絶対防壁の転生者は平穏に暮らしたい   作:雨風 時雨

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第9話

 有志同盟による放送室占拠事件から明けた、公開討論会の当日。

 指定された講堂は、開始時刻の前から異様な熱気とざわめきに包まれていた。

 

 事の発端は前日、壬生紗耶香たち有志同盟のメンバーが放送室を強行占拠したことにある。

 彼女たちは全校放送を通じて学校側へ二科生への差別撤廃を求め、その回答の場として公開討論会を要求したのだ。

 

 生徒会はこの要求を正面から受け止め、本日、この場での討論会開催を決定した。

 講堂内は、不満を爆発させようとする二科生たちと、それを冷ややかに見下す一科生たちの対立構造が浮き彫りになっている。

 その空気は、まるで一触即発の火薬庫のようだった。

 

 御守漣は、観客席の最後列の端という最も目立たない場所に身を沈め、重苦しい溜息を噛み殺していた。

(……いよいよ、有志同盟の蜂起とテロの本番か)

 

 ステージ上では、生徒会長の七草真由美と、有志同盟の代表である紗耶香がマイクを挟んで対峙している。

 真由美の柔らかな、しかし論理的な受け答えに対し、紗耶香たちは感情的に二科生の不遇を訴えかけていた。

 だが、議論の行方そのものは、漣にとってはどうでもいいことだった。

 

 彼の意識は、右手のポケットの中に忍ばせている冷たい金属の感触に向けられていた。

 前世のVRゲームなどで使われていた『片手用モーションコントローラー』に似た形状の特注CAD。

 親指をスティックに添え、人差し指をトリガーにかけたまま、漣は静かに周囲の気配を探っていた。

 

 原作の知識が正しければ、この公開討論会の最中に、有志同盟に紛れ込んでいた『ブランシュ』の工作員たちが意図的に乱闘を引き起こす。

 それが、学内へのテロリスト侵入の合図となるはずだ。

 

(この後、暴動が起きる。だが俺は絶対に動かない。達也や風紀委員が鎮圧するのを、ただの怯える一般生徒としてやり過ごすだけだ)

 

 そう自らに言い聞かせながらも、漣の額にはじわりと冷たい汗が滲んでいた。

 

 なぜなら、ステージの袖で風紀委員として警備にあたっている司波達也の視線が、時折、正確に漣のいる最後列を射抜いてくるからだ。

 達也の視線は、テロリストへの警戒と同等、いやそれ以上に深く暗い執着を帯びていた。

 

 深雪の心を惑わし、彼女に自分を欺かせた元凶。

 達也にとっての漣は、もはや学内の治安を乱すテロリストよりも先に処理すべき、致命的なエラーコードとして認識されている。

 

(……達也の奴、この混乱に乗じて、俺に何か仕掛けてくる気だ)

 

 漣の直感が、最悪の警鐘を鳴らしていた。

 

 * * *

 

 ステージ袖で腕を組んで待機していた達也は、『精霊の眼』を通じて、体育館内に潜む複数の不審な情報体の動きを完全に把握していた。

 

 有志同盟のメンバーの中には、明らかに一般の高校生とは異なる、実戦に慣れたサイオンの波形を持つ者たちが混ざっている。

 彼らが服の下に隠し持っている非合法のキャスト・ジャマーや、攻撃用の特化型CADの存在も、達也の知覚からは逃れられない。

 

(間もなく、奴らが動く。……だが、ただ鎮圧するだけでは意味がない)

 達也の冷徹な演算回路は、テロリストの制圧手順と同時に、観客席の最後列で気配を消している漣の情報を並列で処理していた。

 

 達也の目的は、漣の持つあの未知の防壁の構造を完全にスキャンし、その術式を解体することだ。

 そのためには、漣にあの魔法を展開させる必要がある。

 

(暴徒が暴れ出した時、俺はあえて、御守のいるブロックへの介入を数秒だけ遅らせる)

 

 達也は静かに目を伏せた。

 

 もし暴徒の魔法が漣や、その近くにいる柴田美月たちに牙を剥けば、漣は再びあの事象消去の力を現さざるを得なくなる。

 魔法が発動し、世界にその情報構造が露出した瞬間に、術式を読み取り、根源から分解して無力化する。

 それが、達也の描いた冷酷なシナリオだった。

 

 * * *

 

 そして、その時は不意に訪れた。

 

「ええい、言葉で言っても分からないなら、実力で分からせてやる!」

 

 観客席の前方に陣取っていた有志同盟の強硬派――その実態はブランシュの工作員たち――が、突然声を荒らげて立ち上がり、隠し持っていたCADを起動した。

 

 彼らは生徒会役員たちへ向けて魔法を放つのではなく、わざと観客席の1科生たちに向けて、威嚇と混乱を目的とした攻撃魔法を放とうとした。

 

「きゃあっ!」

「な、何をする気だ!」

 

 体育館内に悲鳴が響き渡る。

 

 工作員の一人が、混乱を広げるために後方の座席へ向けて『圧縮空気弾』の起動式を構築し始めた。

 その銃口の先には、逃げ遅れて立ち竦んでいる美月や、彼女を庇おうと身構える千葉エリカたちの姿があった。

 そして、そのさらに後ろには、漣が座っている。

 

(来た……!)

 

 漣はポケットの中で、特注CADのグリップを強く握り込んだ。

 

 エリカは自身のデバイスを抜こうとしているが、工作員の不意打ちのタイミングでは、防御が間に合うかギリギリのところだ。

 漣は視線をステージ袖に走らせた。

 

 本来なら、誰よりも早く風紀委員である達也が飛び出してきて、工作員の魔法を無効化するはずだ。

 だが、達也は動かなかった。

 

 他の工作員たち 他の工作員たちを瞬時に制圧しながらも、達也は漣のいる方向へ向けられた攻撃に対してだけは、わざと背を向けた。

 

 介入を数秒だけ遅らせる。それが、獲物をあぶり出すための冷酷な計算だった。

 

(あの野郎……! わざと見逃したな。俺に力を使わせて、その瞬間に術式を読み取る気か!)

 

 達也の冷酷な意図を完全に理解した瞬間、漣の脳内で超高速の演算が開始された。

 

 ここでいつものように体表の防壁を広げて攻撃を消し去れば、達也の『精霊の眼』にその構造を晒すことになる。かといって、何もしなければ美月たちが怪我を負う。

 

(……なら、お前の監視の網すらもすり抜ける、極小のピンポイント処理で終わらせてやる)

 

 漣はポケットの中で、特注CADのアナログスティックを親指で弾き、人差し指のトリガーを半押しにした。

 

 このコントローラー型CADの圧倒的な演算補助能力は、漣の脳内にある防壁の概念を、かつてない精度で空間に投影することを可能にする。

 

 漣は、自分や美月の前に壁を張るのではなく、工作員が手にしたCADの銃口――その空間座標のわずか数ミリの点に対してのみ、事象干渉を無にするコマンドを入力した。

 

 トリガーを引き絞る。

 

 工作員のCAD内で構築されかけていた魔法式が、銃口から放たれるその瞬間の、ほんの僅かなサイオンの結合点。

 

 漣はその一点だけを、見えない瑠璃色の刃で摘み取るようにして「ゼロ」へと還元した。

 

「喰らえ――って、あ!?」

 

 工作員が叫んだ瞬間、彼のCADからプスッという間の抜けた音が鳴り、魔法式が暴発した。

 

 不完全な状態で圧縮された空気が銃口で破裂し、工作員自身の手首に強い反動を与える。彼は悲鳴を上げてCADを取り落とした。

 

「自爆した……?」

 

 エリカが呆気にとられたように呟く。

 

 周囲の生徒たちからは、工作員が勝手に魔法の制御に失敗し、自滅したようにしか見えなかった。

 

 ステージ袖でその瞬間を凝視していた達也は、わずかに眉間を歪めていた。

 

(……魔法が、不発に終わった?)

 

 達也の『精霊の眼』は、工作員の魔法式が構築される過程を確かに捉えていた。だが、それが放出される直前、突然サイオンの結合が解け、自壊したのだ。

 

 達也は即座に漣の情報体をスキャンしたが、漣の体表を覆うサイオンは完全に凪いだままであった。

 

 彼が魔法を発動したという痕跡も、空間に干渉したという物理的な証拠も、一切検出されない。

 

 まるで、最初から工作員が勝手にミスをしたかのような、完璧に自然な事象の推移。達也の網には、何の異常データも引っかからなかった。

 

(俺の眼を欺くほどの、痕跡すら残さない事象の改変……。いや、事象が書き換えられたという情報自体を、無化して隠蔽したのか……!)

 

 証拠を掴ませないまま、達也の罠を綺麗にすり抜けた漣の底知れなさ。

 

 それが達也の論理回路に、これまでにない深い苛立ちと、一刻の猶予もならないという冷たい焦燥を刻み込んでいた。

 

 ステージの中央では、生徒会役員として控えていた司波深雪が、騒然とする体育館の中で密かに安堵の息を吐いていた。

 

 彼女もまた、達也がわざと漣の方向への介入を遅らせたことに気づき、心臓が凍りつくような恐怖を覚えていたのだ。

 

 お兄様が、あの方を試そうとしている。もしあの方が力を使えば、お兄様は容赦なくその秘密を暴き立てるだろう。

 

 深雪は自ら飛び出して工作員を凍らせようとCADに手をかけたが、それよりも早く、工作員は自滅という形で崩れ落ちた。

 

 深雪の卓越した感応力は、それが単なる自滅ではないことを感じ取っていた。

 

 空間のほんの一点だけで起きた、あの美しく冷徹な静寂の気配。

 

 漣が、達也の監視の目を掻き潜りながら、誰にも気づかれないほどの精密な力で事態を裏から収束させたのだ。

 

(漣様……)

 

 深雪は、胸元で両手をきつく握りしめた。

 

 自らの力を誇示することなく、ただ静かに、そして確実に見えない盾となって他者を守るその姿。

 

 周囲の誰一人として彼の偉業に気づかず、ただの気弱な二科生として彼を見下している中で、自分だけが彼の本当の姿を知っている。

 

 その優越感と、彼が背負っている孤独な隠蔽への愛おしさが、深雪の魂を甘く痺れさせていた。

 

「生徒会役員の皆さんは、速やかに避難誘導を!」

 

 真由美の指示が飛び、深雪はハッとして我に返った。

 

 体育館の入り口からは、さらに複数の黒装束の集団――ブランシュの武装メンバーたちが乱入してこようとしている。

 

 事態は、単なる生徒同士の討論会から、明確なテロ攻撃へと移行しつつあった。

 

 深雪はステージから観客席の最後列を見上げ、すでに人混みに紛れて姿を消そうとしている漣の背中を、熱を帯びた瞳で追った。

 

 お兄様の鋭い刃が、確実に彼へと迫っている。

 

 この混乱した戦場の中で、もしお兄様が再び彼を標的にするのなら。その時こそ、自分が彼を守るための完全な盾にならなければならない。

 

 深雪は自らのCADを固く握りしめ、冷ややかな氷の魔力を全身に纏わせながら、迫り来るテロの喧騒の中へと足を踏み出していった。




放送室の占拠の時、主人公は誰にも絡まれずに放送を無視して帰りました
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