けている。

 

「僕はたぶん、ずっと同じように考えてたんだと思う」

 

チェレンはまっすぐ前を見たまま言った。

 

「誰が前に出るべきかとか、誰が危なっかしいかとか、どう進むのがいちばん無駄がないかとか。そういうのを、わりと早い段階で自分の中で決めてた」

 

ベルの指が、ムンナの背を撫でる手つきの中で少し止まった。

 

「でも、それがずっと正しいとは限らなかった」

 

チェレンの声は静かだった。自分を責める響きではない。ただ、認めている声だ。

 

「ベルが昨日勝ったとき、それをすごく思ったよ」

 

ベルが目を見開く。

 

「え……」

 

「もちろん、前から弱いって決めつけていたつもりはない。でも、守る側と守られる側みたいなものを、たぶん僕は勝手に固定していた」

 

シンは視線を落とした。言葉にされると、その感覚はチェレンひとりのものじゃなかった気がする。自分も、トウヤも、きっとどこかでそう思っていた。

 

ベルは不安そうな、でも逃げない目でチェレンを見ている。

 

「だから、昨日の勝ち方を見て、悔しかった」

 

チェレンははっきり言った。

 

「でも、同時にちゃんと見なきゃいけないとも思った。君が前へ出たことを」

 

ベルはすぐに返事ができなかった。

 

代わりにムンナが、小さく息を吐くように鳴いた。ベルはそれで少しだけ表情をゆるめる。

 

「……うれしい、でいいのかな。そう言ってもらえるの」

 

「いいんじゃないか」

 

シンが言った。

 

「悔しかったのまで込みで」

 

「君は余計な一言を足す」

 

「大事なとこだろ」

 

チェレンはため息をついたが、否定はしなかった。

 

そこで今度は、シン自身がぽつりと言う。

 

「俺も、ちょっと分かった気がするんだよな」

 

「なにが?」

 

ベルが聞く。

 

「自分の勝ち方」

 

その言葉に、トウヤが少しだけ視線を上げた。

 

「最初からうまくやれるタイプじゃねえのは、前から分かってた。でも昨日、アロエとやって、もっとはっきりした」

 

シンは自分の手のひらを見た。

 

「一回見たやつとか、一回食らったやつとか、そういうのを次に持っていけるんだよ。たぶん俺は。いきなり全部分かるわけじゃないけど、同じのを何回もそのまま食うのは嫌で、だから考えるし、考えたぶんちょっとずつ合っていく」

 

「努力型の天才、って感じだね」

 

ベルが素直に言う。

 

シンは妙な顔をした。

 

「その言い方、まだむずがゆいんだけど」

 

「でも合ってる」

 

トウヤが短く言った。

 

三人がそちらを向く。

 

「シンは、積んだぶんだけ強くなる。で、積むのが速い」

 

トウヤの言葉は簡潔だった。けれど、それだけで十分だった。余計な飾りがないぶん、言われた側にもまっすぐ届く。

 

シンは一瞬だけ黙って、それから笑った。

 

「……トウヤに言われると、なんか認めるしかねえな」

 

「事実だから」

 

「お前はそういうとこだよ」

 

ベルがくすっと笑う。

 

自然に空気がやわらいだところで、ベルが自分の膝の上のムンナを見下ろしながら言った。

 

「わたしは、まだ分かんないこと多いな」

 

三人が耳を傾ける。

 

「怖いのもまだ全然あるし、ちゃんとできるかわかんない時もある。でも、前みたいに、怖いから止まるしかない、って感じじゃなくなったかも」

 

そう言って、ミジュマルとムンナを交互に見る。

 

「ふたりがいてくれるからっていうのもあるし、たぶん、みんなが前にいるからでもある」

 

「前にいる、ね」

 

チェレンがその言葉を小さく繰り返した。

 

「うん。置いていかれたくない、って思うもん」

 

ベルは少し恥ずかしそうに笑った。

 

「でも、それだけじゃなくて。同じところまで行きたいなって思う」

 

その言葉に、誰もすぐには返さなかった。

 

風がまた吹いて、木々が鳴る。

 

同じところまで行きたい。

 その願いはきれいだ。けれど、きれいだからこそ、そのままずっと同じ形で続くとは限らないことも、どこかで分かってしまう。

 

シンは何となく、森の奥を見た。

 

道は一本に見えて、入ってしまえば細かく分かれる。木の根を避ける者もいれば、真ん中を踏む者もいる。横道に気づく者もいれば、そのまま真っすぐ行く者もいるだろう。

 

同じ森を抜けても、まったく同じ歩き方にはならない。

 

たぶん旅もそうだ。

 

「トウヤは?」

 

ベルが聞いた。

 

「トウヤは、昨日のあと何か考えた?」

 

問われて、トウヤは少しだけ空を見た。

 

「考えた」

 

「どんなこと?」

 

「三人とも、前より面倒になったなって」

 

「は?」

 

チェレンが眉をひそめる。ベルは口をぱかっと開き、シンが吹き出した。

 

「どういう意味だよ、それ」

 

「前はもっと単純だった」

 

トウヤは平然と続ける。

 

「ベルは見てないと危なかったし、チェレンは考えすぎるし、シンは雑だった」

 

「おい」

 

「でも今は、ベルは自分で前に出るし、チェレンは熱くなるし、シンは途中から急に合ってくる」

 

そこまで言ってから、トウヤはほんの少しだけ口元をゆるめた。

 

「だから、見てて飽きない」

 

一瞬、三人とも言葉を失った。

 

トウヤらしいようで、トウヤらしくない言い方だった。褒めているのかどうか曖昧なのに、不思議とちゃんと認められていることだけは分かる。

 

最初にベルが笑い出し、次にシンが「なんだそれ」と肩を揺らし、チェレンも最後には呆れたように息をついた。

 

「君は本当に、言い方だけはどうにかならないのか」

 

「伝わってるならいいだろ」

 

「まあ、そうだけど」

 

その返しにまた笑いが起きる。

 

広場の空気は、さっきよりずっと軽くなっていた。

 

何かが解決したわけじゃない。

 ここから先、またぶつかることもあるだろうし、歩幅がずれることもあるだろう。

 けれど少なくとも今は、昨日の戦いで変わったものを、四人ともちゃんと抱えたまま同じ場所に座れている。

 

それだけで十分な朝だった。

 

「そろそろ行くか」

 

トウヤが立ち上がる。

 

「うん」

 

ベルもムンナを抱え直しながら立つ。チェレンは荷物を確かめ、シンはミジュマルの頭をぽんと叩いた。

 

ヤグルマの森の入口は、町道の先ですぐに色を変えていた。石畳の終わりから先は、土の匂いと木陰の濃さが支配している。光は上から差しているのに、森の中は少し暗い。道幅も狭く、見通しは急に悪くなった。

 

「ほんとに、町の外って感じだな」

 

シンが言う。

 

「さっきまでと空気が全然違う」

 

「だから面白いんだろ」

 

トウヤが先に踏み込む。

 

チェレンはその少し後ろ。ベルとシンが並び、その足元をミジュマルがついていく。ムンナはベルの腕から森を見ていた。

 

一歩入るたび、音が変わる。

 

町の足音じゃない。葉を踏む音、枝をよける音、遠くの羽音。人の手で整えられた場所ではなく、自然の中を進む音だった。

 

トウヤが振り返らずに言う。

 

「はぐれるなよ」

 

「誰に言ってるの」

 

ベルが不満そうに返す。

 

「一番可能性高いの、お前だろ」

 

「そんなことないもん」

 

「ある」

 

「あるね」

 

「あるよ」

 

三方向から同時に言われて、ベルが「ええ!?」と声を上げた。

 

そのやりとりを聞きながら、シンは少し笑った。

 

同じ道だ。

 けれど、同じ足取りではない。

 

前にいるトウヤは、自分の速さで木々の間を読む。

 チェレンは森の作りと分かれ道を見ている。

 ベルは不安そうにしながら、それでも確かに前へついてくる。

 自分はその全部を見て、覚えて、次に使えるものを探している。

 

違う。

 でも、いまはまだ一緒に進んでいる。

 

そのことが、シンには少しだけ心強かった。

 

森の入口で、風がひとつ大きく鳴った。枝葉が揺れ、上からこぼれた光が四人の背中をまだらに照らす。

 

シッポウシティは、もうすぐ見えなくなる。

 

ジムを越えた昨日までの自分たちも、たぶん少しずつ背中側に回っていく。

 でも、置いていくわけじゃない。

 

見たものも、感じたものも、勝ったことも、悔しかったことも、全部持って次へ行く。

 

それぞれ違う形のまま、同じ森を抜けていくために。

 

トウヤが先頭で枝を払い、チェレンが地面の段差を指摘し、ベルがムンナを抱いたまま「ちゃんと見てるからね」と自分にも相手にも言い聞かせるように呟く。シンはその後ろで、そんな三人の背中を一度見てから、ミジュマルに小さく言った。

 

「次も、いろいろ覚えそうだな」

 

ミジュマルが元気よく鳴く。

 

その返事に笑って、シンも森の奥へ足を踏み入れた。

 

同じ道を、違う足で進む。

 その旅の続きが、静かな木漏れ日の向こうで待っていた。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。