恋愛アシストしてるつもりの元アラサー高校生   作:くじら421

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こんな話を読んでみたい
頼むから誰か書いてください

主人公がアラサーを自覚しているからこそ女子高生と恋愛する気なぞ1ミリもないとなおよし(ネタバレ)

たのむ、だれか書いて、たのむ


第1話

見たことも聞いたこともない病室で、僕は目を覚ました。白い天井に、消毒液の匂い。それと、腕に繋がっている点滴。シャワーカーテンのようなもので区切られたここは……どうやら病院らしい。

 

視界はボヤけ、呼吸しづらい。何より身体が酷くダルくて、腕ひとつ動かす気になれない。何とか頭を動かして周囲を見渡してみるが……だめだ、視点が合いにくい。

 

「……?」

 

カーテンが勢いよく開いた。白衣の男が立っている。年齢は三十代半ばくらいだろうか。整った顔立ちをしていて、目だけが妙にぎらぎらしている。徹夜明けの研究者と、徹夜明けのネット廃人を混ぜて、医師免許を与えたような風貌の男だった。

 

「ああ、落ち着いて。あなたにお話があります。いいですか? どうか、落ち着いて聞いてください」

 

落ち着くもなにも、こっちは目覚めたばかりで頭がぼんやりしている。

 

「……ここは?」

 

「病院です。ここに来た経緯は覚えていますか」

 

うーん、正直なぜここにいるのかは分からない。

 

「ふむ、その様子では思い当たる節はないようだ。しかし、落ち着いていますね」

 

「そりゃ開幕早々、ごほっ、あんだけ言われたらね……そもそも頭がまだ働かなくて…….」

 

「そうですか、では後ほど存分に混乱されるといい」

 

「ええ……?」

 

なんだこの医者。

 

その後、彼は聴診器を当てたり、ペンライトで僕の瞳孔を確認したり、バインダーに何かを書き込んだりしながら、手際よく検査を進める。

 

ふざけた事を言うが、手つきだけは怖いくらい正確だ。僕は一旦、なすがままになることにした。

 

ひとしきり検査を終えると、医師は重々しく口を開いた。

 

「あなたはずっと……コーマ状態だった」

 

「はぁ、コーマ……。え、とんでもない病気ですか?」

 

「いえ昏睡のことです」

 

「昏睡って言ってください。ゴホッゴホッ、なんでわざわざ分かりにくい言い方を?」

 

「ええ、分かります。どれくらいの長さか気になるんですね?」

 

「言ってませんけど。いや、まあ、気になりはしますが」

 

喋ろうとすると喉に刺すような痛みが走る。そんな様子を見てか、医者が開封済のペットボトルを手渡してくれた。水だ、ありがたい。

 

少し飲んで喉を潤し、僕は続けた。

 

「どれくらい僕は昏睡状態に? もしかして九年も……?」

 

「一晩です」

 

「寝てただけでは?」

 

「まずい! ナース!」

 

「な、ちょ、いきなり何を!」

 

医師が僕の肩を掴んで叫ぶ。その瞬間、カーテンの向こうから看護師が入ってきた。

彼女の手には、注射器がある。
中には、ピンク色の液体。

 

「大丈夫、落ち着いて。そう、深呼吸。落ち着いて落ち着いて落ち着いて」

 

「あんたが落ち着け! 瞳孔ガン開きじゃねえか! 怖すぎるだろこの医者!」

 

「大丈夫、全てプロトコル通りです」

 

「絶対嘘だろ! よせ、なんだその注射! なんでそんなにファンシーな色してるんだ! 薬じゃないだろ! かき氷のシロップ見たいな色してるけども!ちょ、や、やめ、やめろーーー!」

 

抵抗はした。

だが、身体は思ったより動かず、ピンク色の液体が僕の腕に入っていく。

 

その瞬間、胸の奥で何かが軋んだ。身体ではなく、もっと奥、心の底とでも言えばいいだろうか。


自分というものの中心に近い場所。

遠くで水が流れるような音がした。

 

これは……川の音、だろうか。

 

そう思ったところで、僕の意識はぷつりと途切れた。

 

次に目を覚ましたとき、病室は暗かった。窓から夜風が入り、白いカーテンをかすかに揺らしている。
その隙間から、満月が見えた。

 

妙に大きな月だった。

 

しばらくぼんやりと眺めているうちに、頭が少しずつ覚醒してくる。

 

……ここから逃げた方がいいのでは?

 

そう思って身体を起こす。

 

幸い拘束はされていないし、ドアも窓も鍵はかかっていないようだ。点滴も外されている。

 

逃げようと思えば逃げられる、と考えて、僕は思い直した。ショッキングピンクの注射こそ打たれたものの、単にそういう薬だったのかもしれない。

害するつもりでここに監禁している様子はないし、あの様子のおかしい医師による検査も一般的な内科検診のそれだった。

 

まあ、また妙な薬を打つようなら今度こそ止めよう。

 

そう思い直して、頭上のナースコールを押す。しばらくして、先ほどの医師と看護師が戻ってきた。

医師は先ほどよりは落ち着いていた。

 

「気分はいかがですか?」

 

「さっきより悪くありません。だいぶ良くなったようにも感じます」

 

「意識は明瞭ですね。よかった」

 

医師はバインダーを開いた。そこには、僕の名前が書かれていた。

 

桐敷 慶。

 

どうやって名前を……と思っていたら、その横に書かれている年齢を見て、僕は眉をひそめた。

 

十五歳。

 

「……あの。年齢、間違ってますよ。二分の一くらいになってるんですけど」

 

「ああ、これは現在の推定肉体年齢です」

 

「推定肉体年齢?」

 

「まず、状況から説明します。あなたはこの私立病院の前で倒れていました。目立った外傷はなく、意識不明。搬送後、CTスキャン、MRI、血液検査、心電図、その他必要な検査を実施しましたが、重大な異常は確認されませんでした」

 

「ああ、よかった……」

 

素直に安心した。いや、本当に安心した。

 

「ん?でも、僕、尿酸値とか高脂血症関連の数値とか、良くはなかったはずなんですけど」

 

「正常です」

 

「え?」

 

「健康そのものです。少なくとも数値上は」

 

医師は資料を一枚めくった。

 

「内臓年齢、血管年齢、骨密度、筋肉量、代謝機能。いずれも非常に良好です。十五歳前後の健康な男性として見ても、かなり優秀な部類ですね」

 

「十五歳前後の健康な男性として見ても?」

 

「はい」

 

「……なん、え、どう言う事ですか?」

 

「私が打った薬が正常に効いたのでしょう」

 

「薬って……あのピンクのやつですか。え、なんの薬だったんですか?」

 

医師は表情のない顔で、単なる化学用語を読み上げるかのように言った。

 

「全身性エピゲノム老化可逆化製剤です」

 

「全身性えぴ……なんて?」

 

「端的に言うと、若返り薬です」

 

「何打ってんの?!」

 

病室に僕の声が響いた。

 

「ほら、見た目も若くなっています」

 

医師がそう言うと、看護師が手鏡を差し出してきた。僕はおそるおそる覗き込む。

そこに映っていたのは、知らない少年だった。

 

いや、知らないわけではない。目元には見覚えがある。口元にも、鼻筋にも、確かに自分の面影がある。けれど、肌は明らかに若い。

頬のたるみもない。
寝不足とストレスで死んでいた顔色もない。


髪にも艶があるし、も、毛量も……!

 

大人として積み上げてきた疲労と、年齢と、生活習慣の負債が、全部まとめて消し飛んでいた。

 

「……ほんとに若返ってるのか」

 

鏡の中の少年が、僕と同じ顔で呆然としている。その顔を見て、安心よりも先に違和感が来る。

 

これは誰だ。

 

「焦って打ち間違えたんですよね、薬」

 

医師が言った。

 

「本当は鎮静剤を打つつもりだったんですが、色が似ていたので、つい」

 

「医療事故どころじゃないんだけど!!」

 

「後からあれこれ言うのはナンセンスですよ。あなたも喜んでいたじゃないですか」

 

「健康的になったことを喜んでいただけで、わけの分からない薬を無理やり打たれたことに喜んだわけじゃねえ!」

 

「やれやれ、細かいことを」

 

「細かくない! 人生が変わってる!」

 

「ええ、その通り。あなたの人生は変わりました」

 

医師の声が、そこで少しだけ変わった。ふざけた調子はない。今までで一番真面目なトーンで医師は続ける。

 

「桐敷 慶さん。あなたに投与された薬剤は、国家レベルで極秘に進められていたプロジェクトの成果です。安全性試験と副作用評価は、少なくとも資料上は完了しています」

 

「資料上はって言いました?」

 

「この薬の原料は極めて希少です。再製造にも時間がかかります。しかも、完成品として現存していたものは、あなたに投与された一本だけでした」

 

「……つまり?」

 

「あなたは世界で初めて、そして唯一の、全身的な若返りに成功した人間です」

 

「…………」

 

言葉を失う僕を置いて、説明は続けられる。

 

「そのため、今後あなたは経過観察および追加実験の対象となります。もちろん、拒否権はあります」

 

「あるんですか?」

 

「ええ、建前上は。でも拒否することはおすすめはしません」

 

清々しいほど隠さないなこいつ。

 

「監禁ですか」

 

「いいえ。保護です」

 

医師は、看護師から分厚い封筒を受け取った。

 

「こちらは提案書です」

 

「提案書?」

 

「治験協力契約。生活支援契約。身分調整に関する確認書。守秘義務契約。教育機関への特別編入に関する同意書。その他もろもろです。戸籍、住居、学籍、保険、生活費、医療管理、通信端末。あなたが今後この国で生活するために必要なものは、こちらで調整します」

 

僕は病室の壁を見る。掲示物や緊急時の案内はどれも日本語だ。でも、いくつかの単語に見覚えがなかった。少なくともあの省庁を僕は知らない。背中に、冷たいものが走った。

 

「……それで、僕が提案を拒否したら?」

 

「私たちの国は危害は加えません。それと最低限の保護はします。ただし、支援額と……まあ、自由度は大きく下がるでしょうね。人の口に戸は建てられません」

 

僕は封筒の中を見た。

 

契約書にプロジェクトとやらの説明資料。新しい身分証明に関する書類もある。

 

そして、とんでもない数字が書き込まれた小切手。

 

桁を読み間違えたのかと思った。

もう一度見る。

 

間違っていない。3,000,000,000という数字が記載されている。いち、じゅう、ひゃく….30億????

 

「……これ、単位は?」

 

「円です。プロジェクト期間はまず3年。そこから様子を見ながら追加で4年。その後は定期的に検診を受けていただいたり、負担の小さい治験に協力していただくくらいでしょうか。ああ、特別機密プロジェクトなので税金は免除されますよ」

 

「国家プロジェクト、ぜひ協力させていただきます」

 

「判断が早いですね」

 

「それだけ魅力的な提案ですよ。訳のわからない薬を打たれた時はこいつ背後から急襲してやろうと思っていましたが、今はそんな気はありません」

 

「それはよかった」

 

数十億円規模の小切手は、さっきまで抱えていた文句全部を一度に黙らせるくらいの説得力を持っていた。

しかも税金はゼロ。なんと、30億まるまる貰えるのである。

 

「ちなみに」

 

医師が笑う。

 

「この薬は現段階では、だいたい十数年分の若返りが限界です。今後は五十年程度の若返りを目標に改良予定です」

 

「もし完成版を打たれていたら、僕は生命の始まりまで戻っていた訳ですか」

 

「それはそれで貴重なデータですね」

 

「嫌すぎるわ」

 

悪魔みたいな医者だった。だが、その悪魔は契約書と小切手を持っていた。

なるほど、悪魔との契約は甘美なものらしい。

 

 

それからの数週間は、異様なほど手際よく進んだ。

スマホやスマートウォッチ、スマートリングは支給され、これらを通して僕のバイタルは24時間監視されるらしい。

新しい身分についてはいくつかの書類に署名するだけで済んだ。

 

人生というものは再発行できるらしい。覚えておこう。

 

僕は表向き、十六歳の少年として扱われることになった。名前はそのまま。桐敷 慶。

 

年齢だけが十六歳になった。

 

「……まさか高校に入学させられるとはね」

 

入学式の朝。僕は支給されたスマホを片手に、バスの最後部座席に座っていた。

 

入学先は、財団傘下の学校法人 瑞環学院が運営する、中高一貫の私立校。高等部にはグローバル、サイエンス、進学、アート、スポーツの五コースが設置されている。

 

グローバルコース。国際関係に強いコースで、海外進学も視野に入れている。留学生が最も多い。


サイエンスコース。科学に強く、独自のサイエンスラボがあるらしい。卒業生にはノーベル賞受賞者もいる。


進学コース。国公立大学への進学を目指す、比較的入学しやすいコース。生徒数が最も多く、多様な層がある。


アートコース。美大・音大への進学を目指すコース。非常勤講師に人気アーティストや配信者がいるとか。


スポーツコース。最高のスポーツ環境を提供するコース。全国大会はもちろん、世界大会やオリンピック選手もいると聞く。

 

表向きは、多様な進路に対応する進学校だ。実際には、財団の影響力が強く、特殊な事情を持つ生徒でも受け入れやすい環境にしているらしい。

特殊な事情ねえ、便利な言葉だ。人間を若返らせて高校に放り込むことすら、「特殊な事情」で片づく。

 

僕はグローバルコースに配属された。

理由は、海外経験があるという設定にしておくと多少の常識のズレをごまかしやすいから、らしい。

 

実際僕は海外の日本法人を支援するような仕事をしていたので、完全な嘘というわけではない。ただし、ここでは、ちょっとだけ英語ができる高校一年生なのだ。

 

「それにしても……バス通学か。少し新鮮だなあ」

 

いつもは車で移動することが多かったし、高校時代もバイクで通学していた。ちょっと特殊な学校だからバイク通学が許されていたのだ。中学自宅は実家から徒歩で20分。

 

そのため、公共交通機関を使って、のんびり通学する経験は人生で初めてなのだ。

 

窓の外には、朝の街が流れている。ビル、コンビニ、信号、横断歩道。そのどれもが知っているものに似ていて、少しずつ違う。

 

街の名前も、店のロゴも、検索したニュースも、この国や世界のあり方も。

 

僕の知っているものとは微妙に噛み合っていない。

それは、家族もそうだった。

 

僕は本来4人きょうだいだ。

姉がいて、僕がいて、弟がいて、妹がいる。

昔から仲良くやってきたし、グループチャットにも毎日メッセージがあった。

 

だがこの世界では、僕はひとりっ子のようだった。母親だけの片親になってるし、その人ともしばらく連絡を取ってないみたいだ。

書類を揃えている時、この事実に直面した時はひどく動揺したものだ。

半身が破れたような、心がちぎれたような、形容し難いあの感覚は忘れられない。

 

その日の夜は思い悩んだものの、よく考えたら別に彼らが死んだわけじゃなし。連絡こそ取れないものの、永遠の別れと断言できるような証拠は何もない。何かしら「帰る手段」もあるだろう。

 

ああ、でも、30億円は使えなくなるのか。

それはちょっと……惜しすぎるっていうか。

むしろ帰るよりこっちに呼び寄せられないか考えている。

 

ま、自分の出自について今はそれほど思い悩んでいない。きっと考えるべき時に考えられるだろう。

まずは30億円の取得を確定させるのだ。ふふふ。

 

今は前金で10億円もらっていて、残りの20億円はプロジェクトの第一段階の終了時、つまり3年後に貰えるいう訳だ。今はこちらにフォーカスしよう。答えを急いでも仕方がない。


今の僕に必要なのは、情報と時間と立場だ。

高校生という立場は、正直不本意だが……公然とお酒も飲めないし……意外と悪くない。身体は軽いしエネルギーに満ちている。経済的な不安もゼロ、むしろ余裕があるくらいだ。

 

高校生の身分でもできる10億円の使い道を考えていると、いつの間にか同じ制服を着た生徒たちが増えていることに気づいた。

 

新品の制服に、シワの少ない硬そうな革靴。どことなく緊張した表情。保護者と一緒に乗っている子もいる。

 

今日は新入生だけが登校する日だと聞いている。つまり、ここにいるのはほとんど全員、僕と同じ一年生ということになる。

 

ピカピカの一年生だ。

 

そしていよいよ車内の混雑は限界に近づいてきたとき。

 

「あの……すみません」

 

小さな声がした。

顔を上げると、制服姿の女の子が立っていた。

小柄な子だった。少し大きめのサイズの制服なのか、指先だけがちょこんと出た袖口が可愛らしい。


スクールバッグを胸の前で抱え、少し俯き加減で、周囲の人の多さに押し潰されそうになっている。

 

「あの、隣に座ってもいいですか?」

 

「あ、どうぞどうぞ」

 

僕はすぐに横へずれた。

彼女はぺこりと頭を下げ、僕の隣に腰を下ろす。

座ってからも、身体が縮こまっている。


バッグを握る指先が白くなっていた。見れば分かるくらいに緊張している。

 

「緊張するよね、今日は」

 

気づいたら、そう声をかけていた。

普通に座っている子だったら、たぶん話しかけなかったかもしれない。でも、目の前であれだけ固まっていると、放っておく方が難しかった。

 

女の子は小さく肩を震わせ、こちらを見た。

 

「こんなに人がいるし、新しい環境だし、いろいろ考えちゃうよね」

 

彼女は返事をしなかったが、こちらの話は聞いているようだ。

 

「優しい先生だったらいいなあ。あんまり厳しいと、初日から心が折れるからね」

 

「…………」

 

「そういえば、今日の流れってプログラムに書いてあったよね。読んだ?」

 

少し間を置いて、彼女は小さくうなずいた。

それから、バッグの中をがさごそ探り、A5サイズの緑色の用紙を取り出す。

 

「そうそう、それ。こういう時は、今日何があるのか確認すると少し落ち着くよ」

 

「う、うん……」

 

僕はバッグから学校案内のパンフレットを取り出した。

 

「こっちも意外と使えるよ。部活とか同好会とか、コース紹介とか」

 

彼女は僕の手元をちらりと見た。

僕はパンフレットを開き、コース紹介のページを見せる。

 

「この学校、五つのコースがあるよね。グローバル、サイエンス、進学、アート、スポーツ。結構すごいよねえ、施設も充実してるし、校則も緩いし、入れてよかったよ」

 

「……な、何コース?」

 

「僕? グローバルコース。青がコースカラーらしい。君は?」

 

「あ、えっと……進学コース」

 

「進学コースか。オレンジだね」

 

こくり。

 

「時間割も結構違うんだ。え、進学コースって土曜日もあるの?」

 

「うん、一か月に一回か二回くらい……」

 

「うへえ、すごいなあ。土曜日はギリギリまで寝てたいよね」

 

「う、うん。……私も、ゲームしたいし」

 

「ゲームするんだ。僕もしてた……いや、してるよ。どんなゲーム?」

 

「えっと、マンハントパーティ……とか」

 

「物騒なタイトルだな……それ高一でやって大丈夫なやつ?」

 

「…………」

 

「…………」

 

「………………」

 

「………………ゑ?」

 

ま、まあ。
年齢制限を守らなくても罰則があるわけではなかったはずだ。いや、この世界では違うかもしれない。怖いので深掘りしないでおこう。

 

話しているうちに、彼女の肩から少しずつ力が抜けていった。

 

よかった。

一度言葉が出れば、人は少し呼吸がしやすくなるし、一度笑えれば、その日はだいたい何とかなる。

僕はそういう大人に、昔助けられたことがある。

 

名前も顔も、もう曖昧だけれど、あのとき差し出された善意だけは覚えている。

 

その後も彼女と話していると、周りの生徒たちもなんとなく僕らの会話を聞いていたようで、時々こちらに目を向けたり、パンフレットを覗き込んだりしていた。

 

せっかくなので、近くの子たちにも軽く話を振ってみる。

 

「スポーツコースって赤なんだな。たしかに強そうだ」

 

「アートコース紫なの、なんか分かるー! オシャレって感じでいいよねー」

 

「サイエンスコースは緑か……なんでだろ」

 

後ろの席が少しだけ賑やかになった。皆緊張してたんだろう、段々声が大きくなって、わいわいとし始めた。うーん、若いっていいね!

 

「新入生のみなさん、少しだけ静かにお願いしますね」

 

バスの運転手が車内マイクで柔らかくたしなめた。

 

「すみませーん」

 

僕がそう言って頭を下げると、周りの子たちも小さく笑いながら口を閉じた。それでも、お喋りはやめられないようで、こしょこしょと小声で会話している子たち。なんとも可愛らしい。

 

これも、まあ、いい思い出になるのかもしれない。

 

そうして。バスが学校に到着した。生徒たちがぞろぞろと降りていく。僕もパンフレットや資料をバッグにしまい、立ち上がろうとした。

 

そのとき、隣の女の子がおずおずと声をかけてきた。

 

「あ、あの」

 

「ん?」

 

「あっ、ありがと。あの、私、緊張してたから。話しかけてくれて、楽になったから。その……ありがとう」

 

なんとも素直な感謝だった。仕事で荒んだ心に沁みる。いや、今は仕事をしていないし、そもそも僕は十六歳ということになっているのだが。

 

「いーえ。こちらこそ。僕も緊張してたから助かったよ。話に付き合ってくれてありがとう」

 

「緊張してなかったような……」

 

「いやー、すごく緊張してたよ。すごく」

 

「……くふ。嘘っぽーい」

 

「男子の見栄というやつだよ」

 

僕がわざとらしく肩をすくめると、彼女はころころ笑った。

 

「じゃ、行こうか。新しい友だち、できるといいね」

 

「あ、あの、良かったらノンスタ交換しない……?」

 

「ノンスタ……?」

 

知らない単語が出た。それは……なんだい?

身体は十六歳なのに、アラサーの魂が悲鳴を上げる。

 

「あー、その、やってないんだ。ノンスタ。というか、ちょっとよく知らないかも……」

 

「えっ?! 皆やってるのに?!」

 

「こらこら平成は時代遅れとかいうな(吐血)」

 

へいせい……?と彼女が不思議そうに首をかしげた。

 

しまった。

 

「いや、なんでもない。えっと、携帯番号でいいかな。アプリは後で入れておくから」

 

「ば、番号……お母さんみたいだね……」

 

「死体蹴りかな?」

 

「その、番号って交換したことないし、ママとおじいちゃんおばあちゃんしか登録してない……」

 

うそだろ?え?お店の予約とかどうするの……?

あ、ママがするんだ……そっか……去年まで中学生だものね。そりゃそうだ。

 

「ま、無理にとは言わないよ。でももし学校で会ったら話しかけてね〜」

 

そう言って席を立とうとして……通せんぼされた。あれ?

 

「ち、違うの。嫌じゃなくて……その、びっくりしただけ。みんな、ノンスタのDMでやりとりしてるから。通話もできるし」

 

「ふーん……あ、そうだMINEは?MINEやってる?笑」

 

「普通MINEは交換しないよ」

 

「交換しないの?!メッセージ・通話アプリなのに?!」

 

思わず声が出た。

 

「う、うん。MINEはなんか……真面目みたいだし、サブアカ作れないから。ホントの仲良しだけかな」

 

「??????」

 

何を言っているのか、さっぱり分からない。ノンスタは真面目じゃないからよくて、MINEは真面目だから駄目。


真面目な連絡手段とは何なのか。

若者文化、難しすぎるだろ。

 

「で、でも、僕は今MINEしかないから……それでもいい?」

 

「…………うん。いいよ」

 

うーん、嫌そう!誰がアラサーと交換するかよ……ってコト…?!

 

いや、顔が少し赤い。もしかして恥ずかしいのか感性が新しい。すごい。

 

所詮わしは前時代の敗北者じゃけえ…………

 

そんな内心のダメージを受けつつ、僕らは何とか連絡先を交換した。気づけば、バスに残っているのは僕ら二人だけで、運転手さんが生暖かい目でこちらを見守っている。

 

勘違いしているところ申し訳ないが、あなたもしれっと驚いてるでしょ。嘘だろ……みたいな顔、見逃してませんからね。

 

まあでも何も言わずに待っていてくれてありがとうございます。

 

僕らは慌ててバスを降りた。校門へ向かう途中、彼女が小さく言った。

 

「宮乃園くるみ」

 

「え?」

 

「私の名前。宮乃園くるみ。よろしくね……えっと」

 

「桐敷。桐敷慶だよ」

 

「桐敷……くん」

 

「うん。よろしく、宮乃園さん」

 

校舎の方から、新入生を案内する先生の声が聞こえてくる。僕は一度だけ振り返り、バスの窓に映った自分を見た。

 

十六歳の顔に知らない制服。
用意された戸籍に財団傘下の高校。
支給されたスマホとスマートウォッチ。

若返り薬と、数百億円の小切手と、妙に物騒なゲームが好きな女の子。

 

そして、胸の奥に残り続ける、どこかへ帰らなければならないような感覚。

 

色んな事情を抱えながら、僕の偽の高校生活は始まった。

 

この時の僕はまだ知らない。

ノンスタグラムよりも、数学よりも、体育よりも、もっと面倒なものが待っていることを。

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