BW素晴らしきイッシュ   作:もののふ教

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短編 近いところの水

 

 

 

 熱は、朝からもう地面の中にあった。

 

 石のにおい。鉄のにおい。夜のあいだに少しだけやわらいだ熱が、日が上がる前からまた戻ってくる。脚を置くたび、右の後ろがわずかに重い。走れないわけではない。けれど、遠くへ抜けるなら、何度も地面を選ばなければならない。

 

 青い小さな体は、影の中で耳だけを動かしていた。

 

 人の町は落ち着かない。音が切れない。遠くで車輪が鳴り、どこかで扉が動き、知らない足音が急に近づいてきて、何事もなかったみたいに離れていく。草の中や岩場と違って、気配の筋が読みにくい。

 

 だから、本当なら、同じ場所に長くいるのはよくない。

 

 それでもそこに残っていたのは、水があったからだけではなかった。

 

 最初は水だった。

 

 乾いた喉に、冷たいものが落ちる。脚のそばに置かれた濡れた布も、熱を持ったところに当てれば少しましだった。人が置いたものを使うのは好きではない。気に食わない。見つかれば囲われる。近づけば掴まれる。そういうものだと、体のほうが先に知っている。

 

 けれど、あの人間は違った。

 

 寄ってこない。

 前に立ちすぎない。

 見ていても、見張るみたいに詰めてこない。

 水を置くと、少し離れる。

 

 あの青い顔の小さいのも、丸い体のやつも、最初はうるさかった。気配が近い。動きが速い。こっちを気にしすぎる。

 

 だが、止まるときは止まった。

 

 前へ出たいのに、出ない。

 追いたいのに、追わない。

 こっちが動く場所を、ちゃんと空ける。

 

 それは変だった。

 

 人間の連れているポケモンなら、人間より先に詰めてくることも多い。逃げ道を塞ぎ、力で押してくることもある。けれど、あの二匹は、途中からそうしなくなった。

 

 いつからか。

 

 たぶん、水のそばでこちらが止まっても、すぐには来なかった頃からだ。

 

 たぶん、場所を移すとき、先に道だけ作って、追い立てなかった頃からだ。

 

 たぶん、倒れかけた金属の下で、小さな灰色のやつを逃がすとき、同じ方向へ動いたときからだ。

 

 あの時、考えるより先に脚が出ていた。

 

 細いのが奥で鳴いた。金属が崩れる音がした。逃げるなら、反対へ飛べばよかった。そうすれば当たらずに済んだ。脚だって痛めずに済んだ。

 

 それでも、体は前に出た。

 

 狭いところに自分の肩を入れて、落ちてくるものを一度受けた。重かった。脚にもひびいた。けれど、その一瞬、横から水の匂いのする小さいのがぶつかり、丸いのが手前を動かし、人間が押し戻した。

 

 誰かが叫んでいた。意味はわからない。ただ、声の向きと動く向きが同じだった。

 

 ひとつの方向だった。

 

 それが、あとに残った。

 

 人間のそばは落ち着かない。

 目がある。

 手がある。

 捕まえようとするかもしれない。

 

 でも、あの人間はまだ、捕まえに来ていない。

 

 水を置く。

 布を置く。

 危ない音がすれば先に見る。

 逃げ道のあるほうへ動く。

 

 そして、自分で決めるぶんを残す。

 

 それがわかるようになってから、影の奥だけにいる必要が少し薄くなった。

 

 奥は安全だ。

 でも、奥にいすぎると、入口の音が遅れる。

 人が来るのも、別の野生が入るのも、一歩遅れて知ることになる。

 それに、水を置きに来る足音も遠い。

 

 近いところにいれば、早くわかる。

 

 誰が来たのか。

 どの足音か。

 置かれた水の位置がどこか。

 あの二匹が騒ぎすぎていないか。

 人間が今日はどこへ座るのか。

 

 それを見ていたかった。

 

 見ていれば、危ないときに先に動ける。

 逃げるか、残るか、自分で決められる。

 何も見えない奥にいるより、そのほうがよかった。

 

 だから、手前に残った。

 

 水が近いから、だけではない。

 影がそこまで伸びていたから、だけでもない。

 

 あの人間たちが、毎回同じように来るのを知っていたからだ。

 

 最初に角で止まる。

 すぐには入ってこない。

 水を置く。

 離れる。

 音があれば、みんなでそちらを見る。

 

 変わらない動きは、読みやすい。

 読みやすいものは、怖さが少し薄い。

 

 通路の入口まで出たとき、三つの気配はもう帰る向きになっていた。

 

 青い小さいのが振り返る。

 丸いのも止まる。

 人間は少しだけ身を低くした。

 

 近づいてこない。

 呼びもしない。

 ただ、そこにいた。

 

 だから、引かなかった。

 

 奥へ戻ることもできた。

 影の深いほうへ下がれば、見えにくくなる。

 けれど、その日はそうしなかった。

 

 入口の近くに残った。

 

 近いところのほうが、次の足音が早くわかる。

 水も近い。

 もしまた何か倒れてきたら、前へ出やすい。

 あの二匹がどこにいるかも見える。

 

 それに――

 

 遠ざかっていく三つの気配を見送っても、すぐには戻ってこないと、もう知っていた。

 

 追ってこない。

 振り返りすぎない。

 それでも、また来る。

 

 その繰り返しが、少しずつ体に残っていた。

 

 だから、残った。

 

 喉が渇いていたからでも、

 脚が痛かったからでも、

 ひとりでは休みにくかったからでもある。

 

 けれど、それだけではない。

 

 あの人間たちがいる近さは、まだ落ち着かない。

 でも、いまの自分には、もう完全に遠ざけるほどのものでもなかった。

 

 通路の入口に立ったまま、青い体は耳をひとつ動かした。

 

 遠くでまた、町の音が鳴っている。

 けれど、さっきまでそこにいた三つの気配の残り方は、それとは少し違っていた。

 

 次に来る足音を待つみたいに、

 ケルディオはそのまま、手前の位置に残っていた。

 

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