砂糖二つの特等席   作:y@s

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第17話 デザイン画の秘密

 

千聖は、五月になってもブレスレットをつけて登校した。

 

毎朝、鏡の前で左手首を確認する。細いシルバーのチェーンと、桜の花びらのモチーフ。それを見るたびに、桜並木のあの日が蘇った。目を閉じて、左腕を差し出して、指先の感触があって——。

 

「千聖ちゃん、また見てる」

 

花音がおかしそうに言った。二人並んで登校している最中だった。

 

「……見てない」

 

「見てた。三回目だよ今朝」

 

「数えないで」

 

「可愛いもん、しょうがないよ」

 

千聖は視線を前に戻した。花音がくすくす笑っていた。

 

 

その日の放課後、千聖はアトリエに向かった。

 

修司はいつも通り仕事机の前にいた。今日はデザイン画の整理をしているらしく、机の上に何枚もスケッチが広がっていた。

 

「来たな、千聖」

 

「失礼します」

 

千聖はソファに座って、砂糖二つのコーヒーを受け取った。修司はまたスケッチの整理に戻っていた。束をまとめて、クリップで留めて、ファイルに挟んでいく。

 

窓が少し開いていた。

 

春の終わりの風が、部屋に入ってきた。

 

その瞬間だった。

 

机の上のスケッチが、さっと舞い上がった。

 

「あ」

 

修司が声を上げた。数枚のデザイン画が、風に乗って床に散らばった。千聖は素早くソファから立ち上がって、近くに落ちた一枚を拾った。

 

「ありがとう、そっち——」

 

修司が言いかけて、止まった。

 

千聖が手にしていたのは、一枚のデザイン画だった。

 

細いシルバーのチェーン。所々に散った、小さな花びらのモチーフ。寸法のメモ。素材の書き込み。丁寧な、修司の字。

 

千聖は、その紙を見たまま、動けなかった。

 

ブレスレットだった。

 

自分の手首についている、あのブレスレットのデザイン画だった。

 

修司が、書いていた。修司が、デザインしていた。どこかの既製品じゃなかった。修司のオリジナルだった。

 

——修司さんが。

 

——私のために、作ってくれた。

 

「……千聖」

 

修司の声が、少し低くなった。千聖はデザイン画から目を離せなかった。

 

線が細かった。花びらのモチーフの角度まで、丁寧に書き込まれていた。どのくらい時間をかけて書いたのか、千聖には想像もできなかった。

 

「……これ」

 

声が、掠れた。

 

「修司さんが、描いたんですか」

 

修司は少し間を置いた。

 

「……そうだ」

 

「これで、作ってもらったんですか」

 

「職人に頼んだ。デザインだけ俺がやった」

 

「……いつ」

 

「冬くらいから考えてた」

 

冬。千聖は息を呑んだ。冬から。中等部の、三年生の冬から。千聖が卒業する前から、もう考えていた。

 

目の奥が、じわりと熱くなった。

 

またか、と千聖は思った。またこうなる。修司の前で、こうなる。ポーカーフェイスが、全然間に合わない。

 

「……千聖、泣くな」

 

「泣いて、ないです」

 

「目が潤んでる」

 

「……潤んでない、です」

 

修司が立ち上がった。千聖からデザイン画をそっと取って、机の上に伏せた。それから、千聖と目を合わせないまま、少しだけそっぽを向いた。

 

耳が、赤かった。

 

千聖は初めて見た。修司の耳が赤い。あの修司が、少し赤い。

 

「……修司さん」

 

「なんだ」

 

「耳、赤いです」

 

「……うるさい」

 

「照れてるんですか」

 

「照れてない」

 

「照れてます」

 

修司はそのまま、そっぽを向いたままだった。千聖は手で口を覆った。笑いたかった。泣きたかった。両方同時に来ていた。

 

「……意地悪ですね」

 

「俺が?」

 

「そういうものを、作ってくれるのが」

 

修司はしばらく黙っていた。それからぼそりと言った。

 

「……似合うと思ったから」

 

「似合う、だけですか」

 

また間が空いた。修司はまだそっぽを向いていた。

 

「……千聖に、持っていてほしかった」

 

その言葉が、胸の奥に、すとんと落ちた。

 

持っていてほしかった。それは、ただのプレゼントじゃない。修司が千聖のことを、冬からずっと考えていて、デザインを描いて、職人に頼んで、桜の日に渡した。その全部が、この一言に入っていた。

 

千聖は目を伏せた。

 

目から、一粒だけ、零れた。

 

「……千聖」

 

「大丈夫です」

 

「大丈夫じゃない顔だけど」

 

「大丈夫です。ただ、うれしくて」

 

修司はまだそっぽを向いていた。けれどその耳は、まだ赤かった。千聖はそれを見ながら、そっと左手首を握った。

 

細いチェーンの感触があった。

 

「……ありがとうございます」

 

「あぁ」

 

「大切にします」

 

「知ってる」

 

「知らないでください」

 

修司が、短く笑った気配がした。千聖も、今度はちゃんと笑えた。

 

二人でしばらく、黙っていた。

 

修司はゆっくりと振り返り、机に向き直った。デザイン画を束に戻して、今度はちゃんと窓から離れた場所に置いた。

 

千聖はソファに戻って、コーヒーを一口飲んだ。

 

甘い。砂糖が、二つ。

 

冬から、考えていた。

 

その事実が、コーヒーより甘かった。

 

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