魔王の異世界巡り   作:0.The_Fool

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〈Ib〉編 赤の間(1)

 さて、赤の間。

 

 ここには、かなり読みたくない本が置いてある。

 

 序盤はまだいい。

 

 問題は後半だ。

 

 しれっと普通に殺しに来るし、しかもあれを笑顔でやっているのだから、怖いものだ。

 

 オー怖い怖い。

 

 ……他人事ではないけれど。

 

 それにしても、人の気配がある。

 

 成人男性だろうか。

 

「大きいね」

 

 隣でイヴが、二体の大きな像を見上げていた。

 

「こっちが『うん』で、あっちが『あ』。確か前に、お父さんが“阿吽”っていう言葉を言ってたんだけど、それを表しているのかな?」

 

 イヴはそこで、こちらを見上げる。

 

「ねえ、ライア。ライアってば、私の話聞いてた?」

 

「…………ッ! な、なに?」

 

 思考に沈んでいた私は、少し遅れて返事をした。

 

 イヴはむっとしたように頬を膨らませる。

 

「だから、この大きな像の名前が『うん』と『あ』だから、阿吽を表しているのかなって」

 

「ああ、そうだね」

 

 私は少しだけ苦笑し、空中に指で文字を書く。

 

「ちなみに、阿吽っていう漢字はこう書くの」

 

「へえ……」

 

 イヴは興味深そうに、私の指先を見ていた。

 

「それじゃ、そろそろ先に行こうか」

 

「うん」

 

 少し歩くと、赤い鍵を見つけた。

 

 だが、拾った瞬間、いつも通り赤い服の絵の女が動き出した。

 

 しかも、よく見れば爪が長い。

 

 ただ長いだけではない。

 

 硬く、鋭く、こちらを裂くためだけに伸ばされたような形をしている。

 

 まともに当たれば、かなり痛いだろう。

 

「イヴ、下がって」

 

「うん」

 

 近くには鍵のかかった扉がある。

 

 私はイヴに攻撃が当たらないよう位置を取りながら、赤い服の女を撒き、そのまま鍵のかかった扉を開けた。

 

 部屋の中へ入る。

 

 そして、いつものように、あの本が入っている本棚へ向かった。

 

 題名は――

 

「……ん?」

 

 私は思わず、本の背表紙を見直した。

 

「『うっかりさんとガレット・ロワ』じゃない?」

 

 そこにあった題名は違っていた。

 

『うっかりな子犬とピニャータ』

 

「…………」

 

 題名を見ただけで、大体分かってしまった。

 

「タイトル通りじゃないなら、タイトル詐欺もいいところなんだけどね」

 

 問題は、これをイヴにも見せるべきかどうかだ。

 

 子供に見せていい内容ではない。

 

 だが、前の本も大概だった。

 

 それに、この世界の仕掛けである以上、二人で見なければ開かない可能性もある。

 

「イヴ」

 

「なに?」

 

「少しだけ、怖い本かもしれない。それでも読む?」

 

 イヴは私の顔を見て、それから本を見た。

 

 しばらく迷った後、小さく頷く。

 

「読む」

 

「分かった」

 

 私たちは二人で本を開いた。

 

 読み終えた後の感想は、一つだけ。

 

 結構えぐかった。

 

 以上。

 

 これは知らぬが仏だ。

 

 ピニャータがどういうものかを知っていれば、どんな結末になるかは予想できるだろう。

 

 つまり、そういうことだ。

 

 読み終えると、扉の鍵が開いた。

 

 先へ進むと、道が二つに分かれていた。

 

 片方には人の気配。

 

 もう片方には、薔薇の気配がある。

 

 さて。

 

 どちらに行ったものか。

 

 いつもなら、鍵は右側にある。

 

 だが、もしかすると今回は開いている可能性も高い。

 

 少し考えていると、イヴが私の袖を引いた。

 

「二つ道があるね」

 

「そうだね」

 

「一つは扉があって、もう一つは吹き抜け。どっちに行く?」

 

「右に行こうか」

 

 私は吹き抜けの方を見る。

 

「何か、倒れていないか確認したい」

 

 さて、どうしたものか。

 

 薔薇を欲する彼らからすれば、あそこにいる人物は格好の的だ。

 

 いや。

 

 今の彼らは、薔薇に興味を示しているというより、こちらを殺そうとしている。

 

 だが、行動原理そのものは変わっていないはずだ。

 

 この世界の住民たちは、イヴや私の薔薇を狙って攻撃してくる。

 

 つまり、薔薇の花弁。

 

 命の灯を狙っている。

 

 だが不思議なことに、本体へダメージがあれば薔薇も散るというのに、彼らは本体そのものにはあまり興味を示していない。

 

 あくまでも、薔薇だけを狙っているように見える。

 

 そんなことを考えながら、倒れている男の懐や周辺を確認する。

 

 けれど、鍵も薔薇も見つからない。

 

 薔薇は取られているようだ。

 

 では、鍵はどこにある。

 

「ライア」

 

 イヴが小さく声を上げた。

 

「この人の手に、鍵がある」

 

「本当かい?」

 

 私はすぐにイヴの示した場所を見る。

 

 確かに、倒れた男の手に鍵が握られていた。

 

「よし。持っていこう」

 

 私は鍵を回収する。

 

 だが、そこで一つ引っかかった。

 

 自分もそこは調べたはずだ。

 

 なのに、なぜイヴだけが気づいたのか。

 

 やはり、そうなるのは“必然”だったのだろうか。

 

 こういうことは、大概、彼女に聞くのがいい。

 

 だが、それはまた今度でいい。

 

 今は、それを知る必要はない。

 

 私たちは鍵を持って、右の部屋へ向かった。

 

「さて。右の部屋に着いたのはいいが……」

 

 私は目の前の通路を見て、少しだけ眉を寄せた。

 

「その先にある扉までの道が、かなり低いね」

 

 這えば通れるかもしれない。

 

 だが、私の身長では明らかに動きが鈍る。

 

 もし中で何かあれば、対応が遅れる。

 

「どう行く、イヴ?」

 

「私だったら通れると思う」

 

 イヴは通路の高さを見ながら言った。

 

「でも、ライアの身長だと通るのは難しそう」

 

 そして、こちらを見上げる。

 

「……ライア。私だけで行ってもいいかな?」

 

 私は少し考えた。

 

 危険性を考えれば、彼女一人に背負わせていいものではない。

 

 けれど、もし私が無理に一緒に入れば、かえってイヴを危険に晒すことになるだろう。

 

 ならば、自分が取るべき選択は一つだ。

 

「分かった」

 

 私はイヴに鍵を渡す。

 

「イヴ、これを持っていって」

 

「うん」

 

「これは私の予想だけど、多分、この予想は当たっている」

 

 最初は、運命のためだと思っていた。

 

 けれど、違う。

 

 私は、助けたいと思ったのだ。

 

 彼を助けなければならないと思った。

 

 そうすれば、あの子を助けるための手段が増える。

 

 そう考えていた。

 

 けれど、それも建前だったのかもしれない。

 

 そうでなければ、イヴを一人で先へ進ませようとは思わなかったはずだ。

 

「この先にある扉の向こうへ行って、さっき倒れていた人の薔薇を取ってきてくれ」

 

 私はイヴの目を見て言う。

 

「これは、君にしかできないことでもある」

 

「私にしか……」

 

「そう。だから、よく聞いて」

 

 イヴは真剣な顔で頷いた。

 

「危険を感じたら、すぐに戻ってくること。そして薔薇を手に入れたら、あの花瓶にすぐ入れること」

 

「うん」

 

「彼らの攻撃は、イヴの体では一撃耐えられるか分からない。だから絶対に、危険な場所に長く留まらないこと」

 

「分かった」

 

「これを守れるなら、イヴはとても強い子だ」

 

 私は少しだけ表情をやわらげた。

 

「頑張れ」

 

「……うん」

 

「大丈夫。もし逃げてきた時、何かがイヴを追ってきていたら、その時は私が必ず守る」

 

 イヴは鍵を握りしめた。

 

 不安はある。

 

 恐怖もあるだろう。

 

 それでも、彼女は逃げない。

 

 自分にできることを理解して、前に進もうとしている。

 

 私は、その背中を見送る準備をした。

 

 久々に、きちんと最善手を打とう。

 

 誰かの犠牲を前提にしないための、最善手を。

 

 自分には、それができる。

 

 そういう力を持っているのだから。

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