倉庫の壁に挟まれた細い道を、ホミカは迷いなく進んだ。
「ここ、段差ある」
振り向かずに言う。
シンは足元を見てまたぐ。後ろではミジュマルが軽く跳び、フシデはそのまま越えた。ドガースはホミカの肩の高さでふわふわ浮いている。
「次、右」
「わかった」
会話はそれだけだった。けれど足りない感じはしない。知らない相手に気を遣ってしゃべり続けるより、このくらいの方がシンには楽だった。
狭い道の中で、四匹が前後を入れ替えるたび、少しだけ落ち着かなくなる。ミジュマルは先に行ったかと思えば戻ってきて、フシデは変わらず足元を進む。ドガースは壁にぶつからないぎりぎりのところを漂っていた。
しばらく進むと、倉庫の並びが切れた。
視界が開ける。
東門へ続く通りだった。大通りほどではないが、人も荷車もそれなりにある。門の向こうへ出る旅人、街へ入る商人、荷台の横をすり抜ける小さなポケモン。昼前の通りは思ったより詰まっていた。
ホミカが足を止める。
「ほら。あれ」
門の近くでは大きな荷車が二台止まっていて、出入りの流れが少し悪くなっていた。
「たしかに、少し混んでるな」
「でしょ」
ホミカは少し得意そうに言った。
そのまま別れるには、門の前が少し落ち着かなかった。列は止まったり動いたりを繰り返している。シンは通りの端に寄って荷物を持ち直した。ミジュマルはその横に座り、フシデは壁際の影へもぐりこむ。
ホミカも少し離れた木箱の脇に立った。ドガースはその頭上を小さく回る。
「すぐ進むと思う?」
ホミカが門の方を見たまま聞く。
「荷台の縄、直してるからな。少しかかるだろ」
「だよね」
それきり、また静かになる。
ミジュマルが鼻をひくつかせて、通りの向こうを見た。焼いたものの匂いでも流れてきたのだろう。シンが気づくと、ミジュマルは何でもない顔をした。
「さっき市場でも止まってたよね」
ホミカが言う。
ミジュマルの耳がぴくりと動いた。
「見てたのか」
「たまたま」
ホミカは肩をすくめる。
「焼いた木の実のとこ。すごい見てた」
ミジュマルは視線をそらし、今度はフシデの方を見るふりをした。ホミカが笑う。
「わかりやすい」
「……あとで買うつもりだった」
シンが言うと、ホミカは少し意外そうな顔をした。
「ちゃんと覚えてるんだ」
「言ったからな」
ミジュマルは軽くシンの足に頭を当てた。文句なのか催促なのかはわからないが、たぶん両方だった。
門の前で、荷車の片方がようやく動き出す。そこで、小さな声が上がった。
「あっ」
通りの真ん中にいたチョロネコが、荷台から落ちた麻袋に驚いて跳ねた。逃げようとして木箱にぶつかり、そのまま人の足の間で立ち止まる。あたりを見回し、また別の方へ飛びかけて止まる。完全に落ち着きをなくしていた。
御者らしい男が手を伸ばしかけるが、ためらって引っ込めた。下手につかめば引っかかれると思ったのだろう。
ホミカが小さく息を吐く。
「びっくりしてるだけだね」
「だな」
シンは短くミジュマルを見る。ミジュマルはすぐ立ち上がった。
通りの真ん中に出るのではなく、少し外から回って、チョロネコが人の多い方へ行かない位置に立つ。逃げ道をふさぐほど近づかず、ただ行きにくい場所を作るだけだ。
反対側では、ホミカがゆっくりしゃがんでいた。ドガースも少し下がる。
「ほら、こっち」
手は出さない。呼ぶ声も強くない。
チョロネコは一度そちらを見て、毛を逆立てた。けれどホミカは動かない。ドガースも近づきすぎない。人の少ない脇道だけが、ぽっかり空いていた。
チョロネコは二歩、三歩と迷ってから、結局そこへ駆けこんだ。塀の向こうまで行って、ようやく姿が消える。
御者がほっと息をついた。
「助かった」
「別に」
ホミカは立ち上がり、ひざのあたりの砂を払った。シンは転がっていた木箱を道の端へ寄せる。大げさにするようなことでもないので、そこで終わりだった。
列がまた少し動いた。
「慣れてるな」
シンが言うと、ホミカは首をかしげる。
「何が」
「今の」
「ああ」
ホミカはドガースを見上げてから答えた。
「臆病になってるやつ、無理に追うと余計逃げるし」
それだけだった。知識を並べる感じではない。ただ、何度かそういうのを見てきたのだろうという言い方だった。
門の前の荷車がようやく脇へ寄る。人の流れが少しずつ戻り始めた。通りの向こうには、街の外へ続く土の道が見える。石畳はそこで終わりだった。
ホミカがそちらを見て言う。
「じゃ、ここまででいい?」
「十分だ」
シンが答えると、ホミカはうなずいた。
「そっか」
あっさりした返事だった。案内したんだから感謝しろ、という感じはない。門まで来たから、ここで終わり。それだけだ。
シンは荷物を持ち直す。ミジュマルが立ち上がり、フシデも影から出てきた。
「助かった」
「うん」
ホミカは短く返す。
「また会ったら、今度こそバトルね」
「まだ言うのか」
「言うよ」
「そんなに気になるか」
「気になる」
間を置かずに返ってくる。
「戦ってるとこ、ちゃんと見てないし」
「さっき少し見ただろ」
「少しじゃ足りない」
言い方は軽いが、本気なのはわかった。強い弱いを決めつけるような調子ではなく、ただ見たいと言っている。
シンは少しだけ考えてから答えた。
「会ったらな」
ホミカはそこで満足したように笑った。
「うん。それでいい」
門番が次の列を手で呼ぶ。シンたちの番も近かった。
ホミカは一歩下がる。
「じゃ、いってらっしゃい」
何気ない言い方だった。
けれど、その一言は少しだけ残った。
「……ああ」
シンは短く返して、門の方へ向かう。ミジュマルが半歩前に出て、フシデもそのあとを追う。
列に並んでから、一度だけ振り返った。
ホミカはまだ同じ場所にいた。ドガースと並んでこちらを見ていたが、目が合う前に、通りの方へ向き直る。そのまま手を振ることもなく、ゆっくり歩き出した。
シンは前を向く。
門を抜けると、ヒウンシティの音が少し遠くなった。荷車のきしむ音も、人の声も、背中の方へ下がっていく。代わりに、土を踏む音がはっきりした。
道は一本で、先はまだ長い。
ミジュマルが隣を見上げる。フシデは何も変わらない速さで進んでいた。
「……行くぞ」
返事の代わりに、ミジュマルが短く鳴く。
さっきまでいた街は、もう後ろだった。ひとりになったことに変わりはない。それでも、足は止まらない。
シンは風の向く方へ顔を上げ、そのまま東へ歩き出した。