キヴォトスでの大きな事件も落ち着き、シャーレとしての仕事が落ち着き、暇を持て余していた私(先生)は、モモトークでアコから「ヒナを助けて欲しい」と言われ、ゲヘナ風紀委員会の元へ赴いた。
部屋に入ると、山積みの書類を淡々と捌く、隈の酷いヒナといつもより目付きの悪くなったアコがいた。
すぐに邪魔になる(巻き込まれる)と思い、部屋を出ようとすると、いつの間にか後ろに回り込んでいたアコに肩を捕まれ、ヒナの半分ぐらいの書類の束が乗った杖の前に座らされた。
「アコ?この書類は……えっと…」
アコは目線だけで私に伝えてくる。目線の先は、今にも限界を迎えそうな顔をしているヒナ。
数週間前までの自分を見ているようで辛くなったので、手伝うことにした。
そのまま数時間、時計が時を刻む音と紙のめくれる音、ペン・判子が机を鳴らす音が続いたが、その沈黙を破ったのはヒナだった。
砲撃のようなドゴンッ!という音が響き、音の方を見ると、ヒナが机を殴っていた。机は凹み、書類は宙をうき、ヒナ自身はプルプルと震えている。
「もう、おしごとなんて、イヤッ!」
「ヒナ委員長?!」「ヒナッ!」
仕事に限界になったヒナが、扉を勢いよく開けて生徒会室を飛び出した。
ついに限界を迎えてしまったヒナ。しかし、彼女がいなければどうにもならない書類も山ほどある上に、次はアコまで同じようになりそうだ。
心苦しいが、今後のことも考えてお話は必要なので、私はヒナを連れ戻しに行くことにした。
私は、仕事を投げ出した。
アコが私のことを心配して、先生を読んでくれたことには感謝してる。イオリもチナツも武力鎮圧に向かってもらってる。でも、それでも減らない書類の束、いつも通り嫌がらせの万魔殿の書類、三徹目とはいえ私より先生の方が処理が早いことが、私の正気を失わせていく。
悪い事だとわかっている。でも、今の私には耐えられない。今は何も考えられない。私はとりあえず走った。
気づいたら食堂前に来ていた。まともに食事もしていなかった体が、勝手にここへと連れてきたのだろう。
私は考えられない頭で扉を開いて、踏み入れようとした足を止めた。
そこには食事の準備で動き回っているフウカと、こっちをずっと見ている先生が立っていた。
「やあ、待っていたよヒナ。さあ、お部屋に帰ろう」
「ヒッ……」
その顔はとても笑顔だった、笑顔のはずだった。でも、今の私には怖い笑顔にしか見えなかった。
私よりも後から部屋を出たはずなのに、全力で走った私よりも先に食堂にいる先生に恐怖を覚えた。
「どうしたの、ヒナ?」
「……ヤ」
「え?」
「イヤ!イヤなの!」
「ちょっ?!待って!」
私の脳は警鐘を鳴らし、すぐにその場を離れさせた。全力で走り、少しでも遠くに行こうと急いで駅へと向かった。
今はいち早く、どこでもいいから遠くまで行こうと走った。邪魔してくるチンピラは殴り飛ばし、戦車は撃ち抜いて爆発させて、急いで駅へ。
何とか改札前に着いた。見渡す限り先生はいない、息を整えて改札へと向かおうとすると、近くに大きなブレーキ音を鳴らす車があった。
危ない運転だと思いながら、そっちに目をやると、私の足が止まった。
助手席の扉が開いて、そこから出てくる人物。
「ヒナ、どこまで行くのかな?お散歩も大事だけど、あまり遠くに行くと迷子になってしまうよ」
「あっ…ぁぁ…」
先生だ。先生がもう追いかけてきた。私の行く先に先生が現れる。
嫌だ、怖い。
怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い
私は止まった足を無理やり動かして、走る。
この足が先生を守るために、あの時に動けばよかったのに。そう思えるほどに私の足は動く。
震える体を無理やり動かして、先生から逃げるために動いたこの足を恨みながら、ただ遠くまで逃げる。
しばらく走り続け、人の気配が減り、見えてきたのは砂漠地帯。
私はいつの間にかアビドスまで来ていた。
このまま小鳥遊ホシノのいるアビドスへ。そう思ったが、そこには間違えなく先生がやってくる。なら、どこかの廃墟に身を隠す方が安全だと判断した。
ある程度進んだ先にしっかりとした廃墟を見つけ、そこで身を隠す。ここなら暫くは先生に見つかることは無く、仕事の事を考える必要はない。いつの間にかコートも無くなっているが、重みが減ったと考えれば気が楽になる。
明日にでも帰ればいい、そう考えていた私は後悔することになった。
砂漠の気候は、昼とは違う顔で私の体を襲う。日中の暑さは夜になると一気に寒さへと変わり、私の体を乾燥させる。
先生から逃れるために全力で走り、コートを失った私にとって最悪の環境だった。
いつもならこんな失敗はしないし、まともな考えを持っていた。でも、三徹目の思考とあの時の先生の怖さが、私の思考を鈍くし、今の私の状況を作り上げた。
体を丸めて蹲る。今、この状態で寝るのは危険なのは分かっている。でも、体は言うことを聞くはずがない。
私には、ただただ後悔しかなかった。
「アビドスの砂漠でゲヘナの風紀委員長が凍○なんて、ずっと笑いものにされるわね。でも、もう疲れたもの。少しぐらい休んでもいいわよね」
このまま休んでしまおう。いっそこのまま……と考えると、何度も私の脳裏にあの人がチラつく。
今日見た怖い先生の顔じゃない、優しい顔で暖かい先生の笑顔。私の心を照らしてくれる、太陽のように暖かい先生の顔。
あぁ、またあの笑顔を見たい。私に向けてくれるあの優しい顔で、また私の名前を呼んで欲しい。
そう思えば思うほど、私の顔を暖かい液体が流れていく。
まだ○にたくない、先生に会いたい。私を優しく包んで欲しい。
「先生……わたし、まだ○にたくないよぉ…、助けて…」
「……ようやく見つけたよ、ヒナ」
声がした。私は目を開いたけど、そこ先生の姿は見えない。私はついに幻聴も聞こえ始めたらしい。あぁ、せめて、先生の腕に包まれたい……」
「お易い御用だよ、ほら」
私の体が支えられて上体を起こされる。上からは私のコートがかけられ、大きな腕がその上に置かれた。その腕は、私の体を上へと動かし、少し固く暖かいものが私の頭と背中に伝わる。これは間違いなく……
「せん、せい……」
「話は明日聞くから、今はしっかり休んで。ほら、お水もしっかり飲んでね」
「ン……ンク……、おいしい……」
「それは良かった。さて、とりあえず連絡を……」
先生はどこかに電話をかけている。小鳥遊ホシノとアコ、救護騎士団の名が聞こえた。私の無事を連絡している。その連絡の最中でも、先生は左手で私の体を支え、時々右手で私の頭を撫でながら、頬を撫でてくれる。
冷えきった私の頬は、暖かい先生の手に救われていく。洗濯仕立てのタオルに顔を埋めたような、包まれる温かさに、私は心地よく眠りについた。
次に目が覚めたとき、私はベッドの上で見知らぬ天井を見ていた。
数十分ほどして様子を見に来た看護師が医者を呼び、その医者にとても怒られた。睡眠不足と栄養失調、その他色々と。
しばらくして先生も来て、また沢山怒られた。先生も、私の体調が激務の頃の先生と変わらないと怒られた。私もまた追加で怒られた。
たくさん怒られた後、私たちは今後について話し合った。私が約2週間の入院を強いられることになったから、処理できる事務作業を振り分ける形になった。
風紀委員会、先生、風紀委員の中で書類処理ができそうな子で振り分け、私にしかできないことは私に、という形になった。
でも、気になることに、私の書類がとても少なくなっている。特に万魔殿からの書類が7、8割ほど減っていた。
「ああ、マコトに少しお話してね。向こうで処理できるものは処理してもらったんだよ」
その時の先生の笑顔は、あの時、私が恐怖した笑顔だった。
一体どんな手を使ったのか、私は聞くのを止めた。
退院してからもこの体制が続いているお陰で、私は睡眠と食事が取れるようになった。
温泉開発部や美食研究会の行動も、先生のお陰で抑制できている。
このまま風紀委員に留まって欲しい。そう思いながら、私は今日も仕事を始めた。