公開討論会が行われていた講堂は、突如として阿鼻叫喚の地獄へと変貌した。
有志同盟の強硬派による暴発を合図とするかのように、講堂の複数の出入り口が爆破される。フルフェイスのヘルメットと防刃スーツで完全武装したブランシュの実行部隊が、次々となだれ込んできた。
彼らの手には、非致死性とはいえ対人用のライフルや、違法に改造されたキャスト・ジャマーが握られている。
「キャアアアアッ!」
「逃げろ! 出口へ向かえ!」
銃声と怒号が飛び交い、一般の生徒たちはパニックに陥って出口へと殺到した。
だが、一高の生徒たちもただの無力な子供ではない。エリカやレオンハルトたち武闘派の生徒を中心に、即座にテロリストに対する迎撃と避難誘導が開始されていた。
その大混乱の最後列。
御守漣は、人の波に逆らうことなく、壁伝いに非常口へと身を滑らせようとしていた。
(ここで俺が動く必要はない。原作通りなら、達也や十文字たちがあっという間にテロリストを制圧するはずだ)
右手のポケットの中に忍ばせた特注CADのグリップを握りしめたまま、漣は息を潜めた。
しかし、彼の背筋を撫でる氷のような悪寒は、テロリストの銃口から向けられたものではない。
ステージの袖から、テロリストたちを素手と魔法で次々と無力化していく司波達也。
その冷徹な双眸の奥にある『精霊の眼』が、暴徒の制圧という実務をこなしながらも、同時に漣のイデアを完璧にロックオンし続けているのだ。
(……達也。テロの混乱に紛れて、俺を確実に排除する気か)
漣の直感は正しかった。
達也の思考回路は、テロリストの排除と並行して、御守漣という不確定要素を完全に世界から消去するためのシミュレーションを終了していた。
今、この講堂内には無数の魔法と銃弾が飛び交い、サイオンの波形は極限まで乱れている。
この環境下であれば、漣の情報構造を『分解』して消し去ったとしても、テロリストの強力な兵器による不幸な犠牲者として偽装することが可能だ。
深雪の心を惑わし、自分を欺かせた最大の脅威を排除するには、これ以上ない完璧な舞台だった。
達也の『精霊の眼』が、テロリストの放った1発のライフル弾の軌道を正確に演算する。
その銃弾は本来、漣から離れた壁に向かって外れるはずの跳弾だった。通常の事象干渉力が低い達也には、飛来する弾丸のベクトルを直接曲げるような真似はできない。
だが達也は、銃弾が壁に激突するその1000分の1秒前。
『精霊の眼』で演算した正確なタイミングで、壁の表面構造の一部を『分解』した。
達也の魔法によって壁に穿たれた極小の窪み。それが跳弾の反射角度を強引に書き換え、弾丸の軌道を『御守漣の心臓』へと正確に誘導したのだ。
そして同時に、その銃弾が漣の肉体に触れる瞬間に合わせて、漣の情報構造そのものを直接『分解』するための魔法式を重ねて構築する。
弾丸による死か。あるいは分解による消滅か。
逃げ場はない。達也の放つ不可視の死神が、喧騒の裏で音もなく漣へと迫っていた。
* * *
(……甘いぞ、達也!)
漣の卓越した演算能力は、自らに向かってくる不自然な跳弾の軌道と、そこに重なるように放たれた極秘の分解術式を即座に感知していた。
ポケットの中で、親指が特注CADのアナログスティックを弾き、人差し指のトリガーを浅く引く。
キィン、という硬質な音が、喧騒の中で微かに鳴った。
漣の心臓を貫くはずだった銃弾。そして、それを隠れ蓑にした『分解』のサイオン波形。
それらは、漣の胸部に展開された薄い瑠璃色の皮膜に接触した瞬間、反発すら生じさせることなく、ただ「最初から存在しなかったもの」として完全にゼロへと還元され、光の粒子となって霧散した。
ステージ袖にいる達也の双眸が、微かに細められる。
(俺の魔法という事象そのものを、完全に無かったことにしたか。……やはり、厄介な盾だ)
達也の視線を受け止めた漣は、内心で激しく舌打ちをした。
(くそっ……! このまま講堂の中でやり合えば、間違いなく周りの生徒が巻き込まれる。それに、あんな規格外のバケモノを相手に派手に力を使えば、いくら混乱に乗じても目立ちすぎる!)
これ以上の戦闘を大勢の目に晒すわけにはいかない。
漣は逃げるように身を翻すと、すぐ横にある重い鉄扉を蹴り開け、講堂裏のメンテナンス通路へと身を滑らせた。
達也もまた、残るテロリストの処理を十文字やエリカたちに任せ、静かに、しかし確実な足取りで非常口へと向かう。
達也にとっても、一般生徒の目がある場所で、未知の異能を持つ標的を相手に本気の魔法を行使するのはリスクが高かった。
誰の目にも触れない閉鎖空間へと自ら逃げ込んでくれたことは、彼にとっても好都合だった。
* * *
切り立ったコンクリートの壁に囲まれた、薄暗いメンテナンス通路。
遠くで響く銃声から隔絶された無機質な空間で、2人の魔法師が対峙した。
「……ここなら、誰の目にも触れずに処理できるな」
達也は両手に2丁の特化型CAD『シルバーホーン』を低く構えた。
その瞳には、すでに同級生に向けるような温情は一切ない。深雪の平穏を根底から破壊するバグに対する、徹底した排除の論理だけが冷たく宿っている。
「御守漣。お前のその『空白』の正体、ここで完全に解体させてもらう」
達也の宣言と共に、先制の一撃が放たれた。
シュンッ――!
極めて短縮された起動式から放たれたのは、3連続の『分解』の波動。
漣の脳天、心臓、そして右手のCADをピンポイントで狙った、無駄のない殺しの方程式。
漣は右手に握ったコントローラー型CADのスティックを弾き、同時に物理トリガーを押し込んだ。
キィン! という音と共に、漣の体表数センチの空間に瑠璃色の防壁が展開され、達也の分解波を接触の瞬間に『無』へと還元して霧散させる。
「なら、これはどうだ」
達也は休むことなく、2丁のCADを交互に連射し始めた。
一発一発が致命的な分解の刃。
それも、漣の本体だけでなく、彼が踏みしめているコンクリートの床、背後の壁、さらには周囲の空気の分子構造までを無差別に、かつ超高速で分解し始めた。
(速すぎる……! まるで機関銃だ!)
漣は右手の指を狂ったように動かした。
アナログスティックで防御の方向を定め、複数のトリガーの押し込み深度で無化の範囲を細かく調整する。
前世でやり込んだ超高難易度のアクションゲームですら、これほどまでの精密操作と反射神経を要求されたことはない。
達也は左手の銃口を地面へ向け、漣の周囲一帯の床を砂へと分解した。
足場を失い、バランスを崩した一瞬の隙。達也はその瞬間に縮地で間合いを詰め、右手の銃口を漣の胸部へと突きつけた。
「――『トライデント』」
達也の専用CADから放たれる、3連続の分解魔法。
防御魔法のデータ構造を破壊し、物理的な防壁を粉砕し、最後に肉体そのものを消去する、3層構造の絶対的殺戮術式。
(3連撃……ッ!!)
漣は空中に身を投げ出しながら、デバイスのボタンを3つ同時に押し込み、スティックを激しく回転させた。
「――『多層境界無化』!」
自身の正面に、3層に重なる瑠璃色の拒絶面を高速展開する。
第1の分解波が、第1の盾と衝突して消滅する。
間髪入れずに襲い来る第2の分解波が、第2の盾を削り取る。
そして第3の致命的な波動が、漣の胸を貫く直前、最後の瑠璃色の境界線に飲み込まれ、完全にゼロへと還元された。
「ぐっ……!」
防壁自体は破られなかったものの、事象を強引に相殺した反動で、漣の体は後方へと吹き飛ばされ、コンクリートの壁に激しく背中を打ち付けた。
特注CADが限界を超えた演算処理で熱を持ち、漣の手のひらをじりじりと焼き焦がす。
「……情報、物理、肉体。そのすべての次元への干渉を、ただ一つの概念で完全に遮断するか。驚異的な防壁だ」
達也は追撃の手を止め、シルバーホーンを静かに下ろした。
その瞳に焦りはない。ただ、目の前の絶対的な盾をいかにして打ち砕くか、その解を導き出すための冷酷な演算が超高速で走っているだけだ。
(通常の干渉では、あの盾は破れない。……だが、どれほど高次元の概念魔法であろうと、一個人の演算領域で処理できるエネルギーの総量には必ず限界が存在する)
達也の周囲の空気が、不気味なほどに静まり返った。
彼の『精霊の眼』が、空間を漂う一粒の『塵』をターゲットに定める。
達也は、この絶対に破れない盾を持つ男を排除するためだけに、自らの切り札である戦略級魔法を、対人用の極小規模へと再構成するオリジナル術式を脳内で完成させていた。
物質の質量を、純粋なエネルギーへと変換する。
本来ならば都市を一つ消滅させるその力を、『精霊の眼』による1兆分の1秒単位の同期制御と、特定のベクトルへ固定する重力子拘束によって、細い糸のような高密度光子線へと凝縮する。
達也が、御守漣という不確定要素を消し去るためだけに編み出した、概念を力ずくで突破する究極の一撃。
『
(……待て、あのサイオンの収束は……嘘だろ、あんなの防げるわけ……!)
漣は、達也の周囲の空間が質量そのものに変質し、圧倒的な絶望を孕んでいくのを感じ取り、戦慄した。
達也の指先に、見たこともないほど白く、冷たい光の点が生まれる。それが何かを、漣の原作知識は瞬時に弾き出した。
(マテリアル・バーストの応用……!? あの野郎、極小の質量をレーザーに変えて撃つつもりか!)
現代魔法の理を越えた、星の怒りにも似たエネルギーの収束。
あれを放たれれば、いかに『境界無化』であっても、相殺の処理速度が追いつかずに防壁ごと貫かれ、蒸発させられるかもしれない。
達也が、その致命的な光の砲口を漣の心臓へと向けた、まさにその刹那――。
「――おやめください、お兄様ッ!!」
通路の入口から、悲痛な絶叫が響いた。
講堂の混乱を抜け出し、達也の本来放つべきではない異質な気配を追ってきた深雪だった。
彼女の目には、達也が放とうとしている光の奔流が、どれほど残酷で、取り返しのつかない結果をもたらすかがはっきりと映っていた。
彼女は考えるよりも早く、達也と漣の射線上に、その細い身体を投げ出した。
「深雪……っ!? どけッ!!」
達也の叫びは、一瞬遅かった。
すでに臨界点に達していた術式は達也の制御を離れ、塵から解放された莫大なエネルギーの束となって、放たれてしまった。
深雪の背中に向かって、世界を焼き尽くす一筋の光が迫る。
(しまっ……た……!)
達也の顔が、生まれて初めて絶望に染まり、真っ白に引き攣った。
自分の放った、この世で最も冷酷な一撃が、何よりも護るべき最愛の妹を、いま正に貫こうとしている。
光が深雪に届くまで、あと数センチ。
その時、深雪の背後にいた漣の意識の中で、冷たい打算の壁が完全に砕け散った。
目立ちたくないという転生者としての生存戦略は、この瞬間、跡形もなく吹き飛んだ。
ただ、目の前で自分のためにすべてを投げ出し、命まで捨てようとしたこの少女を、この理不尽な死の淵から引きずり戻したい。
その一念だけが、漣の脳内にかけられていた最後の安全装置を粉砕した。
漣は深雪の細い腰を強引に抱き寄せ、自らの懐へと深く引き込みながら、火傷を負った右手で特注CADのトリガーを深く押し込んだ。
これまでは、自分に向かってくる現象だけを消す、受けの盾だった。
だが、今この瞬間だけは――その魔法という概念そのものを、空間ごと完全に消去する真の力として。
「――『
漣の低く静かな声と共に、特注CADの演算補助を経て、彼の体を中心にして圧倒的な瑠璃色の光のドームが展開された。
半径20メートルの空間が、事象干渉が一切発生しない完全なるゼロの領域として上書きされる。
キィィィィィィィン――!!!
鼓膜を突き刺すような、神聖で、かつ暴力的なまでの静寂。
達也の放った質量爆散の圧倒的なエネルギー。
それが、漣の放った絶対の拒絶と真正面から激突した。
究極の矛と、真の力を解放した絶対の盾。
2つの規格外の力が、狭いメンテナンス通路の中で、世界の情報構造を激しく揺らしながら拮抗し始めた。