サンヨウシティのポケモンセンターは、カラクサタウンのものよりずっと広かった。
人の出入りも多く、ロビーにはトレーナーだけでなく、買い物帰りらしい町の人や、学校帰りらしい子どもたちの姿もある。
町の拠点というより、生活の流れの一部にそのまま組みこまれているような場所だった。
受付を済ませ、荷物を置き、ひと息ついたところで、ベルがベッドへ倒れこむ。
「町に着いただけなのに、もういっぱいある感じする……」
「着いた直後はいつもそうじゃない?」
トウヤが笑う。
「昨日よりはまだましだろ」
シンが言うと、ベルは顔だけこちらへ向けた。
「昨日が濃すぎたの」
「それは否定できないね」
チェレンは窓際から外を見ていた。
サンヨウシティの通りは、夕方前でもまだ明るく動いている。
人の流れが切れず、道路の向こうにはカフェらしい店も見えた。
「とりあえず、腹ごしらえと情報集めだったよね」
チェレンが振り返る。
「それなら、早めに動いたほうがいい。ジムのことも聞いておきたいし」
「さんせーい」
ベルはさっきまで倒れていたのが嘘みたいに起き上がった。
「お腹すいた」
「結局そこなんだな」
シンが呆れると、ベルは悪びれもせず胸を張る。
「旅って体力勝負だもん」
「間違ってはない」
トウヤが肩をすくめる。
四人は軽く休んでから、再び町へ出た。
サンヨウシティの通りは、歩くだけで目に入るものが多い。
カラクサタウンが広場を中心にまとまった町だとすれば、ここはもっと横へ広がっている。
店が並び、人が行き交い、遠くでは学校の鐘みたいな音も聞こえた。
旅の途中で立ち寄る町、というより、ちゃんと人が積み重ねて暮らしている町だと分かる空気がある。
「なんか、急に都会っぽい」
ベルがきょろきょろと辺りを見回しながら言った。
「カノコとカラクサしか見てない人間が言うと説得力ないな」
シンが返す。
「でも分かるよ」
トウヤが通りの先を見やる。
「広いし、人も多い。目が慣れるまでちょっと落ち着かない」
「落ち着かないのは君たちが周りを見すぎてるからだよ」
チェレンはそう言いながらも、本人もきちんとあちこち観察していた。
まず入ったのは、通り沿いの小さな食堂だった。
ジムと併設のレストランらしい店も気にはなったが、いきなりそこへ行くのは何となく落ち着かないということで、ひとまず別の場所に入ったのである。
昼時を少し外していたせいか、店内はほどよく空いていた。
温かいスープの匂いに、ベルがあからさまに頬をゆるめる。
「もうここ好き」
「入って五秒で言うなよ」
「匂いで分かるときってあるでしょ」
「なくはない」
シンも席につきながら、店内を見回した。
壁にはサンヨウシティ周辺の地図や、町の施設を紹介する紙が貼られている。
学校、夢の跡地、ジム、ポケモンセンター。
旅人向けというより、町に馴染みのない人へ最低限を教えるためのものらしい。
「夢の跡地って何だろ」
ベルが壁の紙を見つけて言う。
「名前ちょっと怖くない?」
「古い施設だろうね」
チェレンがメニューから目を上げる。
「このあたりには昔、研究用の建物があったって本で読んだことがある。今は使われてないはずだ」
「夢って、そういう意味?」
「さあ。名前の由来までは知らない」
「なんか、眠れなくなりそうな名前なんだけど」
「まだ昼だろ」
シンが言うと、ベルは少しむっとした顔になった。
「昼でも怖いものは怖いの」
料理を待つあいだ、四人は自然とジムの話になった。
最初に切り出したのはトウヤだった。
「で、どうする?」
「どうするって?」
「サンヨウジム。今日見に行くか、明日に回すか」
ベルの顔つきが少しだけ引き締まる。
さっきまで食べ物の匂いで浮かれていたのに、ジムという言葉はやはり別物らしい。
チェレンは指先でコップの縁をなぞりながら言った。
「外から見るだけでも意味はあると思う。どんな空気の場所なのか知っておくのは無駄じゃない」
「じゃあ、食べたら行く?」
ベルが聞く。
「見に行くだけならな」
シンはそう答えた。
挑戦するとはまだ言わない。
言わないが、そこを避け続けるつもりもなかった。
最初のジムは近い。
それだけは、もう分かっている。
料理が運ばれてくると、ひとまず会話は途切れた。
焼きたてのパンと、野菜の入ったスープ、それから簡単な肉料理。
豪華というほどではないのに、旅の途中で食べる温かいものはそれだけで少し特別に感じる。
ベルは最初のひと口で目を丸くした。
「おいしい……」
「幸せそうだな」
トウヤが笑う。
「だっておいしいもん」
「君は分かりやすくて助かるよ」
チェレンの言い方は相変わらず少し棘がある。
けれど、昨日までと違って、ベルもいちいち大きくは食ってかからなかった。
「いま褒めた?」
「半分くらいは」
「じゃあ半分だけ受け取っとく」
そんなやり取りを聞きながら、シンはミジュマルのほうを見た。
相棒も足もとで落ち着いて待っている。
昨日より、こうして人の多い場所でもそわそわしなくなった気がした。
慣れ始めているのは、自分だけではないのかもしれない。
食事を終えて店を出ると、日差しは少しだけ傾き始めていた。
通りの先へ進むにつれ、人の流れがゆるやかにひとつの方向へ寄っていく。
その先にあったのが、噂のジムだった。
「……ほんとに店じゃん」
ベルが率直すぎる感想を漏らす。
サンヨウジムは、外から見れば完全に洒落たレストランだった。
大きなガラス窓、整えられた看板、扉の前に置かれた鉢植え。
いかにも勝負の場、という圧迫感はない。
むしろ町の人気店らしい入りやすさがある。
それがかえって妙だった。
「これが最初のジムか」
トウヤが面白そうに言う。
「いきなり予想と違うな」
「見た目で油断させるつもりかもしれないよ」
チェレンが静かに返す。
「君は何でも戦略に見すぎじゃない?」
ベルが言うと、チェレンは少しだけ肩をすくめた。
「ジムなんだから、実際そういう面はあるだろ」
シンは店の扉を見つめた。
ここを開ければ、もうただの見学では済まないかもしれない。
そんな気がして、ほんの一瞬だけ足が止まる。
すると、まるでそれを見透かしたみたいなタイミングで扉が開いた。
出てきたのは、白いシャツに黒いベストを着た青年だった。
柔らかい笑みを浮かべた、給仕姿の男。
だが、その目は客商売の穏やかさだけで出来ているわけではないと、ひと目で分かった。
「いらっしゃいませ」
穏やかな声だった。
その背後から、もう二人、よく似た顔立ちの青年が顔を出す。
髪色も雰囲気も少しずつ違うが、三人が兄弟だとすぐに分かった。
「おや、新しいお客さん?」
「それとも、挑戦者かな?」
最後に出てきた一人が楽しそうに言う。
ベルが一歩たじろいだ。
「え、あ、ちが、違わなくはないです」
「どっちだよ」
シンが小声で言うと、ベルが肘で小さく押してくる。
最初に出てきた青年が、くすりと笑った。
「初めての町で、初めてのジム。迷うのは自然なことです」
その言い方には、不思議と見下す感じがなかった。
ただ事実として受け止めている響きがある。
「オレはポッド」
赤髪の青年が胸に手を当てる。
「コーンだよ」
青髪の青年が軽く手を振る。
そして最初に出てきた緑の髪の青年が、静かに一礼した。
「デントです。サンヨウジムへようこそ」
やはり、ただの給仕ではない。
この三人がジムリーダーなのだと、説明される前から分かった。
ベルが慌てて姿勢を正す。
「よ、よろしくお願いします」
「そんなに緊張しなくても大丈夫」
コーンが笑う。
「まだ勝負って決まったわけじゃないだろ?」
「見に来ただけでも歓迎するよ」
ポッドが続ける。
「ジムって、入りづらそうに見えることもあるからね」
シンは三人を順に見た。
雰囲気はそれぞれ違う。
だが、共通しているものもある。
軽く話していても、相手をよく見ている目だ。
旅に出たばかりの四人の何を見抜いているのかは分からないが、少なくとも表情だけで接している感じではなかった。
デントが柔らかく尋ねる。
「挑戦を考えているなら、少し町を歩いてみるのもいいですよ。トレーナースクールで基礎を見直す人もいますし、夢の跡地へ足を運ぶ人もいます」
「夢の跡地?」
シンが聞き返す。
「町の外れにある古い施設です」
デントは答えた。
「静かな場所ですが、野生のポケモンもいます。自分と相棒の調子を確かめるには悪くありません」
ポッドがにっと笑う。
「もちろん、いきなり来てもらっても構わないよ。歓迎する」
「でも、最初の一歩は納得して踏みきったほうがいい」
コーンが言う。
「負けても勝っても、最初って残るからさ」
その言葉は妙にまっすぐだった。
営業用の愛想ではなく、実感のある口調だったからだろう。
四人は自然と顔を見合わせた。
デントが最後に一歩だけ身を引く。
「お待ちしています」
それだけ言って、三人はまた店の中へ戻っていった。
扉が閉じたあともしばらく、四人はその場で黙っていた。
最初に息をついたのはベルだった。
「思ってたより、すごかった……」
「何が」
トウヤが聞く。
「うまく言えないけど、ちゃんと強そうだった」
それは曖昧で、でも間違ってはいなかった。
シンも似たようなことを感じていた。
威圧されるほどではない。
けれど、軽く見ていい相手じゃないと分かる。
笑っていても、奥に崩れないものがある。
「行くなら、やっぱり準備はしておきたいね」
チェレンが言う。
「スクールと、夢の跡地か」
「両方見る?」
トウヤが訊く。
ベルは少し考えたあと、こくりと頷いた。
「見る。……怖いけど、見ないまま挑むのはもっと嫌」
「夢の跡地の話?」
シンが聞くと、ベルはむっとした。
「両方!」
その答えが妙にベルらしくて、シンは少しだけ口元を緩めた。
最初に向かったのはトレーナースクールだった。
町の中心から少し離れたところにある建物は、外からでも活気が伝わってくる。
窓の向こうでは黒板に向かって話を聞く子どもたちがいて、裏手の小さなスペースでは簡単な模擬戦らしきものも行われていた。
「こういう場所、ちゃんとあるんだな」
トウヤが言う。
「当たり前だけどさ、旅に出る前の人もいるんだよね」
その言葉で、シンは少しだけ立ち止まりそうになった。
ほんの二日前まで、自分たちもあちら側だった。
外へ出る前の側。
まだ知らないもののほうが多かった側だ。
もちろん、今だって知らないことだらけだ。
けれど、一度外の道を歩いただけで、戻れない線のようなものは確かに引かれている気がした。
スクールの掲示板には、ポケモンの相性表や、状態異常の基礎、バトルでの位置取りに関する簡単な解説まで貼られていた。
ベルが真剣な顔で見つめる。
「こういうの、旅に出る前にもっとちゃんと見とけばよかったかも……」
「今からでも遅くないだろ」
シンが言う。
「むしろ、実際に戦ってから見ると分かることもある」
チェレンが頷いた。
「昨日より今日のほうが、この手の情報は頭に入りやすいはずだ」
ベルは少しだけ驚いた顔をしたあと、小さく笑った。
「いまのチェレン、ちょっと優しかった」
「事実を言っただけだよ」
「それで十分なの」
スクールを出た頃には、日がさらに傾いていた。
夢の跡地は町の外れ、少し人通りの薄くなるほうにあるらしい。
通りを離れて歩いていくにつれ、にぎやかだった町の音が後ろへ退いていく。
建物の並びがまばらになり、代わりに空き地や古い塀が増えた。
やがて見えてきたのは、半ば崩れた白い建物だった。
かつてはきれいに整えられていたのだろうが、今は草が伸び、窓枠もところどころ傷んでいる。
「……ほんとにちょっと怖い」
ベルが声を潜める。
「名前のせいだけじゃなかったね」
トウヤが苦笑した。
「でも、完全に危ないって感じでもないな」
実際、近づいてみれば不気味さよりも、使われなくなった場所特有の静けさのほうが強かった。
人の気配が途切れたあとの空白。
それだけに、風が抜ける音や草の揺れる気配が妙にはっきり耳に入る。
ミジュマルがシンの足もとで鼻を鳴らした。
警戒しているというより、落ち着かないらしい。
「無理に中まで入らなくてもいい」
チェレンが周囲を見回しながら言う。
「今日は場所を確認するだけでも十分だろう」
その判断はもっともだった。
だが、ここまで来て何も見ずに帰るのも、それはそれで収まりが悪い。
シンが崩れかけた塀の向こうを覗こうとした、そのときだった。
建物の裏手の草むらから、ふわりと桃色の影がよぎった。
「え」
ベルが小さく声を上げる。
影は一瞬だけ姿を見せ、すぐに奥へ消える。
丸みのある体つき。
浮かぶような、やわらかな動き。
「いまの、ポケモン?」
トウヤが目を細める。
「たぶん」
チェレンもすぐに否定はしなかった。
ベルはさっきまでの怖がり方を少し忘れたみたいに、身を乗り出す。
「見た? なんかすごくかわいかった」
「お前、切り替え早いな」
「だってかわいかったし」
シンも、ほんの一瞬だけ見えたその姿を思い返す。
見間違いでなければ、あれはムンナだろうか。
カノコにいた頃、本で見たことがある。
夢を食べるとも言われる、不思議なポケモン。
この場所の名前と結びつくのが、いかにもそれらしかった。
「追う?」
トウヤが聞いた。
その声に、四人ともすぐには答えなかった。
追えば、もう“場所を見ただけ”では終わらない。
野生の気配がある以上、何か起こる可能性もある。
それに、日はもう落ちかけていた。
シンは少しだけ考え、草むらの奥を見た。
そこにはまだ静けさがある。
けれど、ただ静かなだけではない何かも、確かに潜んでいる気がした。
「今日はやめとく」
最後にそう言ったのはシンだった。
「明るいうちに戻れる距離じゃあるけど、半端な気持ちで入る場所じゃなさそうだ」
チェレンが小さく頷く。
「賛成だ」
ベルも少し名残惜しそうにしながら、反対はしなかった。
「……うん。ちゃんと見るなら、ちゃんと見る日にしたい」
「何その言い方」
シンが言うと、ベルは少しむっとする。
「伝わるでしょ」
「まあ、たぶんな」
戻る道すがら、町の灯りが少しずつ目立ち始めていた。
昼間は広く感じた通りも、夕方になると別の顔を見せる。
店先に灯る明かり、家路を急ぐ人の足音、窓の向こうから漏れる食器の触れ合う音。
サンヨウジムのレストランにも灯りが入り、外から見える店内は温かな色に染まっていた。
あそこが勝負の場だということが、改めて不思議に思える。
「明日、どうする?」
ポケモンセンターへ戻る途中で、トウヤが聞いた。
チェレンが先に答える。
「午前中に夢の跡地を見て、それからジムでもいい。あるいは先にジムへ行く選択肢もある」
「僕は夢の跡地を先に見たいかな」
と自分で言いかけて、シンは少しだけ驚いた。
声に出してみて、はじめて本当にそう思っていたのだと気づく。
ミジュマルも足もとで短く鳴いた。
「お前も同じか」
相棒は胸を張る。
ベルがその様子を見て、ちょっと笑った。
「じゃあ、決まりっぽいね」
「怖いんじゃなかったの?」
トウヤがからかう。
「怖いよ。でも、見たら気になるもん」
「結局そこか」
「そこです」
言い切るベルの顔は、最初に町へ入ったときより少しだけしっかりして見えた。
不安が消えたわけじゃない。
それでも、不安ごと抱えて次を見に行こうとしている。
たぶん、自分たち四人とも少しずつそうなり始めているのだろう。
ポケモンセンターへ戻ると、ロビーの灯りがやけに明るく感じられた。
今日だけで何か大きく進んだわけではない。
ジムにも挑んでいないし、夢の跡地にも本格的には入っていない。
けれど、最初の壁の輪郭は昨日よりはっきり見えた。
どこへ向かえばいいかも、少しだけ見えてきた。
ベッドに腰を下ろし、シンは窓の外の夜を見た。
町の向こうには、あの古い建物がある。
そのさらに先に、ジムがある。
明日どちらへ足を向けるかは、もう半分決まっていた。
ミジュマルが先に寝床へ丸くなる。
シンはその背中を見て、小さく息を吐いた。
答えはまだない。
でも、急がなくてもいいのかもしれない。
確かめてから進むことも、たぶん旅の一部だ。
そしてその確認の先に、きっと次の勝負が待っている。
サンヨウシティの二日目は、そうして静かに次の朝へ続いていった。