BW素晴らしきイッシュ   作:もののふ教

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第45話 別々に歩く、同じ街

翌朝、ヒウンシティのポケモンセンターは、シッポウの朝とはまるで違う音で始まった。

 

人の出入りが早い。

 受付の前にはもう列ができていて、朝食をとるトレーナーたちの話し声が絶えない。窓の外を見れば、街はとっくに動き出しているらしく、通りを行き交う人影が途切れなかった。

 

シンはトレイの上のパンをひとつつまみながら、向かいの三人を見た。

 

「で、今日どうする?」

 

そう聞くと、チェレンが先に答えた。

 

「昨日の話通り、半日だけ別行動でいいと思う」

 

ベルはスープを持ったまま、少しだけ緊張した顔をする。

 

「ほんとにやるんだ」

 

「やってみたほうがいい」

 

トウヤが短く言う。

 

「ヒウンは広い」

 

「それは昨日でもうよく分かったけど……」

 

ベルはそこで言葉を切った。やりたくないわけではない。ただ、ほんの少し不安なのだろう。知らない街で別行動をする、という言葉の響きそのものに。

 

その腕の中で、ムンナがベルの肘に頬をつけた。

 

ベルがそれを見下ろして、少し笑う。

 

「……うん、まあ、やってみる」

 

「じゃあ組み方はどうする?」

 

シンが聞くと、トウヤは迷わず言った。

 

「俺とチェレン」

 

「即決だな」

 

「見たいものが近い」

 

なるほど、とシンは思う。

 

トウヤは街の流れとか、強そうな相手とか、中心になる場所を見たい。チェレンは街の構造やジム周辺、動きやすい導線を見たい。方向性は違っても、“街そのもの”を見たい点では確かに近い。

 

ベルがスプーンを置いた。

 

「じゃあ、わたしはシン?」

 

「消去法みたいに言うなよ」

 

「違うって。シンなら、途中でわたしが変なとこ行きそうでも引っ張ってくれそうだし」

 

「保護者扱いされてないか、俺」

 

「されてるかも」

 

ベルが正直に言うので、シンは思わず笑った。

 

ミジュマルが足元で「ミジュ」と鳴く。

 妙に偉そうな声だ。

 

「お前まで納得するな」

 

ミジュマルは胸を張った。たぶん、ベルと組むなら自分も気を張らなきゃいけないと思っている。そういうところがある。

 

その横でフシデは、テーブルの下からそれぞれの顔を見上げていた。まだ人の多いポケモンセンターに完全には慣れていない。でも昨日よりは落ち着いている。シンの足元とミジュマルの横、その二つの場所を行き来するのが、今のこいつの安心の取り方らしかった。

 

「じゃあ昼に中央広場集合で」

 

チェレンが言う。

 

「何かあったら無理せず戻る。それでいいね」

 

「うん」

 

ベルが頷く。

 

トウヤはもう話が終わった顔で立ち上がった。ツタージャもその動きに合わせて椅子の下から出てくる。チェレンのポカブは、朝食の匂いに少し名残惜しそうだったが、チェレンが動くとすぐについていった。

 

シンはその背中を見送りながら、小さく息を吐く。

 

ヒウンに入ってから、四人で固まってるのが当たり前みたいな感じがまだ少し残っていた。だから、半日だけとはいえ、分かれて歩くのは思っていたより新鮮だった。

 

「じゃ、行くか」

 

シンが立ち上がる。

 

ベルもムンナを抱え直して、その横に並んだ。

 

「うん。あ、でも」

 

「ん?」

 

「最初に、ちょっと見たいとこある」

 

「もうあるのかよ」

 

「あるよ」

 

ベルは少し得意げだった。

 

「昨日見つけた、ポケモン向けの雑貨屋さん」

 

「……いきなりベルっぽいな」

 

「でしょ」

 

そういうやりとりをしながら、二人と三匹はポケモンセンターを出た。

 

午前のヒウンは、昨日の午後より少しだけ色がやわらかかった。

 

通りにはまだ余裕がある。人は多いが、昼に向かって膨らみきる前の流れだ。店も全部が開いているわけではなく、シャッターを上げている最中のところもある。

 

ベルは昨日より少しだけ落ち着いていた。

 目移りは相変わらずする。

 でも、どこへ向かうか自分で決めているぶん、足がぶれない。

 

「こっち」

 

ベルが先に曲がる。

 

「ほんとに覚えてるんだな」

 

「昨日、ちゃんと見たもん」

 

そう言って案内された先には、小さなポケモン雑貨店があった。ショーウィンドウに並んでいるのは、首輪でもリボンでもなく、旅のポケモンが身につけられる軽い布飾りや、小物入れ、木の実を入れる小袋なんかだ。

 

ベルの顔がぱっと明るくなる。

 

「やっぱりここだ」

 

その声の温度が変わった瞬間、ムンナも腕の中で少しだけ力を抜いた。ベルが楽しそうだと、ムンナも安心する。最近は、それがだいぶ分かりやすい。

 

シンは店先に並ぶ小さな品物を見た。

 

正直、自分からこういう店に入ろうとは思わない。

 でも、よく見ると面白かった。

 布の色がポケモンによって違ったり、噛み癖のある子向けに縫い目が強くしてあったり、飛行ポケモン用の軽い素材が別に並んでいたりする。

 

「……ちゃんと考えて作ってるんだな」

 

シンが言うと、ベルが振り返る。

 

「でしょ?」

 

「いや、適当にかわいいだけかと思ってた」

 

「ひどい」

 

「でも、見たら分かった」

 

その返しに、ベルは少しだけ得意そうに笑った。

 

店の中へ入ると、ミジュマルがまずきょろきょろした。新しい場所ではだいたいそうだ。だが今日は、ベルとムンナが楽しそうにしているのを見ているせいか、少し落ち着いていた。

 

フシデは入口のところで一度止まる。外の道とは違う匂い。人の生活に近い布や木の匂い。狭い空間。初めてのものばかりだ。

 

シンがしゃがむ。

 

「無理なら外でもいいぞ」

 

フシデはしばらく動かなかったが、やがてミジュマルのあとを追うように中へ入った。

 

ミジュマルはその動きに気づいて、少しだけ歩幅を遅くする。

 待つ、というほど露骨じゃない。

 でも、“ついてこられるようにしている”感じがあった。

 

「お前、ほんと分かりやすい先輩だな」

 

シンが小声で言うと、ミジュマルはちらっとだけこっちを見た。

 否定したいけど否定しきれない顔だった。

 

ベルはムンナを抱いたまま、棚を一つずつ見て回っていた。

 

「ムンナ、これどうかな」

 

紫の小さな布飾りを見せる。

 

ムンナはじっと見るだけだ。嫌ではなさそう。でも飛びつくほどでもない。ベルは少し考え、今度は夜空色の細いリボンを手に取った。

 

その瞬間、ムンナの耳がぴくりと動く。

 

「……こっち?」

 

ベルの声がやわらかくなる。

 

ムンナは返事の代わりに、リボンの先へ鼻先を寄せた。

 

シンはその様子を見て、少し感心した。

 

「ちゃんと好みあるんだな」

 

「あるんだよ」

 

ベルは嬉しそうだった。

 

「ムンナ、派手すぎるのより、落ち着いたの好きかも」

 

ムンナはベルの腕に頭を預ける。

 “分かってるならそれでいい”

 とでも言うような、静かな仕草だった。

 

その横で、ミジュマルは別の棚にある小さな布巻きに気を取られていた。前足につける旅用の保護布らしい。シンが見ていることに気づくと、ミジュマルはすぐにそっぽを向いた。

 

「欲しいのか?」

 

ミジュマルは答えない。

 

「別に、そういうのも悪くないんじゃないか」

 

そう言うと、ミジュマルはちらっともう一度だけ見る。

 

シンは笑った。

 

こいつは見栄っ張りだ。

 でも、その見栄があるから頑張るし、ちょっと格好いいと思ったものを自分の強さに繋げようとする。そういうところは嫌いじゃない。

 

フシデはというと、雑貨そのものにはあまり興味がなさそうだった。ただ、店の中の空気には慣れようとしている。店員が近づいても逃げない。布の匂いを少し確かめ、足場を確かめ、置かれているものを見ている。

 

シンはそこに、戦いの時と同じ目を見た。

 

何でもすぐ好きになるわけじゃない。

 でも、知らないからって切り捨てない。

 ちゃんと見て、自分の中に入るかどうかを決める。

 

「お前って、ほんとそういうとこ真面目だよな」

 

フシデは振り向きはしなかったが、触角の先がわずかに揺れた。

 たぶん、聞こえている。

 

店を出たあとは、ベルの希望で木の実や軽食を扱う小さな市場通りへ向かった。

 

昨日の屋台通りより少し落ち着いていて、並ぶ品も観光客向けというより生活に近い。木の実、ポフィンの材料、旅用の乾燥食、ポケモンの好みに合わせた簡単なおやつ。ベルはその一つ一つを、ちゃんと“ポケモンと一緒に見る”感じで眺めていた。

 

「ベルって、こういうの好きなんだな」

 

シンが言う。

 

「うん」

 

ベルは素直に頷く。

 

「戦うのも大事だけど、それだけだと疲れちゃうから」

 

「自分が?」

 

「ポケモンも、わたしも」

 

その答えに、シンは少しだけ黙る。

 

たしかに、自分はそっちをあまり見てこなかったかもしれない。

 技とか、動きとか、勝ち方とか。

 そういうものは見る。

 でも、ポケモンが何を落ち着くと感じるか、何で嬉しくなるか、どこで安心するかは、ベルほど自然には見ていない。

 

ベルはムンナの前に、小さく砕いた甘い木の実を差し出した。

 

「これ、どう?」

 

ムンナはすぐには食べない。まず匂いを確かめる。それからベルを見る。ベルが笑っているのを確認して、ようやく小さく口をつけた。

 

そのあとで、ほんの少しだけ目を細める。

 

「……好きっぽい」

 

ベルが言う。

 

「今の分かるのか」

 

「分かるよ」

 

ベルは得意げではなく、当たり前みたいに答えた。

 

「嬉しい時、ちょっとだけ力抜けるもん」

 

その言葉に、シンはミジュマルとフシデを見た。

 

ミジュマルはこういう時、嬉しくても素直に出さない。むしろ偉そうになる。

 フシデはもっと分かりにくい。触角とか、距離の取り方とか、そういう細かいところに出る。

 

でも、出ていないわけじゃない。

 

「……ちゃんと見てるんだな、お前」

 

シンが言うと、ベルは少し照れたように笑った。

 

「見ないと分かんないから」

 

その返しが、妙にベルらしくて、シンは少しだけ笑った。

 

市場通りを抜けたところで、小さな人だかりができていた。

 

「なに?」

 

ベルが言いながら近づく。

 

そこにいたのは、大道芸をしているトレーナーと、そのポケモンだった。

 

細身の青年が、身振りだけで後ろのポケモンに合図を送る。ポケモンは小さく頷くみたいに動き、それからタイミングぴったりで飛び跳ね、台の上でくるりと回った。客が拍手すると、ポケモンは得意そうに胸を張る。青年は大げさには褒めない。ただ、目が合った時だけ、ほんの少し笑う。

 

それだけで十分伝わっていた。

 

「すご……」

 

ベルの声が自然に漏れる。

 

ムンナもその芸をじっと見ていた。

 でも、たぶん見ているのは技そのものじゃない。

 あの人とポケモンの間にある、目に見えにくい合図とか、呼吸とか、そういうものだ。

 

シンも同じことを考えていた。

 

戦いじゃない。

 でも、これも間違いなく積み重ねた結果だ。

 

ひとつの動きを揃えるまでに、何回もやったはずだ。失敗もしただろうし、合わなかった時期もあっただろう。それでも繰り返して、ようやく“黙っても通じる”ところまで来ている。

 

努力だ。

 しかも、見せるための努力。

 

「強さって、こういうのもあるんだな」

 

シンがぽつりと言う。

 

ベルが小さく頷く。

 

「うん。なんか、いいよね」

 

その声は、昨日のジム戦の時とは少し違っていた。

 強さを“勝てること”だけで見ていない声だった。

 

ムンナが、そんなベルの腕の中で静かに身じろぎした。

 嬉しいのか、安心したのか。

 そのどちらもある気がした。

 

その時だった。

 

ムンナの体が、ぴくりと強張った。

 

「……ムンナ?」

 

ベルがすぐに気づく。

 

さっきまで柔らかかった体が、急に少しだけ固くなる。耳が立ち、視線が人だかりの向こう側を向く。

 

シンもそちらを見た。

 

人は多い。すぐには誰か分からない。

 でも、ほんの一瞬だけ、こちらを見ていた視線があった気がした。

 

気のせいかもしれない。

 ただの通りすがりかもしれない。

 

けれど、ムンナの反応ははっきりしていた。

 

「……嫌な感じしたか?」

 

シンが低く聞く。

 

ムンナは答えない。ただ、今度はベルの胸元へ少しだけ深く身を寄せた。

 

ベルの顔が引き締まる。

 

「人多いから、かな」

 

「かもな」

 

シンはそう答えたが、心の中では少しだけ印をつけた。

 

フシデも、その時だけは大道芸より周囲を見ていた。触角が細かく揺れている。街にまだ慣れないなりに、“今のは少し違う”と感じたのかもしれない。

 

ミジュマルも、さっきまでの見物気分を引っ込めて、ベルとムンナの近くへ寄った。

 

ポケモンのほうが、こういう変化は早い。

 

「ベル」

 

シンが言う。

 

「ん?」

 

「少しだけ、戻るか」

 

ベルはすぐに頷いた。

 無理に「大丈夫」と言わないのは、前よりいい変化だった。

 

「うん」

 

その返事を聞いたムンナが、ほんの少しだけ力を抜く。

 ベルがちゃんと受け取ったのが分かったのだろう。

 

中央広場へ戻る途中、ベルはあまり喋らなかった。

 

怖がっているというより、考えている顔だった。

 ムンナの反応。

 大道芸人とポケモンの空気。

 街の楽しさと、その中に混じる嫌な感じ。

 

全部が一度に胸に残っているのだろう。

 

シンも無理には話しかけなかった。

 

代わりに、足元の二匹を見た。

 

ミジュマルは少しだけ前へ出て歩く。

 ベルの近くを通る人がいると、さりげなく位置を変える。

 完全に守るつもりになっている顔だった。

 

フシデはそんなミジュマルを見ながら、でもシンの足元からは離れすぎない。

 街の中ではまだ自分の知らないことが多い。

 だからこそ、見て覚えようとしている。

 その姿勢が、やっぱり自分に少し似ている気がした。

 

「……お前も気づいたか?」

 

シンが小さく言うと、フシデの触角が一度だけ揺れた。

 

気のせいじゃない。

 そう思うには十分だった。

 

中央広場へ戻ると、トウヤとチェレンはすでに来ていた。

 

トウヤは噴水の縁に腰をかけ、ツタージャと一緒に広場の先を見ている。チェレンはベンチに座っていて、ポカブがその足元で丸くなっていた。

 

ベルが少しだけほっとした顔をする。

 

「おかえり」

 

チェレンが言う。

 

「そっちはどうだった?」

 

「いろいろ見た」

 

シンが答える。

 

「ベルは雑貨屋と市場で満足してた」

 

「満足って言い方!」

 

「だってしてただろ」

 

「したけど!」

 

ベルが言い返す。

 けれど、その声が少し戻ってきていたので、シンは安心した。

 

トウヤがこちらを見る。

 

「何かあったか」

 

短い問いだった。

 

シンは一瞬だけベルを見た。ベルもこちらを見る。

 言うべきか迷ったが、黙って流す感じでもなかった。

 

「……ちょっとだけ、変な視線があったかも」

 

シンが言うと、チェレンの表情がすぐ変わる。

 

「誰に?」

 

「たぶん、ムンナ」

 

ベルが腕の中のムンナを見下ろす。

 ムンナは今は静かだった。

 でも、完全に忘れた顔ではない。

 

トウヤが立ち上がる。

 

「気づいたのは一回だけか」

 

「うん。でもムンナがはっきり嫌がった」

 

その答えに、トウヤもチェレンも軽くは流さなかった。

 

「分かった」

 

チェレンが静かに言う。

 

「明日以降、少し気をつけよう」

 

ベルは小さく頷いた。

 

昼の光が、広場の噴水に反射する。

 

ヒウンは広い。

 楽しいものも多い。

 でも、それだけじゃない。

 

ベルが見たもの。

 シンが気づいたもの。

 ムンナが先に感じたもの。

 

それぞれ違う見え方をしたものが、ここでひとつに重なる。

 

たぶん、それが今の自分たちの強さだった。

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