天才も、一人じゃ勝てない ~努力する少年の挑戦~   作:ささき2026

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5年生編 ソフィア登場
第16話 スペインから来た転校生


その転校生のことを、最初、翔はよく覚えていなかった。

 

 ソフィア・アルバレスが天野川小学校の4年1組にやってきてから、数日。教室は、その話題で持ちきりだった。

 

「ねえねえ、ソフィアちゃんって、スペインから来たんでしょ?」

 

「金髪、すっごいきれい……外国の子って感じ!」

 

「日本語、ぺらぺらだよね。なんで?」

 

 明るい金色の髪を、緩く編み込んだ少女。流暢な日本語を操り、誰とでも、たちまち打ち解けてしまう。休み時間になると、彼女の席のまわりには、いつも、人だかりができていた。

 

 その光景を、翔は、教室の隅から、ぼんやりと眺めていた。

 

(……明るい子だな)

 

 それが、翔のソフィアへの、第一印象だった。それ以上でも、それ以下でもなかった。彼にとって、彼女は、ただの「賑やかな転校生」の一人にすぎなかった。

 

 一方の、ソフィアもまた、翔のことを、気に留めてはいなかった。

 

 無口で。表情も、ほとんど変わらず。背だけが、やけに高い男の子。クラスの輪にも、加わろうとしない。

 

(……ちょっと、とっつきにくそうな子)

 

 それが、彼女の、翔への第一印象だった。

 

 二人は、まだ、互いのことを、何も知らなかった。

 

 この出会いが、やがて、海を越える物語へと続いていくことを――まだ、誰も。

 

────────────────────────────

 

 きっかけは、ほんの、些細なことだった。

 

 ある日の、国語の授業。

 

「ソフィアさん、ここ、読んでもらえますか」

 

 先生に当てられ、ソフィアは、すらすらと、教科書を音読していく。さすが、と誰もが思った、その矢先。

 

 ある一文の前で、ソフィアの声が、つっかえた。

 

「……この字、なんて読むんでしたっけ」

 

 めずらしく、困った顔。クラスが、しん、となる。流暢な日本語の、思わぬ綻び。

 

 そのとき――隣の席から、ぽつりと、声がした。

 

「『黄昏』。たそがれ、って読む」

 

 翔だった。

 

 ソフィアが、驚いて、隣を見る。けれど、翔は、彼女のほうを見もせず、自分の教科書に目を落としたまま、静かに続けた。

 

「夕方の……暗くなる前の、ほんの少しの時間のこと」

 

 それだけ言って、翔は、また、口を閉じた。

 

「……っ、ありがとう」

 

 ソフィアは、小さく礼を言って、音読を、再開した。

 

 けれど――その横顔を、彼女は、ちらりと、盗み見ていた。

 

(この子……わざと、冷たくしてるわけじゃない。ただ、こういう話し方なんだ)

 

 ソフィアは、人を見る目を持っていた。スペインの名門クラブで、幼い頃から、数えきれない大人たちを見て育った。だから――言葉ではなく、その奥にあるものを、見抜くことができた。

 

 翔の、ぶっきらぼうな声の、その奥に。彼女は、確かな、優しさの気配を、感じ取っていた。

 

────────────────────────────

 

 授業が終わると、ソフィアは、まっすぐ、翔の席へとやってきた。

 

「さっきは、ありがとう。助かったわ」

 

「……別に。知ってる字だっただけ」

 

 翔は、相変わらず、そっけない。

 

 けれど、ソフィアは、もう、その態度に、騙されなかった。にっこりと、笑いかける。

 

「ねえ、あなた、名前は?」

 

「……天野川翔」

 

「翔、ね」

 

 彼女は、その名を、確かめるように、繰り返した。

 

「私は、ソフィア。よろしく、翔」

 

 それが――二人の、本当の、最初の会話だった。

 

 このとき、翔は、知らなかった。

 

 目の前の、この明るい少女が、世界最高峰のサッカーを見て育った、特別な目を持つ者だということを。

 

 そして、その目が――やがて、自分の人生を、大きく変えることになるとは。

 

────────────────────────────

 

 それから、ソフィアは、ときどき、翔に話しかけるようになった。

 

 最初は、わからない日本語を、尋ねるため。けれど、いつしか、それは、ただのおしゃべりに変わっていった。

 

「私ね、日本の歴史が、大好きなの。特に――戦国武将!」

 

「……戦国武将?」

 

「うん! 織田信長でしょ、武田信玄でしょ、上杉謙信でしょ……ああ、もう、最高にかっこいいの!」

 

 ソフィアの目が、きらきらと、輝いた。

 

 翔は、内心、少し、驚いていた。

 

(スペインから来たのに……戦国武将)

 

 不思議な子だ、と思った。同時に――ほんの少し、興味が、湧いた。

 

────────────────────────────

 

 その日の、給食の時間。

 

「お兄ちゃん」

 

 教室の入り口から、小さな声がした。

 

 翔の、妹――天野川美羽だった。この春、同じ小学校に入学したばかりの、2年生。

 

「これ、お母さんから。お兄ちゃん、ハンカチ、忘れてったって」

 

 ちょこちょこと駆け寄ってきた美羽の視線が、ふと、翔の隣の、ソフィアの上で、止まった。

 

 じいっと、見上げる。

 

「……お兄ちゃんの、お友達?」

 

「うん。ソフィアっていうの」

 

 ソフィアが、しゃがんで、目線を合わせて、にっこり笑う。

 

「あなたは、翔の、妹さん?」

 

「うん。美羽。2年生」

 

 美羽は、人見知りをするかと思いきや――ソフィアの、まぶしいような笑顔に、たちまち、心を許したようだった。

 

「お姉ちゃん……髪、きらきら! きれいだね!」

 

「ふふ、ありがとう。美羽ちゃんも、すっごく可愛いわ」

 

 はにかむ美羽。それから、思い出したように、兄を見上げた。

 

「あ、そうだ。お兄ちゃん。今度の試合、私、撮りに行くからね!」

 

 その一言に――ソフィアが、ふと、反応した。

 

「試合……? 翔、あなた……サッカー、やってるの?」

 

 翔は、なんでもないことのように、答えた。

 

「うん。クラブで」

 

 その瞬間。

 

 ソフィアの瞳の奥が、ほんの、わずかに――光った。

 

 けれど、このときの彼女は、まだ、知る由もなかった。

 

 その、何気ない一言の向こうに。

 

 どれほど、途方もない才能が、隠されているのかを。

 

────────────────────────────

 

 放課後。

 

 帰り支度をしながら、ソフィアが、翔に話しかけた。

 

「翔、これから、練習なの? 毎日、やってるの?」

 

「ほとんど、毎日」

 

「すごいのね。毎日続けるの、簡単じゃないでしょ」

 

「好きだから」

 

 その、たった一言に――ソフィアの胸が、ふいに、締めつけられた。

 

 好きだから、続ける。

 

 あまりにも、シンプルで。けれど――彼女には、もう、できなくなってしまった、言葉だった。

 

 脳裏に、忘れたくても忘れられない、記憶が、よぎる。

 

 幼い頃。男の子のチームに混じって、誰よりも夢中で、ボールを追いかけていた、自分。スペインの、年代別代表候補にまで、選ばれた。

 

 けれど――あの、膝の、大怪我が。すべてを、奪っていった。

 

 「好きだから、続ける」。

 

 その、当たり前のことが。彼女には、もう、永遠に、許されない。

 

 だからこそ。翔の、その、まっすぐな一言が。胸の、奥深くへと、刺さった。

 

「……ねえ、翔」

 

 ソフィアは、気づけば、こう、口にしていた。

 

「今度、あなたの試合……私も、見に行っても、いい?」

 

「いいよ。来週、練習試合がある」

 

「ほんと? ……ありがとう! 楽しみにしてる!」

 

 満面の、笑み。

 

 けれど――このとき、二人とも、まだ、知らなかった。

 

 その「練習試合」が。

 

 ソフィア・アルバレスの、人生そのものを――根底から、揺さぶることになるとは。




次の更新は今日の11時30分です。
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