砂糖二つの特等席   作:y@s

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第14話 突然の買い物と君のカップ

 

 

高校の入学式は、四月の晴れた日だった。

 

新しい制服、新しい教室、新しいクラスメイト。

千聖はそのすべてを、いつも通りのポーカーフェイスで受け流した。

式が終わって、HRが終わって、下校の流れに乗りながら、千聖はすでにアトリエのことを考えていた。

 

今日は行こう、と思っていた。新しい制服を、見せたかったから。

 

理由はそれだけだ、と自分に言い聞かせながら、千聖は雑居ビルに向かった。

 

 

「来たな、千聖」

 

ドアを開けると、修司がいつも通り振り向かずに言った。

 

千聖の名前が、さらりと呼ばれた。あの日以来、修司は「千聖」と「お嬢ちゃん」を気まぐれに使い分けている。どちらで呼ばれるかわからないから、千聖はドアを開けるたびに少しだけ構えてしまう。今日は名前だった。それだけで、胸の奥が少し跳ねた。

 

「……入学式でした、今日」

 

「おっ。制服、変わったな」

 

修司が初めて振り向いた。千聖の制服をさっと見て、それから目を細めた。

 

「似合ってる」

 

「……ありがとうございます」

 

「高校生になったな」

 

「なりました」

 

「相変わらず砂糖二つか」

 

「……はい」

 

修司は小さく笑って、台所に向かった。千聖はソファに腰を下ろして、新しい制服のスカートをそっと整えた。似合ってる、と言われた言葉が、まだ耳の奥に残っていた。

 

しばらくして、修司がコーヒーを持ってきた。千聖の分を机に置いて、自分のカップを持ったまま立っていた。

 

何かを考えているような間だった。

 

「……修司さん?」

 

「千聖、ちょっと付き合え」

 

「え」

 

「買い物」

 

千聖は一瞬、意味が飲み込めなかった。

 

「……今からですか」

 

「あぁ。近くに雑貨屋がある。すぐ終わる」

 

「何を買いに」

 

「行けばわかる」

 

有無を言わさない口調だった。千聖はカップを持ったまま、少し戸惑いながら立ち上がった。

 

 

雑居ビルから歩いて五分ほどのところに、その雑貨屋はあった。小さな店で、棚に食器や日用品が並んでいる。修司は慣れた様子で中に入って、迷わずマグカップのコーナーに向かった。

 

千聖は後ろをついて歩きながら、状況を整理しようとした。

 

マグカップを、買いに来た。

 

修司はカップを一つ一つ手に取って、眺めている。陶器のもの、ガラスのもの、シンプルなもの、柄のあるもの。

千聖はその横に並んで、一緒に棚を見た。

 

「……何のカップを探してるんですか」

 

「千聖のやつ」

 

千聖は、一瞬止まった。

 

「……私の」

 

「アトリエに来るたびに俺のカップで出してるだろ。専用のやつがあった方がいい」

 

さらりと言った。修司は千聖の方を見ていなかった。棚のカップを手に取って、重さを確かめている。

 

千聖は胸の中で何かが、じわりと大きく揺れるのを感じた。

 

専用のカップ。千聖のための、カップ。アトリエに、千聖の居場所を作るみたいな、そういうことだ。修司はそれを、さりげなく、買い物に来た、の一言で済ませている。

 

——どうしよう。

 

どうしようもなかった。こういう時に限って、ポーカーフェイスが頼りない。

 

「……自分で選んでいいですか」

 

「どうぞ」

 

千聖は棚を見た。いくつかのカップが並んでいる。

シンプルな白。深い青。やわらかいベージュ。小さな花柄のもの。

 

千聖は少し考えてから、白地に細い金のラインが入ったカップを手に取った。飾りすぎず、でも無愛想でもない。砂糖二つのコーヒーを入れた時に、きれいに見えそうだと思った。

 

修司に差し出すと、修司が受け取って眺めた。

 

「これにするか」

 

「……はい」

 

「いい目してる」

 

「目、じゃなくてカップです」

 

「同じだろ」

 

千聖は小さく唇を結んだ。修司はカップを持ってレジに向かった。千聖がお金を出そうとすると、修司が先に払った。

 

「……いいんですか」

 

「俺が言い出したんだから」

 

「でも」

 

「千聖」

 

名前を呼ばれて、千聖は言葉を失った。修司はレシートを受け取りながら、千聖を横目で見た。

 

「ここに来る時のカップだから、俺が買う。それだけだ」

 

それだけだ、と言うのに、その一言がひどく重かった。千聖はもう何も言えなくて、ただ「……ありがとうございます」と返した。

 

 

アトリエに戻ると、修司はすぐにカップを洗って、棚の端に置いた。白地に金のライン。他のカップとは少し違う、千聖のカップ。

 

「次から、これに入れる」

 

「……はい」

 

「砂糖二つ、変わらないよな」

 

「変わらないです」

 

「子供だな」

 

「……もう高校生です」

 

「同じだろ」

 

千聖はソファに腰を下ろして、棚の端のカップを見た。自分のカップが、修司のアトリエにある。それだけのことなのに、なぜか胸の奥がずっと騒がしかった。

 

——これって、いわゆる。

 

考えかけて、千聖は思考を断ち切った。

 

修司はもう仕事に戻っている。いつも通りの背中だった。千聖はカップを両手で包んで、コーヒーを一口飲んだ。

 

甘い。砂糖が、二つ。

 

今日は、自分のカップで飲んだ。

 

それだけのことが、今夜ひどく特別に思えて、千聖は誰にも見せないように、そっと目を伏せた。

 

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