大会の後半戦を飾る一年生主体の「新人戦」へと突入した会場は、かつてないほどの熱狂とざわめきに包まれていた。
その異常な熱気の震源地となっているのは、間違いなく第一高校の代表陣であった。数時間前に行われた女子『スピード・シューティング』の新人戦決勝トーナメントにおいて、誰もが予想だにしなかった驚愕の結果が叩き出されたのだ。
「……達也が調整を担当した一年生の女子選手たちが、スピード・シューティングで一位から三位までを独占、か」
選手控室の片隅にあるパイプ椅子に深く腰を沈めながら、御守漣は天井を仰ぎ見て重々しい溜息を吐き出した。
第一高校の北山雫、光井ほのか、そしてもう一名の女子選手。彼女たち三人が表彰台を独占するという、他校からすれば悪夢のような完全勝利。彼女たちの類まれな才能もさることながら、その実力を極限まで引き出したのは、デバイスを担当した一人の技術スタッフだった。
一年 司波達也
彼が調整したCADは魔法の起動速度、演算効率のすべてにおいて他校のエリートエンジニアたちを遥かに凌駕していた。北山雫の『
他校の偵察部隊やエース級の選手たちも、「第一高校の強さの根幹には、あの一年生の天才エンジニアがいる」と、明確な警戒の視線を向け始めていた。
だが、他校の視線など漣にとっては些末な問題に過ぎない。今の彼にとって最も恐ろしいのは、「その達也の調整を同じく受けている男子選手が、この俺である」という逃げ場のない現実だった。
「……女子がトップスリーを独占して一高の技術力の高さを見せつけた直後に、同じエンジニアの調整を受けた俺が無様な結果を出せばどうなるか。……達也の完璧な経歴に、俺という汚点が残るわけだ」
漣は胃の痛みに耐えかねて、前屈みになって腹を押さえた。
ここで手を抜いて負ければ、達也からどのような報復を受けるか分かったものではない。
「その通りだ。お前には、言い訳をする権利も、負ける権利も用意されていない」
不意に、控室の入り口から平坦な声が響いた。
漣が顔を上げると、そこには技術スタッフの腕章を巻いた達也が、いつものように静かな足取りで歩み寄ってくるところだった。
「達也……。お前、女子の試合が終わったばかりで休む暇もないんじゃないのか?」
「俺の体力に問題はない。それより御守、お前のCADの最終チェックだ。出せ」
達也は有無を言わせぬ態度で手を差し出し、漣から受け取った旧式の携帯端末型CADを自身の調整用コンソールに接続した。
達也の視線がモニターに固定され、常人では追いきれないほどの速度でタイピングが開始される。
「女子の試合で得られた環境データを反映させ、お前の魔法式の変数処理をさらに最適化した。……スピード・シューティングは、予選こそ的を撃ち落とすまでのタイムを競う個人スコア方式だが、準々決勝以降は対戦型のトーナメント方式に移行する」
達也の言葉通り、スピード・シューティングの後半戦は、同じコート内に二人の選手が立ち、同時に射出される百発のクレーを奪い合う直接対決となる。
「相手の的を先に撃ち落とす。あるいはいかに相手の魔法を妨害し、自分のペースに引きずり込むか。出力の低いお前にとって、対戦形式は不利に働く可能性もある。だが……」
「だが、お前が組んでくれたこのピーキーな『初速特化』の調整があれば、相手が魔法式を構築するよりも先に、俺の魔法が的に届く。……そういうことだろ?」
漣が引きつった笑みを浮かべて言うと、達也はキーボードを叩く手を止め、静かに漣を見据えた。
「そうだ。お前の魔法には、的を粉砕するだけの威力はない。だが、誰よりも早く標的に『接触』することだけはできる。ルール上、少しでも焦げ跡をつければポイントはお前のものだ。……お前のその異常な初速で、相手に魔法を完成させる隙すら与えるな」
「……鬼め。分かってるよ」
漣がダミーCADを受け取ったその時、控室の重厚な扉が静かに開かれた。
「お兄様、御守さん。お疲れ様ですわ」
冷房の効いた室内に、ふわりと甘く爽やかな花の香りが漂い込んだ。一科生女子の代表用ユニフォームを眩しいほどに着こなした深雪が、完璧な淑女の微笑みを浮かべて立っていた。
「深雪か。どうした、お前の出番はまだ先のはずだが」
達也が労うように声をかけると、深雪は「ええ」と頷きながら、ゆっくりと二人の元へ歩み寄ってきた。
「私の試合の前に、どうしても御守さんのご活躍を見届けたくて参りましたの。……それに、御守さんにお渡ししたいものがありましたから」
深雪はそう言うと、達也の死角となるように立ち位置を微調整し、漣のすぐ目の前まで身を寄せた。そして、冷たく冷やされたスポーツドリンクのボトルを漣の手のひらへと押し付ける。
「冷たいですから、お気をつけて。……漣様」
最後に紡がれたその名前は、達也には聞こえないほど小さく、しかし漣の耳には甘く焼け焦げるような熱を持って囁かれた。深雪の白い指先が、ボトルを渡すふりをして漣の指にゆっくりと意味ありげに絡みつく。
(近い、近いって……! 達也の目の前で堂々とこんなことしたら、いつ俺の腕が分解されてもおかしくないんだぞ……!)
漣は顔を引きつらせながら、パニックになりそうな理性を総動員して慌ててボトルを受け取り、一歩後ろへ下がった。
「あ、ああ……ありがとう、司波さん。喉が渇いてたから助かるよ」
事務的な距離感を必死に保とうとする漣の様子を見て、深雪はどこか楽しげに満面の微笑みを浮かべた。
「ふふっ。お気になさらず。……御守さんの素晴らしいお力が、いよいよ皆様の前に披露されるのですね。私、この時をずっと楽しみにしておりましたわ」
深雪の瞳の奥には、達也には決して見せない狂おしいほどの愛執が爛々と輝いていた。
自分の命を救ってくれた瑠璃色の光。その力が、たとえダミーのCADで偽装された形であっても、この華やかな九校戦の舞台で証明される。それが深雪の心を甘く痺れさせ、彼に対する独占欲を極限まで高めていた。
「……あまり期待しないでくれ。俺はただ、的を早く撃つことしかできない出来損ないだからな」
「御守さんは、ご自身を卑下しすぎですわ」
深雪は、一切の迷いのない瞳で漣を見つめ返した。
「私は、あなたが誰よりも素晴らしい魔法師であると、心から信じております」
その時、控室のスピーカーから無機質なアナウンスが鳴り響いた。
『――男子スピード・シューティング、新人戦準々決勝。第一試合の選手は、速やかに第一小演習場へ入場してください』
「御守。時間だ」
「ああ、分かってる」
達也の淡々とした声に現実へ引き戻された漣は、ダミーCADを専用のホルスターに収めて深く息を吐き出した。
「応援席から見ていますわ」
達也、そして深雪からの応援。二つの巨大な重力に背中を押されながら、御守漣は、絶対に目立ちたくなかったはずの表舞台へと重い足取りを進めていった。
* * *
第一小演習場。男子『スピード・シューティング』新人戦、準々決勝。
ここからの試合は、予選のような個人でのタイムアタックではない。広いコートの両端に二人の選手が立ち、頭上の四方からランダムに連続射出される百発のクレーを、どちらがより多く撃ち落とせるかを競い合う対戦形式となる。
相手の狙っている的を先回りして撃ち落とす「横取り」や、相手の魔法式構築に対する合法的な「妨害干渉」も戦略として組み込まれる、純粋な魔法戦だ。
コートの右側に立った漣に対し、観客席からはパラパラとした義理の拍手と、他校の生徒たちからの露骨な野次が飛んできた。
『おいおい、一高の代表はエンブレム無しの二科生かよ!』
『手にしてるCAD、いつの骨董品だ? あんな旧式で俺たちの最新モデルに勝てるわけないだろ!』
『女子は凄かったが、男子は人材不足みたいだな!』
魔法科高校において、実技評価の低い二科生は完全に蔑視の対象だ。予選での漣のタイムは圧倒的だったが、対戦形式ともなれば「ただ速いだけの魔法」は妨害で簡単に潰せると、他校の選手たちは高を括っていた。
漣の対戦相手としてコートの左側に立った第三高校の代表選手も、あからさまな嘲笑を浮かべて見下してくる。
「一高のウィードか。予選のタイムはまぐれだろうが、対人戦の厳しさを教えてやるよ」
三高の選手は最新型のライフル型CADを誇らしげに構え、己の魔力を周囲に誇示するようにサイオンを漂わせた。
(……言いたい放題言ってくれるぜ。こっちだって好きでこんな目立つ場所に来たわけじゃないってのに)
漣はだんまりを決め込み、相手の挑発を完全に無視していた。
彼らの嘲笑など、実家の祖父の理不尽な命令や達也のプレッシャーに比べればそよ風のようなものだ。さっさと的を撃ち抜いて、この面倒な時間を終わらせる。それだけを考えていた。
だが、その野次の裏で――。
観客席の上段、死角となる通路の陰に潜んでいた黒装束の男――無頭竜の工作員が、懐に隠し持っていた違法な指向性『キャスト・ジャマー』の銃口を、コートに立つ漣の背中へと向けていた。
(一高の代表選手……女子の勢いを削げなかった分、ここで確実にこいつの魔法を不発にさせて、一高の出鼻を挫いてやる)
工作員がジャマーの起動スイッチを密かに押し込んだ。目に見えない妨害電波とサイオンのノイズが、一直線に漣の脳内演算領域へと向かって放たれる。
一般的な魔法師であれば、これを受けた瞬間に魔法式の構築が乱れ、起動がコンマ数秒遅れるか、最悪の場合は不発に終わる。数日前に渡辺摩利を負傷させたのと同じ、卑劣な不可視の攻撃。
だが――。
(……チッ。なんかウザいノイズが飛んできたな)
コートに立つ漣は、背後から迫るその妨害干渉を皮膚感覚で察知していた。
振り返ることもなく、体表数ミリに常時展開している『境界無化』のパッシブ防壁の出力を、ほんの僅かに引き上げる。
シュンッ。
工作員が放ったキャスト・ジャマーのノイズは、漣の背中に触れた瞬間、何事もなかったかのように「完全にゼロ」へと還元され、この世界から消去された。魔法を妨害するという事象そのものが、最初から存在しなかったこととして処理されたのだ。
(……え? なんだ?)
工作員は手元のジャマーの出力計を確認し、激しく困惑した。確実に照射し、強力なサイオンのノイズを浴びせているはずなのに、標的である一高の生徒には何の異常も起きていない。魔法の乱れを示すサインすら、一切返ってこないのだ。
その時、試合開始のブザーが演習場に鳴り響いた。
「――レディ……ゴー!」
審判ドローンの合図と共に、上空の射出機から連続で赤いクレーが撃ち出された。
「もらったぜ、ウィード!」
三高の選手がCADを操作し、広範囲に拡散する『散弾魔法』を展開しようとする。一度に複数の的を破壊して圧倒的な差を見せつける腹積もりだ。
だが。彼が魔法式を構築し終えるよりも早く、漣は右手に持った旧式ダミーCADのトリガーを静かに引いていた。
漣の放つ魔法には、的を粉砕するような破壊的出力はない。ただの微弱な「熱量の塊」を飛ばすだけの初級移動系魔法だ。
しかし、その魔法弾が飛翔する軌道上の「空気の粘性」と「重力による物理的干渉」という絶対的な法則を、彼は『境界無化』の力によって極小の線状範囲のみ完全に「無」へと消去していた。達也のエンジニアリングによって無駄を極限まで削ぎ落とされたCADは、漣の脳内にあるその概念を、一切のタイムラグなしで空間に投影する。
シュパァァァンッ!
乾いた、しかし異様なほどに短い破裂音。三高の選手が魔法を放とうとした、まさにその直前だった。空中に射出されたクレーの表面が、次々と「カチッ」という音を立てて黒く焦げ付いていく。
弾道すら見えなかった。引き金を引いたという事実の直後に、すでに着弾している。
空気抵抗という物理障壁を完全に排除された魔法弾は、現代魔法の常識を完全に無視した、光速に近い圧倒的な『初速の極致』を実現していた。
「な……!?」
三高の選手は、自分の狙っていた的が撃ち抜かれた――焦がされたことに気づき、愕然と動きを止めた。
スピード・シューティングにおいて、的を粉砕する必要はない。相手より先に標的に干渉したという判定さえ出れば、ポイントは奪えるのだ。彼が次の的を狙おうとした時には、すでに空中に舞い上がったすべての的へ、漣の放った不可視の熱量弾によって焦げ跡がつけられていた。
「……な、何だ今の!?」
「弾道すら見えなかったぞ! 一体、何をどう撃ったんだ!?」
観客席から野次を飛ばしていた他校の生徒たちが、驚愕に目を見開いて立ち上がった。
的そのものは壊れていない。だが、的を正確に射抜いたその『速度』においてだけは、誰の目にも明らかな神速の領域だった。相手が魔法を発動する前に、すでにすべての的に当て終えている完全なるワンサイドゲーム。
「試合終了! 勝者、第一高校・御守漣!」
審判ドローンが高らかに宣言すると、先程まで嘲笑していた他校のエリートたちは信じられないものを見るように漣を凝視し、やがて会場中からどよめきと嵐のような歓声が沸き起こった。
(……やばい。ちょっと目立ちすぎたか?)
漣は内心で冷や汗を流しながら、ダミーCADをホルスターに収めて足早にコートを後にした。
* * *
その光景を、観客席のVIPエリアから真剣な眼差しで見下ろしている二人の少年がいた。
第三高校の絶対的エースである『クリムゾン・プリンス』こと一条将輝と、そのパートナーである『カーディナル・ジョージ』こと吉祥寺真紅郎である。
「……今の射撃。軌道が全く見えなかったな、将輝」
吉祥寺が手元のデータ端末を操作しながら鋭く目を細めた。
「ああ。的を壊す気はない、当てることだけに特化した極端な魔法だ。だが……あの異常な初速を、あんな骨董品みたいなデバイスで、ノーモーションで安定して引き出している。……プロ顔負けの調整(チューニング)だぞ」
一条将輝の視線はコートを降りる御守漣ではなく、その背後のピットで静かに調整用端末を操作している達也へと向けられていた。
「あの司波達也とかいう一高のエンジニア。北山雫の魔法といい、この御守の異常な初速といい……魔法をどう設計すれば人間の能力を最大限引き出せるかを、知り尽くしている。一高がこれほど強い理由……その根幹には、間違いなくあいつのCAD技術があるな」
一条の言葉に、吉祥寺も重々しく頷いた。
「二科生だっていうからノーマークだったけど、とんでもなく優秀なエンジニアが裏方にいるみたいだね。……それに、あんな極端にピーキーな調整を完璧に使いこなす御守って選手もタダ者じゃない。今年の新人戦、あの二人のコンビは侮れない強敵になるよ」
達也が魔法を作る力。そして、漣がそれを十全に発揮する力。
一条たちにとって、達也が自身に強大な戦闘能力を秘めていることまではまだ知る由もない。だが純粋な競技という枠組みの中において、彼らは「第一高校の真の脅威」として、他校のエースから明確に警戒されることとなってしまった。
* * *
「見事なタイムだ。俺が調整した甲斐があったな」
待機ピットに戻ってきた漣を、達也が淡々とした声で迎えた。
達也の『精霊の眼』は、漣が的を撃ち抜く直前、背後から飛来した工作員のジャマーを完全に無化して消し去った事実を正確に捉えていた。
(どんな妨害工作も、この男の魔法には一切通じない。……やはり、御守漣の能力は計り知れないな)
達也は、自らが深雪の護衛として手元に置いた男の完璧な仕事ぶりに、内心で冷徹な満足感を覚えていた。
「……達也。さっきの射撃中、背中から妙なノイズが飛んできたぞ」
漣は周囲の目を気にしながら達也に耳打ちした。
「分かっている。お前への妨害工作は失敗に終わったが、連中は諦めずに次の標的を探すだろう。……摩利先輩の時のような事故を、これ以上起こさせるわけにはいかない」
達也は冷たく細めた視線を観客席の裏側へと向ける。
工作員たちの場所はすでに割れている。一介の高校生としてではなく、国防軍の暗部としての力を持つ達也にとって、これ以上の不穏分子を野放しにする理由はなかった。
「俺はこれから、そのネズミどもを狩りに行く。……御守、深雪の出番が来るまで、彼女のそばを離れるなよ」
「……また俺を使い走りにしやがって。分かったよ、絶対に怪我はさせない」
達也が静かにピットの奥へと消えていくのを見送ると、今度は観客席の最前列から、待ち構えていたように一つの人影が駆け寄ってきた。
「漣様……!」
周囲の目も気にせず、歓喜に頬を染めた深雪がパタパタと小走りで近づいてくる。その瞳は潤み、声は甘く蕩けていた。
「素晴らしい魔法でしたわ! 誰よりも速く、誰よりも美しい、最高の一撃でした! 私、漣様があれほどの注目を浴びて、自分のことのように誇らしくて……」
「ちょ、深雪さん! 声が大きい! 他校の連中までこっち見てるから!」
漣はパニックになりながら必死に深雪をなだめようとするが、彼女の興奮は収まらない。
一高の高嶺の花である彼女が二科生の男子生徒に向けてあのような熱烈な態度をとっているという事実は、一条たち他校のエースはおろか、一高の生徒たちの間にも凄まじい衝撃を与えていた。
「どうして隠す必要がありますの? 漣様は実力で、あの一科生の方々を黙らせたのです。……さあ、次は私の試合です。漣様に最高の勝利を捧げてみせますわ」
深雪はそう言うと、周囲の男子たちがギリギリと歯を食いしばる音をBGMにするかのように、漣の腕にそっと自らの手を絡ませて微笑んだ。
(……この兄妹、俺を達也のエンジニア技術のダシに使った挙句に、こんな公開処刑みたいな状況を作り出しやがって!)
歓声と嫉妬の視線が飛び交う九校戦の会場で。
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