砂糖二つの特等席   作:y@s

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第15話 カップひとつぶんの惚気

 

翌日の昼休み、千聖はいつものカフェに花音を呼び出した。

 

LINEを送ったのは朝のホームルームが終わった直後だった。「放課後、時間ある?」と送ると、三分もしないうちに「あるある!どうしたの?」と返ってきた。千聖は「報告がある」とだけ返した。

 

花音からは「!!!!」とだけ返ってきた。

 

 

放課後、いつものカフェに着くと、花音はすでに来ていた。ミルクティーを両手で包んで、入り口をじっと見ていた。千聖の姿を見つけると、椅子から半分立ち上がりそうな勢いで手を振った。

 

「千聖ちゃん! 報告って何?!」

 

「座って、花音」

 

「だって気になって。昨日入学式だったんだよ、何かあった?」

 

千聖は紅茶を注文してから、花音の向かいに座った。花音はもうすでに、にこにこしている。何も話していないのに、もう楽しそうだった。

 

「……昨日、アトリエに行ったんだけど」

 

「うんうん」

 

「修司さんに、買い物に連れていってもらった」

 

花音の目が、ぱっと輝いた。

 

「買い物?! どこ? 何買ったの?」

 

「近くの雑貨屋で」千聖は少し間を置いた。「……私専用のマグカップを、買ってもらった」

 

しばらく、沈黙が続いた。

 

花音はぽかんとしていた。それから、じわじわと顔が赤くなっていった。

 

「……ち、千聖ちゃん」

 

「うん」

 

「それ、すごくない?」

 

「……そうかな」

 

「そうだよ! 専用カップって、つまり『また来ること前提』ってことだよ! アトリエに千聖ちゃんの居場所作ったってこと!」

 

花音の声が少し大きくなって、千聖は思わず「花音、声」と言った。花音は慌てて口を押さえた。

 

「ご、ごめん。でも、すごいよそれ」

 

「……うん」

 

「千聖ちゃんは、どうだったの。その時」

 

千聖は紅茶が来るのを待ちながら、少し考えた。どうだったか。胸の奥がずっと騒がしかった。ポーカーフェイスが頼りなかった。帰り道、何度も棚の端のカップを思い出した。

 

「……どうしようもなかった」

 

「どうしようもなかったって」

 

「ポーカーフェイス、多分あんまり保ててなかった」

 

花音がくすくす笑った。

 

「そっか。で、修司さんは?」

 

「涼しい顔してた」

 

「相変わらずずるいね、その人」

 

「……本当に」

 

紅茶が来た。千聖はカップを両手で包んだ。その仕草が、昨日のアトリエでの自分と重なった。

白地に金のライン。砂糖二つのコーヒー。

 

「あとね」

 

「まだあるの?」

 

「名前、また呼んでもらえた」

 

花音が、今度こそ椅子から浮きそうになった。

 

「えっ、何回も?」

 

「うん。買い物の時も、アトリエに戻ってからも」

 

「千聖ちゃん……!」

 

「泣かないで花音」

 

「だって嬉しくて。よかったね、名前定着してきてるんだよ」

 

千聖は視線を落として、紅茶を一口飲んだ。温かかった。

 

「……うん。よかった、と思う」

 

「思う、じゃなくてよかったんだよ絶対」

 

花音はハンカチを取り出しながら、にこにこした。

 

「千聖ちゃん、今日もいい顔してるよ」

 

「……してない」

 

「してる。昨日から顔が違う」

 

「そんなこと」

 

「ポーカーフェイス、全然崩れてるよ」

 

千聖は思わず手で頬を覆った。花音がまたくすくす笑った。

 

「ねえ千聖ちゃん、それ完全に惚気だよ」

 

「……報告、よ」

 

「同じだよ。カップ一個の話でこんなに顔が緩むんだもん」

 

「緩んでない」

 

「緩んでる」

 

千聖は小さく息を吐いた。花音は笑いながらも、やわらかい目をしていた。

 

「でも、いいよね。カップってさ、毎回使うから。修司さん、千聖ちゃんのこと毎回思い出すよ、それ」

 

千聖は一瞬、その言葉の意味を考えた。

 

そうだ。千聖が来ない日も、カップは棚にある。修司がコーヒーを淹れるたびに、棚の端の白地に金のラインのカップが目に入る。

 

——毎回、思い出す。

 

「……花音、それは考えすぎだよ」

 

「考えすぎじゃないと思うけどなあ」

 

「だって修司さんはそういう意味で」

 

「千聖ちゃん」

 

花音が、少し真剣な顔で言った。

 

「その人ね、たぶん千聖ちゃんのこと、すごく大事にしてるよ。言葉にしないだけで」

 

千聖は黙った。

 

「嫌いじゃない、って言ってくれた人でしょ。カップ買ってくれた人でしょ。名前で呼んでくれるようになった人でしょ」

 

「……うん」

 

「全部、ちゃんと動いてるよ。ゆっくりだけど」

 

千聖は紅茶を一口飲んだ。甘かった。

 

ゆっくりだけど、動いている。

その言葉が、胸の奥にじんわりと沁みた。急かされない。でも、止まってもいない。それが修司らしかった。

 

「……花音」

 

「なに」

 

「やっぱり惚気だったかも」

 

花音が声を上げて笑った。千聖は小さく笑い返した。

 

窓の外に、春の夕暮れが広がっていた。

 

——カップ、ちゃんとあるかな。明日も。

 

次にアトリエに行く日のことを、千聖はもう考えていた。

 

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