BW素晴らしきイッシュ   作:もののふ教

45 / 46
第46話 笑っていない声

朝のヒウンシティは、昨日よりもっと速かった。

 

ポケモンセンターを出た瞬間から、人の流れが途切れない。荷車を押す人、店を開ける人、通りを駆ける配達員。昨日はただ「広い」と思った街が、今日は「止まらない街」に見えた。

 

シンはその流れを目で追いながら、小さく息を吐く。

 

隣でミジュマルが胸を張るように立ち、足元ではフシデが地面を確かめるみたいに前脚を動かしていた。どちらも、もう昨日ほど落ち着かない様子ではない。ただ、完全に気を抜いているわけでもなかった。

 

「……昨日の視線、気のせいじゃなかったと思う」

 

シンが言うと、ベルがすぐに頷いた。

 

「うん。ムンナも、あのあとずっと落ち着かなかったの」

 

ベルの腕の中で、ムンナが小さく身を寄せる。怯えている、というよりは、嫌なものを思い出した時の顔だった。丸い身体を預けながらも、目だけはきちんと開いている。

 

チェレンは腕を組んだまま、通りの向こうへ視線を流した。

 

「だったら警戒は続けるべきだ。根拠が薄くても、ポケモンの反応は無視できない」

 

「でも、ずっと固まって歩くのも目立つよな」

 

トウヤが気楽そうに言って、けれどその目は笑っていなかった。

 

「見るなら、向こうも見る。こっちが警戒してるって悟られたくない」

 

「じゃあ、どうするの?」

 

ベルが訊く。

 

トウヤは少しだけ肩をすくめた。

 

「昨日と同じで、自然に動く。けど、今日は合流の場所と時間をもっと細かく決めとく」

 

「賛成だ」

 

チェレンが即答する。

 

「散開するなら、情報共有の精度が必要だ。怪しいものを見たら追うんじゃなくて、まず知らせる。単独で深入りしない」

 

言葉はいつも通り理屈っぽいのに、今のチェレンの声には前より熱があった。ベルもそれに気づいたのか、少しだけ目を丸くしてから、しっかり頷く。

 

「分かった。わたし、ちゃんと連絡する」

 

「おう」

 

トウヤが笑う。

 

「その“ちゃんと”が昨日より信用できるの、結構すごいよな」

 

「なによそれ」

 

「褒めてる」

 

ベルがむっとして、でも少しだけ嬉しそうに口を尖らせた。

 

そんなやり取りを横で聞きながら、シンは思う。

 

昨日までなら、ベルはたぶん「大丈夫かな」と自分で言っていた。今は違う。できるかどうかじゃなく、やるって顔をしている。

 

変わってきている。

 

ベルも。チェレンも。

 

たぶん、自分も。

 

中央広場に近づくにつれて、ムンナの身体が少しずつ固くなっていくのが分かった。

 

「……いるの?」

 

小さく訊くと、ムンナは返事の代わりみたいに、ぴくりと耳を動かした。

 

人は多い。笑い声もする。屋台の匂いも、道端の大道芸も、昨日と変わらないはずなのに、今日はどこか空気が薄い気がした。

 

「ベル」

 

隣のシンが足を止める。

 

「あれ」

 

視線の先には、揃いの白と黒の服を着た集団がいた。

 

人通りの多い一角で、ひとりの男が声を張っている。

 

「ポケモンは、道具ではありません! 人の都合で縛られるべき存在でもない!」

 

演説だった。

 

足を止めて聞いている人もいる。難しい顔で頷く大人もいれば、なんとなく面白そうに眺めている子どももいる。

 

言っていることだけを聞けば、間違っているようには思えなかった。

 

でも。

 

「……やだ」

 

ベルは無意識に呟いていた。

 

ムンナが怖がっているからじゃない。

 

自分でも分かるくらい、あの人たちの声が冷たかった。

 

優しいことを言っているのに、優しく聞こえない。

 

シンが小さく頷く。

 

「うん」

 

それだけだった。けれど、その短い返事で十分だった。

 

同じものを感じていると分かったから。

 

演説している男の後ろでは、別の団員らしき人物たちが、広場にいるトレーナーたちを見ていた。顔を見るんじゃない。連れているポケモンを見る目だ。

 

誰が強そうか。

 

誰が一人か。

 

誰なら狙えるか。

 

そんなふうに品定めしている目だった。

 

ベルの腕の中で、ムンナが小さく震える。

 

「大丈夫」

 

そう言って撫でると、ムンナはぴたりと額を押しつけてきた。甘えているんじゃない。警告している。気をつけて、と。

 

ベルは息を吸って、ゆっくり吐いた。

 

守られるだけじゃ、だめだ。

 

怖いなら、怖いまま見なきゃいけない。

 

演説の輪から少し離れた場所で、シンたちは自然に散った。

 

露骨に集まれば相手も警戒する。だから、距離だけ取る。

 

トウヤは反対側の通りへ回り込み、チェレンは少し高い段差のある場所から全体を見た。ベルはムンナを抱えたまま、人の流れに紛れて移動する。

 

シンはミジュマルとフシデを連れて、広場の端を歩いた。

 

その途中で、ひとりの団員が、母親とはぐれたらしい小さな男の子に声をかけるのが見えた。

 

「迷子かな? よければ案内しよう」

 

柔らかい声だった。

 

けれど男の視線は、男の子の足元にいるヨーテリーへ向いていた。

 

ヨーテリーは尻尾を振っていない。背を低くして、唸る寸前みたいに喉を鳴らしている。

 

シンの横で、ミジュマルの耳が立った。

 

フシデの触角も、ぴたりと前を向く。

 

「……シン」

 

少し離れた位置から、ベルが呼んだ。

 

それと同時に、トウヤが動いた。

 

「おーい」

 

あまりにも自然な声だった。

 

友達を見つけたみたいな調子で、トウヤがその男と子どもの間に入る。

 

「その子、向こうでお母さん探してたぞ」

 

男の目が、一瞬だけ細くなった。

 

「そうですか。私は親切で――」

 

「うん、分かる」

 

トウヤは笑ったまま言う。

 

「でも、うちのポケモンたちがさっきからお前のこと嫌ってる」

 

その場の空気が、すっと変わった。

 

言葉にできない違和感が、輪郭を持ったみたいだった。

 

男の子が不安そうにヨーテリーを抱き上げる。ヨーテリーは震えながらも、しっかりと男を睨んでいた。

 

次の瞬間、シンの後ろからチェレンの声が飛ぶ。

 

「ベル、その子を連れて離れて!」

 

「うん!」

 

ベルが即座に動く。迷いがなかった。男の子に目線を合わせ、しゃがんで手を差し出す。

 

「こっち。大丈夫、いっしょにお母さん探そ」

 

ムンナもベルの腕から身を乗り出し、男の子を安心させるみたいに小さく鳴いた。

 

男は舌打ちこそしなかったが、明らかに表情を変えた。

 

「……ずいぶん失礼ですね。私たちはポケモンの未来を考えているだけです」

 

「だったら」

 

チェレンが前に出る。

 

「怯えている子どもに近づく必要はない」

 

「怯えさせたのはそちらでしょう」

 

「違うね」

 

今度はトウヤの声だった。

 

「怯えたのは、最初からだ」

 

男は数秒だけ黙った。

 

その沈黙の短さで、シンは逆に確信した。言い逃れの言葉を探した時間じゃない。ここで揉める価値があるかを計算した時間だった。

 

やがて男は、薄く笑った。

 

「……覚えておきますよ。あなたたちのように、ポケモンを縛ることに慣れた人間の顔は」

 

そう言って身を翻す。

 

奥の演説集団も、いつの間にか散り始めていた。最初から長く留まる気はなかったのかもしれない。

 

「待て!」

 

チェレンが一歩踏み出す。

 

けれど、シンは反射的にその腕を掴んだ。

 

「追わない方がいい」

 

「なぜだ」

 

「向こう、逃げる足取りが軽すぎる。見られて困る場所まで案内する動きじゃない」

 

チェレンがシンを見る。

 

熱くなっていた目が、一瞬だけ冷えた。

 

「……なるほど」

 

「それに」

 

シンは通りの先を見る。

 

「たぶん、まだ街の中にいる」

 

フシデが低く身を伏せる。

 

怒っていた。普段より少しだけ前脚に力が入っていて、今すぐ追いたいのが分かる。ミジュマルも同じだった。剣みたいに貝を握って、鼻息を荒くしている。

 

でも、今は違う。

 

追う時じゃない。覚える時だ。

 

どんな顔で近づくのか。どんな時に距離を詰めるのか。どんな言葉で隙を作るのか。

 

シンはその全部を頭の中に置いていく。

 

次に会った時、見落とさないために。

 

「……腹が立つな」

 

それは、気づいた時には口から出ていた。

 

広場の喧騒は戻りつつある。助けた男の子も母親と合流し、ベルが何度も手を振られていた。ひとまず、大事にはならなかった。

 

それでも胸の奥に残るものは、消えない。

 

ポケモンのためだと口にしながら、あの連中はポケモンの怯えを利用しようとしていた。

 

理屈があるから正しいんじゃない。

 

正しそうに見える言葉で、人を騙そうとするやり方が、ひどく不快だった。

 

「チェレン」

 

ベルが呼ぶ。

 

振り向くと、ベルは少し緊張した顔のまま、それでも目を逸らさずに立っていた。

 

「さっき、ありがと」

 

「……僕は何も」

 

「ううん。言ってくれて助かった」

 

ベルは一度だけ息を整えてから続ける。

 

「怖かったけど、動けたの、みんながいたからだけじゃないの。昨日より、ちゃんと見ようって思えたから」

 

チェレンは言葉を返せなかった。

 

その変化を、自分はずっと近くで見てきたはずだった。なのに今、改めて突きつけられた気がした。

 

ベルはもう、守られるだけの位置にいない。

 

怖さごと前へ出ることを覚え始めている。

 

なら、自分も。

 

ただ正しいことを言うだけじゃ足りない。

 

必要な時に、熱を持って前へ出なければいけない。

 

「次は」

 

チェレンは、散っていった白黒の背中を見ながら言った。

 

「逃がさない」

 

隣でポカブが短く鳴いた。

 

低く、小さい声だった。けれどその声には、はっきりとした同意があった。

 

その日の夕方、四人はポケモンセンターへ戻る前に、広場の噴水近くで足を止めた。

 

昼の出来事のあと、みんな少しずつ口数が減っていた。疲れたというより、考えることが増えたからだと思う。

 

「ねえ」

 

ベルが最初に口を開く。

 

「あの人たち、また来ると思う?」

 

「来る」

 

トウヤが即答した。

 

「街の使い方がうまかった。場所も人の流れも分かってる動きだったし」

 

「一度きりの扇動ではないだろうね」

 

チェレンも頷く。

 

「目的が演説だけなら、ああいう探るような視線は必要ない」

 

シンは黙って聞きながら、フシデの背を撫でた。

 

フシデはまだ少し硬い。けれど逃げようとはしていない。警戒を解いていないだけだ。ミジュマルも膝の上で腕を組み、不満そうな顔のまま広場を見ていた。

 

「……じゃあ、待つ?」

 

ベルの問いに、シンは顔を上げた。

 

「待つだけじゃ足りないと思う」

 

「だよな」

 

トウヤがにやっと笑う。

 

「俺もそう思ってた」

 

「情報を集めるべきだ」

 

チェレンが言う。

 

「街の人間で、彼らの動きを追っている人物がいるかもしれない。ジム側が把握している可能性も高い」

 

その時だった。

 

「お、君たち」

 

聞き覚えのない、けれど妙に明るい声がした。

 

振り向くと、緑の髪を跳ねさせた青年が、通りの向こうからこちらへ歩いてくるところだった。派手な服装なのに、不思議と街の色に馴染んでいる。

 

けれどシンが最初に見たのは服でも笑顔でもなく、その目だった。

 

軽そうに見えて、きちんと周囲を見ている目。

 

「さっき広場で、変なのに絡まれてた子を助けてたろ?」

 

青年は四人を見回して、少しだけ口角を上げた。

 

「話、聞かせてくれないか。オレも、あいつらのこと探してる」

 

風が一度だけ強く吹いて、広場の喧騒を揺らした。

 

ミジュマルがすっと立ち上がる。

 

フシデの触角が、また前を向いた。

 

街の空気が、昼より少しだけはっきりした気がした。

 

何かが、動き出している。

 

シンはその青年を見返しながら、静かに頷いた。

 

たぶん、ここからだ。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。