BW素晴らしきイッシュ   作:もののふ教

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第7話 はじめての壁は、妙にいい匂いがした

サンヨウシティのポケモンセンターは、カラクサタウンのものよりずっと広かった。

 

人の出入りも多く、ロビーにはトレーナーだけでなく、買い物帰りらしい町の人や、学校帰りらしい子どもたちの姿もある。

 

町の拠点というより、生活の流れの一部にそのまま組みこまれているような場所だった。

 

受付を済ませ、荷物を置き、ひと息ついたところで、ベルがベッドへ倒れこむ。

 

「町に着いただけなのに、もういっぱいある感じする……」

 

「着いた直後はいつもそうじゃない?」

 

トウヤが笑う。

 

「昨日よりはまだましだろ」

 

シンが言うと、ベルは顔だけこちらへ向けた。

 

「昨日が濃すぎたの」

 

「それは否定できないね」

 

チェレンは窓際から外を見ていた。

 

サンヨウシティの通りは、夕方前でもまだ明るく動いている。

 

人の流れが切れず、道路の向こうにはカフェらしい店も見えた。

 

「とりあえず、腹ごしらえと情報集めだったよね」

 

チェレンが振り返る。

 

「それなら、早めに動いたほうがいい。ジムのことも聞いておきたいし」

 

「さんせーい」

 

ベルはさっきまで倒れていたのが嘘みたいに起き上がった。

 

「お腹すいた」

 

「結局そこなんだな」

 

シンが呆れると、ベルは悪びれもせず胸を張る。

 

「旅って体力勝負だもん」

 

「間違ってはない」

 

トウヤが肩をすくめる。

 

四人は軽く休んでから、再び町へ出た。

 

サンヨウシティの通りは、歩くだけで目に入るものが多い。

 

カラクサタウンが広場を中心にまとまった町だとすれば、ここはもっと横へ広がっている。

 

店が並び、人が行き交い、遠くでは学校の鐘みたいな音も聞こえた。

 

旅の途中で立ち寄る町、というより、ちゃんと人が積み重ねて暮らしている町だと分かる空気がある。

 

「なんか、急に都会っぽい」

 

ベルがきょろきょろと辺りを見回しながら言った。

 

「カノコとカラクサしか見てない人間が言うと説得力ないな」

 

シンが返す。

 

「でも分かるよ」

 

トウヤが通りの先を見やる。

 

「広いし、人も多い。目が慣れるまでちょっと落ち着かない」

 

「落ち着かないのは君たちが周りを見すぎてるからだよ」

 

チェレンはそう言いながらも、本人もきちんとあちこち観察していた。

 

まず入ったのは、通り沿いの小さな食堂だった。

 

ジムと併設のレストランらしい店も気にはなったが、いきなりそこへ行くのは何となく落ち着かないということで、ひとまず別の場所に入ったのである。

 

昼時を少し外していたせいか、店内はほどよく空いていた。

 

温かいスープの匂いに、ベルがあからさまに頬をゆるめる。

 

「もうここ好き」

 

「入って五秒で言うなよ」

 

「匂いで分かるときってあるでしょ」

 

「なくはない」

 

シンも席につきながら、店内を見回した。

 

壁にはサンヨウシティ周辺の地図や、町の施設を紹介する紙が貼られている。

 

学校、夢の跡地、ジム、ポケモンセンター。

 

旅人向けというより、町に馴染みのない人へ最低限を教えるためのものらしい。

 

「夢の跡地って何だろ」

 

ベルが壁の紙を見つけて言う。

 

「名前ちょっと怖くない?」

 

「古い施設だろうね」

 

チェレンがメニューから目を上げる。

 

「このあたりには昔、研究用の建物があったって本で読んだことがある。今は使われてないはずだ」

 

「夢って、そういう意味?」

 

「さあ。名前の由来までは知らない」

 

「なんか、眠れなくなりそうな名前なんだけど」

 

「まだ昼だろ」

 

シンが言うと、ベルは少しむっとした顔になった。

 

「昼でも怖いものは怖いの」

 

料理を待つあいだ、四人は自然とジムの話になった。

 

最初に切り出したのはトウヤだった。

 

「で、どうする?」

 

「どうするって?」

 

「サンヨウジム。今日見に行くか、明日に回すか」

 

ベルの顔つきが少しだけ引き締まる。

 

さっきまで食べ物の匂いで浮かれていたのに、ジムという言葉はやはり別物らしい。

 

チェレンは指先でコップの縁をなぞりながら言った。

 

「外から見るだけでも意味はあると思う。どんな空気の場所なのか知っておくのは無駄じゃない」

 

「じゃあ、食べたら行く?」

 

ベルが聞く。

 

「見に行くだけならな」

 

シンはそう答えた。

 

挑戦するとはまだ言わない。

 

言わないが、そこを避け続けるつもりもなかった。

 

最初のジムは近い。

 

それだけは、もう分かっている。

 

料理が運ばれてくると、ひとまず会話は途切れた。

 

焼きたてのパンと、野菜の入ったスープ、それから簡単な肉料理。

 

豪華というほどではないのに、旅の途中で食べる温かいものはそれだけで少し特別に感じる。

 

ベルは最初のひと口で目を丸くした。

 

「おいしい……」

 

「幸せそうだな」

 

トウヤが笑う。

 

「だっておいしいもん」

 

「君は分かりやすくて助かるよ」

 

チェレンの言い方は相変わらず少し棘がある。

 

けれど、昨日までと違って、ベルもいちいち大きくは食ってかからなかった。

 

「いま褒めた?」

 

「半分くらいは」

 

「じゃあ半分だけ受け取っとく」

 

そんなやり取りを聞きながら、シンはミジュマルのほうを見た。

 

相棒も足もとで落ち着いて待っている。

 

昨日より、こうして人の多い場所でもそわそわしなくなった気がした。

 

慣れ始めているのは、自分だけではないのかもしれない。

 

食事を終えて店を出ると、日差しは少しだけ傾き始めていた。

 

通りの先へ進むにつれ、人の流れがゆるやかにひとつの方向へ寄っていく。

 

その先にあったのが、噂のジムだった。

 

「……ほんとに店じゃん」

 

ベルが率直すぎる感想を漏らす。

 

サンヨウジムは、外から見れば完全に洒落たレストランだった。

 

大きなガラス窓、整えられた看板、扉の前に置かれた鉢植え。

 

いかにも勝負の場、という圧迫感はない。

 

むしろ町の人気店らしい入りやすさがある。

 

それがかえって妙だった。

 

「これが最初のジムか」

 

トウヤが面白そうに言う。

 

「いきなり予想と違うな」

 

「見た目で油断させるつもりかもしれないよ」

 

チェレンが静かに返す。

 

「君は何でも戦略に見すぎじゃない?」

 

ベルが言うと、チェレンは少しだけ肩をすくめた。

 

「ジムなんだから、実際そういう面はあるだろ」

 

シンは店の扉を見つめた。

 

ここを開ければ、もうただの見学では済まないかもしれない。

 

そんな気がして、ほんの一瞬だけ足が止まる。

 

すると、まるでそれを見透かしたみたいなタイミングで扉が開いた。

 

出てきたのは、白いシャツに黒いベストを着た青年だった。

 

柔らかい笑みを浮かべた、給仕姿の男。

 

だが、その目は客商売の穏やかさだけで出来ているわけではないと、ひと目で分かった。

 

「いらっしゃいませ」

 

穏やかな声だった。

 

その背後から、もう二人、よく似た顔立ちの青年が顔を出す。

 

髪色も雰囲気も少しずつ違うが、三人が兄弟だとすぐに分かった。

 

「おや、新しいお客さん?」

 

「それとも、挑戦者かな?」

 

最後に出てきた一人が楽しそうに言う。

 

ベルが一歩たじろいだ。

 

「え、あ、ちが、違わなくはないです」

 

「どっちだよ」

 

シンが小声で言うと、ベルが肘で小さく押してくる。

 

最初に出てきた青年が、くすりと笑った。

 

「初めての町で、初めてのジム。迷うのは自然なことです」

 

その言い方には、不思議と見下す感じがなかった。

 

ただ事実として受け止めている響きがある。

 

「オレはポッド」

 

赤髪の青年が胸に手を当てる。

 

「コーンだよ」

 

青髪の青年が軽く手を振る。

 

そして最初に出てきた緑の髪の青年が、静かに一礼した。

 

「デントです。サンヨウジムへようこそ」

 

やはり、ただの給仕ではない。

 

この三人がジムリーダーなのだと、説明される前から分かった。

 

ベルが慌てて姿勢を正す。

 

「よ、よろしくお願いします」

 

「そんなに緊張しなくても大丈夫」

 

コーンが笑う。

 

「まだ勝負って決まったわけじゃないだろ?」

 

「見に来ただけでも歓迎するよ」

 

ポッドが続ける。

 

「ジムって、入りづらそうに見えることもあるからね」

 

シンは三人を順に見た。

 

雰囲気はそれぞれ違う。

 

だが、共通しているものもある。

 

軽く話していても、相手をよく見ている目だ。

 

旅に出たばかりの四人の何を見抜いているのかは分からないが、少なくとも表情だけで接している感じではなかった。

 

デントが柔らかく尋ねる。

 

「挑戦を考えているなら、少し町を歩いてみるのもいいですよ。トレーナースクールで基礎を見直す人もいますし、夢の跡地へ足を運ぶ人もいます」

 

「夢の跡地?」

 

シンが聞き返す。

 

「町の外れにある古い施設です」

 

デントは答えた。

 

「静かな場所ですが、野生のポケモンもいます。自分と相棒の調子を確かめるには悪くありません」

 

ポッドがにっと笑う。

 

「もちろん、いきなり来てもらっても構わないよ。歓迎する」

 

「でも、最初の一歩は納得して踏みきったほうがいい」

 

コーンが言う。

 

「負けても勝っても、最初って残るからさ」

 

その言葉は妙にまっすぐだった。

 

営業用の愛想ではなく、実感のある口調だったからだろう。

 

四人は自然と顔を見合わせた。

 

デントが最後に一歩だけ身を引く。

 

「お待ちしています」

 

それだけ言って、三人はまた店の中へ戻っていった。

 

扉が閉じたあともしばらく、四人はその場で黙っていた。

 

最初に息をついたのはベルだった。

 

「思ってたより、すごかった……」

 

「何が」

 

トウヤが聞く。

 

「うまく言えないけど、ちゃんと強そうだった」

 

それは曖昧で、でも間違ってはいなかった。

 

シンも似たようなことを感じていた。

 

威圧されるほどではない。

 

けれど、軽く見ていい相手じゃないと分かる。

 

笑っていても、奥に崩れないものがある。

 

「行くなら、やっぱり準備はしておきたいね」

 

チェレンが言う。

 

「スクールと、夢の跡地か」

 

「両方見る?」

 

トウヤが訊く。

 

ベルは少し考えたあと、こくりと頷いた。

 

「見る。……怖いけど、見ないまま挑むのはもっと嫌」

 

「夢の跡地の話?」

 

シンが聞くと、ベルはむっとした。

 

「両方!」

 

その答えが妙にベルらしくて、シンは少しだけ口元を緩めた。

 

最初に向かったのはトレーナースクールだった。

 

町の中心から少し離れたところにある建物は、外からでも活気が伝わってくる。

 

窓の向こうでは黒板に向かって話を聞く子どもたちがいて、裏手の小さなスペースでは簡単な模擬戦らしきものも行われていた。

 

「こういう場所、ちゃんとあるんだな」

 

トウヤが言う。

 

「当たり前だけどさ、旅に出る前の人もいるんだよね」

 

その言葉で、シンは少しだけ立ち止まりそうになった。

 

ほんの二日前まで、自分たちもあちら側だった。

 

外へ出る前の側。

 

まだ知らないもののほうが多かった側だ。

 

もちろん、今だって知らないことだらけだ。

 

けれど、一度外の道を歩いただけで、戻れない線のようなものは確かに引かれている気がした。

 

スクールの掲示板には、ポケモンの相性表や、状態異常の基礎、バトルでの位置取りに関する簡単な解説まで貼られていた。

 

ベルが真剣な顔で見つめる。

 

「こういうの、旅に出る前にもっとちゃんと見とけばよかったかも……」

 

「今からでも遅くないだろ」

 

シンが言う。

 

「むしろ、実際に戦ってから見ると分かることもある」

 

チェレンが頷いた。

 

「昨日より今日のほうが、この手の情報は頭に入りやすいはずだ」

 

ベルは少しだけ驚いた顔をしたあと、小さく笑った。

 

「いまのチェレン、ちょっと優しかった」

 

「事実を言っただけだよ」

 

「それで十分なの」

 

スクールを出た頃には、日がさらに傾いていた。

 

夢の跡地は町の外れ、少し人通りの薄くなるほうにあるらしい。

 

通りを離れて歩いていくにつれ、にぎやかだった町の音が後ろへ退いていく。

 

建物の並びがまばらになり、代わりに空き地や古い塀が増えた。

 

やがて見えてきたのは、半ば崩れた白い建物だった。

 

かつてはきれいに整えられていたのだろうが、今は草が伸び、窓枠もところどころ傷んでいる。

 

「……ほんとにちょっと怖い」

 

ベルが声を潜める。

 

「名前のせいだけじゃなかったね」

 

トウヤが苦笑した。

 

「でも、完全に危ないって感じでもないな」

 

実際、近づいてみれば不気味さよりも、使われなくなった場所特有の静けさのほうが強かった。

 

人の気配が途切れたあとの空白。

 

それだけに、風が抜ける音や草の揺れる気配が妙にはっきり耳に入る。

 

ミジュマルがシンの足もとで鼻を鳴らした。

 

警戒しているというより、落ち着かないらしい。

 

「無理に中まで入らなくてもいい」

 

チェレンが周囲を見回しながら言う。

 

「今日は場所を確認するだけでも十分だろう」

 

その判断はもっともだった。

 

だが、ここまで来て何も見ずに帰るのも、それはそれで収まりが悪い。

 

シンが崩れかけた塀の向こうを覗こうとした、そのときだった。

 

建物の裏手の草むらから、ふわりと桃色の影がよぎった。

 

「え」

 

ベルが小さく声を上げる。

 

影は一瞬だけ姿を見せ、すぐに奥へ消える。

 

丸みのある体つき。

 

浮かぶような、やわらかな動き。

 

「いまの、ポケモン?」

 

トウヤが目を細める。

 

「たぶん」

 

チェレンもすぐに否定はしなかった。

 

ベルはさっきまでの怖がり方を少し忘れたみたいに、身を乗り出す。

 

「見た? なんかすごくかわいかった」

 

「お前、切り替え早いな」

 

「だってかわいかったし」

 

シンも、ほんの一瞬だけ見えたその姿を思い返す。

 

見間違いでなければ、あれはムンナだろうか。

 

カノコにいた頃、本で見たことがある。

 

夢を食べるとも言われる、不思議なポケモン。

 

この場所の名前と結びつくのが、いかにもそれらしかった。

 

「追う?」

 

トウヤが聞いた。

 

その声に、四人ともすぐには答えなかった。

 

追えば、もう“場所を見ただけ”では終わらない。

 

野生の気配がある以上、何か起こる可能性もある。

 

それに、日はもう落ちかけていた。

 

シンは少しだけ考え、草むらの奥を見た。

 

そこにはまだ静けさがある。

 

けれど、ただ静かなだけではない何かも、確かに潜んでいる気がした。

 

「今日はやめとく」

 

最後にそう言ったのはシンだった。

 

「明るいうちに戻れる距離じゃあるけど、半端な気持ちで入る場所じゃなさそうだ」

 

チェレンが小さく頷く。

 

「賛成だ」

 

ベルも少し名残惜しそうにしながら、反対はしなかった。

 

「……うん。ちゃんと見るなら、ちゃんと見る日にしたい」

 

「何その言い方」

 

シンが言うと、ベルは少しむっとする。

 

「伝わるでしょ」

 

「まあ、たぶんな」

 

戻る道すがら、町の灯りが少しずつ目立ち始めていた。

 

昼間は広く感じた通りも、夕方になると別の顔を見せる。

 

店先に灯る明かり、家路を急ぐ人の足音、窓の向こうから漏れる食器の触れ合う音。

 

サンヨウジムのレストランにも灯りが入り、外から見える店内は温かな色に染まっていた。

 

あそこが勝負の場だということが、改めて不思議に思える。

 

「明日、どうする?」

 

ポケモンセンターへ戻る途中で、トウヤが聞いた。

 

チェレンが先に答える。

 

「午前中に夢の跡地を見て、それからジムでもいい。あるいは先にジムへ行く選択肢もある」

 

「僕は夢の跡地を先に見たいかな」

 

と自分で言いかけて、シンは少しだけ驚いた。

 

声に出してみて、はじめて本当にそう思っていたのだと気づく。

 

ミジュマルも足もとで短く鳴いた。

 

「お前も同じか」

 

相棒は胸を張る。

 

ベルがその様子を見て、ちょっと笑った。

 

「じゃあ、決まりっぽいね」

 

「怖いんじゃなかったの?」

 

トウヤがからかう。

 

「怖いよ。でも、見たら気になるもん」

 

「結局そこか」

 

「そこです」

 

言い切るベルの顔は、最初に町へ入ったときより少しだけしっかりして見えた。

 

不安が消えたわけじゃない。

 

それでも、不安ごと抱えて次を見に行こうとしている。

 

たぶん、自分たち四人とも少しずつそうなり始めているのだろう。

 

ポケモンセンターへ戻ると、ロビーの灯りがやけに明るく感じられた。

 

今日だけで何か大きく進んだわけではない。

 

ジムにも挑んでいないし、夢の跡地にも本格的には入っていない。

 

けれど、最初の壁の輪郭は昨日よりはっきり見えた。

 

どこへ向かえばいいかも、少しだけ見えてきた。

 

ベッドに腰を下ろし、シンは窓の外の夜を見た。

 

町の向こうには、あの古い建物がある。

 

そのさらに先に、ジムがある。

 

明日どちらへ足を向けるかは、もう半分決まっていた。

 

ミジュマルが先に寝床へ丸くなる。

 

シンはその背中を見て、小さく息を吐いた。

 

答えはまだない。

 

でも、急がなくてもいいのかもしれない。

 

確かめてから進むことも、たぶん旅の一部だ。

 

そしてその確認の先に、きっと次の勝負が待っている。

 

サンヨウシティの二日目は、そうして静かに次の朝へ続いていった。

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