1999年9月1日。
夏の名残を残した朝。
キングス・クロス駅の9と4分の3番線は、今年も大勢の親子で賑わっていた。
赤い蒸気機関車が白い蒸気を吐き出し、あちらこちらから別れを惜しむ声が聞こえる。
新入生は期待と不安を胸に。
在校生は久方ぶりの再会に笑みを浮かべながら。
それぞれがホグワーツ特急へ乗り込んでいく。
その人混みの中に、1人の女性の姿があった。
ライーザ・ベネット。今年で45歳になる。
かつてホグワーツでは「黎明の魔女」と呼ばれ、卒業後はマグル社会で刑事として歩み続けてきた女性である。
年月は流れた。
若き日の鋭さはそのままに、表情には人生を重ねた者だけが持つ落ち着きが宿っている。
その隣には、1人の少女。
今年度からホグワーツへ入学する長女――ジェシカ・ベネットが、真新しい制服姿で立っていた。
新品のトランク。
梟籠。
そして、これから始まる七年間への期待を胸いっぱいに抱えながら、ホームを見回している。
ライーザはそんな娘を静かに見守っていた。
*
ジェシカは胸元で両手を組み、周囲をきょろきょろと見回していた。
これから始まるホグワーツでの生活。
期待の方が大きいのだろう。その瞳は輝いている。
そんな娘の様子を見て、ライーザはふっと微笑んだ。
そっと手を伸ばし、ジェシカの頭を優しく撫でる。
「1つだけ、忘れちゃ駄目よ」
「え?」
ジェシカが首を傾げる。
「去年卒業したルーカス兄さんが、在学中に色々と改良した家電や機械がホグワーツには残ってるわ」
「魔法と両立できるように調整された物ばかりだけど」
ライーザは娘の目を見て、少しだけ真剣な表情になる。
「不用意に触っちゃ駄目」
「ちゃんと使い方を知っている人に聞いてから使うこと」
「分かった?」
「うん!」
ジェシカは元気よく頷いた。
「勝手には触らない!」
「よろしい」
ライーザはもう1度、娘の頭を軽く撫でる。
1998年6月。
レイブンクローに組み分けされたルーカス・アシュフォードはホグワーツを卒業した。元々変身術が大の得意だったのでOWLでもNEWTでもOだった。それ以外はEである。
その後、1年間の受験勉強を経てAレベルに合格。
そして今年から、インペリアル・カレッジ・ロンドンへ進学している。
在学中の7年間で彼がホグワーツへ残したものは、決して小さくなかった。
魔法界では使えないとされてきた家電。
機械。
それらを魔法環境でも運用できるよう、1つひとつ改良を重ね、学校生活の中へ溶け込ませていったのである。
今では後輩達も日常的に利用していると聞く。
便利になった反面、仕組みを理解せず興味本位で触れば思わぬ事故にも繋がりかねない。
だからこそ、ライーザは最初にそのことだけは娘へ伝えておきたかった。
ジェシカは真剣な表情で何度も頷いた。
「ちゃんと先輩に聞いてから使うね、お母さん」
「ええ。それが1番よ」
*
ジェシカは少しだけ俯いた。
「……お母さん」
「何?」
「私、どこの寮になるんだろう」
期待よりも、不安の方が勝ってしまったのだろう。
ライーザは娘の表情を見て、小さく笑みを浮かべた。
「そんな顔しなくて大丈夫」
もう1度、ジェシカの頭へ優しく手を置く。
「ママと同じスリザリンじゃなくても、見捨てたりしないわ」
ジェシカはゆっくり顔を上げた。
「ルーカス兄さんを見てみなさい」
「パパはスリザリンだったのに、あの子はレイブンクローへ入った変わり種よ」
「だから、グリフィンドールでも、ハッフルパフでも大丈夫」
ライーザは穏やかな口調で続ける。
「確かに、どうしようもなく救いようがない人もいるわ」
「でも、それだけじゃない」
「どの寮にも立派な人はいる」
「結局大事なのは、どこの寮へ入るかじゃなくて、その後どう生きるかよ」
ジェシカの不安そうだった表情が、少しずつ和らいでいく。
「……うん」
「ありがとう、お母さん」
その時だった。
汽笛がホームへ響き渡る。
発車を知らせる合図である。
ライーザはホグワーツ特急へ視線を向けた。
「さあ、もう発車するわ」
「乗りなさい」
「うん!」
ジェシカはトランクを押しながら列車へ向かう。
乗車口へ上がる直前、1度だけ振り返った。
「行ってきます!」
ライーザも静かに手を振る。
「行ってらっしゃい」
やがて扉が閉まり、蒸気機関車はゆっくりと動き始めた。
白い蒸気を残しながら遠ざかっていく赤い車体を、ライーザは黙って見送る。
その光景を眺めていると、不思議と様々な出来事が脳裏をよぎった。
自分が初めてこの列車へ乗った日のこと。
ホグワーツで出会った仲間達。
笑った日々も、悔やんだ日々も。
そして、多くの人との出会いと別れ。
それら全てが、今へと繋がっているのだと、ライーザは静かに思い返していた。
*
ゆっくりと遠ざかっていくホグワーツ特急を見送りながら、ライーザは静かに目を細めた。
「(若い頃は……)」
「(私のアプローチは失敗だったと思っていた)」
救えなかった命。
変えられなかった歴史。
何度も、自分の無力さを思い知った。
けれど。
決して無駄ではなかったのだと、今なら思える。
自分が後見人を務めたルーカス・アシュフォード。
あの少年が、ハリー・ポッターと親友になった。
それだけでも、自分の歩んできた道には意味があった。
もっとも。
予想外だったこともある。
ルーカスは数年という歳月を費やし、世界中を巻き込む1大事業を立ち上げた。
組織の名は――アウロラ・コンコルディア。
その頂点には、ドラコ・マルフォイを据え、自らはその中核として世界各国を奔走した。最高幹部はルーカス以外にも3人いる。ニュート・スキャマンダー、レオナルド・フィグ。ここまでは大物でもなんとなくわかる。ホグワーツのOBだし、魔法生物関連お金儲けプロジェクトで多くの縁があるから。
もう1人はゲラート・グリンデルバルド。ルーカスはヴォルデモート以上にヤバいと思たからこそ、彼の威光も借りる事にしたのだ。
グリンデルバルドを迎える際に、成長する人工生命体ソーサリス・マリオネットの1体にして、第2次魔法戦争時には外交官役であるイーサンの補佐としてルーカスを連れまわせない代用として用意された8体――「アマテラス」の一角にして最後期に稼働した、実質的なルーカスの半身というべき存在ナディールを名代にし、礼節を以って接したのだと言う。
その活動目的は、ただ1つ。
闇の陣営を、2度と立ち上がれないところまで叩き潰すこと。
最初は驚いた。
やがて、その規模は国家どころか世界へ広がっていった。
各国の魔法界が連携し、情報を共有し、逃亡先すら失わせる。
もはや戦争というよりも。
害虫や病原菌を根絶するための、世界規模の駆除活動と呼ぶ方が近かった。
そこまで徹底されると、ライーザでさえ思ってしまった。
「(……流石に、死喰い人が可哀想になってきたわ。特に二重スパイと分かっても尚、これまでの教師としての振る舞いが祟って生かす価値無しと判定されたセブルスには。作った魔法は主君に使われ、セクタムで文字通り全身八つ裂き。記憶は渡せたけど介錯はしてもらえず、杖を破壊され、教師としての17年間の糾弾と見限りで苦しみながら死んだだのだから)」
もちろん、同情したわけではない。
彼らが積み重ねてきた罪は消えない。
それでも、あまりにも圧倒的な力の差で追い詰められていく姿を見れば、そう感じてしまう瞬間くらいはあった。
結果として、生け捕りに価値があると判断されたマルフォイ夫妻のような例外を除いて――
少なくともホグワーツの戦いへ参戦した闇の陣営の者達は、1人残らず命運を絶たれる結末となった。ルーカスは全員を狂人リドルの信者たる異常者として一括処理した。
ライーザは小さく息を吐く。平和になったのは良いが、いささか苛烈過ぎではとは思ったが、これも大人達が負債を後世に押し付けた末に起こった結果だから批判は出来ない。
「これでお辞儀ハゲと死喰い人共は1匹残らずこの世から消え去った!狂人と異常者の相手も終わりだ!これで金儲けと研究と平穏な暮らしが送れるぜ!」
ホグワーツの戦い終戦3時間後、ナディールから生きた闇の陣営はいないと報告を受け、最高にハイになって言ったとイーサンから聞いた。
「(下手に言えば、ルーカスの理論補強材料に様変わりするし)」
自分が思い描いていた未来とは違う。これならもっと介入するべきだったかと思ったほど。
だが、それでも。
あの時、諦めずに蒔いた種は。
確かに次の世代で、大きく花開いていたのだった。
*
そういえば、とライーザは思い出す。
ルーカスがAレベルへ合格し、今年からICLへ進学すると決まった時のことだ。
関係者を可能な限り呼び集めて開かれた祝いの席は、それはもう大騒ぎだった。
主役本人が照れ笑いを浮かべるほど、誰もが自分のことのように喜んでいた。
「(今頃は、入学式かしらね。彼……)」
ライーザは自然と周囲へ目を向ける。
少し離れた場所では、アシュフォード夫妻がホグワーツへ向かう子供達を見送っていた。
イーサン。
エリス。
そして今年から入学するノア。
その姿はある。
けれど、1人だけ見当たらない人物がいた。
ルーカスだ。
当然である。
今日はホグワーツではなく、ICLの入学式へ出席しているのだから。
ライーザは思わず笑みを零した。
「(本当に……)」
「(血は繋がっていないけれど)」
「(我が息子だけあるわ)」
後見人として見守り続けた年月は、親子と呼んでも差し支えないほど濃密なものだった。
その少年は、今や自分の力で未来を切り拓いている。
そして、ふともう1つ思い出す。
「(そういえば)」
「(ノア君も今年度から入学だったわね)」
ジェシカと年も近い。
同じホグワーツで学ぶうちに、仲良くなるかもしれない。
そんな未来を想像すると、自然と頬が緩んだ。
やがてライーザはアシュフォード夫妻のもとへ歩み寄る。
「それじゃあ」
「また近いうちに」
互いに短く挨拶を交わす。
別れを済ませると、ライーザは腕時計へ目を落とした。
感傷に浸ってばかりはいられない。
今日はこれから仕事が待っている。
ロンドン警視庁の刑事として担当するのは、新型薬物事件。
元々はダンブルドア軍団が脱狼薬改良の研究過程で偶然生み出した副産物だった。
しかし紆余曲折を経て闇の陣営がそれを盗み出し、大量生産。
裏社会へ流通したその魔法薬は、「ビルドアップ」と呼ばれ、覚醒剤にも匹敵する危険薬物として各国で問題視されていた。
その摘発が、今日の任務である。
ライーザはホグワーツ特急が走り去った線路を1度だけ見つめる。
「さて」
静かに呟く。
「私も、私の戦場へ行きましょうか」
そうして踵を返し、人々で賑わうキングズ・クロス駅の中へと歩き出した。