BW素晴らしきイッシュ   作:もののふ教

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第38話 棘の歩幅

フシデがシンの手持ちに加わってから最初の休憩は、思っていたよりずっと落ち着かなかった。

 

ヤグルマの森の中ほど、小さく開けた切り株のそばで四人が腰を下ろしても、空気はどこかそわそわしている。理由は単純だった。さっきまで野生としてこちらを見定めていたフシデが、今はシンのボールの中にいるからだ。

 

「出してみないの?」

 

ベルがムンナを膝に乗せたまま聞いた。

 

「出すよ」

 

シンはそう答えたものの、すぐにはボールを開かなかった。

 

捕まえたばかりだ。しかも、向こうから選んで入ってきたとはいえ、いきなり全部が丸く収まるとも思っていない。さっきまで一緒に戦っていたとはいえ、まだお互いのことはほとんど分かっていないのだ。

 

ミジュマルが横で「ミジュ」と短く鳴く。

 

「分かってるって」

 

シンは苦笑して、ようやくボールを手に取った。

 

「フシデ、出てこい」

 

赤い光が弾け、紫色の小さな体が地面に現れる。

 

フシデは着地した瞬間、まずミジュマルを見た。次にシンを見て、それからすぐには近づかず、切り株の影へ半歩だけ下がる。完全に警戒しているわけではないが、安心もしていない。そんな距離感だった。

 

「やっぱりすぐには慣れないか」

 

シンがしゃがみこむ。

 

「まあ、そうだよな」

 

フシデは触角をわずかに揺らした。返事とも警戒とも取れる微妙な動きだ。

 

ベルが少しだけ前のめりになる。

 

「かわいい」

 

「お前さっきまで『こわい』って言ってなかった?」

 

「こわいのとかわいいのは両立するよ」

 

真顔で言い切られて、シンは思わず笑った。チェレンも小さく息をつく。

 

「その感覚はよく分からないな」

 

「チェレンは分からなくていいの」

 

「なんで」

 

「なんとなく」

 

ベルの適当な返答に、トウヤが木にもたれたまま口を挟む。

 

「近づきすぎるなよ」

 

「分かってる」

 

ベルは頬をふくらませつつも、そこでちゃんと止まった。ムンナもベルの膝からフシデを見ている。眠たげな顔をしているくせに、観察だけは意外と細かい。

 

シンは自分の荷物から小さな実を取り出した。森に入る前に買っておいた、携帯しやすい木の実だ。

 

「食うか?」

 

フシデの前にそっと置く。

 

フシデはすぐには口をつけなかった。まず匂いを確かめる。視線を上げる。シンを見る。ミジュマルを見る。そこまでしてから、ようやく少しかじった。

 

「慎重だな」

 

シンが言うと、チェレンが肩をすくめる。

 

「森で生きてきた個体なら普通だよ。むしろそのくらいでいい」

 

「でも、選ぶのは早いよな」

 

シンはさっき沢で見た動きを思い出していた。

 

どくばりを打つタイミング。

 丸くなってから転がる間。

 相手を正面で止めるんじゃなく、ずらして崩すやり方。

 

勢いだけじゃない。見て、選んで、出ている。

 

それがなんとなく、自分の戦い方と噛み合いそうだと思えた。

 

「シンと似てるのかもね」

 

ベルが言う。

 

「なにが」

 

「ちゃんと見てから動くところ」

 

シンは少しだけ目を丸くした。自分ではそこまで意識していなかったからだ。

 

「でもシンのほうが、もうちょっと雑」

 

続けざまにそう言われて、今度はむっとする。

 

「褒めたあとに落とすなよ」

 

「事実だもん」

 

「否定しきれないのが悔しいな」

 

そのやり取りを聞きながら、フシデは木の実を食べ終えた。食べ終えてもなお、シンの足元までは来ない。ただ、さっきより距離は縮まっている。

 

トウヤが立ち上がる。

 

「行くぞ」

 

「もう?」

 

ベルが言う。

 

「止まると暗くなる」

 

森の中では、その判断が一番正しい。見上げればまだ日が高いはずなのに、頭上の葉が厚いぶん、時間の感覚が狂いやすい。このままのんびりしていれば、出口を見つける前に森の夜が来る。

 

四人は荷物をまとめ、再び歩き出した。

 

今度は隊列が少しだけ変わった。先頭は変わらずトウヤ、その後ろにチェレン。ベルとムンナが真ん中に入り、シンが最後尾に近い位置につく。その足元にミジュマル、そして――フシデは、シンの真横ではなく、少し後ろをついてきた。

 

「完全に様子見されてるな」

 

シンが小さく言うと、ミジュマルが「ミジュ」と鳴く。

 

「お前はもうちょっと偉そうでもいいのに」

 

ミジュマルは胸を張った。だが、フシデのほうはちらりと見ただけで、そのまま一定の距離を保っている。

 

森の道は相変わらず狭い。根が張り出した場所を越え、低い枝を避け、時おりぬかるんだ足場を選ぶ。歩いているだけなら単純な道でも、誰とどう進むかで雰囲気が変わる。

 

トウヤは速い。

 チェレンは安定している。

 ベルは遅れまいとして足元をよく見る。

 シンは全体を見ながら、次に何か起きたときのことを考えている。

 ミジュマルはその場その場で器用に合わせる。

 そしてフシデは、誰かに引かれるでもなく、自分で距離を測っていた。

 

その違いが、歩いているだけでも分かる。

 

「なんか不思議」

 

ベルが前を見たまま言った。

 

「なにが?」

 

シンが聞く。

 

「さっきまで野生だった子が、もう一緒に歩いてるの」

 

「まだ“一緒に歩いてる”っていうか、“ついてきてる”感じだけどな」

 

「でも、それでもすごいよ」

 

ベルは少しだけ笑う。

 

「選んでくれたんだもん」

 

その言い方が、シンには少しだけくすぐったかった。だが嫌ではない。

 

「まあ、そうかもな」

 

答えたところで、トウヤが急に手を上げた。

 

「止まれ」

 

全員の足が止まる。

 

前方の道は、倒れた大木でほとんど塞がれていた。完全に通れないわけではないが、幹の下の隙間をくぐるか、横の茂みをかき分けるかしないと進めない。

 

チェレンがすぐに周囲を見る。

 

「横はぬかるんでる。くぐるほうが安全かな」

 

「ベル、先にムンナだけ通すか?」

 

シンが言う。

 

「ううん、大丈夫。わたしもいけると思う」

 

「ほんとか」

 

「ほんと!」

 

声だけは勢いがある。

 

トウヤが先に幹の下をくぐり、向こう側へ出る。チェレンが続き、荷物が引っかからないよう位置を直す。ベルはムンナを抱えたまましゃがみ込み、恐る恐る進んだ。シンは後ろから見守り、最後にミジュマルを促す。

 

問題はフシデだった。

 

幹の前まで来ると、ぴたりと止まる。くぐれないわけではない。だが、暗くて狭い下の隙間を嫌がっているらしかった。

 

「ん?」

 

シンがしゃがみ込む。

 

「そこ苦手か」

 

フシデは返事のかわりに、幹を一度つついた。それから少し後ろへ下がる。無理やり押し込めば通るだろうが、それを今やるのは違う気がした。

 

ベルが向こう側から覗き込む。

 

「どうする?」

 

「……待てよ」

 

シンは幹の横を見た。ぬかるみはあるが、完全に沈むほどではない。ただ、足の置き方を間違えると滑りそうだ。

 

ミジュマルなら行ける。自分も慎重に踏めば大丈夫かもしれない。だがフシデは足が多いぶん、逆に泥を嫌がる可能性もある。

 

そこで、シンはさっきの沢で見た動きを思い出した。

 

「フシデ」

 

呼びかけると、触角が動く。

 

「丸くなれるよな」

 

フシデがじっとこちらを見る。

 

「だったら……」

 

シンは横の少し高くなった根元を指差した。

 

「そこから、転がって越えられないか?」

 

チェレンが少し驚いた顔をした。

 

「そんな通し方をするのか」

 

「無理ならやめる。でも、あいつならいけそうなんだよ」

 

フシデは幹の横の根元を見て、それから自分で少し動いて角度を確かめた。シンが余計な指示を足さずに待っていると、やがて小さく体を丸める。

 

「……お」

 

次の瞬間、フシデは根元を使ってくるりと身を転がし、幹の脇を抜けて向こう側へ出た。

 

ベルが思わず笑う。

 

「すごい、ほんとに行った」

 

フシデは着地したあと、得意げでもなく平然と立っていた。だが、シンのほうを見たその一瞬だけ、目の色が少し変わった気がした。

 

通じた、のだ。

 

戦いだけじゃなく、こういう小さなやり方でも。

 

シンは胸の奥が少しだけ熱くなるのを感じた。

 

「ありがとな」

 

そう言うと、今度はフシデが半歩だけ近づいた。

 

たったそれだけのことが、妙にうれしかった。

 

幹を越えた先で道は二つに分かれていた。片方はやや広いが踏み荒らされており、もう片方は細いが地面は固い。トウヤはすぐ左を見た。チェレンは右の地面を確かめる。ベルはその間で、どっちも同じに見えるという顔をしている。

 

「左」

 

トウヤが言う。

 

「いや、右だと思う」

 

すぐにチェレンが返す。

 

「左は人かポケモンが多く通ってる。広いけど、森を抜ける主道から外れてるかもしれない」

 

「右は枝が低い」

 

「でも地面は生きてる」

 

短いやり取りに、ベルが困ったようにシンを見る。

 

「どっち?」

 

「いや、俺に聞くなよ」

 

そう言いながらシンも周囲を見た。どちらもあり得る。トウヤは感覚で森を読む。チェレンは痕跡で道を読む。どちらの見方も分かるだけに、簡単には決められない。

 

そのとき、足元でフシデが動いた。

 

右へ数歩進み、振り返る。

 

「……そっち?」

 

シンが言うと、フシデはもう一度だけ足を動かした。

 

チェレンが目を細める。

 

「群れで動いていた個体なら、森の通りやすい道は知っているはずだ」

 

「じゃあ右か」

 

トウヤは意外なほどあっさり言った。

 

「いいの?」

 

ベルが聞く。

 

「森のやつに聞くほうが早い」

 

それも一理あった。

 

結局、四人はフシデの示した右の道を選んだ。細いが、進んでみるとたしかに枝の密度にむらがあり、見た目より歩きやすい。途中で倒木を避ける小さな回り道も自然にできている。踏み跡としては弱いが、ポケモンが通る道としては確かに生きていた。

 

「ほんとにこっちだったんだ」

 

ベルが感心したように言う。

 

「すごいね」

 

シンはなんとなく誇らしい気持ちになったが、別に自分の手柄でもないと思い直して咳払いした。

 

「まあ、森育ちだしな」

 

「なんでちょっと得意そうなの」

 

「別に得意そうじゃないだろ」

 

「なってるよ」

 

ベルに言われ、チェレンまで小さくうなずくので、シンはとうとう諦めたように肩をすくめた。

 

「……ちょっとだけな」

 

その返答に、ベルが声を立てて笑う。

 

歩きながら、フシデは少しずつ位置を変えていった。最初はシンの後ろだったのが、いつの間にかミジュマルの横に移り、また少しするとシンの斜め前にいる。先導するほどではないが、もう完全に“様子見だけ”の距離ではなかった。

 

ミジュマルもそれを受け入れているらしい。時おりちらりと見て、無理に張り合いもせず、ただ同じ歩幅で進んでいる。

 

「ミジュマルって、こういうとき意外と兄貴っぽいよね」

 

ベルがぽつりと言う。

 

「そうか?」

 

シンが聞き返す。

 

「うん。前からそうだったけど、さっきの感じとか特に」

 

シンはミジュマルを見る。言われてみれば、たしかにそうかもしれない。自分が新しい相手に対してまだ探り探りでいるぶん、ミジュマルのほうが少し先に“仲間の側”へ寄っているようにも見えた。

 

「先輩面してるだけじゃないか?」

 

シンが言うと、ミジュマルが不満そうに鳴いた。

 

チェレンが淡く笑う。

 

「それも含めて悪くないよ。群れに入るとき、最初に同族じゃない近い年齢の相手がどう振る舞うかは大きい」

 

「年齢って……ポケモンにもそういうのあるのか?」

 

「あるだろう。少なくとも立場は」

 

「チェレン、そういう時だけ妙に先生っぽいよね」

 

ベルの言葉に、チェレンは少しだけ言葉を止めた。

 

「……そう見える?」

 

「うん」

 

「別に嫌じゃないけど」

 

ベルはさらりと言って前を向く。チェレンは一瞬だけその横顔を見て、何も言わなかった。けれど、その沈黙が沈んだものではないことを、シンはなんとなく感じた。

 

午後の森は、朝より少しだけ風が強かった。高い場所の枝が鳴り、葉が降る。道はやがて緩やかに上り、そこを越えた先で、不意に視界が明るくなった。

 

「出口……?」

 

ベルがぱっと顔を上げる。

 

まだ完全な森の外ではない。だが木々の密度は明らかに薄くなっていた。先のほうから、町の空気に近い乾いた風が流れてくる。

 

「近いな」

 

トウヤが言う。

 

「たぶん、もう半分以上は抜けてる」

 

チェレンも周囲を確かめてうなずく。

 

「日が落ちる前に出られそうだ」

 

ベルがほっとしたように胸を撫で下ろした。

 

「よかったぁ……」

 

「まだ気を抜くなよ」

 

シンが言うと、

 

「分かってるもん」

 

と返ってくる。だがその声は少しだけ弾んでいた。

 

シンは足元を見た。

 

ミジュマルの横に、フシデがいる。

 

朝にはまだ野生だった小さな棘の塊が、いまは同じ道を進んでいる。その歩き方はまだ完全にこちらへ馴染んだものではない。ときどき先に出て、ときどき立ち止まり、森の匂いを確かめる。でも、それでいい気がした。

 

最初から全部ぴたりと揃う必要はない。

 

見て、感じて、少しずつ合わせていけばいい。

 

それはたぶん、ポケモンとの距離だけじゃなく、この四人の旅そのものにも言えることだった。

 

「なあ、フシデ」

 

シンが小さく呼ぶ。

 

触角が動く。

 

「次、もうちょいちゃんと一緒にやろうな」

 

フシデは短く足を鳴らした。

 

返事になっているのか、ただの癖なのかは分からない。けれど、シンにはその音が悪くないものに聞こえた。

 

木漏れ日の向こうに、少し広い空が見え始めている。

 

森を抜ける前の最後の光の中で、六つの足音――いや、四人と二匹分の気配が、少しずつひとつの流れになっていた。

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