砂糖二つの特等席   作:y@s

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第20話 修司さん自慢と、知らないことの多さ

 

翌日の昼休み、千聖は約束通り簪を持って登校した。

 

ポーチの中に、白い花の簪を入れていた。

朝、鏡の前で一度つけてみて、また外した。学校につけていくのは少し恥ずかしかったけれど、花音に見せると言ったから持ってきた。

 

中庭のベンチで、花音がすでに待っていた。

 

千聖の姿を見つけると、花音は立ち上がりそうな勢いで手を振った。

 

「千聖ちゃん! 簪、持ってきた?」

 

「ええ、持ってきたわ」

 

千聖はポーチから簪を取り出して、花音に渡した。花音は両手で受け取って、まじまじと眺めた。

 

「……可愛い。すごく繊細だね、これ」

 

「ええ。細いシルバーで、花びらのモチーフが所々に散っていて」

 

「修司さんが選んだの?」

 

「……ええ」

 

「センスいいね」

 

千聖は少し照れながら、「そうでしょう」と返した。

 

花音がくすくす笑った。

 

「千聖ちゃん、今すごく得意げな顔してるよ」

 

「……していないわ」

 

「してる。修司さん自慢してる顔」

 

千聖は視線を逸らした。自慢、という言葉が、思いのほか図星だった。

 

「……自慢じゃないわ。ただ、事実を話しているだけよ」

 

「事実=自慢だよ」

 

「花音」

 

「はいはい」

 

花音は簪を丁寧に千聖に返しながら、にこにこした。千聖はそれをポーチにしまいながら、続けた。

 

「昨日の夜、もう一度見てしまって。朝も起きてすぐ見てしまって」

 

「可愛い」

 

「……可愛くないわ」

 

「可愛いよ。あ、そうだ」

 

花音が、ふと思い出したように言った。

 

「修司さんって、どんな人なの? 千聖ちゃんから話は聞いてるけど、実際どんな感じなんだろうって、ずっと気になってて」

 

「どんな感じって」

 

「雰囲気とか、話し方とか。なんか、からかい上手で、千聖ちゃんのポーカーフェイスを見抜いて、さらりと一言で動揺させる人でしょ?」

 

「……ええ、まあ」

 

「かっこいい、それ」

 

千聖は少し間を置いた。かっこいい。そうだ。修司はかっこいい。千聖がそれを認めるのは、今更なことだった。

 

「……ええ。かっこいいわよ」

 

また得意げな顔になっていると、自分でわかった。

 

花音がまたくすくす笑って、それから首を傾けた。

 

「修司さんって、他にどんな人なの? 好きな食べ物とか、趣味とか」

 

千聖は、そこで少し止まった。

 

好きな食べ物。趣味。

 

「……コーヒーは飲むわ。甘いものは得意じゃないって言っていたけれど」

 

「それ千聖ちゃんの砂糖二つの話だよ。修司さん自身の好みって、どんな感じ?」

 

「……」

 

千聖は黙った。

 

「休みの日は何してるの?」

 

「……わからないわ」

 

「誕生日は?」

 

「……知らない」

 

「好きな音楽とか」

 

「……聞いたことがなかったわ」

 

花音が、少し不思議そうな顔をした。千聖は視線を落とした。

 

——知らない。

 

自慢していた。さっきまで、得意げに修司のことを話していた。センスがいい、かっこいい、さらりと一言で動揺させる。そういうことは、いくらでも話せる。

 

けれど、修司自身のことを、千聖は何も知らなかった。

 

誕生日も、好きな食べ物も、休日の過ごし方も、昔のことも。

 

「……千聖ちゃん?」

 

「……ごめんなさい。少し、考えていたわ」

 

「どうしたの?」

 

「……修司さんのことを、私は何も知らないんだなと思って」

 

花音は少し黙った。千聖は続けた。

 

「自慢していたくせに。好きだと思っていたくせに。聞かれたら、何も答えられなくて」

 

「……でも、千聖ちゃんが知ってることもあるよ。コーヒーの淹れ方とか、仕事への向き合い方とか、千聖ちゃんへの接し方とか」

 

「それは……修司さんが私に見せてくれた部分だけよ。修司さん自身のことじゃない」

 

花音はしばらく、千聖を見ていた。

 

「千聖ちゃん、それって聞けばいいんじゃないかな」

 

「……聞く、というのが」

 

「誕生日とか、好きなものとか。別に難しいことじゃないと思うよ」

 

千聖はそれを頭の中で想像した。修司に、誕生日を聞く。好きな食べ物を聞く。

 

できないことはない。でも、なぜかそういうことを、今まで一度も聞いていなかった。

 

——私は、修司さんに何を聞いてきたんだろう。

 

修司に話を聞いてもらうことはあった。千聖が困っていると、修司がそこにいた。でも千聖は、修司のことをどれだけ聞いていただろう。

 

「……花音」

 

「なに」

 

「……私、自分のことばかり話していたかもしれないわ。修司さんに」

 

花音は少し目を丸くして、それからやわらかく笑った。

 

「それは、修司さんがそういう場所を作ってくれてたんじゃないかな。千聖ちゃんが話せるように」

 

「……そうかもしれないけれど」

 

「でも、千聖ちゃんが修司さんのことをもっと知りたいって思ってるなら、それはいいことだよ。一方通行じゃなくなる」

 

千聖はその言葉を、胸の中でゆっくりと転がした。

 

一方通行じゃなくなる。

 

今まで、修司は千聖のことをよく見ていた。千聖が何も言わなくても、気づいていた。けれど千聖は修司のことを、どれだけ見ていただろう。

 

「……次に会ったら、聞いてみるわ」

 

「何を?」

 

「誕生日。それから、好きな食べ物も」

 

花音がにこっと笑った。

 

「いいね。修司さん、びっくりするかもよ」

 

「……そうかしら」

 

「千聖ちゃんに聞かれると思ってないんじゃないかな、きっと」

 

千聖は少し間を置いた。修司が驚く顔を、想像しようとした。うまく想像できなかった。修司はいつも涼しい顔をしているから。

 

でも、少しだけ驚いてくれたら、うれしいと思った。

 

「……花音」

 

「なに?」

 

「会ってみたいと言ってたわね、修司さんに」

 

花音の目が、ぱっと輝いた。

 

「うん! 会いたい!」

 

「……いつかは、紹介するわ。もう少し、二人の時間が積み重なってから」

 

「いつか?」

 

「まだ早い気がして」

 

花音は少し黙って、それからにっこりした。

 

「わかった。待ってる」

 

「……ありがとう」

 

「でも、早く会いたいな」

 

「花音」

 

「はいはい」

 

花音がまた笑った。千聖は小さく息を吐いて、お弁当の蓋を開けた。

 

 

帰り道、千聖は一人で歩きながら、花音との会話を反芻した。

 

修司の誕生日を知らない。好きな食べ物を知らない。休日の過ごし方も、昔のことも。

 

自慢していたくせに。

 

——私は、修司さんのことをどれだけ知っているんだろう。

 

アトリエの場所は知っている。砂糖二つのコーヒーを淹れてくれることを知っている。仕事への向き合い方を知っている。からかい方を知っている。千聖が限界の時にそこにいてくれることを知っている。

 

それは全部、修司が千聖に向けてくれた部分だった。

 

修司自身が、どんな人間なのか。何が好きで、何が嫌いで、どんな過去があって、何を夢見ているのか。

 

千聖は、何も知らなかった。

 

——聞いてみよう。

 

次に会ったら、聞いてみよう。誕生日でも、好きな食べ物でも。ささいなことでもいい。修司のことを、もっと知りたかった。

 

千聖は左手首のブレスレットをそっと触れた。桜の花びらのモチーフが、指先に当たった。

 

修司は千聖のために、冬からデザインを考えていた。

 

千聖は修司のために、何ができるだろう。

 

その問いの答えは、まだ出なかった。けれど問い続けることが、きっと大事なのだと思った。

 

——修司さんのことを、もっと知りたい。

 

夕暮れの道を歩きながら、千聖はその気持ちを、胸の中にそっとしまった。

 

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