BW素晴らしきイッシュ   作:もののふ教

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第5話 声にならないもの

ポケモンセンターの自動扉が開いたとき、シンはようやく肩の奥に入っていた力が少し抜けるのを感じた。

 

昼の明るさはまだ残っているのに、広場でNと向かい合っていた時間だけ、妙に長く伸びていた気がする。町に入った直後よりも、同じ景色が少しだけ違って見えた。

 

受付の前では、何人かのトレーナーが順番を待っていた。

 

旅慣れていそうな年上もいれば、自分たちと同じくらいか、それより少し幼い子どももいる。みんな疲れた顔や緊張した顔をしていたが、それでもここに来れば何とかなると信じているような空気があった。

 

ベルが自分のミジュマルを抱えたまま、小さく息をつく。

 

「なんか、急にどっときた……」

 

「さっきまで気を張ってたんだろ」

 

トウヤが言った。

 

「緊張って、抜けると一気にくるし」

 

「ベルはもともとよく喋るぶん、静かになると分かりやすいよね」

 

チェレンがそう言うと、ベルはむっとした顔をした。

 

「それ、褒めてないよね」

 

「観察しただけだよ」

 

「その言い方がもう褒めてないの」

 

言い返しながらも、ベルの声にはいつもの勢いが少し戻っていた。

 

シンはミジュマルを預けながら、ちらりと相棒の肩を見た。

 

さっきチョロネコの爪がかすった跡は、思っていたより浅かった。大きな怪我ではない。それでも、自分の指示が半歩遅れたせいで入った傷なのだと思うと、妙に目についた。

 

「どうかしましたか?」

 

ジョーイがやわらかく聞いてくる。

 

シンは一瞬だけ視線を上げ、それから首を振った。

 

「……お願いします」

 

「お任せください」

 

モンスターボールを機械に預けると、赤いランプが静かに点った。

 

傷を治すのは機械の仕事だ。

 

けれど、あの一瞬のズレまで消えるわけではない。

 

そこに引っかかっている自分がいることを、シンは少しだけ面倒に思い、少しだけ安心もした。何も感じなくなるよりは、そのほうがたぶんましだ。

 

回復を待つあいだ、四人は窓際の席に腰を落ち着けた。

 

昼のセンターは人の出入りが多い。ドアが開くたびに外の風が薄く入りこみ、そのたびに町の匂いも少しだけ混じる。落ち着く場所なのに、完全に外と切れているわけではない。旅の途中の休憩地点という感じが、そういうところにもあった。

 

ベルはテーブルに頬杖をつき、しばらくぼんやりしてから言った。

 

「ねえ、あのNってさ」

 

誰もすぐには返さない。

 

でも、聞いていないわけでもなかった。

 

ベルはそれを確かめるみたいに、三人の顔を順に見た。

 

「ほんとに、ポケモンの声が聞こえるのかな」

 

トウヤが先に口を開いた。

 

「全部そのまま受け取る気にはなれないけど、嘘ついてる感じもしなかった」

 

「それは僕も思う」

 

チェレンが頷く。

 

「少なくとも、適当に相手を煙に巻くタイプじゃない。自分の見えてるものを、そのまま信じてる」

 

「それがいちばん厄介なんだよな」

 

シンがぽつりとこぼすと、三人がこちらを見る。

 

自分でも、思っていたより素直に口に出たと思った。

 

「嘘ついてるやつなら、もっと分かりやすく腹立つだろ」

 

「……わかるかも」

 

ベルが小さく言う。

 

「本気で言ってるから、変に残るっていうか」

 

シンはテーブルの上の自分の指先を見た。

 

Nの言葉は、全部が気に食わなかったわけじゃない。

 

気に食わないのに、完全には捨てられない。

 

だから余計に引っかかる。

 

「お前、結構気にしてるよな」

 

トウヤの声は軽いが、見方は鋭い。

 

シンは少しだけ眉を寄せた。

 

「そりゃ、あれだけ勝手に言われたらな」

 

「そこだけ?」

 

「……何が言いたいんだよ」

 

「別に」

 

トウヤは笑った。

 

「でも、気に食わないだけなら、さっきみたいな顔しないだろ」

 

それ以上は言わない。

 

言わないくせに、妙なところだけ拾っていく。

 

シンは視線をそらしたが、トウヤも追及はしなかった。

 

代わりにチェレンが静かに口を開く。

 

「Nが何を聞いていたのかは分からない。でも、僕たちがポケモンをどう見ているかは、これから何度でも問われるだろうね」

 

「問われるって……そんな大げさな」

 

ベルが言いかける。

 

「大げさじゃないよ」

 

チェレンの声は強くなかったが、いつもより少し硬かった。

 

「旅に出るってことは、ポケモンを連れて進むってことだろ。戦わせる場面だって増えるし、無理をさせることもあるかもしれない。だからこそ、自分がどう考えてるかを持ってないと、誰かに揺さぶられたときに全部持っていかれる」

 

ベルが口を閉じる。

 

たぶん、分かっていないわけではないのだろう。

 

ただ、言葉にされると急に重くなる。

 

シンも似たようなものだった。

 

旅は楽しいだけでは終わらないのだと、今日だけで何度も思わされた気がする。

 

それでも、楽しくなくなったわけじゃない。

 

むしろ、面倒なものまで込みで、旅は思っていたより濃いのかもしれないと感じている自分もいた。

 

ミジュマルたちが戻ってきたのは、その少しあとだった。

 

回復装置のランプが消え、ジョーイがそれぞれのボールを返してくれる。

 

シンはすぐにミジュマルを出した。

 

相棒は元気な顔で飛び出してきて、何事もなかったみたいに広いロビーを見回したあと、すぐにシンの足もとへ戻ってくる。

 

その肩に、もう傷らしい傷は残っていなかった。

 

「……よかった」

 

思わずこぼれた声は、誰に聞かせるでもないものだった。

 

ミジュマルは一瞬だけこちらを見上げ、それから胸を張る。

 

大丈夫だ、と態度で言っているようだった。

 

その顔を見て、シンは少しだけ肩の力を抜いた。

 

ベルがその様子に気づいたらしく、ふっと笑う。

 

「なんだかんだ、すごく気にしてたんだね」

 

「悪いかよ」

 

「悪くないよ」

 

ベルは首を振った。

 

「むしろ、ちょっと安心した」

 

「何が」

 

「ちゃんと相棒って感じで」

 

その言い方は軽いのに、変に否定しづらかった。

 

シンは返事の代わりにミジュマルの頭を軽く叩く。

 

相棒は少しだけ不服そうに眉を寄せたあと、でも特に嫌がりはしなかった。

 

ポケモンセンターを出ると、町の空気は昼から夕方へ移りかけていた。

 

光が少しだけ柔らかくなり、家々の影が長く伸び始めている。腹も減っていたし、少し休んだことで逆に身体の重さが分かるようにもなっていた。

 

「今日はこの町に泊まるんだよね?」

 

ベルが確認する。

 

「そのつもりだったけど」

 

トウヤが空を見る。

 

「もう少し町の中、見て回るか?」

 

「見たい」

 

ベルは即答した。

 

「せっかく来たんだし」

 

「君は疲れてたんじゃなかったの?」

 

チェレンが言う。

 

「疲れてるけど、見たいものは見たいの」

 

「その理屈で動くから無茶するんだよ」

 

「してないもん」

 

「今日だけで何回かしてた」

 

そんなやり取りを聞きながら、四人はセンターの前の通りへ出た。

 

広場の方角からはまだ人の話し声がする。プラズマ団の一団はもう姿が見えなかったが、演説の名残なのか、何人かが立ち話をしているのが遠目にもわかった。

 

さっきまでなら気になって、そちらへ意識が引っぱられていたかもしれない。

 

けれど、いまのシンの感覚は少し違っていた。

 

気になることは気になる。

 

ただ、それに全部持っていかれるわけでもない。

 

町には町の流れがあって、自分たちの一日はまだその途中だ。

 

「……ん?」

 

ベルが足を止めた。

 

通りの先、広場とは反対の細道のほうで、小さな泣き声がした。

 

最初は子どもかと思ったが、よく聞けば子どもの声と、それに混じる高い鳴き声がある。

 

四人が顔を見合わせる。

 

「行ってみる?」

 

トウヤが言う。

 

「行くだろ」

 

シンが答えると、チェレンが「だろうね」と小さく息をついた。

 

細道の先には、小さな女の子がひとりでしゃがみこんでいた。

 

年は自分たちよりずっと下だろう。目を真っ赤にして、膝を抱えるようにしている。その横には、手のひらに乗るほどの小さなポケモン――チョロネコよりもさらに小さな、ピンク色の体をしたポケモンが、困ったようにうろうろしていた。

 

「あの……どうしたの?」

 

ベルがしゃがみこみ、目線を合わせる。

 

女の子は顔を上げるなり、泣きじゃくりながら言った。

 

「ヨーテリーが、いなくなっちゃったの……!」

 

「いなくなった?」

 

チェレンが繰り返す。

 

女の子は何度も頷いた。

 

広場にプラズマ団が来ていて、人がいっぱい集まって、それで少し目を離した隙に、連れていたヨーテリーがびっくりして走って行ってしまったらしい。追いかけようとしたけれど、人が多くて見失ったのだという。

 

「お兄ちゃんたち、見てない?」

 

「ごめん、見てないな」

 

トウヤが答える。

 

「どっちに行ったかは分かる?」

 

女の子は唇を震わせながら、通りの奥を指さした。

 

「たぶん……あっち」

 

シンはその先を見た。

 

町外れへ向かう細道だ。人通りは少なくなるが、路地や空き地が多く、臆病になったポケモンが身を隠すにはちょうどいい。

 

「探そう」

 

ベルがすぐに言う。

 

「ひとりじゃ不安だし」

 

「そうだね」

 

トウヤも頷く。

 

チェレンは女の子の服や足もとを見てから、静かに言った。

 

「名前は?」

 

「……ミオ」

 

「分かった、ミオ。まず泣くのを少し止めよう。ヨーテリーがどんな子か、ちゃんと聞いたほうが探しやすい」

 

その言い方は落ち着いていて、思っていたよりやわらかかった。

 

ミオも少しだけ呼吸を整え、ぽつぽつと話し始める。

 

ヨーテリーはまだ小さくて、元気だけど知らない人混みは少し苦手なこと。首輪は赤。呼ぶとすぐ来ることが多いけれど、怖がると物陰へ隠れてしまうこと。音に敏感で、大きな声がすると余計に逃げること。

 

シンはそれを聞きながら、広場の方角を一度だけ振り返った。

 

プラズマ団の演説。

 

人の多さ。

 

大きな声。

 

あの空気に飲まれて逃げ出したのだとしたら、たしかにあり得る話だった。

 

「二手に分かれる?」

 

ベルが言う。

 

「いや、広く散るより、まずは気配を追ったほうが早いかも」

 

トウヤが地面へ目を落とす。

 

「新しい足跡が混じってる。小型のヨーテリーっぽいの、こっちへ行ってるな」

 

「本当に分かるの?」

 

ベルが目を丸くする。

 

「たぶん。確実とは言わないけど」

 

トウヤはそう言いながらも、かなり自信がありそうだった。

 

シンもしゃがみこみ、足もとを見る。

 

土の柔らかい場所には、小さな足跡がいくつか残っていた。人の靴跡に重なって見づらいが、たしかに犬型のポケモンらしい印が奥へ続いている。

 

「行こう」

 

四人と四匹、そしてミオは細道の奥へ進んだ。

 

町外れのこのあたりは、表通りよりずっと静かだ。物置小屋の並ぶ空き地、使われていない木箱、古い柵。人目につきにくい場所が多い。怖がって隠れたヨーテリーが、どこかに潜んでいてもおかしくなかった。

 

ベルはときどき「ヨーテリーー」と呼びかけそうになっては、チェレンに止められた。

 

「大声は逆効果かもしれない」

 

「わかってるけど、何も言わないと余計不安になる」

 

「ミオが怖がる」

 

「……それもそうだけど」

 

ベルは唇を結び、今度はミオの手をそっと握った。

 

「大丈夫。絶対見つけるから」

 

言い切るような言葉だった。

 

根拠があるわけじゃない。けれど、そう言われると少しだけ信じたくなる声をしていた。

 

シンはその横顔をちらりと見て、何も言わなかった。

 

ベルは勢いだけのやつではある。

 

でも、こういうときにまっすぐ他人へ手を伸ばせるのは、たぶんベルの強さなのだろう。

 

「止まって」

 

トウヤが急に足を止めた。

 

その声に全員の動きが止まる。

 

少し先の、木箱が積まれた陰。

 

そこから、かすかな鼻息みたいな音がした。

 

耳を澄ますと、布が擦れるような小さな物音も混じっている。

 

ミオが息を呑む。

 

「……ヨーテリー?」

 

返事はない。

 

でも、気配はたしかにある。

 

「驚かせないほうがいいね」

 

チェレンが低く言う。

 

「無理に近づくと逃げるかもしれない」

 

「じゃあどうする?」

 

ベルが聞く。

 

そのとき、シンの足もとでミジュマルが小さく動いた。

 

箱の陰をじっと見ている。

 

飛び出したいわけではないらしい。ただ、気になっているのが伝わってきた。

 

「ミジュマル」

 

シンはしゃがみこみ、小声で呼ぶ。

 

「静かに行けるか」

 

ミジュマルがこちらを見る。

 

普段なら“行けるか”と聞く前に動きそうなやつだ。けれど、いまの声の調子が違うのは伝わったらしい。少しだけ首を傾げ、それから静かに頷くように鳴いた。

 

Nの言葉が、不意に頭をかすめた。

 

急ぐ速さが同じじゃない。

 

腹立たしいほど残るその一言を、シンは意識して振り払わなかった。

 

むしろ、いまは使える形に変えたほうがいい。

 

ミジュマルは勢いのあるやつだ。

 

でも、勢いしかないわけじゃない。

 

「箱の向こうを見てこい。脅かすなよ」

 

小さく指示すると、ミジュマルは石ころひとつ鳴らさないみたいな慎重さで進んだ。

 

ベルが目を丸くする。

 

「すご……静か」

 

「やればできるんだよ、たぶん」

 

シンも少し意外だった。

 

相棒は木箱の陰へ回りこみ、しばらくそのまま動かなかった。

 

やがて、陰の奥から小さく「クゥン」と鳴き声がした。

 

ミオの顔がぱっと上がる。

 

「ヨーテリー!」

 

けれど、飛び出していこうとしたミオを、ベルがあわてて止めた。

 

「待って。いま行くとまたびっくりするかも」

 

木箱の隙間から、ふさふさした耳が見えた。

 

赤い首輪も見える。

 

たしかにヨーテリーだ。

 

でも、こちらへ出てこない。

 

ミジュマルが少し距離を取って座りこみ、視線だけを向けている。追い立てるでもなく、近づきすぎるでもなく、不思議とちょうどいい位置だった。

 

「怖がってるな」

 

トウヤが小さく言う。

 

「人の気配がまだ抜けてない」

 

「ミオ」

 

チェレンが静かに呼ぶ。

 

「いつもその子を呼ぶとき、どんなふうに呼んでる?」

 

「え……?」

 

「言葉でもいいし、いつも持ってるものでもいい」

 

ミオは少し考え、それから慌てて肩から下げた小さな袋を開いた。

 

中から布切れのようなものを取り出す。

 

「これ……お昼寝するとき、いつも使ってるやつ」

 

ヨーテリーの匂いがついているのかもしれない。

 

チェレンが頷く。

 

「それを見えるところに置いて、いつもの声で呼んでみて」

 

ミオは怖がりながらも、言われた通り木箱の少し手前に布を置いた。

 

そして、泣きそうな声をこらえながら呼ぶ。

 

「ヨーテリー……だいじょうぶだよ」

 

返事はすぐにはなかった。

 

でも、耳がぴくりと動く。

 

ミジュマルがその変化に気づいたのか、ほんの少しだけ後ろへ下がった。

 

無理に出させる気はない、という態度に見えた。

 

その瞬間、シンはわずかに息を呑んだ。

 

こいつ、ちゃんと分かって動いてる。

 

いつも勢いのほうが目立つのに、必要なときはちゃんと抑えられる。そのことが少し嬉しかった。

 

ヨーテリーが恐る恐る顔を出した。

 

目がまだ怯えている。

 

けれど、布の匂いを嗅ぎ、ミオの声を聞き、少しずつこちらへにじり寄ってくる。

 

「そのまま」

 

ベルが小声で囁く。

 

ミオは必死で頷いた。

 

「だいじょうぶ……もう、こわくないよ」

 

ヨーテリーはしばらく迷うように足を止め、それからようやくミオの胸に飛びこんだ。

 

ミオが泣きながら抱きしめる。

 

「よかった……よかったぁ……」

 

ベルがほっと息を吐き、トウヤも肩の力を抜いた。

 

チェレンは「無事でよかった」とだけ言ったが、その声はいつもより少しやわらかかった。

 

シンは木箱の陰から戻ってきたミジュマルを見下ろす。

 

相棒は何でもない顔をしていたが、少しだけ得意そうにも見えた。

 

「……ありがとな」

 

小さく言うと、ミジュマルは一瞬だけこちらを見て、それからふんと鼻を鳴らす。

 

照れたのか、当然だと思っているのか、その両方かもしれなかった。

 

ミオは何度も頭を下げた。

 

「ありがとう、お兄ちゃんたち……!」

 

「お礼はいいよ」

 

ベルが笑う。

 

「見つかってよかった」

 

「でも、もう人が多いところでは目を離さないこと」

 

チェレンが付け加える。

 

「今日はたまたま近くにいたからよかったけど、毎回こうとは限らない」

 

ミオはこくこく頷き、ヨーテリーを抱えなおした。

 

その様子を見て、シンはふと広場の方向を思い出した。

 

プラズマ団の演説。

 

人の言葉。

 

大きな声。

 

それで怯えて逃げたヨーテリー。

 

人間の都合に振り回されたと言えば、たしかにそうかもしれない。

 

でも、だからそこで終わりじゃない。

 

探して、呼びかけて、匂いを頼りに戻して、落ち着くまで待つ。

 

そういうのもまた、人とポケモンの関わり方のひとつだ。

 

Nが言っていた“声”が本当に聞こえるのかは分からない。

 

けれど、耳を澄ませなくても、ちゃんと見ようとすれば分かることはある。

 

それをNだけの特別な力みたいに言われるのは、やっぱり少し違う気がした。

 

「シン?」

 

トウヤに呼ばれ、顔を上げる。

 

「また考えてる」

 

「別に」

 

「その“別に”のときはだいたい何かあるよね」

 

ベルまで乗ってきたので、シンは少しだけ顔をしかめた。

 

「お前ら、さっきからそこ拾いすぎだろ」

 

「分かりやすいから」

 

チェレンが平然と言う。

 

「納得いってない顔してる」

 

「……まあ、いってないけど」

 

言ってしまってから、少しだけ楽になった。

 

四人で町へ戻る道すがら、夕方の光が建物の壁をやわらかく染めていた。

 

ミオは家の近くまで送ると、また何度も礼を言って別れていった。

 

残った四人と四匹で、通りをゆっくり歩く。

 

少し前まで広場で感じていた張りつめた空気は、だいぶ薄れていた。

 

でも、完全に消えたわけではない。

 

「ねえ」

 

ベルが歩きながら言う。

 

「さっきの、ちょっと思ったんだけど」

 

「何?」

 

トウヤが聞く。

 

「Nが言ってたこと、全部変だとは思わない。でも、だからってNだけがポケモンのこと分かってるみたいなのは違うよね」

 

チェレンが目を動かす。

 

「そうだね」

 

「わたし、ちゃんと聞こえるとかは分からないけど……でも、ミオちゃんが呼んだときに、ヨーテリーが安心したのは分かったもん」

 

ベルの言葉はいつもより少し慎重だった。

 

それでも、感覚で終わらせずに言おうとしているのが伝わった。

 

「シンのミジュマルだって、さっき、ただ言うこと聞いたんじゃなくて……なんか、ちゃんと自分で分かって動いてた気がしたし」

 

その言葉に、シンは足もとの相棒を見た。

 

ミジュマルはもう次の匂いに気を取られているらしく、通りの端をきょろきょろしていた。

 

ほんとうに落ち着きがない。

 

でも、さっきの箱の陰では、たしかにただ勢いだけでは動いていなかった。

 

「……そうだな」

 

シンが短く答えると、ベルは少しだけ嬉しそうに笑った。

 

「でしょ」

 

「でも、まだ噛み合いきってるわけじゃない」

 

口に出してみると、不思議とそこまで重い言葉にはならなかった。

 

認めるのが嫌だったはずなのに、いまは前よりも少しだけ自然に言える。

 

「それでいいんじゃない?」

 

トウヤが言う。

 

「最初から全部ぴったり合ってるほうが変だろ」

 

「トウヤはそういうこと、さらっと言うよね」

 

ベルが呟く。

 

「でもたしかにそうかも」

 

「むしろ、合ってないところがどこか分かってるだけ、いいんじゃないかな」

 

チェレンも静かに続けた。

 

「問題は、そこで止まるか、合わせようとするかだよ」

 

シンはそれに返事をしなかった。

 

でも、さっき箱の陰でミジュマルが見せた動きを思い返すと、少なくとも自分だけが何かを決めるわけではないのだろうと思えた。

 

合わせるのは一方通行じゃない。

 

こっちが合わせる場面もあれば、向こうが寄せてくる場面もある。

 

たぶん、旅の中で少しずつそうなっていく。

 

ポケモンセンターへ戻るころには、空はもう夕方の色へ傾いていた。

 

食堂の明かりがつき始め、外から入ってくる旅人の姿も増える。四人はそのまま夕食を取り、部屋の振り分けを決め、ようやく腰を落ち着けた。

 

ベッドに腰かけた瞬間、身体の疲れが一気に上がってくる。

 

今日は朝にカノコタウンを出て、一番道路を越えて、カラクサタウンに着いて、Nと戦って、ヨーテリーを探した。

 

一日分としては、少し多すぎる気もする。

 

「今日、濃すぎない?」

 

ベルがベッドへ倒れ込みながら言った。

 

「まだ一日目だよね?」

 

「一日目だからでしょ」

 

トウヤが笑う。

 

「たぶん、明日からも毎日こんな感じじゃないと思う」

 

「そうであってほしい……」

 

「でも、お前そのぶん楽しんでただろ」

 

シンが言うと、ベルは顔だけこちらへ向けた。

 

「……うん」

 

それはすぐに返ってきた。

 

「疲れたけど、ちゃんと楽しかった」

 

その返事に、シンは少しだけ目を細める。

 

自分もたぶん同じだった。

 

楽しいだけではない。

 

でも、面倒なことや引っかかることまで含めて、昨日までより世界が広くなっている感じがする。

 

それを嫌だとは思わなかった。

 

チェレンが部屋の明かりを少し落としながら言う。

 

「明日は二番道路を抜けて、サンヨウシティ方面だ。今日はちゃんと寝たほうがいい」

 

「はいはい、優等生」

 

ベルが言う。

 

「その言い方だと君が不真面目みたいだよ」

 

「みたい、じゃなくてそうだよね」

 

トウヤが挟むと、ベルが枕を投げつけた。

 

笑いが起きる。

 

その軽さが、さっきまでの広場の空気をようやく遠ざけていく。

 

シンはベッドへ横になり、天井を見上げた。

 

今日一日のことが、断片みたいに頭を流れていく。

 

研究所を出た朝の光。

 

一番道路の風。

 

ミジュマルの最初のぶつかり方。

 

Nの静かな目。

 

箱の陰で耳を伏せていたヨーテリー。

 

ミオが呼ぶ声。

 

ミジュマルが足を止めた瞬間。

 

どれもまだ新しい。

 

旅は始まったばかりだ。

 

なのに、もうこんなにも昨日まで知らなかったものがある。

 

眠気が少しずつ身体を重くしていく中で、シンはぼんやり思った。

 

明日にはまた、別の道があって、別の町があって、別のやつに会うのだろう。

 

その中で、自分とミジュマルがどう変わっていくのかは、まだ分からない。

 

でも、分からないまま進むことが、いまは少しだけ楽しみだった。

 

ミジュマルが足もとの寝床で小さく鳴く。

 

もう眠いらしい。

 

シンは目を閉じる前に、そちらへ手を伸ばした。

 

指先が、あたたかい毛並みに触れる。

 

「……おやすみ」

 

返事はなかった。

 

もう寝かけているのかもしれない。

 

それでも、その静かな気配がすぐ近くにあるだけで、知らない町の夜も思っていたほど遠くは感じなかった。

 

カラクサタウンの一日目は、そうしてゆっくりと更けていった。

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