朝のホームルームが終わると、二年A組はざわめきに包まれた。
「小田上が行方不明なんて……。」
「昨日まで普通にいたよな?」
「事件じゃないのか?」
不安げな声が教室中に広がる。
知は窓の外を見つめていた。
校庭の木陰には、一頭の小さな子鹿が座っている。
周囲の生徒たちは「かわいい鹿だ」と写真を撮ったり、見守ったりしていた。
だが、知たちには違って見える。
「アラ〜♡事件の匂いしかしないわねぇ。」
知は小さく息を吐く。
「ミロク……。」
雷斗も窓の外へ視線を向ける。
「先生たちには普通の鹿なんだよな。」
「そう、アタシの声が聞こえるのは、境界と繋がったアンタたちだけ♡」
その時、教室の前を善吉が通りかかる。
歴史の教材を抱えながら、知たちへ一瞬だけ視線を向けた。
「放課後旧校舎裏に来い」
それだけを静かに告げ、歩き去っていく。
続いて真も公民の教材を抱えながら廊下を通る。
知へ小さく頷き、そのまま教室を後にした。
知も小さく頷き返す。
放課後に集まる。
それだけで十分だった。
◇◇◇
昼休み。
知と雷斗は屋上へ向かう。
重い扉を開けると、フェンスの前で日向ぼっこをしている子鹿が一頭。
ミロクだった。
「遅いじゃない♡」
雷斗は苦笑する。
「相変わらずその姿だと緊張感ないな。」
「失礼ねぇ。」
「現実世界では仕方ないのよ♡」
知は表情を引き締めた。
「小田上さんのこと、何か分かった?」
ミロクは首を横へ振る。
「まだ居場所までは分からない。」
「でも、境界の奥から嫌な気配はどんどん強くなってる。」
雷斗が腕を組む。
「やっぱり番人か。」
「……分からない。」
ミロクは静かに答える。
「番人の気配は感じる。」
「でも、それとは別の認知の揺らぎもある。」
「別の……?」
知が聞き返す。
「ええ。」
「誰かが境界へ干渉した痕跡。」
「自然に人が迷い込んだ感じじゃない。」
知と雷斗は顔を見合わせた。
「つまり……。」
ミロクは真剣な表情になる。
「小田上を境界へ連れて行った"誰か"がいる可能性が高い。」
その言葉に、屋上へ冷たい風が吹き抜けた。
◇◇◇
放課後。
旧校舎裏。
知、雷斗、善吉、真、そしてミロクが集まっていた。
真は校内地図を広げる。
「状況を整理します。」
「小田上さんが最後に確認されたのは昨日の夕方。」
「下校途中で消息を絶っています。」
善吉が腕を組む。
「警察は誘拐や事件として捜査を始めた。」
「だが俺たちは、境界との関係も考えなきゃならねぇ。」
知は静かに口を開く。
「番人が連れ去ったんでしょうか。」
ミロクはゆっくり首を横へ振る。
「断定はできない。」
「番人は神器の欠片を守る存在。」
「自分から現実世界へ出て人間をさらうような存在じゃないの。」
真が考え込む。
「つまり……。」
「番人とは別に、境界を利用している人物がいる可能性がありますね。」
善吉の表情が険しくなる。
「ああ。」
「もしそうなら、相手は境界の存在を知ってる。」
雷斗は拳を握る。
「じゃあ、そいつが小田上を……。」
ミロクは静かに頷いた。
「その可能性は十分あるわ。」
知は拳を強く握り締める。
「必ず助け出します。」
「そして……。」
「連れ去った犯人も見つけます。」
善吉は小さく笑った。
「その意気だ。」
「だが焦るな。」
「今の俺たちじゃ番人にも敵わねぇ。」
真も続ける。
「まずは知君の戦闘訓練。」
「そして境界の調査を優先しましょう。」
ミロクは笑顔を取り戻す。
「その判断、百点よ♡人間急がば回れ。焦った人から境界に飲み込まれるんだから。」
全員が静かに頷いた。
新たな目的は決まった。
小田上を救出すること。
そして、境界を利用する"何者か"の正体を突き止めること。
◇◇◇
一方、その頃――。
境界最深部。
冷たい石造りの空間。
無数の鎖が床を這い、巨大な鏡が静かに佇んでいた。
「……ここは。」
一人の少年がゆっくりと目を覚ます。
小田上だった。
制服には土埃が付き、額には小さな擦り傷がある。
周囲を見回しても出口はない。
「俺は……どうしてこんな場所に。」
記憶を辿る。
昨日の放課後。
下校途中。
誰かに呼び止められた。
そこで記憶は途切れていた。
「くっ……。」
頭に鋭い痛みが走る。
「思い出せない……。」
その時だった。
ゴゴゴゴゴ……。
巨大な鏡がゆっくりと揺れ始める。
鏡の奥から、地の底を震わせるような咆哮が響いた。
グオオオオオオオオオッ!!
小田上は思わず身構える。
「なんだ……!」
しかし、その咆哮とは別に。
鏡の表面へ、一人の人影が映る。
黒いロングコート。
顔は暗闇に隠れ、表情は見えない。
「……。」
小田上は叫ぶ。
「お前が俺をここへ連れてきたのか!」
人影は答えない。
ただ、小さく笑ったように肩を揺らすと、黒い霧の中へ溶けるように姿を消した。
「待て!」
小田上が駆け出そうとした、その瞬間。
鏡の奥から巨大な黒い影がゆっくりと姿を現し始める。
赤く光る二つの瞳。
空間を震わせるほどの威圧感。
番人は静かに、小田上を見つめていた。
そしてその背後では、すべてを操る"真犯人"が、まだ誰にも知られることなく動き始めていた――。