BW素晴らしきイッシュ   作:もののふ教

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第64話 町の速さに、足を合わせる

 

 

 ライモンシティで二日目の朝を迎えた時、シンはようやく、この町の空気が少しだけわかってきた気がした。

 

 ヒウンシティは、人の多さそのものが先に来る町だった。

 ライモンシティは違う。広い道、遠くまで抜ける視界、派手な看板、遊園地の観覧車、あちこちから聞こえる音。ひとつひとつは離れているのに、全部が同時に目に入る。だから気を抜くと、視線だけ先に持っていかれる。

 

 宿の窓を開けると、朝の光はもう十分に入っていた。

 

 ミジュマルは先に起きていて、椅子の上で尻尾を揺らしていた。フシデは荷物の脇に収まったままだが、シンが動くと小さく身じろぎする。

 

「今日は、町の中をちゃんと見る」

 

 シンが言うと、ミジュマルが「ミジュ」と短く鳴いた。

 昨日よりはっきりした返事だった。

 

「ジムも、道も、後でいい。先に町の速さを見とく」

 

 ミジュマルは一度首をかしげ、それから納得したようにもう一度鳴いた。フシデは床を軽く擦るように動いただけだったが、それもいつもの反応だった。

 

 宿を出てしばらく歩くと、町の人の流れが朝の形になっていた。昨日は旅人の目で見ていたせいか、全部が「町の景色」に見えていた。けれど少し落ち着いて眺めると、この町にもきちんと時間帯ごとの顔がある。

 

 開店準備をしている店。

 荷物を運ぶポケモンと、それを誘導する人。

 登校途中らしい子どもたち。

 トレーナー同士で短く対戦の約束をしている若者。

 

 広い道の真ん中をのんびり歩いていれば、それだけで流れを邪魔する。だから人は自然と端を使うし、立ち止まる場所も選んでいる。大きな町は、何もしなくても勝手に機能するわけじゃない。人がそれに合わせているから回っているのだと、歩いているだけでわかった。

 

 交差点の近くで、シママを連れた女が足を止めていた。

 信号代わりの標識が切り替わるまで待っている。シママも落ち着いた様子で隣に立っていた。

 

 その横を、ミジュマルが少しだけ気にしたように見る。

 

「勝手に寄るなよ」

 

「ミジュ」

 

 返事はしたが、視線はまだシママの方に残っていた。

 電気タイプが気になるのか、それとも相手の堂々とした立ち方が気になるのか、シンにはわからない。

 

 ポケモンセンターへ寄って、まずは道具の確認をもう一度する。旅に出てからまだ日は浅いのに、物の減り方にはすでに癖があった。水はもちろん、包帯や簡単な薬も、使う場面が想像していたより多い。逆に、町にいるとあまり減らないものもある。

 

 店の棚を見ていると、昨日とは別の店員が声をかけてきた。

 

「お探しのもの、ありますか?」

「……長く持つ食べ物って、どの辺ですか」

「街道用でしたら、この棚ですね。乾燥させたものと、すぐ食べられるものが分かれてます」

 

 店員は慣れた手つきで場所を示す。

 

「4番道路の後でしたら、喉が渇きやすいので、塩気のあるものも持っておくと楽ですよ」

「みんな、そう言うんですね」

「この辺の道、歩いた人には大体同じこと言いますから」

 

 店員は軽く笑った。

 押しつけがましくないが、経験から来る言い方だった。

 

 シンは言われた棚を眺め、必要そうなものを少しずつ手に取る。旅の途中で使うものは、軽さと保存のしやすさも大事だ。量だけあっても、持ちにくければ意味がない。

 

 その間、ミジュマルは足元で落ち着かなかった。新しい匂いが多いせいか、棚の間を見たそうにしている。フシデは逆に静かで、シンの足の脇を離れない。

 

「ミジュマル、こっち」

 

「ミジュゥ……」

 

 少し不服そうな声だった。

 シンはその頭を軽く押さえる。

 

「今は見るだけだ」

 

 会計を済ませて店を出ると、朝の空気はもう少しにぎやかになっていた。町が完全に動き始めたのだろう。どこかで音楽も流れている。近くで聞こえるわけではないが、町全体のどこかで鳴っている音が、風に薄く混じってくる。

 

 シンは地図を頭の中でなぞる。

 ジムの位置。遊園地の位置。ポケモンミュージカルのある建物。住宅の並び。通りの抜け方。ライモンシティは見た目の派手さのわりに、構造そのものは意外とわかりやすい。大きな通りを一本覚えれば、そこから枝が伸びている感じだ。

 

 だが、わかりやすいことと、落ち着いて歩けることは別だった。

 

 広場の近くまで来た時、通りの端で子どもが泣きそうな顔をしているのが見えた。足元には小さなモンメンがいて、そわそわと右へ左へ動いている。親らしい女がしゃがんで声をかけているが、なかなか落ち着かない。

 

 シンは通り過ぎようとして、少しだけ足をゆるめた。

 

 モンメンは暴れているわけではない。けれど風が吹くたびに身体が軽く浮き、子どもの手を離れそうになっている。今の町の風は強くないが、広い道では時々、建物の間を抜ける風が急に強まる。

 

 ミジュマルもそれに気づいたらしく、「ミジュ」と小さく鳴いた。

 

「……見るだけな」

 

 シンが言った、その直後だった。

 

 風がひとつ、通りを抜けた。

 モンメンがふわっと持ち上がる。子どもが慌てて手を伸ばすが、半歩遅い。

 

 シンは考える前に動いていた。

 

「ミジュマル、前!」

 

 ミジュマルが飛び出す。モンメンの真下へではなく、その少し先へ回る。風に流される方向を見て、進路の先を取る形だった。シン自身も一歩だけ走り、子どもが転ばない位置に入る。

 

 モンメンは高くは上がらなかったが、そのぶん不規則に揺れた。

 掴みにいけば逆に逃がす。そう思った時、横から細い声が飛んだ。

 

「そのまま、そっち!」

 

 声の主は、通りの向こうにいた若い男だった。電気工事の道具を持っていたから、たぶん町の整備関係だろう。男は手を広げて、モンメンが流れていく先の道を狭める。

 

 ミジュマルが「ミジュッ!」と鳴きながら、さらに半歩前へ。

 風に乗ってきたモンメンが、その手前で少しだけ勢いを失う。

 

「今だよ!」

 

 今度は子どもの母親が動いた。

 一歩踏み込んで、今度こそモンメンの身体をしっかり抱える。

 

「よかった……!」

 

 子どもがやっと息をつき、モンメンも腕の中で小さく鳴いた。驚いたのだろう、まだ葉のような耳が細かく揺れている。

 

 シンはその場で止まり、それ以上は近づかなかった。

 助かったなら、それでいい。

 

 母親がこちらを振り向く。

 

「ありがとうございます、本当に……!」

「いや、たまたまです」

「ミジュマルくんも、ありがとうね」

 

「ミジュ」

 

 さっきまでの緊張が抜けたのか、ミジュマルは少しだけ得意そうな声で鳴いた。

 シンはそれを見て、わずかに息を吐く。

 

 工事道具を持った男も苦笑しながら近づいてきた。

 

「町の風、たまに読みにくいんだよな」

「そういうこと、よくあるんですか」

「よくってほどでもないけど、軽いポケモンは気をつけないと。特に朝と夕方」

 

 男はモンメンの方を見てから、子どもに向かって言った。

 

「次からは、広い道に出る前にちゃんと抱いとけよ」

「う、うん……」

 

 叱るというより、町で暮らす側の当然の注意みたいな言い方だった。

 

 そこから先は、自然に短い会話になった。

 母親はこの町では風の通る道を覚えておくのが大事だと言い、工事の男は観覧車の近くは特に流れが変わりやすいと付け足した。シンは必要なことだけ聞いて、必要なぶんだけ返す。

 

 話が終わる頃には、人の流れも元に戻っていた。

 ライモンシティでは、小さな騒ぎも、道の流れの中で片づいていく。

 

 ミジュマルが戻ってきて、シンの足に軽く肩を当てた。

 

「おまえは先走るかと思った」

「ミジュ?」

「いや、今のはよかったけど」

 

 ミジュマルは「当然だろ」と言いたげな顔をした。

 さっきの一鳴きは、かなりはっきりした自信の音だった。

 

 フシデは少し遅れて近づいてきた。危ない方に突っ込まず、足元で待っていたらしい。派手さはないが、こういう時に勝手な動きをしないのは助かる。

 

「おまえも、ありがとな」

 

 フシデは返事の代わりに、小さく体を揺らした。

 

 広場のベンチで少し休みながら、シンは今のことを頭の中で整理する。

 町の中は安全だと思い込んでいたわけではない。だが、危険の出方が道路や野生とは違う。縄張りの威嚇や不意打ちじゃない。人とポケモンが近くにいるからこそ起こる小さな事故や、町の構造そのものが生む危なさがある。

 

 風の通り道。

 音の多さ。

 人の流れ。

 広い道で足を止めることの意味。

 

 4番道路の危険とは種類が違う。

 けれど、気を抜いていいわけでもない。

 

 ベンチの横では、若いトレーナーが二人、手持ちの相性について言い合っていた。

 

「だからゼブライカは速いって」

「速いだけじゃ足りねえだろ、ああいう町だと」

 

 その会話が少し気になって、シンは耳を向けた。二人は知り合いらしく、口調は軽いが内容は真面目だった。

 

「狭いとこなら速さで押せるけど、広いと散るんだよ」

「でも詰める力はある」

「いや、それはわかるけどさ――」

 

 町の中で、こういう話が自然に出る。

 ライモンシティは、ジムや遊び場があるだけじゃなく、ポケモンバトルそのものが町の空気に近いのかもしれない。

 

 シンはそれを聞きながら、ミジュマルとフシデの方を見る。

 ミジュマルは前に出る。

 フシデは崩れにくい。

 その強みは、砂の道でも町の中でも変わらない。けれど、出し方は変わる。

 

 考えることが増える。

 だが、それは嫌ではなかった。

 

 しばらくして、シンは立ち上がった。

 

「もう少し見て回る」

「ミジュ!」

 今度の鳴き声は明るかった。

 

 観覧車の近くまで行くと、風はたしかに違った。建物の配置のせいか、一定方向から吹くのではなく、時々、横からすっと抜けてくる。道の幅もあるから、風の形が読みづらい。朝の母親と工事の男が言っていたことは本当だった。

 

 遊園地の前には、まだ開園前なのに人が何組か並んでいる。小さな子どもを連れた家族、友達同士らしい若者、ポケモンを連れたトレーナー。ライモンシティは、町そのものが何かを楽しみに来る場所なのだとわかる。

 

 シンはそこには入らず、外周を歩いた。

 

 入れば時間を使う。

 今はまだ、その時間をどう使うか決めていない。

 

 観覧車の足元から町を見ると、少しだけ視界が変わった。通りの流れ、人の密度、建物の高さ、抜ける道。ライモンシティは広いが、広いだけではない。どこに目印があるかがはっきりしているから、迷いにくいのだろう。

 

 そこまで見て、ようやくシンはひとつ納得した。

 

 この町は、「派手」だから目立つんじゃない。

 人が多く動いても迷いにくいように、目立つものをちゃんと置いているから派手に見えるのだ。

 

 そう考えると、町の見え方が少しだけ変わった。

 

 昼を過ぎた頃、シンは宿へ戻る前にもう一度だけジムの前を通った。

 今度は足を止める。

 

 建物そのものは昨日と同じだ。

 けれど、昨日は「ある」としか見えていなかったものが、今日は少し違って見えた。4番道路を越えて、町の中の空気も見て、その上で立つと、ここはただ次の目的地としてあるわけじゃないとわかる。

 

 この町でバトルをするなら、この町の速さと広さに足を合わせないといけない。

 

 シンはしばらく無言で見ていた。

 ミジュマルも黙っている。

 フシデだけが、足元で小さく向きを変えた。

 

「……今日は、まだ行かない」

 

 シンが言うと、ミジュマルが「ミジュ」と短く鳴く。

 異論ではなかった。確認みたいな声だった。

 

「でも、もう遠くはない」

 

 その言葉は、自分に向けたものだった。

 

 宿へ戻る道すがら、朝のモンメンのことを少し思い返す。

 町の中でも、気を抜けば小さな危険は起きる。

 道路の上でも、町の中でも、ポケモンはポケモンだ。

 人と一緒にいても、完全に管理された道具になるわけじゃない。

 だからこそ、付き合い方がいる。

 

 旅の途中のリアリティというのは、たぶんそういうことなのだろうと、シンはぼんやり考えた。道が長いとか、水が減るとか、そういうことだけではない。ポケモンがいる世界で歩くなら、その場ごとの距離感を覚えないといけない。

 

 宿の部屋に戻ると、ミジュマルはすぐベッドの端へ飛び乗った。

 今日はよく鳴いたし、よく動いた。

 フシデは荷物の脇に戻り、やっと落ち着いたように小さく丸くなる。

 

「……今日は、いい見方できたかもな」

 

「ミジュ」

 

 今度の鳴き声は、さっきまでより少し柔らかかった。

 同意なのか、ただ返しただけなのかはわからない。

 

 けれど、そのくらいでよかった。

 

 ライモンシティでの二日目は、ジムに挑まなくても進んだ感じがあった。

 見たものが増えただけじゃない。

 見方が少し変わった。

 

 シンは窓の外を見た。

 夕方の町は、また朝とは違う速さで動き始めている。

 

 明日、何をするかはまだ決めきっていない。

 けれど少なくとも、今朝よりは迷っていなかった。

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