青色は、燈色へ。
日常は、歪みへ。
第二十話 歪みにつき
それは、雨の降る日だった。梅雨入りだったのを知ったのはそれよりも後だったけれど、雨の重さから梅雨の気配は感じていた。
私はその日、外に出ていて、帰りに携帯に届いた一本の連絡から私はその場に車を走らせてもらっていた。
東京の郊外にある、一棟のアパート。
そこには高専関係者、補助監督が山になって押し寄せていた。黒い服の集団は、喪服のようだ。
「夏油特級術師……」
「通してくれ」
「ですが……」
「通してくれッ……!!」
私は止めようとする補助監督を振り切ってアパートの中に立ち入った。無理矢理入ると、そこは電気が消されていて……
無惨に惨殺された死体が二つだけ転がっていた。
二つの……二人の死体。屍。骸。
それはそこにあって、熱さえ感じさせない。そこにあることが当然のように、異質な空気を纏ってそこに横たわっている。血の海に沈むそれが肉塊のしてではなく、人の形を留めていることにこそ、私は驚嘆した。銃を乱射されたことが一目でわかるような壁にあいた穴からも、蜂の巣といってもいいくらいだろう。
セーラー服とメイド服、それが原型を留めていなくともわかるのは私が彼女たちのことをよく知っているからか、それともここ最近その姿を見たからなのか。定かではない、それを定かにしたところでどうという話でもないとも言えた。
現実として受け止めるのには時間がかかる。脳味噌が理解ができないものを確認して強張った、固まって、私の視界から入ってくる情報を受け止められない事実を伝えてくる。
「…………………………………………………………………………」
もう、声にはならなくて、なんと飛び出してくる言葉とも言えない文字の羅列は形になることもなければ、空気を振るわせることもなかった。そのまま、それらはその場で無造作に、ただ漠然と虚無として口から放出される。
「……………………………………………………………………ぁ」
喉から言葉にもならない声が出てくる。喉で掠れて、歪んだそれは醜い猿のような搾り出されたガラクタのような声だ。
どれだけ振り絞っても声にならない。意味にならない。
「…………………………………………………………りこちゃん?」
ようやく名前を声にすることができたのは、その現場に辿り着いてから何分もの、もしかすると何十分もの時間が経ってからだった。元から冷たかった血の海が、その場にいる私から命を刈りとるように、そこに死神がいるということを伝えてくる。
「やだなぁ、理子ちゃん寝たふりかい? 黒井さん……………………返事、してください」
死体がものをいうはずがないのに、私は吐きそうになって、喉から出てくる何かを必死に抑えながら何度も呼びかけた。何度も何度も、何度も。
何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も。
そうして、ようやく胸に落ちた実感が生まれた。
彼女たちは死んだのだと。
だから、彼女たちから返事はない。ボロボロの服、穴だらけの体と顔、もはや誰なのかもわからないほど原型をとどめていないけれど、その赤黒く染まったトレードマークの白い髪飾りが、特徴的なメイド服が、彼女たちだという証拠だった。
「……………………………………………………………………」
呆然と立ち尽くして、この場の空気が体に染み込んでいく。
鉄臭い血の匂いも、それに混じって効力を発揮しなくなったルームフレグランスの爽やかな香りも、脳髄の酸味も、汗、そして、こんなことをしでかした人間の憎悪も、全て高専の服に染み込んでいく。ドクドク、ドクドクと。
染み込んでいく。
ドクドク、ドクドク。
体から力が抜けて、なんで両足で立てているのか、いや、立つことができているのかすらもわからない。誰も来ないこんなアパートの一室で、きっと外で補助監督の方が待っているから早く出てあげないといけないのに。
ドクドク、ドクドク。
あぁ、なんで、どうして——。人間はここまで、愚かで、矮小で、醜いのか。ここまで不気味で、無様で醜悪なのか。
毒毒、毒毒。
中で暴れるようにして、渦巻いている感情。
それを言葉にすることは、私にはできなかった。
× × ×
私はぼんやりと椅子に座っていた。外は警報が出るほどの大雨具合で、任務に出たくても公共交通機関は麻痺しているし、正直、私自身そんな気分になれなかった。
「傑」
「……悟が」
「酷い顔だぞ」
「まぁね……」
悟は教室に入ってくるなり、紙の束に視線を落とした。立ったままそれを眺めて口を開く。そして、閉じる。そうした開閉の動作を何度か繰り返しているのを見て、私は顔を机に戻した。なんの変哲もない、見慣れた木目の机に。
「……………………」
「……………………」
「…………天内たちを襲ったのは時の器の会だってよ」
「…………そうか」
「末端の暴走ってことになってる。天元様は安定してるけど……一度星漿体に選ばれた人間だからな、他の適合者が居るかどうかははさておいて、少なくとも天内が存在していることが天元様との同化の可能性がある存在を残すことにつながる……って考えから犯行に及んだらしい」
「…………それは」
「なんだ?」
「……それは、犯人の口から聞いたのか?」
「…………あぁ、ベラベラ話してくれたよ。ここ一年天内を執拗に探し回ってたこと、そして一年越しにようやく見つけたこと、見つけたから家に入って撃ち殺したこと……嬉々としてさ」
「…………そうか」
「…………」
「…………」
「……先輩が部屋に入った時点でソイツは狂喜乱舞してたらしいぜ? 自分が天元様を救う英雄になれたことが心地よかったんだとよ。……先輩が捕えてからもずっと恍惚とした表情してたらしい」
「悟……もういい」
「あいつらにとって天内は不純物、存在しちゃいけない存在なんだってさ」
「悟……」
「だからもし万が一にも同化の可能性が残ってるならすぐにでも除去してしまいたかった」
「悟!!」
もう限界だった。その声を聞いているのも、それが無機質に“報告”として私の耳朶を打つことも、耐えられなかった。ノイズのような声、声、声がする。
二人の名前を聞けば、それだけで染み込んだあの香りが体から噴き出してくるように現れてくる。
「…………もう、いいんだ」
「…………悪かった」
「何を謝ることがある? 私に……」
「いや……そうだな」
毒毒、毒毒、毒毒。
声も、音も、色も、死んでいくのに、嗅覚は鋭敏にあの匂いを覚えている。
味覚は未だに後味の悪さを象徴するように、舌に絡みついてくる。
「……先輩。たちは」
「第一発見者になっちまった先輩と歌姫は参ってるよ。……特に歌姫が酷い。先輩は普通の顔してるけどどう思ってんのか……」
「…………そうか」
窓を雨が打っている。ビシビシとした音がする。
今年の雨は強く降る。やけに重い雨が。
窓を叩いている。
× × ×
悟は“最強”になった。
あの男を倒した悟は呪術の核心に迫ったらしい。誰よりもそこへと近づいた悟は、誰にも止められない、最強の術師になった。
任務も全て一人でこなす。硝子は元から危険な任務で外には出ない。九条先輩は術師としての仕事をしなくなって、私が特級に上がった頃には必然的に私も一人になることが増えた。
……理子ちゃんたちが死んだ年の夏、その夏は忙しかった。
去年頻発した災害の影響もあってか、蛆のように呪霊が湧いた。
祓う。
取り込む。
その繰り返し。
祓う。
取り込む。
皆んなは知らない呪霊の味。吐瀉物を処理した雑巾を丸呑みしているような。
祓う。
取り込む。
誰のために? なんのために?
祓う。
取り込む。
私は、一体誰のために、この苦行を繰り返している? 守りたかったものを守りきれず、助けたかった人を助けられず、親友の横にも立てずに、私は……
祓う。
取り込む。
『君の語った夢を実現させるのに必要な力は、それぐらい強大ってことだよ』
先輩の言っていたこと、先輩が語って聞かせた、初めての任務で私に教えた全て。特級になってなお届かない、弱者救済。
そもそも、弱者とはなんだ?
祓う、取り込む。
ずっと、自分に言い聞かせている。理子ちゃんたちを殺したのは何も珍しくない、周知の醜悪。それを知った上で私は、術師として人を救う選択をしてきたはずだ。
取り込む。
ブレるな。
「……………………………………………………猿め」
心が磨耗していっているのは分かっていた。
そこから目を逸らしていた。これは術師なら誰もが考える、通過する場所なんだ、私は間違った選択をしていないはずだ。だから——。
ブレるな。
言い聞かせたその声は、どこか空虚で。だけど、胸に響いて。
ピキリと、
心のガラスに、ヒビが入ったような気がした。
懐玉・玉折以降の原作展開に突入するべき?
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懐玉・玉折以降の原作展開へ突入する。
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綺麗に終わるなら懐玉・玉折で終わり。