BW素晴らしきイッシュ   作:もののふ教

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第59話 足を止めた先で、もう一度会う

 

 ヒウンシティを抜ける前に、少しだけ食べ物を買っておこうと思った。

 

 市場の通りは朝より人が増えていて、店先の呼び声も途切れない。焼いた木の実の匂い、干した魚の匂い、甘い菓子の匂いが風に混じって流れてくる。ミジュマルは途中で二度ほど足を止め、そのたびにシンに見られて何もなかったような顔をした。フシデはその横を変わらない速さで進んでいく。

 

「……後でな」

 

 そう言うと、ミジュマルは不満そうにしながらもついてきた。

 

 必要なものだけ買って通りを抜けたところで、少し先がざわついているのが見えた。

 

 倉庫街に近い細い道で、人が何人か立ち止まっている。怒鳴り声ではないが、困ったような声が重なっていた。シンは足を向ける。

 

 近づくと、積まれていた空箱が崩れ、その隙間に一匹のヤブクロンが入り込んでいた。驚いたらしく、袋の口みたいな部分を大きく開けて、近づく人間を威嚇している。足元には散らばった紙くずと、ひっくり返った小さな木箱。どうやら通りの荷を荒らしたというより、何かに驚いて突っ込んだ結果らしかった。

 

「近づくとまた暴れるなあ」

「でもこのままだと通れないし……」

 

 店の人らしい男たちが困った顔で見合っている。

 

 シンは少し離れたところで様子を見た。ヤブクロンは気が立っているが、追い詰められているだけで、積極的に襲いかかる気配は薄い。隙間の奥へ引っ込もうとして、また箱にぶつかっている。

 

 その時、横から聞き覚えのある声がした。

 

「朝のやつ」

 

 振り向くと、ホミカがいた。今度はベースは背負っていない。代わりに片手を腰に当て、もう片方の肩のあたりにドガースが浮いている。

 

「また会った」

「そうだな」

 

 ホミカは人だかりの向こうを見て、すぐに状況をのみ込んだらしい。

 

「ヤブクロン、びびってるだけっぽいね」

「たぶん」

 

 それだけ言って、二人とも少し黙った。別に相談するほどのことでもない。ただ、手を出すなら雑にやらない方がいい、それだけは同じだった。

 

 ホミカがドガースを見上げる。

 

「煙、薄めで」

 

 ドガースが短く鳴いた。

 

 すぐには動かない。まずシンが一歩前に出た。ミジュマルも並ぶ。ヤブクロンの視線がこちらに向く。袋の口がまた開きかけたところで、ミジュマルが小さく鳴いた。威嚇ではなく、ただそこにいると知らせるような声だった。

 

「右、見とけ」

 

 シンが短く言うと、ミジュマルは箱の崩れた側面へ回る。

 

 ホミカのドガースが、薄く煙を吐いた。刺激は強くない。追い立てるためではなく、ヤブクロンの前をふわりと遮る程度の量だった。視界が少し揺れて、ヤブクロンの動きが止まる。

 

 その隙に、フシデが地面すれすれに回り込んだ。箱の外側を軽く押し、これ以上崩れない位置をつくる。ヤブクロンは驚いてそちらを見るが、もう一方にはミジュマルがいる。前には煙。後ろは箱。残るのは、左手の少し広い空きだけだった。

 

「そっち」

 

 ホミカが指先で道を示す。

 

 ヤブクロンは一瞬ためらい、それから転がるようにその隙間へ飛び出した。通りの端まで行って振り返る。ドガースがもう一度だけ薄く煙を吐くと、ヤブクロンはそれ以上構わず、脇道の奥へ逃げていった。

 

 人だかりの空気がゆるむ。

 

「助かったよ」

「箱、これで済んでよかったな」

 

 店の男が頭を下げ、崩れた木箱を拾い始めた。シンもひとつ持ち上げて元の場所に戻す。ホミカはしゃがみ込み、散らばった紙を足先で集めていた。ドガースはその上に影を落として浮かんでいる。

 

「おまえ、慣れてるな」

 

 箱を積みながらシンが言うと、ホミカは顔を上げた。

 

「毒タイプって、怖がられやすいから。暴れてるの見ること多いし」

 

「おまえが?」

「ドガースが」

 

 ホミカは当然みたいに返した。

 

「アタシは慣れてるだけ」

 

 それはたぶん本当だった。言い方に余計な飾りがない。

 

 片づけが終わると、人だかりはすぐ散った。忙しい街では、ひとつの騒ぎが終われば、みんな次に行く。

 

 通りに残ったのはシンとホミカ、それからミジュマル、フシデ、ドガースだけだった。

 

 ホミカは手についたほこりを払ってから、シンの方を見る。

 

「さっきの、息合ってたね」

「そっちも」

「へえ。褒めたのに返してくるんだ」

「事実だろ」

 

 ホミカは少し笑った。

 

「朝はもっと無口かと思った」

「今もそんなにしゃべってない」

「それはそう」

 

 ドガースがふわりとミジュマルの近くへ寄る。ミジュマルは少しだけ身構えたが、逃げはしない。ドガースも無理には寄らず、その場でくるりと回った。フシデは興味がないのか、道の端を見ている。

 

「どこ向かうの」

 

 ホミカが聞いた。

 

 今度の聞き方は軽い。朝みたいに探る感じでもない。ただ会話の流れで出た問いだった。

 

「ヒウンを出る」

「すぐ?」

「今日のうちには」

 

「ふうん」

 

 ホミカはそれ以上深く聞かなかった。その代わり、通りの向こうを親指で示す。

 

「東の門の方、昼過ぎ混むよ。荷が通る時間だから」

「……詳しいな」

「この辺うろついてるし」

 

 短く答えてから、ホミカは少しだけ考えるように視線を上に向けた。

 

「遠回りでもよければ、裏の道あるけど」

「裏?」

「倉庫の横を抜けるやつ。人は少ない」

 

 シンは少しだけ迷った。知らない道を素直に教わるのは癪、というほど子どもではないが、はいそうですかと受けるのも何となく落ち着かない。

 

 その間に、ミジュマルがホミカの方を見た。ホミカは気にした様子もなく肩をすくめる。

 

「別に来たきゃ案内するし、来なくてもいいよ」

 

 その言い方が、少しだけ楽だった。押しつけがましさがない。

 

「……じゃあ、そこまで頼む」

 

 ホミカはにやりとした。

 

「了解」

 

 そう言って歩き出す。ドガースがその後ろをふわふわついていく。シンも少し遅れて続いた。

 

 裏の道はたしかに人が少なかった。倉庫の壁に挟まれた細い通路を抜け、古い木柵の脇を曲がる。表通りの騒がしさは遠くなり、代わりに海からの風が通る音が聞こえた。

 

「この先まっすぐ。突き当たりを左で東門」

「助かる」

 

 そこでホミカは立ち止まった。

 

「じゃ、アタシはこっち」

 

 別れ際まであっさりしている。シンはそれを見て、少しだけ言葉を探した。

 

「さっきは、ありがとな」

「ヤブクロンのこと?」

「それも」

 

 ホミカは一瞬きょとんとしたが、すぐにわかったような顔になった。

 

「別に。たまたまいたし」

 

 それだけ言って、くるりと向きを変える。

 

 数歩行ったところで、ホミカは振り返った。

 

「次会ったら、今度はバトルしようよ」

「急だな」

「こういうのは急なくらいでちょうどいいし」

 

 シンは少しだけ口元を動かした。

 

「考えとく」

「それ、半分はやるやつじゃん」

 

 返事を待たず、ホミカは手を振って去っていく。ドガースがその頭上でくるりと回った。

 

 見えなくなってから、ミジュマルが小さく鳴いた。

 

「……わかってる」

 

 シンは東門の方へ向き直る。街を出れば、またしばらくはひとりだ。

 

 それでも今は、さっきまでより少しだけ、道がまっすぐに見えた。

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