さて。
扉を抜けた先のメアリーはというと――。
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メアリー side
いつもなら、そこには存在しないはずの白い扉。
メアリーは、その扉を開けた。
そして、一歩踏み出す。
そこに広がっていたのは、知らない場所だった。
真っ白な壁。
真っ白な天井。
真っ白な床。
色というものが抜け落ちたような空間。
けれど、そこに並んでいたものだけは、メアリーにとって見慣れたものだった。
家族。
お父さんの子供たち。
自分と同じように、ゲルテナによって生み出された作品たち。
メアリーは思わず、足を止めた。
「……ここ、どこ?」
そう呟いた直後だった。
誰かが、そばへ近づいてくる気配がした。
「どうして、ここに人が?」
声が聞こえる。
メアリーが振り返ると、そこには見知らぬ人物が立っていた。
「まだここが開くのは、当分先の出来事のはずなんだけどね」
その人物は、少し困ったようにメアリーを見つめる。
「金髪の少女よ。君の名は?」
そこまで言ってから、彼は軽く首を横に振った。
「……いや、先に私が話しかけたのだから、こちらから名乗るべきだね」
彼は静かに言った。
「私の名は、付喪――」
けれど、その名を途中で止める。
「いや。この名はやめておこう」
そして、改めてメアリーを見る。
「仕切り直そう。私の名は、ラグナ・メルフィードという。君の名は?」
メアリーは、少しだけ警戒しながら答えた。
「……メアリー」
「そうか。君の名は、メアリーというのか」
ラグナは頷く。
「では、メアリー。どうしてここに?」
その声は、責めるものではなかった。
ただ、静かに事情を聞こうとしている声だった。
だからメアリーは、少しずつ話した。
「……みんなが、いきなり私のことを襲ってきたの」
声が震える。
「造花のはずだった黄色の薔薇が、本物の薔薇になった途端、みんなが私を見た」
あの視線を思い出す。
家族だったはずのものたちが、自分を獲物のように見ていた。
「それで、逃げて……逃げていたら、私も知らない白い扉が目の前に出てきて」
メアリーは、白い扉の方を見る。
「それを開けたら、ここに着いたの」
ラグナは黙って聞いていた。
一言一言を、丁寧に拾うように。
メアリーが話し終えると、彼は少しだけ目を伏せた。
「なるほど。そういうことか」
「これから、どうすればいいかな」
メアリーは不安そうに尋ねた。
「ラグナさん」
ラグナは少し考え込む。
「本当なら、一緒に行ってあげたいところだけどね」
彼は申し訳なさそうに言った。
「私は、そちら側に直接干渉できない」
「そっち……?」
「君が元いたゲルテナの世界のことだよ」
ラグナは視線を少しだけ遠くへ向けた。
「けれど……どうやら、あいつがそちらにいるようだ」
小さく呟く。
「君を通して、あいつの魔力を感じる」
「……あいつ?」
「ライラ・スカーレット」
その名を聞いても、メアリーには分からなかった。
「その人を探せばいいの?」
「ああ」
ラグナは頷く。
「その人物に会ったら、こう伝えなさい。ラグナ・メルフィードに会った、と」
「それだけで、助けてくれるの?」
「助けるさ」
ラグナは、少しだけ苦笑する。
「あいつは、そういうやつだからね」
そして、ラグナは何かを取り出した。
小さな護符だった。
淡い光を宿した、不思議な護符。
「これを持っていきなさい」
「これは?」
「光の護符だ」
ラグナはメアリーの手に、それをそっと握らせた。
「これがあれば、君の薔薇の花弁がすべて落ちる時に、十回だけ君を守ってくれる」
「十回……」
「たとえ、その体が燃やされても。引きちぎられても。砕かれても」
ラグナは真剣な目で言った。
「必ず、君を守ってくれる」
メアリーは護符を見つめる。
淡い光が、手の中で小さく揺れていた。
「肌身離さず持っていること。いいね?」
「……うん」
「それじゃあ、もう一度あの扉をくぐって、元の場所へ戻りなさい。そして、ライラに会うんだ」
ラグナの声は穏やかだった。
「そうすれば、すべてとはいかなくても、必ず守ってくれる」
メアリーは白い扉を見る。
戻れば、またあの世界だ。
自分を襲ってきた家族たちがいる。
怖くないはずがない。
けれど、ここにずっといることはできないのだと、メアリーにも分かった。
「……本当に、大丈夫かな」
小さく呟く。
ラグナは、少しだけ優しく笑った。
「絶対に大丈夫」
その言葉に、メアリーは顔を上げた。
「それはね、ライラから教えてもらった言葉だ」
「ライラから?」
「ああ。勇気が出る、魔法の言葉だそうだ」
ラグナは、白い扉へ視線を向ける。
「だから、君にも贈ろう」
そして、改めてメアリーを見る。
「絶対に大丈夫。君は、まだ終わっていない」
メアリーは護符を握りしめた。
怖い。
それでも、胸の奥にほんの少しだけ温かいものが残った。
「……行ってくる」
「ああ」
ラグナは静かに頷く。
「行ってらっしゃい。君の無事を願っているよ」
メアリーは白い扉の前に立つ。
扉を開ける前に、ラグナの声がもう一度聞こえた。
「さて。最後に、ちゃんとした言葉を贈っておこう」
メアリーが振り返る。
ラグナは、まるで来館者を迎える案内人のように、静かに礼をした。
「では、またいつか」
そして、彼は告げる。
「この美術館――いや」
白い空間に、その言葉が響く。
「【真・ゲルテナ展】にて、お待ちしております」
メアリーはその言葉を胸に刻み、白い扉をくぐった。