ヒウンシティは、立ってるだけで疲れる街だった。
人が多い。
音も多い。
見えるものまで多い。
中央広場の噴水のそばで立ち止まって、シンはまずそう思った。
水の音がしてるのに、それで静かになるわけじゃない。むしろ逆で、噴水の音の向こうから、靴音も、笑い声も、呼び込みも、荷車の軋む音も、全部まとめて流れ込んでくる。
「……すげえな」
口から出たのは、そんな当たり前の一言だった。
でも、それ以上の言葉はまだなかった。
足元でミジュマルが胸を張る。
こいつはこいつで、落ち着かないくせに平気な顔をしたがる。
「お前、ちょっと格好つけてるだろ」
シンが言うと、ミジュマルは「ミジュ」と短く鳴いた。
違う、というより、
“そう見えても別にいいけど”
みたいな鳴き方だった。
その横で、フシデは正直だった。
石畳の上で足を止め、触角を細かく揺らしている。
森とは全然違う。匂いも、地面の硬さも、流れてくる音も。
怖がってるわけじゃない。でも、警戒はしてる。
しかも、分からないからこそ、ちゃんと見てる。
「……さすがにここは落ち着かねえか」
しゃがんで声をかけると、フシデは返事のかわりに半歩だけシンの靴に寄った。
それだけで、ちょっと笑いそうになる。
分かりやすい。
でも、その分かりやすさが悪くなかった。
「すごいなあ……」
横でベルがまた言った。
もう何回目か分からない。
けど、それも仕方ないと思う。ベルの目はさっきから落ち着かない。花屋を見たと思ったら次は雑貨屋、その次は通りを走るコアルヒー、その次は屋台。視線がどこにも留まらない。
ムンナが、そんなベルの腕の中で少しだけ体重をかけ直した。
ベルがはっとして、腕の中を見る。
「……うん、ごめん」
ムンナは何も言わない。
ただ、ベルが自分のところへ意識を戻したと分かると、また静かに目を細めた。
ああいうの、すごいよな、とシンは思う。
言葉じゃないのに分かる。
しかも、ただ甘えてるんじゃなくて、ちゃんとベルを引き戻してる。
「ムンナ、ほんとよく見てるな」
シンが言うと、ベルは少し照れたように笑った。
「最近、わたしより先に分かってる時ある」
「それはお前が遅いだけじゃないか?」
「失礼だなあ」
むっとしたベルに、ミジュマルが横から「ミジュ」と鳴いた。
完全にシン側だった。
「ミジュマルまで!?」
ベルが抗議する。
ミジュマルは悪びれず胸を張る。
こいつ、ほんとに面白いくらい分かりやすい。
しかも今日は、フシデが見てるせいか、余計に先輩ぶってる気がする。
シンがそう思ってミジュマルを見ると、今度はミジュマルもフシデをちらっと見た。
フシデはまだ街に慣れていない。
でも、そのくせミジュマルの動きはちゃんと見てる。
この二匹、まだ仲がいいってほどじゃない。
でも、互いに気にしてるのは確かだった。
「で、どうする?」
シンは三人に向かって聞いた。
ヒウンは広い。
適当に歩いても面白いだろうけど、たぶん適当なだけじゃ終わらない街だ。
最初に答えたのはチェレンだった。
「一回、大通りを見て回りたい」
やっぱりな、と思う。
「いきなり店に入るより?」
ベルが聞く。
「うん。先に街の形を掴みたい」
チェレンは噴水の向こうを見た。
「どこへ人が流れてるか。通りがどう繋がってるか。どの辺が賑やかで、どこが落ち着いてるか。そういうのを見ておくと、あとで動きやすい」
「チェレンっぽいな」
シンが言うと、チェレンは少しだけ眉を動かした。
「君に言われると微妙だ」
「なんでだよ」
「君は君で、別のものを見てるだろ」
それは否定しづらかった。
シンは人を見る。
ポケモンも見る。
トレーナーがどう連れてるかとか、どのポケモンが街で落ち着いてるかとか、そういうのも気になる。
戦いに関係あるかないかで言えば、たぶん半々だ。
でも、見たものはたいてい後で残る。
「じゃあ、とりあえず歩くか」
トウヤが言った。
短い。
でも、それで決まるのがトウヤだった。
中央広場から大通りへ出る。
人の流れは広場より速い。道幅はあるのに、気を抜くと横から誰かが抜けていく。ベルはさっそく一回、人の流れに飲まれかけて、ムンナを抱え直しながら慌てて戻ってきた。
「だ、大丈夫か」
「大丈夫……たぶん」
「たぶんって言うなよ」
「だって、ほんとにちょっとすごいんだもん」
そう言うベルの声は、まだ少し上ずっている。
ムンナはそんなベルの腕の中で、体をぴたりと預けていた。
“ここにいろ”
って言ってるみたいだった。
シンの足元では、フシデもまた少し落ち着かない。
人が横を通るたびに触角が揺れる。
でも、逃げるほどじゃない。
そのたびにミジュマルがちょっと前に出るのが、またおかしかった。
「先輩ぶりすぎだろ、お前」
シンがぼそっと言うと、ミジュマルは聞こえないふりをした。
でも胸は張ったままだ。
大通りの右手には雑貨屋、左手には服屋、その先にはポケモングッズの店。ベルの目がまた忙しくなる。
「かわいい……」
次の瞬間には、
「え、あれなに」
その次には、
「ちょっと待って、すごいおいしそうなんだけど」
シンは笑いそうになる。
「忙しいな」
「だって仕方ないでしょ」
「分かるけど」
ほんとに、ヒウンはそういう街だった。
次から次に目を引くものがある。しかも、どれもベルの興味を引く方向が違う。
けど、そこでベルは前みたいにその場で止まりきらなかった。
立ち止まりそうになっても、ムンナの重みで一回戻る。
見たい顔はしてる。
でも、“今は歩く”のも自分で選べてる。
それを横で見て、シンは少し感心した。
変わったな、と思う。
大きくじゃなくて、ちゃんと使える方向に。
「ベル」
シンが言う。
「なに?」
「お前、前よりちょっとだけマシになったな」
「ちょっとだけって何!」
「いや、前なら今ので三回は完全停止してたろ」
「う……」
言い返せなくなったベルに、ムンナが腕の中で小さく鳴いた。
肯定なのか慰めなのか分からない、でも少しやさしい声だった。
「ムンナまでそっちなんだ……」
ベルが肩を落とす。
でも、その顔は少し笑っていた。
しばらく歩くうちに、自然と四人の足の止まる場所がずれ始めた。
トウヤは通りの先や角を気にする。
チェレンは案内板や建物の配置を見る。
ベルは店先や人だかりに引かれる。
シンは、ポケモン連れのトレーナーや小さなバトルの気配を探してしまう。
同じ道を歩いてるのに、見てるものが違う。
「……やっぱ、全然ちがうな」
シンがぽつりと言うと、チェレンが少しだけこちらを見た。
「何が?」
「見てるとこ」
シンは顎で前を示した。
「トウヤは流れ見てるし、ベルは店見てるし、チェレンは道見てる」
「君は?」
「……反応」
「反応?」
「人とかポケモンとか。どこで足止めるかとか、何に目が行くかとか」
自分で言ってから、ちょっと変なこと言ったかと思った。
でもチェレンは意外とすぐ頷いた。
「なるほどね」
「分かるのか?」
「君らしい」
短い返事だった。
その足元で、ポカブが鼻を鳴らした。
同意っぽい声だった。
「ポカブもそう思うか?」
シンが声をかけると、ポカブは得意げに胸を張る。
こいつもこいつで、チェレンのことをよく見てる。チェレンが頭の中で整理しはじめると、ポカブも落ち着く。逆に、考え込みすぎると足元から急かす。
人間より先に分かってること、絶対あるよな。
シンはそう思う。
通りをひとつ曲がったところで、小さなバトルの人だかりが見えた。
旅のトレーナー同士の軽い試合らしい。大げさではないが、ポケモンたちの反応はすぐ変わった。
ミジュマルが前のめりになる。
ポカブも鼻を鳴らす。
ツタージャはじっと見る。
ムンナはベルの気配を見る。
フシデは――ゆっくり、一歩前に出た。
シンはその動きに気づいた。
「見たいか」
フシデは答えない。
でも視線はバトルから外れない。
森で会った時からそうだった。
こいつは、ただ戦いたいだけじゃない。
ちゃんと見てる。覚えようとしてる。
その感じが、シンには少し分かる。
「シンと似てるね」
ベルが横で言った。
「すぐそう言うな」
「だって本当だもん」
ベルはムンナを抱いたまま笑う。
「シンも一回見て、次で変えるでしょ」
シンは少しだけ頭をかいた。
「……まあ、そうかもな」
ミジュマルはそんな会話の最中でも、試合の流れを見ていた。
こっちは覚えるというより、
“自分が出たらどうするか”
まで考えてる顔だ。
シンはその横顔を見て、また少し笑う。
「お前、ほんと分かりやすいな」
ミジュマルが振り向く。
不満そうだ。
でも否定はしない。
バトルが終わると、人だかりはすぐ散った。
ヒウンでは、小さな出来事は長く留まらない。次の流れがすぐ来る。
それを見ながら、シンは少し考えた。
この街、全部を四人で一緒に見ようとすると、たぶん薄くなる。
見たいものが違いすぎる。
トウヤは先を見たい。
チェレンは構造を見たい。
ベルは街の表情を見たい。
自分は反応と気配を見たい。
だったら。
「なあ」
シンが言うと、三人がこっちを見た。
「明日、少し分かれて見て回るの、ありじゃね?」
ベルが目を瞬く。
「別行動ってこと?」
「ずっとじゃなくて、半日くらい」
チェレンがすぐに引き取る。
「それは僕も考えてた」
「え、ほんとに?」
「うん。この街は、一緒に全部見るには広すぎる」
トウヤも短く頷いた。
「そのほうが早い」
ベルは少しだけ黙った。
嫌そうではない。
でも、即答できる感じでもなかった。
その腕の中で、ムンナがそっと体を預け直す。
ベルはそれで少しだけ息を吐いた。
「……午後には合流?」
「もちろん」
シンが答える。
「完全に散るわけじゃない」
「なら、いいかも」
ベルはゆっくり頷いた。
「たぶんわたし、一人で全部見ようとしたら絶対迷うし」
「そこは自信あるんだな」
「嫌な自信だけどね!」
ベルが言い返す。
ムンナが小さく鳴く。
今度のは、ちょっと笑ってるみたいに聞こえた。
シンも笑った。
ヒウンは広い。
人も多い。
見るものも多い。
でも、その多さの中で、自分たちがそれぞれ違うものを見てるって分かったのは、案外悪くなかった。
同じ道を歩いてるだけじゃ見えないことがある。
少し別れて、あとで持ち寄るほうが、たぶんこの街では面白い。
足元を見る。
ミジュマルはまだ少し偉そうで、フシデは相変わらず静かだ。
でも二匹とも、さっきより少しだけ広場の時より自然に、シンのそばにいる。
「お前らも、明日いろいろ見ることになりそうだな」
シンが言うと、ミジュマルが鳴き、フシデが触角を揺らした。
どっちも、たぶん悪くない返事だった。
ヒウンシティの夕方は、まだ始まったばかりだった。