魔王の異世界巡り   作:0.The_Fool

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〈Ib〉編 黄の間

 猫の仕掛けを解いた後、私たちは狭い廊下をまっすぐ歩いた。

 

 やがて、次のフロアに着く。

 

 すぐ横を見ると、そこには大きな唇があった。

 

 廊下をまっすぐ進むと、その唇のすぐ近くにバルブも見える。

 

『腹減った。食いもん寄こせ』

 

 唇は、いつも通りの調子でそう言った。

 

「……まあ、いつも通りか」

 

 私は小さく呟き、ひとまず別の部屋へ向かうことにした。

 

*

 

 辿り着いたのは、嘘つきたちの部屋だった。

 

 扉の前には、一枚の紙が貼られている。

 

『この先の部屋の彼らのうち、一人だけが真実を話す』

 

『しかし、それを簡単に信じるな』

 

『すべてを疑え』

 

『真実を語る彼だけは信じよ』

 

『彼の居場所は、灯台下暗し』

 

 私はその文章を読み、少しだけ眉を寄せた。

 

「灯台下暗し、ね」

 

 部屋の中に入ると、色違いの服を着た子供たちが並んでいた。

 

 緑の服の子が言う。

 

『マネキンの前に立って、西に五歩。北に三歩。東に七歩。そこが正解』

 

 茶色の服の子が続ける。

 

『青い服が言うことは正しいよ』

 

 赤い服の子は、黄色の服の子を指し示した。

 

『黄色の服に同意!』

 

 黄色の服の子は、白い服の子を見て言う。

 

『白い服の言っていることは本当だよ』

 

 青い服の子は、にこりと笑った。

 

『本当のことを言っているのは、茶色の服と緑の服だよ』

 

 最後に、白い服の子が口を開く。

 

『マネキンの前に立って、西に一歩。南に五歩。そこが正解』

 

 話を聞き終えて、私は黙り込んだ。

 

「……全員が嘘をついていることになるわね」

 

 少なくとも、彼らの発言だけを頼りにすれば矛盾する。

 

 しばらく辺りを見回してみるが、この部屋には特にこれといった十一掛ける十一のものは見当たらない。

 

 私はイヴと共に、隣の部屋へ進んだ。

 

 そこには十一掛ける十一のマス目があった。

 

 中心にはマネキンが立っている。

 

 マネキンのそばに近づくと、かすかな声が聞こえた。

 

『ここに、本当の話をしている者はいない』

 

『だが、一人だけこの部屋を出ていった者がいる』

 

 マネキンは、それを何度も呟き続けていた。

 

「この話が本当なら、他の部屋に逃げた子を見つけなきゃいけない……」

 

 けれど、どうする。

 

 何かを忘れているのか。

 

 それとも、見落としているのか。

 

 考え込んでいると、イヴが私の服の裾を引っ張った。

 

「ん? イヴ、どうしたの?」

 

「分かったかも」

 

 イヴは小さな声で言った。

 

「ほら、この部屋に入る前の張り紙に、『彼ら』って書いてあったでしょ」

 

「ええ」

 

「でも、マネキンは“彼ら”には入っていないと思う」

 

 私は目を細める。

 

 イヴは続けた。

 

「だから、マネキンも嘘つきなんだよ。きっと、あの部屋のどこかに、まだ見つけていない人がいるんだと思う」

 

 その言葉を聞いた瞬間、抜けていたピースが埋まった。

 

「……そういうことか」

 

 私は、さっきの部屋を思い返す。

 

 自分の知っているこの服の子たちには、本来、目が描かれていなかったはずだ。

 

 けれど、この子たちには目が描かれている。

 

 ならば。

 

「イヴ。もう一度、あの子たちの部屋に戻ろう」

 

「うん」

 

 私たちは嘘つきたちの部屋へ戻った。

 

 そして、イヴと協力して彼らの目線を辿る。

 

 目線の先。

 

 そこにあったのは、この部屋の出口だった。

 

 いや、違う。

 

 出口のすぐ近く。

 

 その影のような場所に、黒い服の子供がいた。

 

「……確かに、灯台下暗しね」

 

 けれど、どうして気づかなかったのか。

 

 マネキンの部屋とこの部屋は、何度か往復していたはずだ。

 

 どちらかが気づかないといけないというルールでもあったのかもしれない。

 

 だが、今はそれよりも、この黒い服の子の話を聞くべきだ。

 

 黒い服の子は、静かに口を開いた。

 

『マネキンの後ろに立って、そこから東に四歩』

 

『南に六歩』

 

『東に一歩』

 

『北に二歩』

 

『西に五歩』

 

『そこに、あなたたちが求めているものがあるよ』

 

 それから、その子はわずかに笑った。

 

『見つけてくれて、ありがとう』

 

『出たくなったら、行ってね』

 

 私たちは黒い服の子に言われた通りに移動し、目的の場所でタイルを剥がした。

 

 すると、そこにはバルブと数字があった。

 

「……あった。赤の二十五ね。メモしておこう」

 

 私は数字を書き留めてから、イヴを見た。

 

「ありがとう、イヴ。あなたが気づいてくれたから、すぐに分かったよ」

 

 イヴは、少しだけ照れたように首を横に振った。

 

「約束したから」

 

「約束?」

 

「ライアが困っている時は、私も手伝うって」

 

 私は思わず、少し笑った。

 

「……そうだったね」

 

 それから、黒い服の子に向き直る。

 

「黒い服の子。そろそろ出てもいいかい?」

 

『いいよ』

 

 黒い服の子は、そう言った後、何かを差し出してきた。

 

『あと、これあげる』

 

 それは、二人分には少し大きいチョコレートだった。

 

「ありがとう」

 

「ありがと」

 

 私とイヴは礼を言い、嘘つきたちの部屋を出た。

 

 その瞬間だった。

 

 背後で、何かが割れる音がした。

 

 一度ではない。

 

 何度も、何度も。

 

 硬いものが砕け、床に落ちるような音。

 

 私は足を止めた。

 

「イヴ」

 

「ライア……?」

 

「このまま正面を向いたまま、鼻を塞いで。ここで待っていて」

 

 イヴは不安そうな顔をしたが、私の言葉に頷いた。

 

 私は一人で、再び部屋の中へ戻った。

 

 そこには、先ほどまでとは違う光景が広がっていた。

 

 黒い服の子を除いた服の子たちは、全員、黒く塗りつぶされていた。

 

 壁に飾られていたものは地面に散らばり、描かれていた姿勢とは違う形に歪んでいる。

 

 曲がってはいけない方向に曲がったもの。

 

 砕けているもの。

 

 折れているもの。

 

 床には、赤い絵の具が飛び散っていた。

 

 奥の部屋に入る。

 

 中央にいたマネキンは、五体が二センチほどのパイプに刺さり、赤い絵の具を流しながら、ばらばらになっていた。

 

『あら。入ってきちゃったの?』

 

 黒い服の子が、こちらを見て笑った。

 

『もう一人の子は……その様子だと外なのね』

 

 そして、私の目をじっと見つめる。

 

『あと、私が何なのか、分かっているようだけど?』

 

「そりゃあね」

 

 私は、床に広がる赤を見下ろす。

 

「外からでも分かるくらい、血の匂いがしている時点でね」

 

『それじゃあ、私をどうするの?』

 

 黒い服の子は、楽しそうに首を傾げた。

 

『壊す? それとも燃やす?』

 

 くすくすと笑う。

 

『けど、ここは美術館。火気厳禁よ』

 

「私とイヴに何もしないなら、こちらからは一切何もしない」

 

 私は静かに答える。

 

「助けてもらった恩もあるからね」

 

『あら、ありがとう』

 

 黒い服の子は、満足そうに笑った。

 

『私も、外にいるお嬢さんに気づいてもらえなかったら、ずっと部屋の扉に閉じ込められ続けていたもの』

 

 その声に、悪意はある。

 

 けれど、こちらへ向けられたものではない。

 

『だから、何もしないわ』

 

「そう」

 

『それと、もしこの先で白い服のお姉さまに会ったら、伝えてくれる?』

 

「白い服のお姉さま?」

 

『ええ』

 

 黒い服の子は、どこか楽しげに言った。

 

『あとでお茶会しましょう。いつもの場所で待ってるね、って』

 

 そして、深々とお辞儀をする。

 

『お願いしますね?』

 

 黒い服の子の姿が、少しずつ薄れていく。

 

『それじゃあ、さようなら』

 

 最後に、彼女はこう言った。

 

『お父様の、大切な友人さん』

 

 その言葉を残して、黒い服の子は消えた。

 

 私は少しだけその場に立ち尽くし、それから部屋を出た。

 

 外では、イヴが心配そうな顔でこちらを見ていた。

 

「ライア……」

 

「大丈夫よ」

 

 私はできるだけ穏やかな声で言った。

 

「心配しないで」

 

 イヴはまだ不安そうだったが、それ以上は聞かなかった。

 

 私はそれに感謝しながら、集めた数字を確認する。

 

 落ちてきた人形から得た緑の八。

 

 黒い服の子が教えてくれた赤の二十五。

 

 白い絵に書かれていた黄色の数字。

 

 そして、あちこちにあったバルブを回し、満水になった湖の絵の中で見つけた白の二。

 

 それらを式に当てはめる。

 

「……三二〇、ね」

 

 私は扉の前に立ち、数字を入力した。

 

 しばらく沈黙が落ちる。

 

 そして。

 

 カチャリ。

 

 鍵が開く音がした。

 

「開いたね」

 

 扉を開けると、そこには木々が密集していた。

 

 その中でも一番立派な木には、赤いリンゴが実っている。

 

 私はリンゴを取り、唇のある場所まで戻った。

 

『食い物を寄こせ』

 

 唇はそう言った。

 

 私はリンゴを差し出す。

 

 すると、唇は不満げに言った。

 

『私はリンゴが嫌いだ』

 

「……なるほど。そう来るか」

 

 私はポケットから、さっき黒い服の子にもらったチョコレートを取り出した。

 

 それを唇に差し出す。

 

 唇は何も言わず、チョコレートを食べた。

 

 次の瞬間、口が大きく開く。

 

「行こう、イヴ」

 

「うん」

 

 私たちは二人で、唇の奥に続く通路へ進んだ。

 

 その先では、ギロチンが高速で落ちたり戻ったりしていた。

 

 まともに進めば危険だ。

 

 私はさっきのリンゴを手に取り、ギロチンへ向かって投げた。

 

 リンゴは刃に触れた瞬間、真っ二つに切れる。

 

 それを確認した直後、ギロチンはふっと消えた。

 

「……安全確認、完了」

 

 私は小さく呟く。

 

 イヴは、切れたリンゴをじっと見ていた。

 

 それから、私の服の裾を掴む。

 

「ライア」

 

「大丈夫。もう進めるよ」

 

 私たちは階段を下りた。

 

 その先にあったのは、壁一面が赤く染まったフロアだった。

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