まさかここまで書くことになるとは
司波達也が放った究極の矛。
それは、自らの内に封印していた戦略級魔法『
『
発生した膨大なエネルギーは、消滅した物質に隣接する物質へと伝播する。分子間結合が断たれ、分子は原子に、さらには電子と原子核へと分断。生じたプラズマが巨大な運動エネルギーを帯びる。
プラズマ同士の衝突によって外側の物質が高熱を帯び、さらなる破壊を広げて巨大な爆発を引き起こすのだ。
威力、速度、射程距離において絶対的な優位を持つ最強の兵器だが、破壊力の調節は極めて困難という側面を持つ。領域を限定して攻撃することができない点は、対人戦において致命的な欠点だった。
近接戦闘で使用すれば術者自身を含めた周囲一帯を消し飛ばし、その強大すぎる力は使用者を取り巻く政治的・軍事的な状況を最悪の形へ悪化させかねない。本来、対人戦での使用は絶対に犯してはならない禁忌であった。
だが、達也は目の前の「絶対に破れない盾」を持つ男を排除するため、特化型CADによる極限の制御をもって、この禁忌を対人用にアレンジしていた。
対象を空間に漂う「1粒の塵」という極小の質量のみに限定し、発生するエネルギーの総量を格段に抑え込む。
その上で、全方位に膨張しようとするプラズマと熱エネルギーを、強固な重力子干渉のベクトル制御によって前方の一点へと集束。極細のレーザーのような光の槍として撃ち出したのだ。
威力を抑え、指向性を持たせたとはいえ、直撃すれば人体など原子の欠片すら残さず蒸発させる。対人魔法としては、明らかにオーバースペックな一撃。
それが、達也の意図しない形で射線上に飛び出してきた、最愛の妹・深雪の背中へと迫っていた。
達也の顔が絶望に白く染まる。
だが、その死の光が深雪を灼くよりも早く。
御守漣の特注CADから放たれた固有魔法の真髄が、深雪を背後から包み込むようにして展開された。
キィィィィィィィン――。
その瞬間、大気を震わせるような爆音も、耳を劈く破裂音も、一切発生しなかった。
ただ、鼓膜を突き刺すような、神聖で絶対的な静寂の音が響き渡った。
達也の放ったプラズマの運動エネルギーと高熱の奔流が、漣の展開した『
世界を消し去るはずだった質量爆散のエネルギーは、熱も、光も、衝撃波も一切発生させることなく、ただ静かに、境界線に触れた先端から無へと吸い込まれ始めた。
漣の持つ固有魔法、『境界無化』の真髄。
それは、そこに向けられた物理法則、エネルギー、そして魔法式そのものを「最初から存在しなかったもの」として世界から消去する拒絶の概念だ。
どれほど達也の放った光の槍が圧倒的であろうとも、瑠璃色のドームに接触した端から、音もなくパラパラと光の粒子へと解体され、世界から完全に消去されていく。
魔法が放たれた事実そのものが、ドームに触れた部分から順番になかったことにされていくのだ。
漣のCADが限界を超えた演算負荷によって高熱を発し、彼の右手のひらをじりじりと焼き焦がす。その熱さだけが、この激突における唯一のリアルな感覚だった。
永遠にも感じられた数秒間の後。
達也が放ったこの世で最も凶悪なエネルギーの束は、一振りの熱風すら残すことなく、瑠璃色の静寂の中へと完全に姿を消した。
通路の床や壁は、達也の熱線が通った軌跡だけが深々と抉り取られ、プラズマの高熱で赤熱してドロドロに溶けている。
だが、その熱線の先。
瑠璃色のドームの内側で、漣は息を荒くしながらも、腕の中に深雪を抱き留めたまま、両足でしっかりと床に立ち続けていた。
達也の究極の矛が、完全に防ぎ切られたのだ。
「……ハァ、ハァ……。まったく、冗談じゃないぜ、司波達也」
漣は、火傷を負った右手でCADを下ろしながら、達也を真っ直ぐに見据えた。
周囲の空間を支配していた『絶対無化領域』の瑠璃色のドームが、静かに空気中へと溶けて消えていく。
達也は、自らの手にあるシルバーホーンを下ろすことも忘れ、己の『精霊の眼』が捉えた現実を疑うかのように立ち尽くしていた。
自らの最強の魔法である『分解』が完全に、しかも何1つ音や衝撃すら残さずに消し去られたという事実。
そしてそれ以上に、自らの放った質量爆散が、最愛の妹を殺しかけたという取り返しのつかない恐怖が、達也の胸の内を激しくかき乱していた。
(俺の魔法が……完全に、無へと消去された……?)
達也は、激しくうろたえていた。
いかなる時も冷静沈着な鉄の仮面が、今、完全に崩壊し、彼の指先が微かに震えている。
深雪を救うために放ったはずの『分解』が、深雪自身を死の淵に追いやり、それを自分の力ではどうすることもできなかったという、ガーディアンとしての絶対的な敗北感。
そこへ、漣の腕から解放された深雪が、泣き濡れた顔を上げ、狂おしいほどの感情を剥き出しにして歩み寄ってきた。
彼女は達也の前に立ち塞がると、漣を背後にかばうようにして、なりふり構わず両手を広げた。
「お兄様……おやめくださいッ!!」
深雪の声は、講堂裏の静寂を切り裂くほどに激しく、そして悲痛に震えていた。
その瞳には、かつてないほどの激しい拒絶の光が、達也へと真っ直ぐに向けられている。
「これ以上、漣様に刃を向けるというのなら……お兄様のその魔法で、私を先に、跡形もなく消し去ってください……!!」
「み、深雪……? お前、何を言っている……」
達也の声から、いつもの平坦な響きが完全に消え失せていた。
うろたえ、そして深く困惑した、生々しい人間の弱さがその声に混ざっている。
達也にとって、深雪は世界そのものだ。彼女の平穏のためにのみ、自らの殺意は駆動している。
だが、その深雪が、自分を明確に「敵」として睨みつけ、他人のために「自分を殺せ」と叫んでいる。これほどまでに達也を絶望させ、その存在意義を崩壊させる言葉はなかった。
「漣様は、3年前の沖縄で私を救ってくださった、私の命の恩人です! そして今も、私をお兄様の魔法から護るために、ご自身の秘密を捨ててまで前に立ってくださった! これ以上、漣様を傷つけるというなら、私は……私は、お兄様を……ッ!」
深雪の唇から漏れ出たのは、お兄様への決定的な「拒絶」の言葉だった。
達也は、自らの手が、かつてないほどに冷たく、小刻みに震えているのを見つめた。
もしここで、自分が自らの論理――排除を優先して漣に手を下せば、深雪の精神は完全に崩壊し、自分たち兄妹の絆は二度と修復できないほどに破壊される。
そして何より、達也の『精霊の眼』は、漣が深雪を害する存在ではないという事実を、冷酷なまでに証明していた。漣は、達也の力が及ばない状況下で、深雪を護り得る唯一の『絶対の盾』なのだ。
(……俺の負けだ。深雪を護るための俺は、この男を排除した瞬間、完全に崩壊する)
達也は大きく息を吐き出すと、手にしていた2丁のシルバーホーンを、ゆっくりとホルスターへと収めた。
その瞳から、これまで漣に向けられていた暗く冷酷な排除の意志が、潮が引くようにスッと消え失せた。
「……分かった、深雪。泣くのはやめろ。お前の願い通り、彼を敵とはみなさない」
達也の声は、いつもの穏やかで平坦な少年のものに戻っていた。
だが、その奥には、自らの唯一の拠り所である妹を、不気味なほどに引き寄せていく漣に対する、静かで底知れない焦燥が残されたままだった。
達也は漣へと歩み寄り、その冷徹な瞳で彼を真っ直ぐに見据えた。
「御守漣。お前のその盾が、深雪を害するものではないと証明された。……深雪の命を2度も救ってくれたことには、兄として礼を言う」
達也は静かに頭を下げた後、再び漣と視線を合わせた。
「これ以上、お前の秘密を詮索することはしないし、俺から手出しをすることもないと約束しよう」
それは、最強の守護者である達也からの、明確な不可侵条約の提示だった。
「……助かる。俺はただ、平和に卒業したいだけだからな。君たち兄妹の邪魔をする気は一切ない」
漣は、火傷した手を隠すようにポケットに突っ込みながら、短く答えた。
ようやく訪れた生存確定の瞬間に、漣は内心で安堵の息を吐き出した。これで達也に命を狙われる日々は終わる。あとはこのテロの事後処理さえやり過ごせば、元のモブ生活に戻れるはずだ。
だが、安堵したのも束の間。
講堂の制圧を終えた生徒会長の七草真由美と、十文字克人が、足早にメンテナンス通路へと姿を現した。
「達也くん、深雪さん、無事かしら? ……それと、そちらの御守くんも」
真由美の視線は、赤熱してドロドロに溶けたコンクリートの床に向けられていた。
「先程、この一帯から凄まじきエネルギーの収束と……それが一瞬にして完全に消え去るような、異常な空間の断絶を感じたのだけれど。一体、何があったの?」
十文字もまた、無言のまま、その重圧感のある視線を達也と漣に注いでいる。
彼らのような規格外の実力を持つ十師族の目を、完全に誤魔化すことは容易ではない。
漣の額に、再び嫌な冷や汗が浮かぶ。
(やばい、生徒会と部活連のトップに目をつけられた。ここで『俺の固有魔法です』なんて言ったら、一族の掟を破った上に、十師族に目をつけられて一生モルモット行きだ……!)
どう言い訳をでっち上げるか。漣の脳がフル回転を始めた、その時だった。
「会長。テロリストたちが、新型の非合法キャスト・ジャマーを所持していました」
不意に口を開いたのは、達也だった。
達也は通路に転がっていたテロリストの懐から、違法に改造されたデバイスを拾い上げ、真由美たちに提示して見せた。
「どうやら、彼らが自身の魔法出力を無理に引き上げようとして、このジャマーを暴走させたようです。その結果、周囲のサイオンを強制的に吸い尽くす現象が発生し、彼ら自身が魔力枯渇に陥って自滅した……そう考えるのが妥当かと。空間の断絶やこの床の惨状も、そのジャマーが暴走し、自壊した際の余波でしょう」
達也は、何食わぬ顔で、極めて現代魔法工学的に「もっともらしい嘘」を並べ立てた。
彼のその堂々たる説明と、実際にテロリストが非合法デバイスを所持していたという物理的証拠の前に、真由美も十文字も、それ以上深く追及する言葉を持たなかった。
「……なるほど。そういうことなら、合点がいくわね。あなたたちが巻き込まれなくてよかったわ」
真由美は少し不思議そうに漣を一瞥したが、深雪が横で「お兄様のおかげで助かりました」と完璧なフォローを入れたことで、事態は完全に『テロリストの自滅』として有耶無耶に処理されることとなった。
(……達也、すげえ。息をするように完璧な嘘をつきやがった)
漣は内心で達也の機転に感嘆しつつ、とりあえず最悪の事態である十師族への身バレを回避できたことに、胃の痛みを堪えながら安堵した。
* * *
ブランシュ襲撃事件から、数日が経過した4月下旬。
第一高校の学内は、テロという異常事態を乗り越えたことで、一科生と二科生の対立関係にも一定の落ち着きが見られ始めていた。
「――馬鹿者が! 誰にも悟られるなとあれほど厳命した特注CADを、あのような多数の目が光る場所で解放するなど、一族の掟を何だと思っている!」
事件の翌日、自宅のアパートの端末越しに、御守本家の長から数時間にわたる大目玉を食らったのだ。
漣の『絶対無化領域』の展開は、学内の監視カメラこそ達也の細工で誤魔化せたものの、彼に特注CADを預けていた一族の監視網には完全に引っかかっていた。
「申し訳ありません……。テロの真っ最中で、不可抗力でした」
漣は平身低頭で言い訳を繰り返し、どうにか「学内にはバレていない」という点で本家の怒りを鎮めることに成功した。
これ以上派手な真似をすれば、今度こそ本家に連れ戻されて幽閉されかねない。漣は再び、学内での徹底した「気弱で無能な二科生」の仮面を分厚く被り直すことを固く誓った。
翌日の放課後。
E組の教室では、エリカやレオンハルト、美月たちが、テロ事件の武勇伝や日常の他愛もない会話に花を咲かせていた。
漣は、いつものように窓際の後ろから2番目の席で、一人電子教科書を眺めている。
隣の席の達也から放たれていた、あの氷のように冷たい殺気はもうない。
達也は不可侵の約束を守り、漣に対して不必要な監視の目を向けることはなくなった。表向きはただのクラスメイトとして、必要最低限の言葉を交わすだけの、凪いだ関係がそこには構築されていた。
(……なんとか、最悪のバッドエンドは回避できたな。これでようやく、平和なモブ生活に戻れる)
漣が内心で小さく息を吐いた、その時だった。
「お兄様、お待たせいたしましたわ」
不意に、澄んだ美しい声が教室に響いた。
クラス中の男子生徒の視線が一斉に集まる中、一科生の白い制服を着た深雪が、達也の席の前に立ち、優雅な微笑みを浮かべていた。
生徒会の仕事が終わったのか、一緒に帰宅するためにお兄様の教室を訪ねてきたのだ。
「ああ、今行く」
達也は静かに立ち上がり、鞄を手に取る。
深雪は、達也が荷物をまとめているそのわずかな隙に、隣の席に座る漣へと視線を向けた。
表向きは、『兄の隣の席の他クラスの親切な男子生徒に対する礼』という、完璧な優等生の態度を崩していない。
「御守さん。いつもお兄様がお隣で、ご迷惑をおかけしていませんか?」
「あ、ああ……。別に、そんなことはないよ、司波さん」
漣は周囲の嫉妬の視線に冷や汗を流しながら、事務的に答えた。
だが。
深雪が達也の死角になる位置で、ほんのわずかに漣の方へと身を屈めた、その一瞬。
彼女の顔が漣の耳元に近づき、誰にも聞こえない、甘く熱を帯びた吐息のような声が落とされた。
「……漣様。今週末、もしよろしければ……命を救っていただいたお礼に、どこかへお出かけになりませんか? ――お兄様には、内緒で」
その言葉に含まれた、隠しきれない狂おしいほどの愛熱と、2人だけの秘密を共有する甘美な響き。
深雪の瞳は、お兄様に向ける純粋な敬愛とは全く違う、一人の男を完全に捕らえて離さない、強固な執着に満ちて漣を真っ直ぐに射抜いていた。
(……嘘だろ。達也の監視網からはようやく抜け出せたと思ったら、今度は深雪の執着に完全に退路を塞がれてるじゃないか……!)
平和な学園生活を望む転生者・御守漣の願いは、どうやらそう簡単には叶いそうにない。
最強の守護者である達也との不可侵条約を結び、一難去ったと思いきや。彼を待っていたのは、氷の美姫からの、逃れることの許されない重く深い恋情の包囲網だった。
窓の外では、春の終わりを告げる桜の葉が、青々とした光を浴びて風に揺れている。
最強の盾を持つ転生者の、胃痛と秘密に満ちた波乱の魔法科高校生活は、まだほんの幕を開けたばかりであった。
【入学編・完】
次回 デート回!?
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