絶対防壁の転生者は平穏に暮らしたい   作:雨風 時雨

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第2話

 騒がしい一科生たちの人波をすり抜け、校舎の奥へと進む。

 第一高校の校舎は、一科生と二科生で露骨にその活動区域が分けられていた。

 

 陽の光が燦々と降り注ぐ本館に対し、二科生たちが主に身を置くのは、どこか薄暗く冷え冷えとした新校舎の側だ。

 漣は、自分の割り当てられた『1年E組』のプレートが掲げられた教室の前に立ち、そこでもう一度、心の内で重いため息を吐き出した。

 

(……なんで、よりによってE組なんだ)

 

 『魔法科高校の劣等生』。その原作知識を持つ転生者である彼にとって、この「E組」というアルファベットが意味するものはあまりに重かった。

 第一高校は、一科生がA組からD組、二科生がE組からH組に振り分けられる。

 

 1学年の二科生は全部で100名。それが4つのクラスに均等に割り振られるため、1クラスあたりの人数は25名前後となる。

 このクラス分け自体は、生徒の学力や適性のバランスが均等になるよう、機械的に振り分けられているに過ぎない。

 

 だからこそ、原作における主要メンバーである司波達也、千葉エリカ、西城レオンハルト、柴田美月、吉田幹比古――そして漣本人が全員「同じE組」に配属されたのは、単なる悪意に満ちた確率の悪戯(あるいは運命)に過ぎなかった。

 

 だが、漣にとっての本当の悲劇は、その後に決定された『教室内の座席配置』だった。

 第一高校の伝統として、クラス内での座席の並びは、男女交互の「縦五十音順」で決定される。

 

 彼の名は、御守漣。

 そのルールに従って座席が機械的に割り振られた結果、漣の席は、 同じくE組となった司波達也のすぐ隣という、不気味なほどの至近距離に決定されてしまったのだ。

 

 別の地方の、もっと目立たない普通の高校へ進学させてくれとあれほど懇願したというのに。

 一族の身勝手な期待と、親の余計な権力のせいで、よりによってこんなトラブルの特等席にねじ込まれた。

 

 あまつさえ原作主人公のすぐ隣に座らされる羽目になるとは、もはや災難以外の何物でもない。

 漣は覚悟を決め、引き戸を静かに開けて教室へと足を踏み込んだ。

 

 教室内はどこか緊張感と、二科生としての劣等感が混ざり合った、落ち着かない空気に満ちていた。

 漣は誰とも目を合わせないように視線を低く保ちながら、窓際の後ろから2番目という、自身の名札が貼られた席へと向かう。

 

 その席に腰を下ろした瞬間、漣の背筋に、冷たい汗がだらりと流れた。

 すぐ左隣の席。そこには、すでに端正な姿勢で座り、手元に置いた情報端末を静かに眺めている少年がいた。

 

 少し癖のある黒髪に、感情を完全に削ぎ落としたかのような涼しげな横顔。

 司波達也だ。

 隣の席という、最悪の近距離を引かされるとは夢にも思わなかった。

 

 漣は努めて平静を装い、無表情のまま机の上にカバンを置いた。

 彼が常に体表に張り巡らせている『境界無化(ゼロ・アイギス)』の常時微弱防壁は、この至近距離においても完璧にその機能を果たしている。

 

 達也の右手が、ほんの一瞬だけ、端末を操作する動きを止めた。

 達也が持つ固有の知覚能力『精霊眼(エレメンタル・サイト)』は、対象の情報を構造的にスキャンする。

 

 だが、漣の極微弱な防壁は、そのスキャン波動そのものを境界線上で「無」へと相殺していた。

 達也には「極めて凡庸な、魔力の乏しい一般二科生」としての虚偽の残像情報だけを返している。

 

 それでも、達也ほどの規格外の知覚の持ち主となれば、その『ダミーの情報』のあまりの自然さに、逆に人工的な違和感を覚える可能性がある。

 達也は表情を一切変えないまま、だが確実に、その鋭い知性の双眸をわずかに漣へと向けた。

 

(……見るな。頼むからこっちを見るな。俺は親に無理やりねじ込まれた、実技評価最悪のウィードだ。ただの背景だと思ってくれ)

 

 漣は心の中で必死に祈りながら、だんまりを決め込み、カバンから電子教科書を取り出して机の上に並べる作業に没頭した。

 張り詰めたような沈黙。

 その緊迫した空気を破ったのは、前方の席からの騒がしい声だった。

 

「だから! なんであんたが私の斜め前の席にいるわけ!? 登校中からストーカーでもしてるつもり?」

 

「あ? 自意識過剰もいい加減にしろよ。お前こそ、千葉の看板を背負ってる割には、2科生のこのクラスがお似合いってことか?」

 

 千葉エリカと、西城レオンハルト。

 五十音順のルールに従い、前方の席で早くも火花を散らしている2人の姿があった。

 

 その喧騒の板挟みになり、同じく近くの席に座る柴田美月が「あの、お2人とも、声が大きいですよ……」と、おろおろしながら制そうとしている。

 絵に描いたような原作初期の光景だ。

 

 本来なら、達也がこの騒ぎに巻き込まれ、あるいは静かに彼らとファーストコンタクトを取る場面である。

 しかし、エリカの鋭い視線が、なぜか達也を通り越して、その隣に座る無口な漣へと向けられた。

 

「ちょっと、そこのあんた。さっきから一言も喋らないで、お通夜みたいな顔して何怒ってんのよ?」

 

 エリカという少女は極めて直感的で、かつ他人の「壁」に遠慮なく踏み込んでくる。

 ここで冷たく無視すれば、逆に彼女の好奇心を刺激し、関わりの泥沼に引きずり込まれるだろう。

 

 漣はゆっくりと顔を上げ、感情の起伏を一切見せない平坦な声で答えた。

 

「……別に、怒ってはいない。少し疲れているだけだ。気にするな」

 

「へえ、冷たい奴。まあいいけど」

 

 エリカはつまらなそうに肩をすくめ、再びレオとの言い合いに戻っていった。

 漣はそっと息を吐き、再び自分の手元へと視線を落とそうとする。

 

 しかし、その一連のやり取りを、隣の席の司波達也は静かに、そして冷徹に観察していた。

 達也の『精霊眼』は、目の前の少年の「不自然なほどの静寂」を捉えていた。

 

(……情報体――イデアとしての波形に、一切の乱れがない。それどころか、サイオンの放出量そのものが、測定器の数値をさらに下回るレベルで安定しすぎている)

 

 達也は、胸の奥で静かに思考を巡らせる。

 先ほど、入学式の退場口でのこと。最愛の妹である深雪が、突然足を止め、ひどく取り乱した様子でこの少年に声をかけようとした。

 

 深雪があれほどの衝撃を受けることなど、尋常な事態ではない。

 だが、その原因を探ろうとどれだけ目の前の少年のイデアを読み取ろうとしても、返ってくるのは「実技能力の極端に乏しい、ただの平凡な2科生」という、整合性の取れすぎた情報だけだった。

 

 情報が読めない。いや、正確には「読ませてくれない」ような、物理的・事象的な空白が、この少年の体表面を覆っているのではないか。

 四葉の最高傑作である達也をして、その正体を見極められないほどの「何か」が、隣の席の少年の内側には潜んでいる。

 

(御守漣……。国防に深く関わる『防壁の名家』の落ちこぼれ、という噂だが)

 

 達也はそれ以上の詮索を表には出さず、静かに正面を見据えた。

 深雪に害を及ぼす存在であるか否か。それだけが彼の行動基準だ。

 

 現時点でこの少年が具体的な敵意を見せていない以上、様子を見るのが最善の策であると、冷徹な脳細胞が結論を下していた。

 

 * * *

 

 1年A組の教室は、陽光が燦々と差し込み、磨き上げられた机や最新の設備が整えられた、まさに特権階級の空間だった。

 新入生総代としての務めを終え、自分の席に座る司波深雪の周囲には、すでに彼女の圧倒的な美貌と才知に惹かれた一科生たちの輪ができつつあった。

 

 光井ほのかや北山雫といった少女たちもまた、深雪の様子を遠巻きに、あるいは親しげに見つめている。

 だが、深雪の心は、教室の華やかな雰囲気とは裏腹に、張り詰めたままであった。

 

(間違いない……あの方だわ)

 

 深雪は、机の下で、細く美しい指先をきつく絡め合わせていた。

 3年前。あの大亜連合の戦火の中で、自分を死の淵から掬い上げ、この世の何よりも美しい瑠璃色の光で包み込んでくれた、あの少年。

 

 ただの一度も、その思い出が風化することはなかった。

 お兄様を世界の全てとして敬愛する自分にとって、唯一「お兄様以外」で、自分の魂を揺さぶった存在。

 

 彼が、この第一高校にいる。

 しかも、あの日見せた神業のような防御魔法の持ち主でありながら、胸に花冠を持たない「二科生」として。

 

(なぜ、あのような素晴らしい魔法をお持ちの方が、二科生に……?)

 

 一高における二科生制度が、実技重視の極端な評価基準によって成り立っていることは知っている。

 だが、あの時のミサイルを音もなく消滅させた、あの瑠璃色の光。

 

 あれが「一科生に劣る」評価を受けるなど、魔法の神髄に対する冒涜としか思えなかった。

 それに、先ほどすれ違った瞬間の彼の態度。

 

 自分の問いかけに対しても何も答えず、まるで自分のことなど知りもしないというように、だんまりを貫いて去っていった。

 

(私に正体を隠したままでいたいのは、あの日、お兄様が戻ってくる前に『内緒にしてくれ』とおっしゃったことと、関係があるのですね)

 

 深雪の瞳に、静かな決意の光が灯る。

 彼は隠れたがっている。お兄様にすら、その実力を知られたくないのだ。

 

 だとしたら、自分からお兄様に彼のことを話すわけにはいかない。あの方との約束を破るわけにはいかないから。

 けれど――。

 

(ただ、もう一度、あの方とお話ししたい……)

 

 深雪はそっと視線を伏せた。

 あの日からずっと閉ざされていた秘密の扉が、今、再び開きかけている。

 

 お兄様への絶対の愛と忠誠を抱きながらも、彼女の胸の奥底で、あの瑠璃色の静寂に対するどうしようもない憧憬が、静かに波立ち始めていた。

 

   * * *

 

 1年E組の教室では、担任教師によるホームルームが終わり、入学初日のガイダンスがすべて終了した。

 周囲の二科生たちが、どこか解放されたように席を立ち、友人同士で昼食へと向かう。

 

 エリカとレオは、まだ言い争いの延長線上にあるようで、美月を巻き込みながら教室を出ていった。

 漣は、彼らが完全に教室から姿を消すのを待っていた。

 

 隣の達也も、妹である深雪と合流するためだろう、静かに席を立って扉へと向かっていった。

 教室に、わずかな静寂が訪れる。

 

 漣は大きく息を吐き出し、机の上に突っ伏した。

 

(……1日目から、生存難易度が上がりすぎだろ)

 

 達也のあの、すべてを見透かそうとする鋭い精霊眼の視線。

 そして、深雪がすれ違いざまに見せた、完全に「あの時の」と確信した熱い瞳。

 

 一族が勝手に権力を使って、無理やりこんな魔境にねじ込んでくれたせいで、入学初日にして早くも正体がバレかけている。

 このままでは、これから起こるであろうテロや工作、および数々の凄惨な原作イベントに否応なしに巻き込まれてしまう。

 

(絶対に嫌だ。絶対に、静かに卒業してやる)

 

 漣は机から顔を上げ、手元にある銀色のCADをじっと見つめた。

 彼の一族が秘匿し、そして彼自身が常時展開し続けている『境界無化』。

 

 世界を拒絶するその絶対の盾は、これから始まる嵐のような学園生活の中で、彼の平穏を護り抜くことができるのか。

 窓の外では、満開の桜が風に吹かれ、一科生と二科生を隔てる冷たいアスファルトの上へと、ひらひらと舞い落ちていた。




短いですが、絡みはもう少し先という事で
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