砂糖二つの特等席   作:y@s

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第12話 千聖ちゃん、それ惚気だよ

 

入学式まで、あと十日だった。

 

千聖は制服の採寸を終えて、いつものカフェに向かった。

花音が先に来ていて、ミルクティーを両手で包みながら窓の外を見ていた。千聖の姿を見つけると、ぱっと顔を上げた。

 

「千聖ちゃん、おつかれ。採寸どうだった?」

 

「問題なく終わったよ」

 

「よかった。わたしちょっと裾が長くて直してもらったんだよね」

 

他愛ない話をしながら、千聖は紅茶を頼んだ。窓から春の光が差し込んでいる。穏やかな午後だった。

 

「……ねえ、花音」

 

「なに?」

 

「この前、修司さんに告白したんだけど」

 

花音が、カップを持ったままぴたりと止まった。

 

「……今、なんて言った?」

 

「告白した」

 

「し、したの?!」

 

「うん」

 

「どうだった?!」

 

千聖は少し考えてから、答えた。

 

「……今すぐどうこうするつもりはないけど、嫌いじゃないって言われた」

 

花音の目が、みるみる潤んだ。

 

「千聖ちゃん……!……!」

 

「なにも泣かなくても」

 

「だって、ずっと一人で抱えてたんだもん。よかったよ、ほんとに」

 

花音はハンカチを取り出して、目元を押さえた。千聖はそれを見ながら、胸の中が少し温かくなった。

 

「……ありがとう」

 

「うん。でも、そっかあ。嫌いじゃない、かあ」

 

「修司さんらしい答えだと思う」

 

「確かに。千聖ちゃんが話してくれてた感じだと、そういう人だよね」

 

花音はハンカチをしまいながら、にっこりした。

 

「よかったね、千聖ちゃん。一歩進んだよ」

 

「……そうかしら」

 

「そうだよ。で、それからどう? また会ってるの?」

 

「うん。先週も行ったわ」

 

「どうだった?」

 

千聖はカップを持ったまま、少し間を置いた。

 

「……それが、少し気になることがあって」

 

「なになに」

 

「告白した日ね、一度だけ名前を呼んでもらえたんだけど」

 

花音が目を丸くした。「千聖」って?

 

「うん。でもあれから、一度も呼んでもらえないんだよね。また『お嬢ちゃん』に戻って」

 

花音はしばらく、何かを考えるような顔をした。それから、困ったような温かい顔で言った。

 

「それ、千聖ちゃん的にはどうなの」

 

「……どうにも、気になって」

 

「気になるよねえ」

 

「あの一回が、聞き間違いだったのかなって思う時もあるし。でも確かに聞こえたんだよね」

 

「聞き間違いじゃないと思うよ、絶対」

 

「どうしたら、また呼んでもらえるのか」

 

花音はミルクティーをひと口飲んで、真剣な顔で考え込んだ。千聖はそれを待った。

 

「……ねえ、千聖ちゃん」

 

「なに」

 

「じゃあ、逆に聞いてみるのは?」

 

「聞くって」

 

「『お嬢ちゃんじゃなくて名前で呼んでください』って」

 

千聖はしばらく黙った。頭の中で、その場面を想像した。修司の顔。涼しい目。絶対にからかわれる。

 

「……それは、恥ずかしい」

 

「でも一番早いよ?」

 

「花音、それは無理」

 

「えー」

 

「絶対にからかわれる」

 

「まあ、からかわれるだろうけど」花音がくすくす笑った。「でも、からかいながらでも呼んでくれるかもよ」

 

千聖は視線を落とした。確かに、修司ならそういうことをするかもしれない。意地悪に笑いながら、さらりと名前を呼ぶ。それはそれで、困る。

 

「……考えてみる」

 

「うん。あとね」

 

「なに」

 

「千聖ちゃん、それ惚気だよ」

 

「……え」

 

「名前を一回呼んでもらえただけで、こんなに気にしてるんだもん。完全に惚気」

 

千聖は耳が熱くなるのを感じた。花音がにこにこしながら続けた。

 

「いい顔してるよ、今」

 

「……してない」

 

「してる。ポーカーフェイス、崩れてる」

 

千聖は手で頬を覆った。花音がまたくすくす笑った。

 

「千聖ちゃんが幸せそうで、わたし嬉しいよ」

 

その一言に、千聖は返す言葉を失った。

幸せ。

そうかもしれない。名前を一度呼んでもらえただけで、こんなに引きずっている。それはきっと、幸せの一種だ。

 

「……花音」

 

「なに?」

 

「また相談、聞いてくれる?」

 

「もちろん。千聖ちゃんの惚気、いくらでも聞くよ」

 

「惚気じゃないよ」

 

「惚気だよ」

 

千聖は小さく息を吐いて、紅茶を一口飲んだ。温かくて、少し甘かった。

 

窓の外の春の光が、柔らかく傾いていた。入学式まで、あと十日。

 

——名前、また呼んでもらえるかな。

 

その答えは、まだ先にあった。

 

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