砂糖二つの特等席   作:y@s

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第10話 ドレスと隣の距離

 

展示会まで、あと二週間だった。

 

その間、千聖はいつもより少し多くアトリエに顔を出した。

理由は特にない。

強いて言えば、修司の仕事が気になった。

あのドレスがどう仕上がっていくのか、見ていたかった。

 

修司は特に何も言わなかった。

来るたびに「来たな」と言って、コーヒーを淹れて、また仕事に戻る。

千聖はソファに座って、その背中を眺めた。

 

いつも通りだった。

 

いつも通りなのに、千聖の中では何かが少しずつ、積み上がっていた。

 

 

ある日、修司が千聖を作業机の前に呼んだ。

 

「ちょっといいか」

 

「……何ですか」

 

「これ、どう見える」

 

机の上に、布地のサンプルが二枚並んでいた。

どちらも深い藍色だったが、一方はつやがあり、もう一方はマットな質感だった。

修司は腕を組んで、二枚を交互に見ていた。

 

千聖は少し考えてから、マットな方を指した。

 

「こっちの方が、人が際立つ気がします。つやがある方は、布地が主張しすぎるかもしれないので」

 

修司はしばらく黙って、千聖が指した布地を手に取った。

光に透かして、角度を変えながら見ている。

 

「……正解」

 

「え」

 

「俺もそっちにしようと思ってた。確認したかっただけ」

 

千聖は少し拍子抜けして、それからおかしくなった。

確認のために呼んだのか。

修司はそういうことをさらりとする。

 

「……私でよかったんですか、確認相手が」

 

「目がいいからな」

 

それだけだった。

千聖は返す言葉を探して、見つからなかった。

 

目がいい、と修司は言う。

それが千聖への、修司なりの評価だとわかっていた。

お嬢ちゃん、という距離感の中に、ちゃんと千聖を見ている目がある。

 

その目が、好きだった。

 

 

展示会の当日は、よく晴れた土曜日だった。

 

会場は都内のギャラリーで、白い壁に作品が並んでいた。

若手デザイナーたちの衣装が、それぞれの照明の下に立っている。

千聖は招待券を持って、一人で会場に入った。

 

修司の作品は、奥の一角にあった。

 

千聖は人の間をすり抜けて、そこに辿り着いた瞬間、足が止まった。

 

あのドレスだった。

 

深い藍色のマットな布地が、照明を受けて静かに立っていた。

装飾は最小限で、シルエットだけが語っている。

背が高くて、芯がある人が着た時に完成する、と修司は言っていた。

今はモデルが着ているのに、確かにそう見えた。

その人がその人でいるための服。

 

千聖はしばらく、その場に立ったままだった。

 

「来たな」

 

背後から、声がした。

 

振り向くと、修司がいた。いつものアトリエとは少し違う、きちんとした格好をしていた。

けれど表情はいつも通りで、千聖を見て静かに目を細めた。

 

「……来ました」

 

「どうだ?」

 

「きれいです。すごく」

 

「そうか」

 

修司はドレスの方に視線を戻した。

千聖も並んで、また見た。

二人でしばらく、黙ってドレスを見ていた。

 

「修司さん」

 

「ん」

 

「これを作って、よかったですか」

 

修司は少し間を置いた。

 

「ああ」

 

「どうして」

 

「最初に見た時、お嬢ちゃんがきれいって言ったから」

 

千聖は一瞬、息が止まった。

修司はこちらを見ていなかった。

ドレスを見たまま、淡々と続けた。

 

「作ってる間、ずっとその声が基準になってた。これでいいか、って迷う時に」

 

「……それは」

 

「褒め言葉だよ」

 

さらりと言って、修司はようやく千聖を見た。

千聖は今どんな顔をしているのか、自分ではわからなかった。

 

「……意地悪ですね」

 

「何が」

 

「そういうことを、さらりと言うのが」

 

「本当のことを言っただけだろ」

 

修司は少し笑って、また前を向いた。

千聖も前を向いた。

 

藍色のドレスが、照明の中で静かに立っていた。

 

——私の声が、基準になっていた。

 

その言葉の重さを、千聖はゆっくりと測った。

修司は特別という言葉を使わない。

大事という言葉も使わない。

ただ、事実をさらりと置いていく。

 

それがずるくて、それが好きだった。

 

「……展示が終わったら、また来ていいですか」

 

千聖は前を向いたまま、言った。

 

修司は少し間を置いてから、いつもと同じ口調で答えた。

 

「どうぞ」

 

たった一言だった。

 

けれどその一言が、今日一番温かかった。

 

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