1980年12月。
ロンドンは年の瀬を迎え、街にはクリスマスの装飾が並び始めていた。
ロンドン警視庁へ入庁して2年余り。
制服警察官――PCとして街頭パトロールの日々を重ねたライーザは、上司から「そろそろ刑事への配置転換も視野に入る」と声を掛けられるようになっていた。
まだ正式な辞令ではない。
それでも、次の段階へ進めるかもしれないという期待はあった。
「(長かったようで、あっという間ね)」
警察官として過ごした2年間を振り返る。
幸いにも、死喰い人や魔法犯罪へ直接関わる事件には遭遇しなかった。
もっとも、魔法を全く使わなかったわけではない。
同僚が負傷した時。
交通事故の救助現場。
刃物事件。
誰にも悟られない死角で、応急処置を施しながら、ごく弱い治癒魔法を重ねる。
それだけで傷の治りは目に見えて早くなる。
同僚達は、
「ライーザが処置すると治りが早い」
などと冗談半分に話していたが、真相を知る者はいない。
それで良かった。
今日も制服姿で担当区域を巡回する。
いつもの街。
いつもの人々。
その中に、1組だけ妙に目立つ人影があった。
「……あら?」
思わず足を止める。
濃紺のダブルスーツを着こなし、堂々と歩く長身の男性。
その隣には、知的で穏やかな雰囲気を纏う女性。
女性は赤ん坊を優しく抱いている。
「(……誰かしら)」
一瞬だけ考えた。
そして。
「……え?」
目を見開く。
「(イーサン?)」
面影は残っている。
だが、学生時代とはまるで違う。
背筋を伸ばし、仕立ての良いスーツを着こなし、その立ち振る舞いには自信と余裕が感じられる。
「(ちょっと待って)」
「(最初、反社会的組織の幹部か何かかと思ったじゃない)」
思わず心の中で苦笑する。
しかし、見間違えるはずがない。
8年間、同じ学び舎で過ごした友人だ。
ライーザは迷わず声を掛けた。
「イーサン!」
男性が足を止める。
「……ん?」
ゆっくりと振り返る。
数秒。
互いに見つめ合う。
そして。
「……ライーザ……なのか?」
イーサンの目が大きく見開かれた。
「久しぶり」
ライーザは自然と笑みを浮かべる。
「ホグワーツ卒業以来ね」
イーサンも思わず笑った。
「ああ」
「8年ぶりか」
「まさかロンドンで会うとは思わなかった」
「それは私も」
2人は顔を見合わせ、小さく笑う。
長い年月が流れていた。
それでも、不思議と昨日まで一緒にいたかのような懐かしさがあった。
ライーザの視線は、やがてイーサンの隣へ向く。
優しそうな女性。
そして、その腕の中で静かに眠る赤ん坊。
「(家族……なのね)」
ライーザは胸の奥に温かなものを感じながら、旧友との思いがけない再会を噛み締めていた。
*
近くの喫茶店へ場所を移した四人は、窓際の席へ腰を下ろした。
店内には穏やかなジャズが流れ、クリスマスを控えた街の賑わいとは対照的に、落ち着いた空気が漂っている。
「改めて紹介するよ」
イーサンが隣の女性へ視線を向けた。
「妻のエリスだ」
知的な雰囲気を纏った女性は、柔らかな笑みを浮かべる。
「初めまして。エリス・アシュフォードです」
「ライーザ・ベネットよ。こちらこそよろしく」
2人は軽く握手を交わした。
続いて、エリスが腕の中の赤ん坊を優しく抱き直す。
「そして、この子が長男のルーカスです」
ライーザは自然と視線を向ける。
穏やかな寝息を立てる赤ん坊。
その額には生まれつきなのだろう、額の左側から側頭部を覆う炎の様な痣が薄っすらとある。
「(……痣)」
一瞬だけ、前世の記憶がよみがえる。
「(鬼滅の刃の痣者みたいね)」
もちろん口には出さない。
ただ、不思議と印象に残る痣だった。
「可愛い子ね」
「ありがとう」
エリスは嬉しそうに微笑んだ。
注文した紅茶が運ばれてくると、ライーザはカップを手に取り、静かに切り出した。
「イーサン」
「ああ」
「アシュフォード家の件だけど」
その一言で、店内の空気が少しだけ引き締まる。
「兄上から手紙で聞いたわ」
「恭順派が家督争いに勝ったこと」
「その後、抵抗派と裏で内通していた闇払いが介入して即座に粛清したことも」
イーサンは静かに頷いた。
「俺も風の噂で聞いた」
その表情に驚きはない。
覚悟していた者の顔だった。
「抵抗派が全滅したのは残念だった」
「だが、恭順派については……」
1度言葉を区切る。
「あいつらを同族だとは思っていない。多分今も生きていたら、エリスを殺し、ルーカスを拐していただろうから」
その声には、怒りよりも諦めが滲んでいた。
「闇払いに遺恨はない」
「むしろ、あいつらを早く止めてくれたことには感謝している」
ライーザは何も言わず、その言葉を受け止める。
しばらく沈黙が流れた後、小さく頷いた。
「……分かった」
「その言葉は、兄上にも伝えておくわ」
「そうか」
イーサンは少しだけ目を丸くする。
「別に構わない」
ライーザは紅茶を一口飲んだ。
温かな香りが鼻を抜ける。
そして、ふっと笑う。
「さて」
「今度は私が聞く番ね」
「この8年間」
「何をしていたの?」
その問いに、イーサンはすぐには答えなかった。
ちらりと隣を見る。
エリス。
そして、その腕の中で眠るルーカス。
「……」
ライーザもその視線の意味を察し、黙って待つ。
イーサンは静かに妻へ問い掛けた。
「エリス」
「これから話すことは、君やルーカスにも関わる」
「聞いても大丈夫か?」
迷いはなかった。
エリスは即座に頷く。
「ええ」
「もちろん」
「あなたが話すと決めたなら、私は聞きます」
その返答を聞き、イーサンは安心したように小さく笑う。
「ありがとう」
そして改めてライーザへ向き直った。
「……お前には話した方がいい」
「エリスやルーカスにも関わることだからな」
カップへ手を添え、一息つく。
8年間。
ホグワーツ卒業後の歩み。
その全てを語るように、イーサンは静かに口を開いた。
*
その後、イーサンは紅茶を1口含み、小さく息を吐いた。
「俺が旅に出た理由は、1つだった」
「アシュフォード家だ」
ライーザは静かに頷く。
「イギリスの本家じゃない」
「17世紀初頭、一族の一部がアメリカ大陸へ渡ったという記録が、実家の古い資料に残っていた」
「確証はなかったが、それでも調べてみる価値はあると思った」
ライーザは興味深そうに身を乗り出す。
「つまり、遠縁を探しに?」
「ああ」
イーサンは迷いなく答えた。
「もし生き残っているなら、今の英国アシュフォード家とは全く違う歴史を歩んできた可能性がある」
「だから確かめたかった」
彼は少しだけ苦笑する。
「とはいえ、卒業してすぐ渡米できるほど世の中は甘くない」
「当時はビザの取得にも時間が掛かった」
「だから、それまでの間は欧州各地を旅しながら機会を待つことにした」
旅路を思い返すように、視線を窓の外へ向ける。
「フランスにも行った。縁があって、ボーバトンにも」
「ドイツにも行った。ブルガリア付近にあるダームストラングにも足を運ぶ機会を得たんだ。道中は目隠しだったが」
ライーザは思わず感心する。
「卒業したばかりの学生の外遊とは思えないくらい充実してるじゃないの」
「偶然に助けられた部分も多いんだ」
イーサンは肩を竦める。
「他の学校の教師や、現地の魔法使いに世話になったこともあった」
「旅を続けるうちに、人との縁というものを随分実感したよ」
エリスも微笑みながら夫の横顔を見る。
「旅の話を聞くたびに、本当に世界中を歩いてきたんだなって思うの」
イーサンは少し照れくさそうに笑った。
「その後、ようやく渡米した」
「目的はもちろん、アシュフォード家の足跡を探すことだ」
「正直、何年も掛かる覚悟だった」
「最悪、何も見つからないことも考えていた」
しかし――。
「結果としては、思ったよりもあっさり足取りを掴めた」
ライーザの目がわずかに見開かれる。
「そんなに早く?」
「ああ」
「それどころか、嬉しい誤算だった」
「本人たちと直接会えたわけじゃない」
「だが、アメリカ魔法界で色々な話を聞けた」
「さらに幸運なことに――」
1度言葉を切る。
「イルヴァーモーニーにも訪問する機会を得た」
ライーザは驚きながらも納得したように頷いた。
「それは大きいわね」
「北米最大級の魔法学校だもの」
「ああ」
イーサンも頷く。
「現地の魔法族や、イルヴァーモーニーの関係者からも話を聞くことができた」
「おかげで、予想以上の収穫を得られた」
ライーザは自然と身を乗り出した。
「……その収穫って?」
イーサンはカップを静かにソーサーへ戻す。
「そこから先が、本題だ」
「俺がアメリカで知ったアシュフォード家の真実」
「それを今から話そう」
*
「まず、アメリカのアシュフォード家についてだ」
イーサンは静かに語り始めた。
「彼らは、イルヴァーモーニー黎明期から続く譜代の家だった」
「へえ……」
ライーザは思わず声を漏らす。
「しかも、今もかなり繁栄している」
「本家筋だけでも複数ある。そこから更に分家が広がっている形だ」
ライーザはその構図を頭の中で思い浮かべた。
4つの宗家。炎、水、雷、木をそれぞれ司るローマ神話の神の名前をもじったのをミドルネームにしている。東のバルカン・アシュフォード家。西のネプチューン・アシュフォード家。南のユピテル・アシュフォード家。北のシルバヌス・アシュフォード家。
そこから連なる数多の分家。
「(……無職転生のアスラ貴族におけるグレイラット家みたいね)」
もちろん、その感想は胸の内に留める。
イーサンは続けた。
「進学先は、ほとんどがイルヴァーモーニーだ」
「黎明期からの古参で、アメリカ魔法界ではかなりの名家らしい」
「英国で例えるなら?」
「マルフォイ家やブラック家に近い」
その例えに、ライーザは眉を上げる。
「相当ね」
「ああ」
ただ、とイーサンは言葉を継ぐ。
「思想は英国の純血名家とはかなり違う」
「実力と役割を重視する」
「だから風通しは良いらしい」
「ワンプスに組み分けされる者が多い傾向はあるが、他寮へ入る者も時折いる」
「それで問題視されることも少ない」
「なるほど」
ライーザは納得したように頷いた。
「英国のアシュフォード家とは、かなり違う道を歩んだのね」
「そういうことだ」
イーサンは苦笑する。
「直接会うことはできなかった」
「だが、成果としては上々だった」
「俺自身も一区切りついたと思えた」
だから1度帰国した。
その時、風の噂で知ったのだという。
英国アシュフォード家の内紛。
抵抗派の全滅。
恭順派への闇払いの介入。
家としての事実上の終焉。
「……戻らなかったのは正解だったのね」
「そうだな」
イーサンは淡々と答える。
「両親や姉、妹らを失ったのは悲しい。でも、新たな家族が出来た。遠縁もまだ残っていたのも確認できた。悔いはないから前に進む」
その声は、冷たくはなかった。
ただ、もう過去に戻る気はないという決意が滲んでいた。
*
「それから、しばらく英国を歩いていた」
「一977年だった」
イーサンの視線が、隣にいるエリスへ向く。
エリスは少し照れたように笑った。
「ニューカッスル大学の近くだったな」
「ええ」
エリスが頷く。
「講義が終わって、帰宅している途中でした」
その時だった。
闇の陣営に関わる人攫い。
そして数人の死喰い人。
彼らが、帰宅途中の女子大学生を襲っていた。
「幸い、下っ端だった」
イーサンは静かに言う。
「だから撃退できた」
「幸い、ね」
ライーザは少しだけ呆れたように笑う。
「普通の魔法使いなら、その時点で充分危険よ」
「否定はしない」
イーサンも苦笑した。
「だが、あの時は考えるより先に動いていた」
エリスは腕の中のルーカスを見下ろしながら、柔らかく微笑む。
「私は、その時初めて魔法を見ました」
「恐怖より先に、綺麗だと思ってしまったんです」
ライーザはエリスを見つめる。
彼女の声には、あの日への恐怖だけでなく、懐かしさすら滲んでいた。
「それが馴れ初め?」
「そうなる」
イーサンは少し照れ臭そうに頷いた。
「エリス・ハートウェル」
「彼女が、俺の人生を変えた」
エリスが静かに笑う。
「変えられたのは、私も同じです」
2人の間に流れる空気は穏やかだった。
ライーザは紅茶を口元へ運びながら、旧友の横顔を見つめる。
8年。
その年月は、確かに彼を変えていた。
だが根本は変わっていない。
人を見捨てられず、必要なら危険へ踏み込む。
その在り方は、ホグワーツ時代のイーサン・アシュフォードそのものだった。
*
「それで、エリスを助けた後は?」
ライーザが問い掛けると、イーサンは1度エリスへ視線を向けた。
エリスは小さく頷く。
「私の実家に来てもらいました」
「事情説明のために?」
「ええ」
イーサンが続ける。
「ハートウェル家は、産業革命を機に台頭した家系だ」
「本家と分家に分かれる程度には数も多い」
「エリスの実家は、その分家筋だった」
ライーザは静かに耳を傾ける。
「最初は、エリスのご両親のハートウェル夫妻へ説明した。今は義父母になるが。良くしてもらってる」
「魔法使いの存在」
「闇の陣営」
「なぜエリスが狙われたのか」
「俺が何者なのか」
当然ながら、簡単に受け入れられる話ではなかった。
だが、娘が助けられた事実と、襲撃の異常性。
そしてイーサンが示した魔法の存在が、否応なく現実を突き付けた。
「エリスのご両親は、かなり冷静だった」
「娘の命に関わる話だったからかしらね」
ライーザが言うと、エリスは静かに微笑む。
「ええ。父も母も、まず私の安全を優先してくれました」
イーサンは頷いた。
「その上で、彼らはこう言った」
「この話は、親戚の中でも企業経営に関わっている家系と、本家筋にも共有すべきだ、と」
ライーザは感心したように目を細める。
「判断が早いわね」
「ああ」
「俺も同意した」
そしてイーサンは、ハートウェル家の一部。企業経営に関わっている家系と、本家筋へ自分が魔法族であることを明かした。
そう、重要なのは全員ではない。
だが、エリスの身を守るために必要な範囲には伝えられた。
「意外だったのは、彼らが俺を排除しようとしなかったことだ」
「むしろ逆だった」
イーサンは少しだけ苦笑する。
「エリスを助けてくれた恩人なら、こちらの世界で生きられるよう手配しよう、と本家筋の人から提案された」
ライーザはカップを置いた。
「それで、受け入れたのね」
「ああ」
「俺には、もう英国魔法界に戻る理由がなかったからな」
魔法界の家は失われた。
ならば、新しい世界で生きる。
その決断に迷いはなかった。
「ライーザ、お前と似た道だ」
「夜間学校へ通って、GCE Oレベルの勉強をした」
「科目は?」
「英語、数学、一般理科。あとは社会系も少し」
「苦労したでしょう」
「かなりな」
イーサンは素直に認めた。
「ホグワーツの勉強とは全く違う」
「呪文でどうにかなるものでもない」
ライーザは小さく笑う。
「ええ。よく分かるわ」
「ただ、エリスが助けてくれた」
イーサンの声が少し柔らかくなる。
「彼女は考古学を専攻していて、将来は教授を目指していた」
「だから一緒に勉強することも多かった」
「時には、俺が教わる側だった」
エリスは少し照れたように目を伏せる。
「私も楽しかったんです」
「魔法界の話は、考古学者としても興味深いものでしたから。主人の使っていたという教科書も、大変興味深かったです。今も書斎に保管させてもらっています」
「なるほどね」
ライーザは納得したように頷いた。
「互いに知らない世界を教え合ったわけね」
「そういうことだ」
イーサンは静かに笑った。
「その受験勉強中、1978年にエリスと結婚した」
「そして、Oレベルには何とか合格」
「ついでに普通自動車免許も取った」
「あら」
ライーザは少しだけ目を丸くした。自分は仕事上必要になるから素性を知る重役に問ってくれと言われたからである。
「そこまで?」
「必要になると思った」
「実際、取っておいて正解だった」
「マグル社会で生きるなら、移動手段は重要だ」
その言葉に、ライーザは素直に頷いた。
「本当に、こちら側で生きる覚悟を決めたのね。私と同様に」
「ああ」
イーサンは迷わず答える。
「ただ、お前と違って俺は大学には行かなかった」
「そのまま就職したよ」
「どこに?」
「それなりの規模のコンサル会社だ。ハートウェル家のコネじゃない。精々紹介というか推薦をしてもらった程度さ」
ライーザは数秒だけイーサンを見つめた後、ふっと笑った。
「……似合うわね」
「そうか?」
「ええ」
「人の話を聞いて、状況を整理して、必要な道筋を示す」
「君には向いていると思う」
イーサンは少しだけ照れ臭そうに肩を竦めた。
そして、エリスの腕の中で眠る赤ん坊へ視線を落とす。
「それから、1980年4月8日」
「ルーカスが生まれた」
エリスが愛おしそうに、腕の中の我が子を抱き直す。
「この子が生まれてから、毎日が本当に変わりました」
ライーザは眠るルーカスを見つめた。
薄い痣のある額。
穏やかな寝息。
小さな手。
「そう」
自然と声が柔らかくなる。
「色々あったのね」
魔法界の家を離れ、遠い血縁を探し、異国を旅し、マグルの女性を救い、その家に受け入れられ、こちら側の資格を取り、職を得て、父親になった。
8年。
その言葉だけでは到底足りないほどの時間が、そこにはあった。
「立派よ、イーサン」
ライーザは静かに言った。
「君は、ちゃんと自分の足で新しい人生を築いたのね」
イーサンは少し驚いたように目を瞬かせた。
だが、すぐに穏やかな笑みを浮かべる。
「ありがとう」
短い一言だった。
けれど、その声には確かな安堵が滲んでいた。
*
イーサンの話が一区切りつくと、テーブルには穏やかな静寂が流れた。
ライーザは静かに紅茶を口へ運ぶ。
ホグワーツ卒業から8年間。
旅をし、家を失い、新たな居場所を見つけ、家庭を築いた。
その歩みは、自分とは違う形で前へ進み続けた証だった。
「……なるほどね」
ライーザはカップを置き、微笑む。
「本当に色々あったのね」
「ああ」
イーサンも頷いた。
「でも、今は幸せだ」
その一言に迷いはなかった。
エリスもルーカスを優しく見つめ、小さく笑う。
その光景を見て、ライーザも自然と笑みを浮かべていた。
ふと、イーサンが真面目な表情になる。
「ライーザ」
「何?」
数秒だけ言葉を探すように視線を落とし、やがて口を開いた。
「1つ、頼みがある」
「頼み?」
「ああ」
イーサンは腕の中で眠るルーカスを見つめる。
「この子の後見人になってくれないか」
その場の空気が静かに止まる。
ライーザは思わず言葉を失った。
「……私が?」
「ああ」
「この再会も何かの縁だ」
「俺もエリスも、お前なら安心して任せられる」
ライーザはルーカスを見つめる。
小さな寝息。
無防備な寝顔。
「(後見人……)」
その言葉の重みを理解していた。
それは、ただの知人ではない。
家族に何かあった時、この子の人生へ深く関わる存在になるということ。
原作主人公ハリー・ポッターにとってのシリウス・ブラック的なポジションになるという事だ。
「(自分で、本当にいいのかしら)」
一瞬だけ迷いが生まれる。
刑事という仕事。
魔法界との繋がり。
忙しい毎日。
自分に務まるのだろうか。
しかし、その迷いは長く続かなかった。
「(私は、どうしたい?)」
初心に立ち返る。
損得ではない。
責任の重さでもない。
ただ、自分の心へ問い掛ける。
答えはすぐに出た。
「……分かった」
ライーザは静かに頷いた。
「喜んで引き受けるわ」
その言葉を聞いたイーサンは、心から安堵したように笑った。
「ありがとう」
エリスも深く頭を下げる。
「よろしくお願いします」
「こちらこそ」
ライーザも優しく微笑み返した。
「この子の成長を、一緒に見守らせてもらうわ」
*
それからというもの。
ライーザとアシュフォード一家は、時折会う間柄となった。
ライーザも夫ドワイトを紹介し、互いの家族ぐるみで交流するようになる。
クリスマス。
誕生日。
休日。
食卓を囲み、近況を語り合う時間は、互いにとって大切なものになっていった。
*
1988年。
ライーザにも子どもが生まれた。名前はジェシカと名付けられた。
初めての育児に戸惑うことも多かったが、そのたびに助けてくれたのはエリスだった。
「最初はみんなそうよ」
「焦らなくて大丈夫」
母親として1歩先を歩く彼女の助言は、ライーザにとって何より心強かった。
「本当に助かるわ……」
心からそう思った。
――ただし。3年後の1991年8月上旬においてはこうなった。
「お母さん!」
「今日もルーカスお兄ちゃんのご飯がいい!」
「ええっ?」
思わず固まるライーザ。
台所では、すっかり成長したルーカスが慣れた手つきで夕食を作っていた。彼は弟ノアと共にベネット家に来訪していた。ルーカスが家事を明認でやる形だったのでライーザも助かった。
ルーカスは後1ヶ月後にホグワーツに入学するので、当分は料理はお預けになる。
両親であるイーサンとエリスが共働きで忙しかったため、自炊を始めた結果、いつの間にか料理の腕が大きく上達していたのである。アシュフォード家においては、ルーカスの料理が家庭の味と化したのだ。ベネット家もそれほどではないが、ルーカスに胃袋を掴まれされつつある。
「ライーザさん」
ルーカスが少し困ったように笑う。
「今日は煮込み料理なんですけど……大丈夫でしょうか」
「い、いいのよ!」
「別に競争してるわけじゃないし!」
そう言いながらも、ライーザは肩を落とした。
「(子どもに……)」
「(しかも、自分が後見人を務めている子に料理で負けるなんて……)」
がっくりとうなだれるライーザを見て、ドワイトが苦笑する。
「まあ、君にも得意不得意はあるさ」
「慰めになってないわよ、それ」
その言葉に、その場にいた全員が笑った。
こうして生まれた縁は、家族という枠を超えた絆となって、これからも続いていくのだった。