BW素晴らしきイッシュ   作:もののふ教

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第66話 追わないまま、同じ方へ

 

 

 翌朝、シンは目覚ましが鳴る前に目を開けた。

 

 まだ窓の外は白み始めたばかりで、ライモンシティの灯りもいくつか残っている。夜通し動いていたらしい車の音が遠くで薄く続いていた。町は完全には眠らない。ヒウンほど大きく押してくる感じではないが、静けさの底にずっと動きがある。

 

 ベッドの端に腰を下ろし、シンは足元を見た。

 

 ミジュマルは丸まったまま尻尾だけ動かし、フシデは壁際でじっとしている。どちらもまだ半分寝ていたが、シンが荷物をまとめ始めると、先に耳が動いたのはミジュマルのほうだった。

 

「ミジュ……?」

 

「起きろ。朝のうちに一回行く」

 

 その一言で、ミジュマルはすぐ体を起こした。フシデも遅れて「フシ」と鳴き、前脚を少し動かす。

 

 昨日より、水を多く持つ。

 濡らす布は二枚。

 携帯食は匂いの強すぎないものだけ。

 傷薬は、使える場面があるかはわからないが一応入れておく。

 

 準備をしながら、シンはそれを口に出して確認した。自分のためでもあり、二匹に今日はどう動くつもりかを伝えるためでもある。

 

「昨日の通り、見に行く。見に行くだけだ。追い回さない」

 

「ミジュ」

「フシ」

 

 返事は短い。だが、二匹ともついてくる気だった。

 

 ポケモンセンターの食堂で簡単に朝食を済ませてから外へ出ると、空気はまだ冷えていた。日が高くなればすぐ熱を持つだろうが、この時間はコンクリートも鉄の扉も夜の冷たさを少し残している。人通りも少ない。こういう時間なら、傷んだ脚でも動きやすいはずだとシンは考えた。

 

 西側の搬入口へ向かう道すがら、ミジュマルはいつもより足が軽かった。行き先が決まっているのがわかるのだろう。少し先へ出ては振り返り、「ミジュ」と鳴く。フシデはその後ろを壁際に沿うようについていく。腹を地面へ近づける癖が、今日は少し強い。振動や音に気を配っている。

 

 昨日、ケルディオがいた通路へ入ると、まず見えるところにその姿はなかった。

 

 だが、完全に何も残っていないわけでもない。

 

 壁際に、水の輪染みが薄く残っている。置いたふたは倒れた位置が少し変わっていた。誰かが蹴ったというより、鼻先か蹄先で触ったずれ方だ。さらに奥には、床の細かな砂の上に、半月形の浅い跡が二つだけ続いていた。

 

 ミジュマルがすぐに気づいて「ミジュ」と低く鳴く。

 フシデも「フシ、フシ」と二度続け、通路の奥を向いた。

 

「来てはいるな」

 

 シンはしゃがみ、指先でその跡の端をなぞった。昨日の夕方についたものと見分けがつくほど明確ではないが、夜のうちか、朝早くか、そのくらいの新しさだった。乾ききっていない泥が少しだけ縁に残っている。

 

 脚はまだ完全じゃない。

 

 そう思ったところで、フシデがさらに奥へ進もうとした。シンはすぐ呼び止める。

 

「待て。勝手に行くな」

 

 フシデは止まったが、体の向きは変えなかった。行き先を示している。

 

 通路の先は二手に分かれていた。ひとつは昨日ケルディオが抜けていった細い抜け道。もうひとつは倉庫の裏手を回る古い整備路だ。人の出入りが少ないのは整備路のほうだろう。シンはそちらへ視線を送った。

 

「そっちか」

 

 歩き出すと、ミジュマルが一歩だけ前に出る。昨日ほど興奮してはいない。警戒と期待が半分ずつ、という感じだった。

 

 古い整備路は、表通りの見え方とまるで違っていた。壁の塗装は少し剥げ、使われていない荷台が端へ寄せてある。配管が露出している場所もあるし、雨どいの下には古い水跡も残っている。観覧車やネオンの町の裏に、こういう場所があるのは当たり前なのだろうが、シンにはまだ少し意外だった。

 

 その先に、低いフェンスで囲われた半端な空き地がある。

 

 資材置き場として使っていたのか、地面はコンクリートと土がまだらだ。端には浅い排水溝があり、昨夜の結露か清掃の残りか、少しだけ湿っているところがある。人の気配は薄い。野生のポケモンが一時的に身を隠すなら、こういう場所だろうと思える空間だった。

 

 ミジュマルが足を止めた。

 

 フシデも腹をつけるように低くなる。

 

 シンはその視線を追って、整備棟の陰を見た。

 

 青い体がいた。

 

 昨日と同じように細い脚をたたみ、壁際に体を寄せている。こちらに気づいた瞬間、耳が立ち、首が上がった。額の角が正面を向く。すぐには飛び出してこない。けれど、近づくなという緊張ははっきりある。

 

「……いたな」

 

 シンはその場で止まった。

 

 ミジュマルが「ミジュ」と鳴いて半歩出る。ケルディオはすぐ鼻を鳴らした。前脚の先に、水の気配がほんのわずかににじむ。攻撃というほどではないが、来れば払う、という構えだ。

 

「前行くな」

 

 シンが手を出すと、ミジュマルは不満そうにしながらも止まった。フシデも壁際から離れない。

 

 ケルディオの様子を改めて見る。

 

 右後ろ脚のかばい方は昨日より少しましだ。完全には踏み込めないが、立っているだけなら耐えられるらしい。肩の擦り傷は乾いている。角の根元にも細かな汚れがついていた。どこかで転んだか、狭いところを無理に抜けたのかもしれない。

 

 ただ、変わらないものもある。

 

 逃げ道を見る目だ。

 相手の数を見る速さだ。

 弱っていても背を見せきらない立ち方だ。

 

 野生だけで身につく動きではない。誰かに教えられたか、少なくとも何かを相手にして覚えた癖がある。

 

 そのとき、整備棟の向こうから金属音が響いた。

 

 シャッターを上げる音だ。少し遅れて、作業員の声も近づいてくる。

 

「ポンプの確認先な」

「こっちの資材、午前に運ぶって」

 

 ケルディオの耳がぴんと立った。首がそちらを向く。次の瞬間、逃げようとした。だが、右後ろ脚の踏み込みが浅い。排水溝の縁でわずかによろける。

 

「……まずい」

 

 シンはすぐ周囲を見た。

 

 フェンスの端に、簡単な留め具がある。昨日の細い通路のときと同じように、あれを外せば人ひとり分の隙間は作れそうだった。開いた先は、さらに狭い裏の通りへ抜ける。人は少ない。だが、そこまで行くには排水溝の端を回り込まなければならない。

 

「ミジュマル、フシデ、動くな」

 

「ミジュ」

「フシ」

 

 二匹をその場に残し、シンは排水溝のきわを回った。足場を踏み外すと音が出る。音が出れば、ケルディオが先に跳ねる。だから急ぎながらも、足の置き方は慎重に選んだ。

 

 留め具へ手を伸ばしたところで、ケルディオが低く鼻を鳴らす。

 視線が刺さる。

 前脚が床を打つ。

 

「開けるだけだ」

 

 言っても意味が伝わるとは思っていない。ただ、自分が何をするかをはっきりさせるために口に出した。

 

 金属が擦れる。留め具は思ったより固かったが、二度ひねると外れた。フェンスを少し押すと、狭い隙間ができる。ケルディオなら抜けられる。

 

 だが、開いたからといってすぐ動くわけではない。

 

 ケルディオは逃げ道とこちらを交互に見た。罠かもしれないと疑っているのか、脚の痛みで踏ん切りがつかないのか、その両方か。耳の動きが細かい。

 

 整備棟のほうで台車の車輪が鳴った。

 

 人が来る。

 

 シンは進路から一歩引いた。さらにもう半歩下がる。ミジュマルも空気を読んだのか、「ミジュッ」と短く鳴いて自分から壁際へ寄った。フシデも腹を引いて通り道を空ける。

 

「今なら行ける」

 

 強くもなく、弱くもなく、ただ事実みたいに言う。

 

 ケルディオの肩が揺れた。

 一瞬だけためらう。

 次の瞬間、前脚で床を蹴った。

 

 右後ろ脚が完全にはついてこない。それでも止まらない。細い隙間を体を絞るように抜け、裏の通りへ飛び出す。着地で少し流れたが、倒れずに踏みとどまった。

 

 そのまま行くかと思ったが、ケルディオは一度だけ振り返った。

 

 長くはない。

 ほんの一拍。

 

 シンと、ミジュマルと、フシデを順番に見る。

 それから鼻を小さく鳴らし、人の少ないほうへ走っていった。

 

 シンはすぐフェンスを戻し、留め具をかけ直した。数秒後に作業員が角を曲がる。

 

「危ないから、この辺立ち入りしないでくれよ」

「あ、すみません」

 

 余計なことは言わず、その場を離れる。ミジュマルが「ミジュ!」と勢いよく寄ってきて、フシデも「フシ、フシ」と続く。二匹とも興奮していた。

 

「追わないぞ」

 

 そう言うと、ミジュマルは口を閉じたが、目だけはまだ行った先を追っている。フシデも身体を向けたままだ。

 

「今追ったら、また無理して走る」

 

 自分に言い聞かせるようでもあった。

 

 ケルディオは今、逃げ切るために動いた。あれを後ろから追えば、せっかく作った距離がまた崩れる。助けたいから追う、では済まない相手だということは、昨日より少しはわかっていた。

 

 シンは一度ポケモンセンターへ戻ることにした。水を使ったし、さっきの場ではもう長く留まれない。動くなら、次は人の少ない時間を選んだほうがいい。

 

 戻る途中、ミジュマルはやたらと後ろを振り返っていた。フシデも壁際の振動を探るように前脚を動かしている。二匹とも気になるのだろう。

 

「また行く」

 

 シンが言うと、ミジュマルが「ミジュ」と短く返した。

 それで少しだけ落ち着いた。

 

 ポケモンセンターでは、使った水筒を洗い、布をすすぎ、新しいものも足した。ついでに軽い食べ物を買う。自分たちのぶんと、置いていけるぶんを分ける。待つだけのことでも、準備はいる。

 

 昼のライモンは、朝と別の町になる。

 

 人が増え、音が増え、目に入る色も濃くなる。観覧車の近くでは音楽が流れ、店先には客引きの声が重なる。道を外れれば静かな通りもあるが、どこかで必ず車輪か機械の音が響いている。自然の場所と違って、人の気配が完全に切れることがない。

 

 シンはその中を歩きながら、どこならケルディオが寄りやすいかを見ていった。

 

 日陰が長く残る壁際。

 散水に使う水タンクの近く。

 人通りは少ないが、完全な行き止まりではない場所。

 こちらが待つにしても、相手が逃げるにしても、どちらも無理にならない位置。

 

 観覧車の裏手を回り、少し外れた整備通路へ入ったあたりで、そういう場所があった。金網の内側に散水用のタンクが並び、ホースが巻かれている。床は一部だけ湿っていて、夕方になっても乾ききらなそうだ。作業の人間は昼のあいだに出入りするだろうが、夕方以降は薄くなる。

 

「ここか」

 

 ミジュマルが「ミジュ」と鳴き、フシデも「フシ」と続いた。

 二匹も嫌な感じはしていないらしい。

 

 夕方まで時間をつぶすため、シンは少し遠回りをして町を歩いた。ジムの近くまでは行かない。寄れば余計な目が増える気がした。代わりに売店で水をもう一本買い、日陰でミジュマルとフシデを休ませる。フシデの脚先に砂がたまっていたので、布で軽く拭いた。ミジュマルは暇そうにしていたが、声をかけるとすぐ返事をする。

 

「今日はまだ終わってない」

「ミジュ」

「わかってるならいい」

 

 日が少し傾いてから、もう一度その整備通路へ向かった。

 

 今度は最初から壁際に水を置き、携帯食を小さく割って寄せ、濡らした布をそのそばへ置いた。昨日よりさらに一歩分だけ離れた位置に、自分たちの待つ場所を決める。

 

「ここで待つ」

 

 ミジュマルは不満そうにしっぽを振ったが、座った。フシデも腹を床へつける。

 

 待ち時間は長かった。

 

 人の町でじっとしていると、自然の中で待つのとは違う疲れ方をする。風向きの変化より先に、人の足音や話し声が気になる。曲がり角のたびに誰かが来る。けれど、そのたびに違う匂い、違う靴音、違う速さがある。慣れてくると、それだけでも「関係ない人」と「こっちへ入る人」の区別が少しつくようになる。

 

 ミジュマルは最初のうちこそ落ち着かなかったが、シンが動かないのを見るうちに、足元へ座り直した。フシデはもともと待つのに向いているのか、時々「フシ」と小さく鳴くだけで、ほとんどその場を離れない。

 

 西日が金網にかかり始めたころ、先に反応したのはフシデだった。

 

「フシッ」

 

 腹を浮かせ、建物の陰を向く。

 ミジュマルもすぐ「ミジュ」と低く鳴いた。

 

 青い耳が、壁の向こうからのぞいた。

 

 ケルディオだ。

 

 昼よりさらに慎重だった。すぐ出てこない。人影、水の位置、逃げ道を順に見ているのが動きでわかる。耳の向きが細かく変わる。右後ろ脚はまだ少しかばっているが、朝よりは踏めている。

 

 シンは動かない。

 ミジュマルも、今度は勝手に前へ出なかった。

 フシデも低いまま見ている。

 

 ケルディオはしばらく迷ったあと、ゆっくりと壁際まで出てきた。鼻先を濡れ布へ向け、水のほうへ移り、それからようやく飲み始める。昨日みたいな一気飲みではない。何度か顔を上げ、周囲を確かめながら飲む。食べ物にも口をつけた。

 

 喉が鳴る音は、昨日ほど切羽詰まっていなかった。

 

 ミジュマルが「ミジュ……」と本当に小さく鳴いた。嬉しそうというより、安心したような声だった。フシデも「フシ」と続ける。

 

 ケルディオは耳を揺らしたが、逃げなかった。食べ終えると、その場からすぐ離れずに立ち尽くす。まだ警戒は解いていない。けれど、「飲んだらすぐ逃げる」だけでもなくなっている。

 

 シンはそこで立ち上がった。

 

「戻るぞ」

 

 ミジュマルが驚いたように見上げる。

 

「ここにいたままだと、また気にする」

 

 自分に言い訳しているようにも聞こえたが、それが本音だった。見張るにも限度がある。相手が落ち着く余地を残すなら、こっちが先に退くしかない。

 

 荷物をまとめ、ミジュマルとフシデを連れて歩き出す。あえて振り返らない。十歩、十五歩、通路の角を曲がる。

 

 その直後、ミジュマルが「ミジュ」と小さく鳴いた。

 

 シンは横目でだけ後ろを見た。

 

 建物の影から、青い体が少しだけ出ている。

 

 ケルディオは、ついてきていた。

 

 近くではない。呼んでも来ないし、近づけばすぐ逃げられる距離だ。それでも、自分から逆の方向へは行かず、シンたちの歩くほうへ、影から影へ移っている。完全についてくるわけでもない。見失わない程度に、一定の間隔を保っている。

 

「……そうか」

 

 シンはそれ以上何も言わず、歩幅を変えなかった。

 

 ミジュマルは少しうれしそうにしっぽを振りかけたが、シンの視線に気づいて静かになる。フシデも振り返りはするが、前へは出ない。

 

 追えば壊れる距離がある。

 止まれば逃げる距離もある。

 なら、こちらがいつも通り歩くしかない。

 

 整備通路を抜け、少し広い道へ出る。夕方のライモンは昼の喧騒より一段やわらぐが、それでも人は多い。買い物帰りの人、駅へ向かう学生、仕事を終えたらしい作業着の男たち。シンは人の流れの端を選んで歩いた。ケルディオが無理に人混みを横切らなくて済むように、できるだけ壁際を行く。

 

 途中、売店で水を一本買った。ミジュマルとフシデのぶんを飲ませるためでもあり、もしケルディオがまだついてくるなら、夜のうちにもう一度置いておけると思ったからだ。

 

 店を出たところで、ふいに聞き覚えのある声がした。

 

「あ、また会った」

 

 ホミカだった。

 

 朝とは違う服で、片手に小さな紙袋を提げている。どうやら帰る前にもう少しだけ見て回っていたらしい。ライモンを歩いていること自体は不自然ではない。けれど、この町の人間みたいな顔はしていない。昨日のこともあって、シンはそこに少し安心した。

 

「まだいたのか」

「用事長引いただけ。そっちは?」

「少し歩いてた」

「見ればわかる」

 

 ホミカはそこでミジュマルとフシデを見て、それからシンの肩越しの先へ視線をやった。ケルディオはちょうど建物の陰に隠れていて見えないはずだが、何かある気配くらいは察したらしい。

 

「……あいつ?」

 

 声は落としていた。

 シンも短く返す。

 

「たぶん、まだ後ろにいる」

 

「へえ」

 

 ホミカは振り返らない。

 そのまま、見なかったことにするように視線を戻した。

 

「なら、あたしはこのまま普通に帰る」

「それでいい」

「何、頼りにしようとしないじゃん」

「したら変だろ」

「まあね」

 

 少し笑う。けれど、それ以上この場に残ろうとはしない。

 

「水、足りてる?」

「今買った」

「じゃあ平気か。……その感じなら、まだ触ろうとしないほうがよさそう」

「うん」

「じゃ、また」

 

 ホミカは軽く手を上げて去っていった。ライモンの道に詳しいふうでも、事情を全部わかったふうでもない。ただ、見えた範囲だけ押さえて離れていく。その距離感はやっぱり自然だった。

 

 シンはその背中を長く見送らず、また歩き出した。

 

 後ろを確かめると、少し離れた建物の影に、青い耳だけが見えた。まだいる。

 

 駅前へ近づくにつれて人通りが増える。ここで無理をさせるのはまずい。シンはポケモンセンターへまっすぐ戻るのをやめ、ひとつ裏の静かな通りへ入った。配送車の止まるスペースがあり、軒が深く、壁際に風の抜けない場所がある。夜を明かすには適さないが、ひと休みするには悪くない。

 

 そこへ、買ったばかりの水を半分だけふたへ注ぎ、端に置く。

 食べ物も少しだけ置く。

 

「行くぞ」

 

 ミジュマルが振り返る。

 フシデも止まる。

 

「置いとけば、来るなら来る」

 

 二匹を連れて、その場を離れる。角を曲がる前に一度だけ見た。ケルディオはまだ姿を見せていない。だが、いまはそれでいい。

 

 ポケモンセンターへ戻る道すがら、ミジュマルはやっと声を上げた。

 

「ミジュ! ミジュッ」

 

「わかってる。気になるんだろ」

 

 ミジュマルは何度も頷くみたいに鳴く。フシデも「フシ、フシ」と続いた。

 

「でも今日はここまでだ」

 

 そう言うと、二匹とも完全には納得していない顔だったが、歩くのはやめなかった。

 

 センターの前まで来たところで、シンはふと後ろを見た。

 

 青い影は、いなかった。

 

 さっきの裏通りに残ったのか、もっと別の道へ行ったのかはわからない。けれど、今日は朝みたいに「いなくなった」で終わる感じがしなかった。水を飲んで、食べて、少し離れてついてきて、また自分で止まる。その選び方の中に、昨日よりはっきりした意志があった。

 

 扉を開けて中へ入ると、外の音が少し遠くなる。

 ミジュマルはようやく「ミジュゥ」と長めに鳴き、フシデも壁際で体をほどいた。

 

「疲れたか」

「ミジュ」

「フシ」

 

「俺もだ」

 

 言ってから、シンは少しだけ笑った。

 

 大したことをしたわけじゃない。

 戦ったわけでも、捕まえたわけでも、守りきったわけでもない。

 

 ただ、水を置いた。

 道を空けた。

 追わずに歩いた。

 

 それだけだ。

 

 けれど、その「それだけ」が、今のケルディオには必要だった気がする。そして、たぶんシンのほうにも。

 

 誰でもすぐ隣に来るわけじゃない。

 手を伸ばした分だけ近くなるわけでもない。

 相手が自分で距離を決めるのを待たないと、始まらないことがある。

 

 夜になってから、シンはもう一本だけ水筒を満たした。明日の朝のぶんとは別に、置いていけるぶんを作るためだ。ミジュマルがその様子を見て「ミジュ」と鳴き、フシデも「フシ」と返す。

 

「明日も、いるかはわからない」

 

 二匹は黙って聞いている。

 

「でも、いないならいないでいい。来るなら、そのときまた考える」

 

 答えになっていないような言葉だったが、自分の中ではそれが一番近かった。

 

 窓の外では、ライモンシティの夜の灯りがまた強くなっていく。観覧車の輪郭が明るく浮かび、通りの看板も昼よりはっきり色を持つ。人の町の夜だ。どこかではまだ車が動き、どこかではまだ店が閉まらない。

 

 その明るさのどこかに、青い蹄の音が残っている気がした。

 

 追わないまま、同じ方へ歩けたのなら、今日はそれで十分だ。

 

 シンは窓から目を離し、水筒の栓をきつく締めた。

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