天才も、一人じゃ勝てない ~努力する少年の挑戦~   作:ささき2026

3 / 24
第3話 誰もいない場所へのパス

入団初日。

 

翔は、真新しいクラブのジャージに身を包み、グラウンドの隅に立っていた。隣には、同じ日に体験練習へ来た子どもが数人。みんな、緊張した顔をしている。翔だけが、表情を変えずに、グラウンドを見渡していた。

 

——その「無表情」が、すでに誤解の種になっていることに、翔自身は気づいていない。

 

「なんだあいつ、態度悪くね?」

 

近くにいた子どもの一人が、小声で言った。隣の子が、ちらりと翔を見て、うなずく。

 

翔の耳にも、その声は届いていた。けれど、翔はそれを「自分のことだ」とは思わなかった。誰の話をしているのか、考えてもいなかった。頭の中は、すでにグラウンド全体の人数、コートの広さ、コーチの立ち位置を分析することに使われていた。

 

「集合!」

 

声が響いた。

 

子どもたちが、一斉に整列する。翔も、それに続いた。

 

整列の最前列、一番背が高い位置に、一人の少年が立っていた。背番号10のビブスをつけている。日に焼けた肌、引き締まった体つき、そして、誰よりも声が大きかった。

 

「新しく来たやつら、よく聞け!」

 

その少年が、列の前で叫んだ。

 

「俺は神谷蓮。6年。このチームのFWで、キャプテンだ。今日からよろしく頼む!」

 

整列した新入団の子どもたちの中から、何人かが「よろしくお願いします!」と元気に返事をした。翔も、少し遅れて、頭を下げた。

 

蓮の目が、翔の上で止まった。

 

(……3年生? 体は大きいけど、何だこいつ。返事も小さいし、目つきも何考えてるかわかんねえ)

 

蓮の第一印象は、決して良いものではなかった。

 

「お前、名前は」

 

「天野川翔です」

 

「学年」

 

「3年生です」

 

蓮は、軽く鼻で笑った。

 

「3年か。まあ、頑張れよ」

 

その言葉には、明確な「期待していない」響きがあった。3年生で体験に来る子どもは、毎年何人もいる。たいていは、半年で辞めていく。

 

翔は、その響きに気づいていた。けれど、気にしなかった。

 

(エースか。背番号10。チームの中心ってことだ。動き方を見ておこう)

 

翔の頭の中では、すでに分析が始まっていた。

 

 

最初のメニューは、パス回しだった。

 

四人一組で、ボールを止めずにつなぐ練習。翔は、初心者の組に入れられた。同じ組には、小柄な少年がいた。ゴールキーパー用の手袋を、ベルトに引っ掛けている。

 

「よろしく! 俺、水城大和。GKやってる!」

 

明るい声だった。誰にでもこうやって話しかけるのだろう、と翔は思った。

 

「天野川翔です」

 

「翔か! よろしくな!」

 

大和は、まったく気を遣わずに笑いかけてくる。蓮の「頑張れよ」とは、まるで違う種類の言葉だった。

 

練習が始まった。

 

最初は、簡単だった。翔の足元の感覚は、すでに普通の3年生とは違っていた。一度教わったボールタッチを、すぐに再現できる。コーチが見せた動きを、もう一度見なくても、身体が覚えていた。

 

「お前、上手いな!」

 

大和が、目を輝かせて言った。

 

「まだ、よくわからないけど」

 

「いやいや、めちゃ上手いって! 昨日始めたって聞いたけど、ウソだろ?」

 

「本当だよ」

 

大和は、口を半開きにして固まった。それから、急に笑い出した。

 

「すげえ! 翔、お前、絶対すごい選手になるよ! 大丈夫、なれる!」

 

——根拠なんて、何もない。けれど、大和は本気でそう信じている顔をしていた。

 

翔は、その言葉に、何かが胸の奥でかすかに動くのを感じた。言葉にできない感覚だった。それが「嬉しい」という感情だと気づくのは、もう少し先のことになる。

 

 

午後の練習は、ミニゲームだった。

 

6年生から3年生まで、レベル別に分けられたチームでの紅白戦。翔は、3、4年生中心のチームに入った。

 

ここで、最初の「壁」が現れた。

 

翔は、ボールを持つと同時に、コートの全体を見ていた。味方の動き、相手の重心、空いているスペース。頭の中で、数手先の展開が、自然に組み立てられていく。

 

(右サイドのスペースが空いてる。あそこに誰か走り込めば、決定的なパスが出せる)

 

翔は、ボールを持った瞬間、迷わずパスを出した。誰もいない、右サイドの広大なスペースへ。

 

ボールは、そのままタッチラインを割った。

 

「おい! 誰もいねえじゃん!」

 

味方の一人が、声を上げた。

 

「何やってんだよ、ちゃんと見て出せよ!」

 

翔は、戸惑った。

 

「……あそこ、空いてた」

 

「空いてたって、誰もいねえのに出してどうするんだよ!」

 

「だから、走ればよかったのに」

 

その言葉に、相手は一瞬、言葉を失った。それから、ムッとした顔になった。

 

「は? 俺らがお前の言う通りに走らなきゃいけねえのかよ」

 

翔には、その怒りの理由が、よくわからなかった。

 

(なぜ怒っているんだろう。あそこにスペースがあって、走り込めば決定的だった。それを伝えただけなのに)

 

翔に、悪気は微塵もなかった。本当に、純粋に「最善のプレー」を考え、それを実行しただけだった。

 

けれど、伝え方が足りなかった。「あそこに走って」と声をかける前に、もうボールを出していた。仲間がついてこられるかどうかを、考えていなかった。

 

——分析は、完璧だった。けれど、それを「仲間と共有する」という発想が、まだ翔にはなかった。

 

試合は、その後も同じことが繰り返された。翔の出すパスは、的確だった。けれど、誰もそこにいない。誰も、翔の頭の中が見えない。

 

試合が終わる頃には、翔のチームの子どもたちの間に、はっきりとした空気ができていた。

 

「あいつ、なんか感じ悪くね」

「自分だけわかってる感じ出すし」

「下に見られてる気がする」

 

翔には、その空気の理由が、最後までわからなかった。

 

 

グラウンドの隅、ベンチに座って、翔は一人で水を飲んでいた。

 

その様子を、神谷蓮が、少し離れた場所から見ていた。

 

蓮は、最初、翔のプレーを「期待していない」目で見ていた。けれど、あのパスを見た瞬間、その目つきが変わっていた。

 

(あのパス……誰もいないところに出したように見えたけど、あれは違う。あいつ、あのスペースが空くのを、先に読んでた。問題は、味方がついてこられてないことだ)

 

蓮は、エースとして、これまで何百試合も見てきた。だからこそ、わかることがあった。あの3年生のパスは、ミスではない。レベルが、周りより異常に高すぎるだけだ。

 

蓮は、ベンチに歩み寄った。

 

「おい」

 

翔が、顔を上げた。

 

「お前、今日のパス。あれ、わざとあそこに出したのか」

 

「はい。スペースが空いてたので」

 

「お前にはあそこが見えてたってことか。誰も走ってなかったのに」

 

「見えてました。たぶん、あと一秒早く声をかければ、誰か走れたと思います」

 

蓮は、しばらく翔の顔を見ていた。

 

(……こいつ、本物かもしれない)

 

直感だった。エースとしての、長年の感覚が、そう告げていた。

 

けれど、蓮はそれを、すぐには口にしなかった。

 

「お前、3年生だろ。なんでそんなこと考えてんだ」

 

「考えないと、勝てないので」

 

「……ふん」

 

蓮は、短く笑った。馬鹿にした笑いではなかった。何かを、認め始めた笑いだった。

 

「いいか。お前の言ってることは、たぶん正しい。でも、サッカーは、頭が良いやつが勝つわけじゃない。仲間が動けて、初めて意味がある。お前の分析は、お前だけのもんじゃ、ただの自己満足だぞ」

 

その言葉は、翔の中に、まっすぐ刺さった。

 

「……自己満足」

 

「そうだ。仲間に伝わらない正解は、正解じゃない。覚えとけ」

 

蓮は、それだけ言うと、立ち上がって、グラウンドの中央へ戻っていった。

 

翔は、その背中を、しばらく見つめていた。

 

頭の中の声が、静かに、その言葉を整理し始める。

 

(仲間に伝わらない正解は、正解じゃない……)

 

その夜、翔は家に帰っても、その言葉が頭から離れなかった。

 

 

夕食の席で、翔はその日の出来事を、ぽつりぽつりと話した。

 

「……それで、誰も怒ってる理由が、最初はわからなかった」

 

姉の明日香が、味噌汁をすすりながら言った。

 

「ああ、わかるわかる。あんた、たまにそういうとこあるよね。正しいことを、正しいやり方じゃなく言っちゃうの」

 

「正しいやり方って?」

 

「相手の気持ちを、先に考えるの。翔は頭がいいから、答えが先に見えちゃうんだよ。でも、答えが見えても、それを相手が受け取れる形にしないと、伝わらないの」

 

父・恒一郎も、うなずいた。

 

「分析と、伝達は、別の技術だ。翔は今、分析の力は、もうかなりある。だが、伝える力は、まだこれからだ」

 

「どうやったら、うまく伝えられるの」

 

恒一郎は、少し考えてから言った。

 

「それは——」

 

そこで、言葉を止めた。

 

「お父さんが教えることじゃないな。それは、お前自身が、仲間とぶつかりながら、見つけていくものだ」

 

翔は、少し不満そうな顔をした。答えを教えてくれない。父も、そしてあの監督も、いつも同じだった。

 

それを見て、母の陽子が、くすりと笑った。

 

「翔。答えをすぐにもらえないのは、不便でしょう」

 

「うん」

 

「でも、それでいいの。すぐにもらった答えは、すぐに忘れる。自分で見つけた答えは、一生忘れない。——お父さんと同じことを言うけど、それが本当だから」

 

翔は、味噌汁を飲みながら、考え込んでいた。

 

(伝わらない正解は、正解じゃない)

 

(分析と、伝達は別)

 

その夜、翔は布団の中で、もう一度、今日のグラウンドの光景を思い出していた。誰もいなかった右サイドのスペース。怒った仲間の顔。蓮の、まっすぐな言葉。

 

——次は、ちゃんと伝える。

 

そう、心の中で決めた。

 

けれど、その「伝える」が、思った以上に難しいことを、翔はこれから、何度も思い知ることになる。

 




本文の様なズレを感じたサッカー経験者の方はいらっしゃいますか?
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。