魔王の異世界巡り   作:0.The_Fool

2 / 6
〈Ib〉編 友との約束

 

 

イヴ side

 

「え? 先に見てるって?」

 

 母は少し困ったように笑いながら、私を見た。

 

「もー、イヴったら……仕方ないわね。いい? 美術館の中では静かにしていなきゃ駄目よ?」

 

 そう言ってから、母は少しだけ表情をやわらげる。

 

「……まあ、あなたなら心配ないと思うけど。他の人の迷惑にならないようにね」

 

 私は小さく頷いた。

 

 母は受付の人と話し始める。

 

 私は先に、この展覧会のメインの作品を見に行こうと思い、まっすぐ道を進んだ。

 

 その時だった。

 

 すぐ後ろから、背の高い男の人が歩いてくるのが見えた。

 

 ……男の人、でいいのかな。

 

 見た目は普通の格好をした大人の人だった。

 

 けれど、なぜだろう。

 

 その人の周りだけ、少し悲しそうな空気があるように見えた。

 

 その人は階段を上っていく。

 

 少しだけ気になって、私も二階へ上がってみた。

 

 けれど、その人の姿はもう見えなくなっていた。

 

 私は辺りを見回したけれど、見つからない。

 

 だから探すのをやめて、一階へ戻ることにした。

 

~~~~~~

 

ギャリー side

 

「……『吊るされた男』ね」

 

 階段を上がって、二番目に目に入った絵画を前に、アタシは小さく呟いた。

 

 しばらくその絵を眺めていると、一人の女性が階段を上がってきた。

 

 けれど彼女は、どの作品にも目を留めなかった。

 

 まるで、ここに並ぶ絵画が最初から見えていないみたいに。

 

 彼女は『指定席』という題名のソファの前まで来ると、すぐに曲がっていった。

 

 たぶん、休憩室に向かったのだろう。

 

 誰かとの待ち合わせかしら。

 

 そんな考えが、ふと頭に浮かぶ。

 

 けれど、少ししてから彼女の横顔を思い出した時、アタシは妙な違和感を覚えた。

 

 あの人、どこか悲しそうな顔をしていた。

 

 ただの来館者にしては、あまりにも静かで。

 

 この場所に来ることを、最初から知っていたような顔をしていた。

 

「……気のせい、かしらね」

 

 そう呟いた直後。

 

 不思議なことに、彼女のことは、まるで最初からその場にいなかったかのように、アタシの頭の中からすっと消えていった。

 

~~~~~~

 

メアリー side

 

「ハァ……ハァ……」

 

 私は走っていた。

 

 どこへ向かっているのかも分からない。

 

 ただ、逃げなきゃと思った。

 

「なんで……なんでみんな、わたしのことを……?」

 

 どうして。

 

 どうしてなの。

 

「ッ、キャア!」

 

 何もないところで足を取られ、私はその場に転んだ。

 

 手をついた床のすぐ近く。

 

 そこに、青い文字が浮かび上がっていた。

 

『どうして逃げる?』

 

『どこにも逃げ場はないのに』

 

 その文字を見た瞬間、胸の奥が冷たくなる。

 

 これは、知っている文字だった。

 

 私の世界にある文字。

 

 お父さんの世界にある文字。

 

「どうしてなの……」

 

 声が震える。

 

「どうしてなの、“お父さん”!」

 

 そう叫んだ直後だった。

 

 目の前に、扉が現れた。

 

 白い扉。

 

 いつもの世界では見たことのない、不自然なほど白い扉だった。

 

~~~~~~

 

ライラ side

 

「旅の途中で、まさかここに辿り着くとは思わなかったわね」

 

 私は知らない街の一角に立ち、周囲を見渡していた。

 

「それに、まさかこの世界にまた来ることになるとはね」

 

 この世界の名前を、私たちは便宜上こう呼んでいる。

 

 序列第七九〇〇〇一四七世界。

 

 その地球の、どこかの国。

 

 世界というものには、多くの場合、その場所で主となる人物が存在する。

 

 世界は、その者を中心に進む。

 

 もちろん、それだけで全てが決まるわけではない。

 

 けれど、流れの中心にいる者は確かにいる。

 

 私は以前、この世界に来たことがあった。

 

 その時、少しの間、とある人間の家に世話になった。

 

 この世界には友人も何人かいる。

 

 その中に、かつてこの世界の主軸に近い場所にいた人物がいた。

 

 もっとも、今となってはもう死んでいるだろう。

 

「友人の軌跡を辿りながら、この世界を見るのも悪くないか」

 

 そう思って歩いていると、一枚のポスターが視界に入った。

 

『ゲルテナ展 開催中』

 

 その文字を見た瞬間、足が止まった。

 

 呼ばれている。

 

 そう感じた。

 

 この世界で得た、最高の友人。

 

 彼――ゲルテナに。

 

 そしておそらく、この世界の新たな主人公もまた、同じ場所に呼ばれている。

 

 運命の悪戯なのか。

 

 それとも、彼からの招待状なのか。

 

 どちらにせよ、届いているのなら行くしかない。

 

 ゲルテナ展へ。

 

 彼が生涯をかけて作ってきた作品たちを。

 

 いや、彼が子供と呼んだものたちを見に。

 

 もし、彼の魂がまだそこに残っているのなら。

 

 出会い頭に喧嘩になるかもしれない。

 

 あんな別れ方をしたのだ。

 

 それも仕方ない。

 

「……それでも、あいつは私を許してくれるだろうか」

 

 そう呟き、私は再び走り出した。

 

~~~~~~

 

 美術館に入る直前。

 

 私は気づいてしまった。

 

「……いるわね」

 

 ここには、あのクズどもの気配に似たものがある。

 

 館内へ足を踏み入れ、作品たちを見た瞬間に分かった。

 

 彼は、選ばれてしまったのだ。

 

 だとすれば、彼の心の世界である“ゲルテナの世界”は、大きく変質している可能性が高い。

 

 それでも疑問は残る。

 

 なぜ、彼は正気を保っているのか。

 

 いくつか予測は立てられる。

 

 最も有力なのは、あいつらの持つこの世界への干渉能力が、かなり弱いということ。

 

 だが、それなら今度は、いつからそうなっていたのかという問題が出てくる。

 

 あれの侵食には欠点がある。

 

 世界の軸となる存在への侵食は、普通の人間に比べてかなり遅い。

 

 あくまでも、あれらの本質は、世界を自分たちのものにし、破壊し続けることにある。

 

 だが、創造がなければ破壊は生まれない。

 

 だからこそ、創造の根源に近い者ほど、侵食には時間がかかる。

 

「でも、あいつはもう死んでいるはず」

 

 ならば肉体はない。

 

 いや。

 

「依り代なら?」

 

 もし、彼がそれを描いていたのなら。

 

 だが、あいつは絶対に“あれ”だけは描かないと言っていた。

 

 自分自身の口で、そう話していた。

 

 けれど、この状況を見る限り、答えはひとつしかない。

 

「……描いたのね。馬鹿」

 

 様々な予測を立てながら館内を歩いていると、急に照明が点滅し始めた。

 

 そして、『対局する器』の横に、青い文字が浮かび上がる。

 

 それは、見覚えのある筆跡だった。

 

 ゲルテナの文字。

 

『やあ、久しぶりだね』

 

『いや、そうは言えないくらいの年月が経ったのかな』

 

『子供たちを見た君は、どう思ったかい?』

 

『率直な意見を聞きたいところだが、それは叶わないのだろうね』

 

 私は黙って、その文字を見つめる。

 

『もし、あの時のことをまだ気にしてくれているのなら』

 

『私の願いを聞いてくれないだろうか』

 

『けれど、約束にうるさい君のことだ』

 

『きっと、聞いてくれるのだろうね』

 

 文字が、少しだけ滲む。

 

 それでも青い文字は続いていく。

 

『今、私はこうして話をするだけでもかなりきつくてね』

 

『手短に済ませよう』

 

『私の残留思念とも呼べる世界』

 

『“ゲルテナ”』

 

『その世界で、他の子供たちと共に暮らしている、私のかわいい子がいる』

 

『メアリーだ』

 

 メアリー。

 

 その名を見た瞬間、私は静かに目を細めた。

 

『だが、私はもうあの子とは一緒にいられなくなってしまった』

 

『君たちの手で、どうかあの子を救ってあげてくれないだろうか』

 

『私の最後の子供だ』

 

『私の信念を崩し』

 

『君が教えてくれた、人としての最初で最後の作品だ』

 

『あの子だけが、謎の力に侵食されずにいる』

 

『昔、君が口を滑らせた存在と同じなのだろうね』

 

 私は思わず、苦い顔をした。

 

 あの時のことを、まだ覚えていたのか。

 

『だからこそ、どうか助けてあげてくれ』

 

『君の言っていた信念が、形を得た子なのだ』

 

『頼む』

 

『どうか、救ってくれ』

 

『道は、この美術館に展示されている『融解』のすぐ近くに開いてある』

 

『だからどうか』

 

『最後の親友の頼みを聞いてくれると、とてもうれしい』

 

 文字はそこで一度途切れた。

 

 だが、すぐにまた浮かび上がる。

 

『最後に』

 

『あの時のことは、本当にすまなかった』

 

『けれど、君のおかげで、私の子供たちは本当の意味で完成した気がする』

 

『ありがとう』

 

『もしもの時は』

 

『私のことも、止めてくれ』

 

『頼んだ』

 

『邏?怦』

 

 最後に記された私の名は、塗りつぶされていた。

 

 彼なりの気遣いなのだろう。

 

 真名を晒さないための。

 

 私はしばらく、その文字を見ていた。

 

 やがて、静かに息を吐く。

 

「……馬鹿野郎」

 

 怒りではない。

 

 呆れでもない。

 

 ただ、胸の奥に残ったものをどう言葉にすればいいのか分からなかった。

 

「そうね。分かった」

 

 私は塗りつぶされた名を見つめる。

 

「お前がそれを望むなら、その願いは私が叶えよう」

 

 かつて、私が口を滑らせてしまった名。

 

 彼だけが知っていた、私の真名。

 

 その名にかけて。

 

「この『真名』にかけて」

 

 私は踵を返す。

 

 向かう先は決まっていた。

 

 『融解』の近く。

 

 そこに開かれた、彼からの最後の道へ。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。