天才も、一人じゃ勝てない ~努力する少年の挑戦~   作:ささき2026

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第17話 才能を見抜く目 ソフィア 翔の試合を見る

練習試合の、当日。

 

 よく晴れた、休日の午後だった。天野川サッカークラブのグラウンドには、家族や仲間の応援に来た人々が、ぽつぽつと集まっていた。

 

 翔の家族も、来ていた。母の陽子。姉の明日香。そして、首から、お気に入りのカメラを下げた、妹の美羽。

 

 その天野川家のもとへ――

 

「こんにちは! 翔のクラスメイトの、ソフィアです!」

 

 休日の私服姿のソフィアが、淡い水色のカーディガンをひるがえして、駆け寄ってきた。

 

「あら、あなたが」

 

 姉の明日香が、興味深そうに、目を細める。

 

「スペインから来たの? どこ?」

 

「マドリードです」

 

「マドリード!? ……ねえ、私、来年、ヨーロッパに料理留学を考えてるの! スペイン料理にも、すっごく興味があって!」

 

 ソフィアの顔が、ぱっと、輝いた。

 

「ほんとですか!? スペイン料理、最高ですよ!」

 

 二人は、たちまち、意気投合した。

 

 試合が始まるまでの間、明日香とソフィアは、スタンドの隅で、すっかり話し込んでいた。パエリア、ガスパチョ、母直伝のトルティージャ・エスパニョーラ。ジャガイモに、弱火で、じっくり火を通すこと。お皿を使って、ひっくり返す、難しい一瞬――。

 

「お皿でひっくり返す!? 失敗したら、悲惨なことになりそう……!」

 

「そうなんです! 母も、最初は、よく失敗してました!」

 

 声を合わせて、笑う二人。

 

 明日香は、このスペインから来た少女の、明るさと、聡明さに、すっかり、好感を抱いていた。

 

「ねえ、ソフィアちゃん。今度、うちに、遊びにおいでよ。私が、料理、作るからさ」

 

「いいんですか!? ……嬉しい!」

 

 ふと。明日香が、何気なく、尋ねた。

 

「ソフィアちゃんは……サッカー、好きなの?」

 

 その瞬間。

 

 ソフィアの、明るかった表情が――ほんの少し、陰った。

 

「……はい。大好き、です」

 

 ぽつり、ぽつりと、ソフィアは語った。

 

 スペインで、男の子のチームに混じって、プレーしていたこと。代表候補に、選ばれたこと。そして――

 

「膝を、大きく、怪我してしまって。それで……続けられなく、なったんです」

 

 明日香が、はっと、息を呑んだ。

 

 ソフィアは、そっと、自分の右膝に、手を当てた。

 

「ただ……だからこそ。才能のある人が、その才能を、無駄にしないでほしいって……人一倍、強く、思うんです。私が、できなくなった……ぶんまで」

 

 その言葉の、重さに。明日香は、かけるべき言葉を、見つけられなかった。

 

 ちょうど、そのとき。

 

 ピイッ――!! と。

 

 ピッチから、試合開始を告げる、ホイッスルが、鳴り響いた。

 

「あ……始まる」

 

 ソフィアは、何気なく、ピッチへと、視線を向けた。

 

 ただの、クラスメイトの、試合。

 

 そういう、軽い気持ちで。

 

────────────────────────────

 

最初の、数分は。

 

 ソフィアは、ごく普通に、その試合を、眺めていた。

 

 翔が、左サイドで、ボールを受ける。なるほど、上手い。けれど、これくらいの子なら――

 

 と、思った、その、瞬間だった。

 

 翔が、止まった状態から、たった一歩を、踏み出した。

 

 ただ、それだけ。

 

 なのに――相手の選手が、置き去りに、されていた。

 

「……え?」

 

 ソフィアの、思考が、止まった。

 

 彼女は、目を、疑った。

 

 幼い頃から、スペインの名門クラブで、世界最高峰の選手たちを、特等席で、見続けてきた。トップチームの試合を。育成年代の、未来のスターたちを。数えきれないほど。

 

 だから――わかる。痛いほど、わかってしまう。

 

 今、翔が見せた、あの、たった一歩の、加速。

 

(……あんな加速、見たこと、ない)

 

 それは、単なる、スピードでは、なかった。

 

 重心の、移動。姿勢。タイミング。そのすべてが――極限まで、磨き上げられ、計算し尽くされた、一歩。世界のトップ選手ですら、あんなにも、美しい初速は、持っていなかった。

 

 気づけば。ソフィアは――立ち上がっていた。

 

 無意識のうちに。

 

 ピッチの上の、その少年から――目を、離せなく、なっていた。

 

────────────────────────────

 

 翔のプレーは、続いた。

 

 相手に、囲まれる。次の瞬間――肩と、腰と、目線だけが、すっと、流れる。ボールは、ほとんど、動いていない。なのに、翔は、影のように、相手の間を、すり抜けていく。

 

(あのターン……ボールを動かさずに、身体の向きだけで、相手を、騙してる)

 

 ソフィアの、分析力が、悲鳴を上げるように、回転する。

 

(あれを……あの技術を……この、年齢で!?)

 

 パスの、精度。視野の、広さ。相手の動きを、読み切る力。

 

 その、すべてが――規格外。

 

 そして、ついに。

 

 決定的な、瞬間が、訪れた。

 

 翔が、ペナルティエリアへと、切り込む。相手GKが、シュートを防ごうと、前へ、飛び出してくる。

 

 一対一。

 

(普通なら……ここで、強いシュートを、狙う。でも、GKが、前に出てる。だったら――)

 

 ソフィアが、頭の中で、最善手を、弾き出した、その刹那。

 

 翔は。

 

 GKが、前に出始めた、まさに、その、一歩目を――見極めていた。

 

 そして、ボールを、ふわりと。羽根のように、浮かせた。

 

 ――フェザー・ループ。

 

 ボールは、宙を舞い。前に出たGKの、必死に伸ばした、その指先の、ほんの数センチ、先を、越えて。

 

 誰もいない、ゴールの中へと――静かに、吸い込まれていった。

 

 ゴール。

 

「――――」

 

 ソフィアは、言葉を、失っていた。

 

 スタンドの歓声も、もう、聞こえなかった。

 

(今の、判断……GKが、出た「後」じゃ、ない。出「始めた」、その一瞬を、狙った。あの、コンマ数秒を……見極めて、計算して……決めた)

 

 それは。力ではなく。知性で、こじ開けた、ゴールだった。

 

 ソフィアの、心臓が、激しく、高鳴っていた。

 

 幼い頃から、世界の頂点を、見続けてきた、彼女だからこそ――わかってしまう。誰よりも、はっきりと。

 

(この子は――)

 

 ぞくり、と。鳥肌が、立った。

 

(この子は……天才だ。今まで、私が、見てきた……誰よりも――)

 

────────────────────────────

 

 

試合の間、ソフィアは、ほとんど、一言も、発しなかった。

 

 ただ、食い入るように。瞬きすら惜しむように。翔の一挙手一投足を、その目に、焼きつけ続けていた。

 

「……ソフィアちゃん? 大丈夫?」

 

 あまりの様子に、明日香が、心配そうに、声をかけた。

 

 ソフィアは、ピッチを見つめたまま。震える声で――告げた。

 

「明日香さん」

 

「う、うん」

 

「翔は……すごい選手、なんですね」

 

「ええと……まあ、家族の私が言うのもなんだけど、頑張ってるとは――」

 

「すごい、なんて」

 

 ソフィアが、ゆっくりと、明日香のほうを、振り向いた。

 

 その瞳は。涙が、滲むほどに、真剣だった。

 

「すごい、なんて……言葉じゃ、足りません」

 

「……っ」

 

「私、スペインで、世界一のクラブの選手たちを、たくさん、見てきました。トップチームの、本物のスターを。何人も、何人も」

 

 ソフィアの声が、確信に、震えた。

 

「でも――翔は。その、誰よりも……特別、です」

 

 明日香は、その言葉の、あまりの真剣さに、言葉を、なくした。

 

「翔は……世界一に、なれます」

 

 ソフィアの瞳に、迷いは、なかった。

 

「本気で、そう、思います」

 

 それは。世界を知る、少女の。嘘偽りの、ない――心からの、確信だった。

 

────────────────────────────

 

 試合は、翔のチームの、勝利で、終わった。

 

 ピッチから引き上げてきた翔のもとへ――ソフィアが、ゆっくりと、歩み寄った。

 

 いつもの、明るい笑顔とは、違う。もっと、真剣で。けれど――どこか、きらきらと、輝くような、表情で。

 

「翔」

 

「ん?」

 

「あなたのプレー、見て……私、確信した」

 

 まっすぐに。翔の目を、見つめて。

 

「あなたは――世界一に、なれる。私、そう、信じる」

 

 翔は、少し、驚いた。

 

 ただのクラスメイトが、試合を見に来る。それだけのこと、だと思っていた。けれど――ソフィアの言葉には、ただの感想とは、まるで違う、深い、「重み」が、宿っていた。

 

(この子は……サッカーを、知ってる。それも――かなり、深く)

 

「ソフィア。君、サッカー……詳しいの?」

 

 ソフィアは。少しだけ、寂しそうに。けれど、誇らしげに――微笑んだ。

 

「うん。昔、やってたから。……今は、できないけど」

 

 その「できないけど」に、込められた、深い何かを。翔は、察した。けれど、それを、軽々しく、問うことは、しなかった。

 

 代わりに。翔は――こう、言った。

 

「また、見に来てよ。試合」

 

 ソフィアの顔が、ぱっと、明るくなる。

 

「君、サッカー、わかるみたいだから。……感想、聞きたい」

 

 それは、翔にとって。ひどく、めずらしいことだった。

 

 自分から、誰かに、「また会いたい」と、告げるなど。これまで、ほとんど、なかったことだった。

 

 ソフィアは、まだ、知らなかった。その一言が、どれほど、特別なものだったのかを。

 

 ただ――胸が、いっぱいに、なった。

 

「……うん! 絶対、また来る!」

 

 二人の距離が。この日。確かに、一歩――縮まった。

 

 サッカーという、世界共通の、言葉を通して。

 

 そして。

 

 一人の少女の運命が、静かに、動き出した。

 

 




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