BW素晴らしきイッシュ   作:もののふ教

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第42話 それぞれの目線

ポケモンセンターを出たとき、ヒウンシティの午後はもう完全に動き出していた。

 

橋を渡ってきたときには「大きい」としか言えなかった街が、いざ中へ入ってみると、その大きさを細かく分けて見せてくる。通りごとに匂いが違う。人の流れの速さも違う。建物の高さだけじゃなく、窓の飾りや看板の色、道端に並ぶ屋台の音まで、それぞれが勝手に主張していた。

 

ベルはポケモンセンターの階段を下りたところで、また少しだけ立ち止まってしまった。

 

「……やっぱり多い」

 

「人が?」

 

シンが隣で聞く。

 

「人も、物も、音も」

 

ベルはムンナを抱え直しながら、目の前を横切る人の波を見た。森の中では聞こえなかった種類のざわめきが、途切れず続いている。声を張る店員。笑っている子ども。荷車を押す音。窓の上から鳴る鐘みたいな音。どれかひとつなら平気でも、まとめて来ると少し息苦しい。

 

その腕の中で、ムンナが小さく身じろぎした。

 

落ち着きなく暴れるわけではない。むしろ逆だった。ベルの腕に収まる位置を少しだけ変え、体重を預け直す。ベルが慌てて抱き直す必要のない、ちょうどいい重みで。

 

「……ありがと」

 

ベルが小さく言うと、ムンナは目を閉じたまま耳だけをぴくりと動かした。

 

返事の代わり、みたいだった。

 

シンはその様子を見て、少しだけ笑う。

 

「ムンナ、ほんとベルのことよく見てるよな」

 

「う、うん。なんか、わたしより先に分かってる時ある」

 

「それはお前が分かるの遅いだけじゃないか?」

 

「失礼だなあ」

 

頬をふくらませるベルの足元で、ミジュマルが「ミジュ」と鳴く。どこかシンに同意しているような声色で、ベルはますます不満そうな顔になった。

 

「ミジュマルまでそっち!?」

 

ミジュマルは胸を張る。

 やっぱりちょっと偉そうだ、とシンは思う。

 

だがそのすぐ横では、フシデがまだ少し落ち着かない様子だった。森の中では自分で先へ出たり道を選んだりしていたのに、ヒウンへ入ってからは逆だ。シンの靴のそば、あるいはミジュマルの一歩後ろを選んで歩く。人が近づくたびに触角が細かく揺れる。

 

それを見て、シンはしゃがみこんだ。

 

「まだ慣れないよな」

 

フシデはすぐには見上げなかった。代わりに、シンの影へ半歩寄る。

 

それだけの動きなのに、前よりずっと分かりやすい。

 この街は怖い。

 でも、ここにいる。

 その両方が、ちゃんと伝わる仕草だった。

 

「無理に急がなくていいぞ」

 

シンが言うと、フシデの触角がわずかに緩んだ。

 

ミジュマルはそんな二匹の様子を見てから、また少しだけ前へ出る。頼られているのが分かると、こいつは露骨に気合いが入る。見栄っ張りだな、とシンは思うが、悪いことではなかった。

 

「じゃあ、まずどっち行く?」

 

ベルが改めて聞いた。

 

トウヤは通りの先を見ている。チェレンは建物の並びと人の流れを見ている。シンは屋台の匂いがちょっと気になっている。そしてベルは、見るものが多すぎて逆に決めかねている顔だった。

 

最初に答えたのはチェレンだった。

 

「とりあえず大通りを一周したい」

 

「へえ、意外」

 

シンが言う。

 

「もっと博物館とか図書館とか、そういう場所を真っ先に言うかと思った」

 

「それも気になるよ。でも、こういう街は最初に全体の形を見たほうがいい」

 

チェレンは少し顎を上げ、遠くの交差点を見た。

 

「通りがどう繋がってるか。人の流れがどこへ向かっているか。どの辺が賑やかで、どこが落ち着いているか。把握しておけば、あとで動きやすい」

 

なるほど、とシンは思う。

 チェレンらしい答えだ。

 

トウヤも異論はないらしい。

 

「じゃあ歩くか」

 

「食べ歩きは?」

 

ベルが聞く。

 

「途中で見つけたら」

 

「雑!」

 

「でも、ベル」

 

チェレンが冷静に言う。

 

「君は先に何か食べたほうがたぶん落ち着く」

 

「えっ」

 

「顔に出てる」

 

「そんなに?」

 

「そんなに」

 

ベルはしばらく口を開けたまま黙り、それから観念したように肩を落とした。

 

「……じゃあ、途中でなんか食べる」

 

「素直でよろしい」

 

シンが言うと、ベルはむっとしたが、ムンナが腕の中で小さく体を揺らしたので、結局それ以上は言い返さなかった。

 ムンナも、ベルが空腹で余裕を失いがちなのを分かっているのかもしれない。そう思うと少しおかしくて、ベルはひとりで小さく笑った。

 

大通りへ出ると、人の流れはさらに濃くなった。

 

左右には店が並び、ガラス越しに並ぶ服や小物がきらきらしている。屋台からは甘い匂いと香ばしい匂いが交互に漂ってきて、ベルの視線が露骨にそちらへ引っぱられる。上を見れば、建物と建物の間に長い旗のようなものが渡され、風に揺れていた。

 

「ヒウンって、なんかずっとお祭りみたい」

 

ベルが呟く。

 

「毎日こうなんじゃないか」

 

トウヤが答える。

 

「毎日これなら、住んでる人すごくない?」

 

「慣れるんだろ」

 

「慣れるかなあ……」

 

ベルは言いながら、足を止めた。

 

目の前の店先に、小さな飾り細工が並んでいた。木の実や葉っぱを模したアクセサリーで、色合いがどこか森を思わせる。街の中で見ると余計に目を引いた。

 

「かわいい……」

 

ベルの声が自然にやわらかくなる。

 

ムンナもそれを見て、少しだけ首を傾けた。キラキラしたものに興味があるというより、ベルの声の温度が変わったのを感じ取っている顔だった。

 

チェレンが一歩進んでから振り返る。

 

「もう立ち止まるのか」

 

「だ、だって今のは仕方ないでしょ」

 

「まだ通りの入口だよ」

 

「でも気になるもん」

 

その言葉に、チェレンは呆れたようにため息をついた。だが本気で急かしているわけでもない。それはポカブの様子を見ると分かる。

 

ポカブはチェレンの足元で止まっていたが、苛立った様子はなく、むしろ少し前のめりで店先を見ていた。火の匂いでもするのか、あるいはベルたちの足が止まることで、チェレンの中の「予定通りじゃない」が少し顔を出しているのを感じているのかもしれない。

 

ポカブはそういう時、なぜか少し楽しそうになる。

 チェレンが完璧に整っていない時ほど、こいつは「それでも進めるだろ」と言いたげな顔をする。

 

シンがそれを見て、口元をゆるめた。

 

「ポカブ、お前ちょっと面白がってないか?」

 

ポカブは鼻を鳴らし、得意そうに胸を張った。

 

「……図星か」

 

「何が?」

 

チェレンが聞く。

 

「いや、なんでもない」

 

言ったところで、チェレンは分かっていない顔をした。だが、その脇でポカブは明らかに分かっている顔をしている。トレーナーより先に、ポケモンのほうが心の揺れを拾う時もあるのだ。

 

店先からようやく離れ、さらに通りを進む。

 

今度はトウヤが少しだけ足を止めた。

 

視線の先には、街路樹の上へ器用に登っているチラーミィの姿があった。素早く動き、葉の間を滑るように渡っていく。すぐに見えなくなったが、その身軽さにツタージャがぴくりと反応する。

 

ただし飛び出しはしない。

 

目だけで追い、尾をわずかに揺らす。

 興味はある。

 でもここは自分の縄張りでも戦場でもない。

 そういう判断まで含めて、ツタージャの沈着さだった。

 

「気になるか」

 

トウヤが低く言うと、ツタージャは一瞬だけ見上げてきた。

 

トウヤはそれ以上何も言わない。

 ただ、少しだけ歩く速度を落とす。

 

シンはそのやり取りを見て、やっぱり似てるなと思った。トウヤもツタージャも、強く「こうしろ」と押し付けない。その代わり、相手が何を見ているかはちゃんと気づいていて、必要なら歩幅だけで合わせる。

 

ベルがそれに気づいたらしく、小声で言った。

 

「トウヤ、今ちょっと優しかったね」

 

「は?」

 

「ツタージャに」

 

「いつも優しいだろ」

 

「自分で言うんだ」

 

ベルは笑った。ツタージャは少しだけそっぽを向いたが、その尾の揺れ方はわずかに落ち着いて見えた。

 

通りの角を曲がったところで、シンの足元のフシデがまた止まった。

 

今度は人の多さに怯えたわけではない。

 

目の前を、大きなタイヤのついた荷車が通ったのだ。重い音、揺れる荷物、見慣れない大きな影。フシデはとっさに低く身を構え、ミジュマルもその動きに引っ張られるように一歩前へ出た。

 

「大丈夫」

 

シンがすぐに声をかける。

 

「敵じゃない。通るだけ」

 

フシデはまだ完全には構えを解かなかった。だが、シンの声を聞いたあと、荷車からではなくシンのほうを見た。

 

その一瞬の視線に、シンは少しだけ驚く。

 

前はまず周囲を見て、自分で全部判断しようとしていた。

 今はそこに、シンの言葉を挟む余地ができている。

 

小さいけれど、大きな変化だ。

 

ミジュマルもそこで不用意に前へ出すぎない。

 フシデが怯えているのを分かっていて、その代わり「自分がいるから平気だぞ」と言いたげに少し胸を張る。

 やっぱり見栄っ張りだ。

 でも、その見栄が誰かを落ち着かせることもあるのだと、シンは思った。

 

「えらいな、二匹とも」

 

そう言うと、ミジュマルは当然だとばかりに鳴いた。フシデは無言のまま、少しだけシンの足元から離れる。今度は逃げではなく、自分で立つための半歩に見えた。

 

ようやく、ベルの念願だった屋台の並ぶ一角へ辿り着く。

 

焼いた生地の匂い、甘いソースの匂い、果物の匂い。ベルの顔が分かりやすく明るくなった。

 

「ここ、絶対なんか食べたい」

 

「さっきからそれしか言ってないな」

 

シンが笑う。

 

「だってほんとにおいしそうなんだもん」

 

ベルがそう言うと、ムンナもほんの少しだけ身を起こした。匂いに惹かれているのか、ベルの気持ちが上向いたのを感じたのかは分からない。ただ、さっきよりずっと表情が柔らかい。

 

チェレンは屋台の列を見て、どこが比較的早く買えそうかを考えている顔をしていた。ポカブはそんなチェレンの足元で、今度ははっきりと期待したように鼻先を上げている。火を使う食べ物の匂いに、完全に心を奪われていた。

 

「ポカブ、お前分かりやすすぎるな」

 

シンが言うと、ポカブはまったく隠す気なく鳴いた。

 

ベルが笑い出す。

 

「チェレンより素直」

 

「それ、僕に失礼じゃないか?」

 

「ちょっとだけ」

 

「ちょっとじゃないよ」

 

やり取りの横で、トウヤはすでに一番並びの短い屋台を見つけていた。ツタージャは屋台そのものより、そこへ集まっている人たちを観察している。新しいものへ食いつくより、まず全体を見る。やっぱりトウヤと似ている。

 

「じゃ、あそこ」

 

トウヤが言う。

 

「決めるの早っ」

 

「並ぶなら早いほうがいいだろ」

 

「それはそうだけど……」

 

ベルは言いつつも、もう顔が楽しそうだった。

 

屋台の前で待っているあいだ、ポケモンたちの様子も少しずつ違って見えてきた。

 

ムンナはベルの腕の中で、落ち着ける場所を知っている顔。

 ポカブは期待を隠さない顔。

 ツタージャはすました顔の裏で観察している顔。

 ミジュマルは先輩ぶった顔。

 フシデはまだ戸惑いながら、それでも少しずつ街の空気を飲み込もうとしている顔。

 

どの顔も、トレーナーに似ていて、でもちゃんと別の個性があった。

 

シンはそのことが、なんとなくうれしかった。

 

ヒウンは広い。

 たぶんここから先、もっとたくさんのものを見る。

 四人の目線も、ポケモンたちの興味も、少しずつ違う方向へ伸びていくかもしれない。

 

でも、だからこそ面白いのだと思えた。

 

「はい、お待ちどう」

 

屋台のおじさんから包みを受け取って、ベルがぱっと笑う。

 

「わ、あったかい」

 

その声にムンナが耳を動かす。ベルの嬉しさが、そのまま伝わっているみたいだった。

 

チェレンも自分の分を受け取り、熱さを確かめる。ポカブはその手元を見上げて、今にも飛びつきそうな勢いで鳴いた。

 

「駄目だよ、熱いから」

 

チェレンが言うと、ポカブは不満そうに鼻を鳴らす。けれど離れない。少し待てば自分にも何かあると分かっているのだろう。そのあたりの信頼は、長く一緒にいる相手らしかった。

 

シンは自分の包みを片手に、足元を見る。

 

ミジュマルが興味津々で、フシデは匂いの正体を測りかねている顔をしていた。

 

「街って忙しいな」

 

シンがぽつりと言う。

 

それに返事をしたのはベルだった。

 

「うん。でも、ちょっと楽しい」

 

怖さもある。疲れもある。人も多すぎる。

 それでも、楽しいと言えるくらいには、彼女の目も前を向いていた。

 

ムンナがその腕の中で静かに身じろぎする。

 それは、たぶん同意だった。

 

ヒウンの街はまだまだ広い。

 けれど四人とポケモンたちは、その広さの中で少しずつ、自分たちの居場所の作り方を覚え始めていた。

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