BW素晴らしきイッシュ   作:もののふ教

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第63話 町の中では、見るものが増える

 

 

 ライモンシティで一夜休むと、体の重さはだいぶ抜けていた。

 

 それでも朝、靴を履く前に一度逆さにすると、まだ細かい砂が落ちてくる。4番道路を越えた、という実感は、そういうところに残っていた。

 

 シンはベッドの脇に置いた荷物を見た。昨日の夜、ある程度中身は整えた。水の残り、食べ物、細かい道具。けれど旅の立て直しというのは、一度見たら終わりではない。町に着いた時にやることは、思っていたより多かった。

 

 窓を開けると、朝のライモンシティの音が入ってくる。

 

 ヒウンの朝より、音が散っていた。人の声はある。荷物を運ぶ車輪の音もある。けれど高い建物に跳ね返って密集する感じではなく、広い通りにばらけて響いている。どこかで機械が動く低い音も混じっていた。

 

 ミジュマルはもう起きていた。窓辺に前脚をかけ、外を見ている。フシデは敷いた布の上で静かに丸まっていたが、シンが起きた気配で体を少し揺らした。

 

「今日は町の中を回る」

 

 シンが言うと、ミジュマルが振り向く。

 

「まず補給。あと、必要なものの確認」

 

 ジムへ行く、とか、次の道へ出る、とか、そういう話ではない。けれど今のシンには、その順番の方が自然だった。昨日の砂地で、歩くだけでも消耗することはわかった。町に着いたからといって、すぐ次へ進んでいい理由にはならない。

 

 宿を出た時、通りにはもう人が出ていた。

 

 朝のライモンシティは、昨日見た時よりずっとわかりやすかった。建物の位置、通りの幅、人の流れ。夜に入ってきた時は、ただ「大きい町だな」という印象だったものが、明るくなると少しずつ形を持つ。

 

 遠くには観覧車が見える。その近くには遊園地らしい色の建物が並び、別の方角には大きな施設がいくつかかたまっていた。町全体が何かを見せるために作られているような場所だった。ヒウンシティは、人が多いから大きく見える町だった。ライモンシティは、最初から大きく見せるつもりで作られている。

 

 シンはまずポケモンセンターへ向かった。

 

 補給できるものは補給する。道具の値段も見たいし、水の入れ方も確認したい。旅の途中では、こういう町の機能を先に把握した方が動きやすい。

 

 センターの中は朝から人が多かった。旅人だけではない。近くで働いているらしい者、手持ちを預けに来たらしい子ども、通学前に立ち寄ったような学生。町が大きいぶん、使う人間の種類も多い。

 

 シンは受付の脇にある案内板を眺めた。町の簡易地図と、主要な施設の場所が載っている。ポケモンセンター、ショップ、遊園地、観覧車、駅らしい建物、大通り、ジム。

 

 ジムの位置も目に入ったが、視線はそこで止めなかった。

 

 必要になれば行く。今はその前だ。

 

 ジョーイに昨日のお礼を伝え、ついでに洗い場をもう少し使えるか確認する。砂が残った道具を軽く洗いたかった。ジョーイは慣れた調子でうなずいた。

 

「外から来た方は、皆さんそうされますよ。4番道路の砂は細かいですから」

 

「やっぱり多いんですか」

「この季節は特に。午前中に入ってこられる方が多いですね」

 

 昨日の係員と同じことを、町の中の人間も当然のように言う。

 

 やはりこの辺りでは、時間帯まで含めて道の歩き方が共有されているのだろう。旅をしているのが自分だけでないと感じると、少しだけ視界が広がる気がした。

 

 ミジュマルの足先を軽く拭き、フシデの甲についた細かい砂も落とす。フシデはじっとしていてやりやすい。ミジュマルは途中で少し落ち着かなくなるが、昨日の砂が自分にも不快だったのか、最後までは逃げなかった。

 

「おまえ、こういう時だけ妙に我慢するよな」

「ミジュ」

 

 返事なのか、文句なのかはわからない。

 

 センターを出たあと、シンはショップへ入った。水筒の予備はまだいらないが、包帯と簡単な薬は補充しておく。保存の利く食べ物も見る。街道沿いの移動で使えるものと、町の中でしか食べにくいものは分けて考えた方がいい。

 

 店の中には旅人らしい男がひとり、棚の前で悩んでいた。年はシンよりかなり上で、手持ちのボールを三つ腰につけている。顔見知りでも何でもないが、同じ棚の前で視線がかち合ったので、軽く会釈をすると、向こうも小さく返した。

 

「4番道路越えたばかりか」

 

 男がそう言った。

 

 砂の残り方でわかるのだろう。シンは否定しなかった。

 

「昨日、入りました」

「なら今は買っとけ。ライモンの先はライモンで、また別の意味で消耗する」

 

 男はそう言って、保存食の袋をひとつ手に取った。

 

「別の意味?」

「人が多い。気が散る。買えるものも増える。余計なもん見てるうちに時間食う」

 

 シンは少しだけ黙った。

 

 それはたしかに、旅の疲れとは別種の消耗かもしれない。

 

 男は笑いもしないで続けた。

 

「まあ、悪い町じゃないけどな。町で休める時に、ちゃんと休んどけ」

 

 それだけ言うと、男は会計の方へ行った。説教くさくはない。ただ、自分の感覚を置いていっただけ、という感じだった。

 

 シンは棚の前で少し考え、予定より一つ多く保存食を買った。

 

 町の中で時間を使うこと自体は悪くない。けれど、そのせいで準備が甘くなるのは違う。旅の途中では、道にいる間だけが旅ではない。

 

 買い物を終えると、通りの空気は朝より少しだけあたたかくなっていた。

 

 ライモンシティの大通りは、人が多いわりに歩きやすい。道幅があるし、店も開けた形で並んでいる。ヒウンのように建物が迫ってこないぶん、圧迫感はない。ただ、そのかわり目に入るものが多い。看板、飾り、店先の商品、通るポケモン、呼び込み、音楽。意識して見ないようにしないと、ひとつずつ足を止めたくなる。

 

 ミジュマルは明らかに気になっている様子だった。特に食べ物の匂いがする店の前で、二度ほど速度が落ちた。

 

「あとでな」

 

 シンが言うと、不満そうな顔はしたが、ついてくる。

 

 フシデは最初からこういう場所が得意らしかった。騒がしいこと自体は苦にしないのか、一定の速さを崩さない。人の足を避けるのも自然で、妙なところへ入っていかない。

 

「おまえは楽だな」

 

 小さく言うと、フシデは反応しない。ただ、少しだけ先へ出た。

 

 町の中心に近づくにつれ、音が変わっていった。人の声だけでなく、どこかから響く歓声や機械音が混ざる。観覧車の方から流れてくる風も、4番道路の乾いた風とはまるで違った。砂の匂いがなく、代わりに油と金属と食べ物が混ざった町の匂いがする。

 

 通りの先で、小さな人だかりができていた。

 

 何かと思って近づくと、トレーナー同士がバトルをしていた。場所は広場の端、通行の邪魔にならない程度の空きスペース。周りには見物人が数人いる。派手な公式戦というより、通りがかりが足を止める程度のものだった。

 

 戦っているのは、ゼブライカとコロモリだった。

 

 シンは人だかりの後ろから少しだけ見た。

 

 コロモリは空からかく乱するように動き、ゼブライカは足を止めずに追っている。どちらも速い。だが本当に見ていて気になったのは、ポケモンそのものより、トレーナーの指示の短さだった。広い町、見物人、音の多さ。その中で長く話しても通らない。だから必要な情報だけを投げていた。

 

「右、高さ維持」

「踏み込め、止まるな」

 

 そういう指示だった。

 

 ゼブライカのトレーナーが最後に一歩踏み込ませ、コロモリの着地の瞬間を取る。勝負自体はすぐに決まった。見物人が小さく拍手して、そこで人だかりもほどける。

 

 シンはその場を離れながら、少しだけ考えた。

 

 4番道路みたいな場所では、足場や距離が先に問題になる。町の中では、視界の広さと音の多さが変わる。戦い方も、それに応じて変わるのだろう。環境が変われば、強い動きも変わる。

 

 昨日からずっと、そのことばかり考えている気がした。

 

 だが、実際そうなのだから仕方がない。旅に出る前は、ポケモンバトルというものを、もっと平らに見ていた気がする。同じ技、同じ手持ちでも、場所が違えば全然別になる。歩いてきた疲れ、水の残り、相手の出方、周囲の広さ。それが全部乗る。

 

 そこまで考えてから、シンは立ち止まった。

 

 広場の向こうに、ひときわ目立つ建物が見える。

 

 ライモンジムだった。

 

 近代的というより、演出の強い建物だった。目立つように作られている。ここが町の中で「勝負の場所」として機能しているのだと、遠くから見てもわかる。

 

 ミジュマルがそちらを見る。

 

「今日は行かない」

 

 シンが先に言うと、ミジュマルは耳を一度動かしただけだった。

 

 怖いわけではない。避けているわけでもない。ただ、町に着いてすぐ、砂を落としてすぐ、疲れも感覚も整理しきらないまま行く場所ではないと思った。

 

 勝ちたいなら、なおさらだ。

 

 広場を抜けた先には、公園のような一角があった。木陰があり、ベンチもある。大通りほど人が多くない。シンはそこで少し腰を下ろすことにした。

 

 ミジュマルはベンチに前脚をかけ、周囲を見ている。フシデは足元の影に入った。

 

 しばらくして、近くのベンチに座っていた老夫婦のうち、男の方がミジュマルを見て言った。

 

「砂の道、越えてきた顔してるな」

 

 また同じことを言われた、とシンは思った。

 

「そんなにわかりますか」

「わかるさ。町に入ってきたやつは、大体一度はそういう顔をする」

 

 男は笑った。

 

「気を張ってきた顔だ」

「……そう見えるんですか」

「見えるってだけだ。別に中身までは知らん」

 

 それが妙に正直で、シンは少しだけ口元をゆるめた。

 

 隣の女の方が、フシデを見下ろして言う。

 

「この子は落ち着いてるね」

「静かなだけです」

「それも大事だよ。旅の子は、静かな方が助かる時があるから」

 

 夫婦はそこまで言って、もうこちらに構わなかった。もともと会話を広げる気がないのだろう。余計な詮索をしないのも、この町の人間らしさなのかもしれない。

 

 シンはベンチに座ったまま、手の中のメモを見直した。

 

 4番道路。砂の深い場所。時間帯。メグロコ。休憩所。水の使い方。

 そこに、もう一行だけ書き足す。

 

 **町に着いたら、すぐ次へ行くつもりで動かないこと。**

 

 書いてから、それを少し見た。

 

 四人で旅していた時には、次へ進むかどうかを決める時間そのものが、もっと自然にあった気がする。誰かが言って、誰かが返し、結局その場の空気で決まることも多かった。今はその間がない。自分で考え、自分で止め、自分で決めるしかない。

 

 面倒ではある。

 ただ、それを面倒だとだけ思っていたら、ひとり旅は続かないのだろう。

 

 木陰の風が少しだけ涼しい。

 

 ミジュマルがベンチの端に顎を乗せてきた。休憩らしい休憩をしている。フシデは相変わらず静かだが、時々尾の先だけが動いていた。

 

「今日は、町を見て終わりでもいいかもな」

 

 シンが言うと、ミジュマルが薄く目を開ける。

 

「別に怠けるって意味じゃない」

 

 そう言いながら、自分でも半分くらいは言い訳じみていると思った。

 

 けれど、必要な時間はある。道を歩く日があるなら、止まって整理する日もいる。旅は進むことだけじゃない。進める状態を保つことも、同じくらい大事だ。

 

 ベンチから立ち上がると、陽はもう真上を少し過ぎていた。

 

「もう少し回るか」

 

 観覧車の方までは行かない。大通りをもう少し見て、宿へ戻る。今日のうちに町の輪郭だけ掴めれば十分だ。明日になれば、また違う見え方をするだろう。

 

 シンは歩き出した。

 

 町の中には、見えるものが多い。聞こえるものも多い。だからこそ、自分が何を見るかを選ばないといけない。そういう意味では、砂の道とは違う難しさがあった。

 

 けれど、嫌ではない。

 

 4番道路のまっすぐな乾いた道を越えてきたからこそ、この町の多さは少しだけ面白かった。

 

 ミジュマルが隣を歩く。フシデが足元を進む。

 

 ライモンシティに着いたばかりの一日は、まだ終わっていなかった。

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