BW素晴らしきイッシュ   作:もののふ教

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第50話 理屈の火

トウヤがバッジを受け取って戻ってきた時、ジムの空気はまだ少し熱を持っていた。

 

ツタージャは平然とした顔をしている。けれど、その足取りには勝ったあとの軽さがあった。トウヤもいつも通りに見えるのに、目だけは少しだけ明るい。

 

「ほい」

 

トウヤが見せるようにバッジを持ち上げる。

 

ベルが小さく声を上げた。

 

「ほんとに取っちゃった……」

 

「取るって言っただろ」

 

「そうだけど!」

 

ベルは嬉しそうに笑う。

 

その横で、チェレンは一歩だけ前へ出た。

 

何も急いでいるようには見えない。

 

でも、シンには分かる。

 

待っていたのだ。

 

トウヤの勝ち方を見て、自分の番が来るのを。

 

アーティはそんなチェレンを見て、楽しそうに目を細めた。

 

「次はキミだね」

 

「ああ」

 

チェレンは短く頷く。

 

「挑戦させてもらう」

 

「いい返事」

 

アーティはくるりと指を回した。

 

「さっきの子は、線を掴んで色を変える感じだった。でもキミは違うね。もっと、組み立てる目をしてる」

 

「そう見えるなら、たぶん間違っていない」

 

トウヤが後ろで吹き出す。

 

「そういう返し方するよなあ」

 

チェレンは無視した。

 

ただ、足元のポカブを一度だけ見下ろす。

 

ポカブも、いつもより静かだった。

 

落ち着いているというより、集中している顔だ。短い手足に力が入っていて、今すぐ前に出られる位置を保っている。

 

「ポカブ」

 

チェレンが呼ぶ。

 

ポカブが短く鳴いた。

 

それだけで十分だった。

 

チェレンは顔を上げる。

 

「いくよ」

 

その声は低い。

 

でも、迷いはなかった。

 

アーティの一匹目はホイーガだった。

 

丸く硬い体。転がるような速さ。さっきトウヤが相手取ったクルマユとも、イシズマイとも違う、勢いで押してくるタイプだ。

 

「ホイーガ、ころがるようにいくよ!」

 

開始と同時に、ホイーガが低く沈む。

 

シンの足元でフシデの触角がぴくりと揺れた。

 

似ているからだ。

 

同じ虫で、近い系統の動きがある。

 

「ポカブ、正面に立つな。左を切れ」

 

チェレンの声で、ポカブが真正面から半歩ずれる。

 

転がってくる勢いを、まっすぐ受けない位置だ。

 

「ひのこ!」

 

散る火が、ホイーガの進路の少し先へ落ちる。

 

当てるためじゃない。

 

通り道を狭めるための火だった。

 

ホイーガがほんの少し角度を変える。

 

その瞬間を、チェレンは見ていた。

 

「今だ、たいあたり!」

 

ポカブが横からぶつかる。

 

威力で止めるには足りない。

 

それでも十分だった。

 

まっすぐだった回転がわずかに流れる。

 

そこへもう一度、ひのこ。

 

今度は当たる。

 

ホイーガが身体を揺らし、勢いを切らす。

 

「へえ!」

 

アーティが笑う。

 

「正面から焼かないんだ!」

 

「相手の得意な形に付き合う理由はない」

 

チェレンは即答した。

 

「ポカブ、下がって距離を保て」

 

ポカブは追わない。

 

火の届くぎりぎりの位置で止まり、次の指示を待つ。

 

ホイーガが体勢を立て直す。

 

その目はまだ折れていない。

 

むしろ、押し返されたことで少し熱くなっていた。

 

「くるよ」

 

ベルが小さく言う。

 

その通りだった。

 

ホイーガが今度はさっきより低く、速く来る。

 

「ポカブ、動くな」

 

チェレンの声に、ベルが目を見開いた。

 

「えっ」

 

シンも、少しだけ息を止める。

 

止まるのか。

 

だがチェレンの目は動いていなかった。

 

「そのまま…… 今!」

 

ぎりぎりまで引きつけて、横へ一歩。

 

ポカブがかわした直後、チェレンの声が重なる。

 

「ひのこ、真横!」

 

至近距離。

 

避けきれない火が、ホイーガの側面を打つ。

 

直後に、たいあたり。

 

流れの止まった相手へ、短く、鋭く。

 

ホイーガは二度たたらを踏んで、そのまま崩れた。

 

「ホイーガ戦闘不能!」

 

ベルが息を吐く。

 

「すご……」

 

「止まったんじゃない」

 

シンが言う。

 

「止まって見せて、引きつけた」

 

「うん」

 

トウヤも笑う。

 

「チェレン、ああいう嫌なことするよな」

 

「褒めてるのか?」

 

「もちろん」

 

チェレンは振り返らなかった。

 

でも、その口元がほんの少しだけ動いたのを、シンは見た。

 

「いいねえ」

 

アーティが次のボールを構える。

 

「頭で作った線の上に、ちゃんとポカブが乗ってる」

 

出てきたのはイシズマイだった。

 

さっきトウヤも戦った相手だ。

 

ただし今度は、チェレンにとって明確にやりづらい相手でもある。

 

炎が通るとは限らない。

 

正面から押しきるにも、ポカブの体格では分が悪い。

 

チェレンの目が細くなる。

 

でも、迷いは見えない。

 

「ポカブ、距離は近すぎるな」

 

低い声。

 

独り言みたいなのに、ポカブはちゃんと聞いている。

 

「なら、足を動かさせる」

 

「イシズマイ、からにこもる!」

 

硬い音が鳴る。

 

守りを固める構え。

 

チェレンはすぐには打たない。

 

ポカブを動かし、円を描くように位置を変えさせる。

 

「待つんだ」

 

ベルが小さく呟く。

 

「待ってるね」

 

「必要だからだろう」

 

シンが返す。

 

チェレンは感情で急がない。

 

急ぎたい時ほど、順番を崩さない。

 

イシズマイが前へ出る。

 

踏み込みは遅くない。

 

でも重い。

 

曲がりにくい。

 

「右へ」

 

ポカブが動く。

 

「もう一歩」

 

イシズマイが追う。

 

「そこで、ひのこ」

 

火が、正面ではなく脚元へ散る。

 

直接倒すための火じゃない。

 

熱で、踏み込みを鈍らせる火だ。

 

イシズマイの足が、ほんの一瞬だけ止まる。

 

「たいあたり!」

 

横からぶつける。

 

効いているとは言い難い。

 

けれど、チェレンはそこで終わらせなかった。

 

「もう一回、同じ側じゃない。逆だ」

 

ポカブが回る。

 

さっき押した側とは反対へ。

 

イシズマイが向き直る。

 

その向き直りに、もう一拍ぶん遅れがある。

 

「ひのこ!」

 

今度は顔の前。

 

避けるために首が上がる。

 

「そこだ、たいあたり!」

 

低い位置が空いた一瞬を、ポカブが突く。

 

イシズマイの身体がわずかに浮く。

 

「……なるほど!」

 

アーティの目が光る。

 

「硬さを壊してるんじゃない。置き場所を崩してるんだ!」

 

チェレンは答えない。

 

ただ、もう次を見ていた。

 

「ポカブ、引け」

 

引く。

 

追わせる。

 

また火で止める。

 

正面の防御そのものを抜くのではなく、立ち方と踏ん張りを少しずつずらしていく。

 

シンはそれを見ながら思う。

 

チェレンの戦い方は、盤面を削る戦いだ。

 

大きくひっくり返すのではなく、相手が正しく立てる場所を奪っていく。

 

「今!」

 

最後のたいあたりが、イシズマイの肩口へ入る。

 

押し勝ったわけじゃない。

 

でも、もう踏ん張れない場所だった。

 

イシズマイが横倒しになる。

 

「イシズマイ戦闘不能!」

 

ベルが両手をぎゅっと握る。

 

「チェレン……!」

 

チェレンはまだ振り返らない。

 

ただ一度だけ、ポカブに向かって言った。

 

「いいよ」

 

短い言葉だった。

 

ポカブが、いつもより少し高い声で鳴く。

 

嬉しいのを隠せていない声だった。

 

そして最後に出てきたのは、ハハコモリだった。

 

葉の衣をまとった、完成された速さ。

 

トウヤのツタージャを追い詰めた相手だ。

 

ベルが息を止める。

 

シンも、自然と姿勢を正した。

 

ここが山場だ。

 

「ハハコモリ、いくよ!」

 

最初の踏み込みが速い。

 

ポカブが半歩遅れる。

 

掠めた一撃だけで、体勢が揺れる。

 

ポカブは踏みとどまるが、明らかに重い。

 

「っ……」

 

ベルの喉が鳴る。

 

チェレンは黙ったまま、ハハコモリの着地を見る。

 

もう一度来る。

 

そう判断したのだろう。

 

「ポカブ、下がるな。左だけ切れ」

 

逃がさない。

 

でも正面には立たない。

 

その半端にも見える位置で、ポカブが構える。

 

「危なくない?」

 

ベルが思わず言う。

 

「危ない」

 

シンは小さく答えた。

 

「でも、見ないといけないんだと思う」

 

ハハコモリが来る。

 

速い。

 

ポカブはぎりぎりでずらす。

 

避けきれない。

 

掠める。

 

痛い。

 

でも、その一回で終わらなかった。

 

チェレンの目が変わる。

 

「そうか」

 

ぽつりと落ちる声。

 

「外じゃなくて、通り過ぎるのか」

 

トウヤが笑う。

 

「掴んだな」

 

チェレンは返事をしない。

 

もう頭の中で組み上がっている。

 

「ポカブ、ひのこは置くな。点でいい」

 

細い火。

 

線ではなく、短く切る。

 

ハハコモリの進路を塞ぐほどじゃない。

 

でも、踏み込みの途中で目に入る場所へ置く火だ。

 

ハハコモリが、ほんの少しだけ角度を変える。

 

「今、たいあたり!」

 

ポカブがぶつかる。

 

浅い。

 

けれど、狙い通りに外側へ流した。

 

「もう一回、ひのこ!」

 

今度は追い火。

 

戻る先へ火を置く。

 

ハハコモリは避ける。

 

だが、その避け方までチェレンは見ていた。

 

「そこだ」

 

声は低い。

 

でも、熱がある。

 

「ポカブ!」

 

名前だけだった。

 

それだけで、ポカブが前へ出る。

 

命令じゃない。

 

信じて預ける呼び方だと、シンには分かった。

 

ポカブが低く潜り込み、もう一度たいあたりを入れる。

 

ハハコモリが後ろへ下がる。

 

それでも倒れない。

 

強い。

 

ちゃんと強い。

 

アーティが笑う。

 

「いいよ! でも、まだ足りない!」

 

次の一撃が来る。

 

今度は深い。

 

ポカブが真正面から受けて、膝をつく。

 

ベルが小さく息を呑んだ。

 

シンの隣でミジュマルも身を乗り出す。

 

ポカブは苦しそうだ。

 

けれど、目が消えていない。

 

まだ立つ気でいる。

 

チェレンは一歩だけ前へ出た。

 

「……ポカブ」

 

その声は、今までより少しだけ柔らかかった。

 

「ここで終わりたくないのは、僕だけじゃないだろう」

 

ポカブが顔を上げる。

 

短く、低く鳴いた。

 

怒っているみたいな声だった。

 

違う。

 

悔しいのだ。

 

まだ足りないことが。

 

ここで終わるのが。

 

「なら」

 

チェレンは息を吸う。

 

理屈だけじゃない。

 

でも、理屈を捨てるわけでもない。

 

見てきたものを全部、最後の一手に通す。

 

「一回でいい。正面をこじ開ける」

 

ベルが目を見開く。

 

トウヤも笑みを消す。

 

シンはポカブを見る。

 

正面から?

 

この相手に?

 

だがチェレンはもう決めていた。

 

「ひのこ!」

 

火が先に走る。

 

相手を止めるためじゃない。

 

視線を上げさせるため。

 

「そのまま!」

 

ポカブが前へ出る。

 

守りではなく、意地で進むみたいな踏み込みだった。

 

ハハコモリも迎え撃つ。

 

速さと、重さがぶつかる。

 

「いけ!」

 

チェレンの声が、初めてはっきりと熱を持った。

 

ポカブが叫ぶように鳴く。

 

その身体が光った。

 

ベルが息を呑む。

 

「え……」

 

シンの目の前で、ポカブの輪郭が伸びる。

 

身体つきが変わる。

 

火の色が、一瞬だけ太くなる。

 

進化だ。

 

眩しさが引いた時、そこに立っていたのは、チャオブーだった。

 

アーティが目を見開く。

 

「ここで来るか!」

 

チャオブーは止まらない。

 

進化の勢いをそのまま前へ変える。

 

「そのまま、たいあたり!」

 

いや、もうそれは、ただのたいあたりじゃなかった。

 

重さが違う。

 

押し込む力が違う。

 

真正面からぶつかり合って、今度は止まらなかったのはチャオブーの方だった。

 

ハハコモリが弾かれる。

 

体勢が崩れる。

 

そこへ、チェレンの次の声。

 

「ひのこ、正面!」

 

近い。

 

避けにくい。

 

進化したばかりの火が、真っ直ぐ通る。

 

ハハコモリが揺れ、そのまま膝を折った。

 

「ハハコモリ戦闘不能! よって勝者、チャレンジャー・チェレン!」

 

ベルが両手で口を押さえた。

 

「勝った……!」

 

トウヤが大きく息を吐く。

 

「マジか」

 

シンも、ようやく肩から力が抜けるのを感じる。

 

チェレンはその場で立ち尽くしたまま、進化したチャオブーを見ていた。

 

驚いているのは、たぶん本人も同じだった。

 

チャオブーが振り返る。

 

その目は少し誇らしげで、少しだけ不服そうでもある。

 

もっと早くこうなれた、という顔だ。

 

「……そうか」

 

チェレンがようやく呟く。

 

「君も、ここだと思ったんだね」

 

チャオブーが短く鳴く。

 

肯定だった。

 

シンはそのやり取りを見て思う。

 

チェレンの理屈は、ポケモンを縛るためのものじゃない。

 

隣に並んだ相手が、一番前へ出られる瞬間を選ぶための理屈に変わってきている。

 

だから最後に、ああやって熱を通せたのだ。

 

アーティは、悔しそうに笑っていた。

 

「まいったなあ……。キミ、きれいに組み立てるタイプかと思ったら、最後に一番熱い色を持ってくるんだ」

 

「……予定通りではなかったよ」

 

チェレンは正直に言った。

 

「でも、必要な一手だった」

 

「うん」

 

アーティは頷く。

 

「その子も、そう思ったんだろうね」

 

チャオブーが胸を張る。

 

進化したばかりなのに、もうそこにいることが当然みたいな顔だった。

 

ただ、その耳の先だけが少し赤い。

 

興奮と誇りが、まだ残っているのだ。

 

アーティがバッジを差し出す。

 

「ほら、インセクトバッジ。キミの色、確かに見せてもらったよ」

 

チェレンはそれを受け取り、一瞬だけ目を伏せた。

 

それから振り返る。

 

最初に視線が向いたのは、トウヤでもシンでもなく、ベルだった。

 

ベルは目を丸くしたまま、でもすぐに笑った。

 

「おめでとう、チェレン!」

 

その声に、チェレンの表情がほんの少しだけ和らぐ。

 

「ああ。ありがとう」

 

短い返事だった。

 

でも、その言い方は少しだけやわらかかった。

 

シンは、それをちゃんと見ておく。

 

ベルの言葉は、チェレンの中で前より確かに重くなっている。

 

それはたぶん、戦いの時だけじゃない。

 

次に前へ出る理由の一部にも、もうなっている。

 

トウヤが肩をすくめる。

 

「二人続けて取るとか、流れ良すぎだろ」

 

「君が先に作った流れだ」

 

チェレンが言う。

 

「利用させてもらった」

 

「素直じゃねえなあ」

 

「事実だよ」

 

シンはそのやり取りを聞きながら、ベルを見る。

 

ベルはムンナを抱き直していた。

 

緊張している。

 

でも、逃げたい顔ではない。

 

次は自分の番だと、ちゃんと受け止めている顔だった。

 

ムンナも静かに前を見ている。

 

怖がっていないわけじゃない。

 

けれど、その怖さから目を逸らしてもいない。

 

「ベル」

 

チェレンが呼ぶ。

 

ベルが顔を上げる。

 

「次は君だ」

 

それだけだった。

 

余計な励ましも、理屈もない。

 

けれど、ベルはしっかり頷いた。

 

「うん」

 

その返事は、前よりずっとまっすぐだった。

 

ジムの空気はまだ熱を残している。

 

トウヤの速さ。

 

チェレンの理屈と熱。

 

それを受けて、次はベルが前へ出る。

 

シンはミジュマルとフシデの気配を足元に感じながら、小さく息を吐いた。

 

積み上がっている。

 

一人ずつ勝ち抜いて、それぞれの戦い方が次へ渡されている。

 

だから、ベルもたぶん一人じゃない。

 

この流れの中で、自分の怖さごと前へ出られる。

 

そう思えた。

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