1971年7月31日。生年こそ違うものの、日にちだけ見れば原作主人公ハリー・ポッターが誕生する日である。
ホグワーツ城は夏休みを迎え、普段の喧騒が嘘のように静まり返っていた。
窓から吹き込む風に銀緑色のカーテンが揺れる。
ライーザ・ディスカビルは、自室の机へ腰掛け、一つのバッジを柔らかな布で丁寧に磨いていた。
銀色に輝くそれには、誇らしく刻まれている。
*
スリザリン・クィディッチチームのキャプテンを示す証。
光を反射するそれを見つめ、ライーザは自然と口元を緩めた。
「もう7年目になるのね」
ホグワーツへ入学してから6年。
振り返れば、本当にあっという間だった。
最初の転機は、1年生。
まだ日の昇らない早朝。
身体を鍛えるため、誰にも言わず城の外をジョギングしていた。
前世から続けてきた習慣。
魔法使いだからといって、身体を鍛えなくていい理由にはならない。
その姿を偶然見かけた当時のクィディッチチーム員から、
「面白い1年がいる」
そう興味を持たれたのが始まりだった。
2年生。
ホグワーツ名物とも言える動く階段へ、最初は散々振り回された。
ならば慣れてしまえばいい。
そう考えたライーザは、前世の知識を頼りにパルクールを取り入れ始めた。
階段から手すりへ。
手すりから踊り場へ。
壁を蹴り、無駄なく駆け抜ける。
いつしか城中を縦横無尽に移動する姿が、生徒達の間で話題になっていた。
「そこまで身体能力があるなら、クィディッチをやってみないか」
正式なスカウトを受けたのも、この頃だった。
3年生。
ついに『闇の魔術に対する防衛術』の才能が花開く。
実技でも座学でも結果を残し続けたライーザへ、その年度の担当教師であるレオナルド・フィグは満足そうに頷いた。
「君なら、この先どこへ行っても十分通用する」
その言葉は、ライーザにとって大きな自信となった。
4年生。
シーカーの代理として試合へ出場したことをきっかけに、自分でも意外な事実が判明する。
守護を得意とするキーパー。
それだけではない。
攻撃の要となるチェイサー。
味方を守るビーター。
どの役割でも一定以上の結果を出してしまったのだ。
寮監のスラグホーンは目を丸くしながら、
「いやはや、これは見事だ!」
と、何度も手を叩いて喜んでいた。
5年生。
OWL。
あれほど勉強した一年は、おそらく前世も含めて初めてだった。
睡眠時間を削り、授業の復習を繰り返し、実技も筆記も徹底的に叩き込む。
その結果、『闇の魔術に対する防衛術』では見事"O"を獲得。
他教科も得意不得意がはっきりした、実にライーザらしい成績表となった。
そして6年生。
クィディッチキャプテンへ就任。
チーム全員で何度も戦術を練り直し、練習方法も見直した。
その努力は実を結び、長らく遠ざかっていたクィディッチ杯を、スリザリンへ持ち帰ることができた。
優勝が決まった瞬間の歓声は、今でも耳に残っている。
ライーザは磨き終えたキャプテンバッジを手のひらへ乗せた。
7年間。
積み重ねてきた努力は、確かな形となって実を結び始めている。
「……あと1年」
静かに呟く。
「学生生活も最後」
NEWT試験。
進路。
そして、ホグワーツ最高学年として下級生へ示すべき姿。
7年生は、これまで以上に重要な一年になる。
ライーザはキャプテンバッジをローブへ付け直すと、鏡に映る自分を真っ直ぐ見つめた。
「気を引き締めないとね」
その瞳には、一年生の頃にはなかった確かな自信と覚悟が宿っていた。
一九7一年八月2十九日。
夏休みも終わりに近づき、ホグワーツへ戻る準備を進めるライーザの部屋には、教科書や羽根ペンが整然と並べられていた。
7年生。
ホグワーツ最後の一年。
忘れ物がないよう、一つ一つ確認していると――。
コンコン。
「入るぞ」
返事を待たず扉が開き、一人の青年が姿を現した。
ライーザより年上。
鋭い眼差しと堂々とした立ち居振る舞いは、幼い頃から見慣れたものだった。
「兄上ですか」
フランクリン・ディスカビル。
異母兄である。
ライーザは父の正妻の娘。
一方、フランクリンの母は父の妾だった。
しかし、そんな違いはディスカビル家では何の意味も持たない。
重要なのは実力。
そしてフランクリンは、その実力において兄弟達の中でも群を抜いていた。
次期当主争いにおける最有力候補。
家中の誰もがそう認めている。
「ホグワーツの準備中だったか?」
「ええ」
「少し話がある」
ライーザは荷造りの手を止め、兄へ向き直る。
フランクリンは壁へ寄り掛かると、単刀直入に切り出した。
「まどろっこしい言い方は好まんから単刀直入に聞く。お前、後継者争いに興味はあるか?」
まっすぐな問いだった。
遠回しな言い方はしない。
それが兄らしい。
ライーザは迷うことなく首を横へ振った。
「ありません」
「ほう、それは意外だ。他の者達は意欲的だったからな。差し支えなければ、理由は?」
「私のやりたいことは、家を継ぐことではありませんから」
フランクリンは続きを促すように顎をしゃくる。
ライーザも隠す必要はないと判断した。
「卒業後は実家へ戻るつもりはありません」
「ほう」
「そのまま英国各地を回る予定です」
落ち着いた声で続ける。
「魔法界だけではなく、マグル社会も含めて、自分の見聞を広めたいと思っています」
前世の知識だけでは足りない。
実際に見て、歩いて、人と会う。
その経験こそが、自分を成長させる。
ライーザはそう信じていた。
しばらく沈黙が流れる。
やがてフランクリンは、小さく笑った。悪い意味ではなく、良い意味で。
「そうか。それがお前の答えか」
どこか感心したような表情だった。
「動機や行動指針はどうあれ、確固たる信念を持って動く奴は嫌いじゃない」
ライーザは何も言わない。
「なら、お前は後継者争いから降りるということでいいな」
「はい」
「了解した」
あっさりと頷く。
「なら、マグル界へ行こうが、英語圏の海外へ渡ろうが、こちらから手出しはしない」
それはディスカビル家の流儀だった。
家を継ぐ意思のない者を無理に引き留めることはない。
「必要なら手配も援助もしてやる」
「ありがとうございます」
フランクリンは頷くと、ふと表情を引き締めた。
「ただ、1つ忠告だ」
「?」
「ここ最近、死喰い人と名乗る仮面の犯罪者共が少しずつ暗躍し始めている」
その言葉に、ライーザの表情も僅かに真剣になる。
「女の1人旅なんて、奴らからすれば格好の獲物だ」
ライーザは静かに聞いていた。
「尤も」
兄は肩を竦める。
「お前の実力なら、闇払いとしてやっていけるがな」
それは兄なりの最大級の評価だった。
「幹部級でも相手にしない限り、そう簡単に遅れは取るまい」
そう言って踵を返す。
「じゃあ……達者でな。健闘を祈る」
扉が開き、再び閉まる。
部屋には静寂だけが残った。
ライーザは兄が去っていった扉をしばらく見つめる。
引き留めることも。
呼び止めることもなく。
ただ静かに、その背中を見送るだけだった。
1971年9月1日、夜。
新学期最初の晩餐会。
天井には満天の星空が広がり、4つの長机には夏休みを終えた生徒達が続々と集まっていた。
「ライーザ!」
「久しぶり」
レイブンクローの友人が手を振れば、ライーザも軽く振り返す。
「今年もよろしく」
「こちらこそ」
グリフィンドールやハッフルパフにも顔見知りはいる。
クィディッチを通じて知り合った者。
授業で交流を持った者。
寮は違っても、6年間という歳月は多くの縁を育んでいた。
挨拶を終えたライーザは、スリザリンの長机へ腰を下ろす。
その時。
「隣、いいかな」
聞き慣れた声がした。
振り向くと、イーサン・アシュフォードが立っていた。
ライーザは静かに頷く。
イーサンはほっとしたように笑った。
「ありがとう」
短く礼を言い、そのまま隣へ座る。
ローブの胸元には、一つの銀色のバッジ。
――首席。
ライーザは自然と視線を向け、小さく微笑んだ。
「首席就任、おめでとう」
「ありがとう」
「5年生の頃から、君の伸びは本当に著しかったもの」
ライーザは懐かしむように続ける。
「あれだけ努力していたんだもの。誰も否定しないわ」
イーサンは少し照れ臭そうに笑う。
「誉め言葉として受け取っておくよ」
しかし、その笑顔はすぐ苦笑へ変わった。
「……でも、本当に俺で良かったのかって、今でも思ってる」
「君らしいわね」
「そうかな」
「ええ」
ライーザは即答した。
「だから皆、納得しているのよ」
イーサンは照れ隠しのように肩を竦め、それ以上は何も言わなかった。
やがて大広間の扉が開く。
一年生達が教師の後ろへ続いて入場してきた。
ライーザの表情が僅かに引き締まる。
「(今年、ね)」
一九7一年入学生。
前世で何度も目にした名前達が、この中にいる。
ハリー・ポッターという少年の人生へ、良くも悪くも大きな影響を与える面々。
決して見逃すわけにはいかなかった。
「エバンズ、リリー」
赤毛の少女が帽子を被る。
『グリフィンドール!』
大きな拍手。
続いて。
「ポッター、ジェームズ」
『グリフィンドール!』
これも迷いない宣言。
グリフィンドールの長机から歓声が上がる。
さらに名前が読み上げられていく。
「ペティグリュー、ピーター」
『グリフィンドール!』
「ブラック、シリウス」
帽子が一瞬だけ間を置く。
『グリフィンドール!』
ブラック家出身としては異例の組み分けに、教師席からも僅かなざわめきが起こる。
そして最後に。
「スネイプ、セブルス」
黒髪の少年が椅子へ腰掛ける。
帽子はほとんど迷うことなく叫んだ。
『スリザリン!』
スリザリンの長机から拍手が起こる。
ライーザも静かに拍手を送る。
セブルスがこちらへ歩いて来る途中。
「こちらだ」
率先して声を掛けたのは、ルシウス・マルフォイだった。
6年前と変わらぬ堂々とした態度で、自ら隣の席を示す。
セブルスは一礼すると、そのまま腰を下ろす。
自然と2人は言葉を交わし始めていた。
「(さて……)」
ライーザはその光景を静かに見つめる。
「(在学期間は一年だけ)」
7年生と一年生。
関われる時間は決して長くない。
「(どうやってアプローチしようかしら)」
ジェームズ達。
リリー。
セブルス。
それぞれが、この先の魔法界を大きく左右する存在になる。
だからこそ、この一年は何より重要だった。
ライーザは料理へ手を伸ばしながら、静かに思案を巡らせる。
その隣では、イーサンもまた今年の新入生達へ何度も視線を向けていた。
まだ理由は分からない。
だが、不思議と胸騒ぎがする。
――この一年生達は、きっと後の時代を大きく動かす。
その予感だけは、ライーザほど明確ではないにせよ、イーサンの心にも強く刻まれていた。