砂糖二つの特等席   作:y@s

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第21話 知らなかった修司さん

 

 

夏休みに入ってから、千聖はアトリエに行けていなかった。

 

ドラマの撮影、雑誌の取材、イベントの出演。仕事が重なって、気づけば二週間が過ぎていた。修司に連絡を入れようとして、やめた。何を送ればいいかわからなかった。「会えなくて寂しい」は、まだ言える段階ではない気がした。「仕事が落ち着いたら行きます」も、なんとなく気恥ずかしかった。

 

結局、何も送らないまま、日が経った。

 

花音には「ちゃんと連絡しなよ」と言われた。「そうね」と返したきり、まだできていない。

 

修司の誕生日も、好きな食べ物も、まだ聞けていない。

 

 

その日は、ドラマの衣装合わせだった。

 

スタジオに入ると、スタイリストの女性が笑顔で迎えてくれた。三十代くらいの、感じのいい人だった。

 

「白鷺さん、お疲れ様です。今日はよろしくお願いします」

 

「よろしくお願いします」

 

衣装を何着か試着して、鏡の前に立つ。スタイリストが細かく調整しながら、話しかけてきた。

 

「今回のドラマ、衣装のコンセプトが素敵ですよね。デザイナーさんのセンスが光ってて」

 

「ええ、そうですね」

 

「白鷺さん、今回のデザイナーさんってご存知ですか。鷲須修司さんっていう方で」

 

千聖は、鏡の中で動きが止まった。

 

「……鷲須、修司さん」

 

「ええ。若手なんですけど、すごく注目されてて。去年の合同展示で名前が広まって、今年からドラマや映画の衣装も手がけるようになったんです。センスがよくて、着る人のことをよく考えたデザインをする方で」

 

千聖は鏡の中の自分を見た。

 

修司が、デザインした衣装を、千聖が着ている。

 

「……そうなんですね」

 

「白鷺さん、今日の衣装もすごくお似合いですよ。鷲須さんのデザイン、白鷺さんの雰囲気にぴったりで」

 

千聖はしばらく、鏡の中の衣装を見た。

 

修司が作った服を、千聖が着ている。それがひどく不思議で、それからひどく自然な気がした。

 

「……鷲須さんって、どんな方なんですか」

 

声に出してから、千聖は少し驚いた。自分から聞くとは思っていなかった。スタイリストは嬉しそうに答えた。

 

「ご存知ないんですか? すごくかっこいい方ですよ。寡黙で、でもデザインへのこだわりがすごくて。打ち合わせでも、着る人のことをとにかく考えてるのが伝わってきて。あまりしゃべらないけど、一言一言が的確で」

 

「……寡黙なんですね」

 

「ええ。でも、たまにさらりと面白いことを言うんですよ。そのギャップが、またかっこよくて」

 

千聖は思わず、小さく笑ってしまった。

 

「……そうですね」

 

「ご存知なんですか?」

 

「少し」

 

スタイリストは少し嬉しそうな顔をして、また続けた。

 

「業界での評判もすごくいいんですよ。気難しそうに見えて、実はちゃんと人の話を聞いてくれるって。現場でも信頼されてて」

 

「……現場でも」

 

「ええ。あ、あと」スタイリストが少し声を落とした。「独身で、彼女もいないらしいって、噂で聞きましたけど」

 

千聖は、鏡の中で目が瞬いた。

 

「……そうなんですか」

 

「ええ。仕事一筋って感じで。ま、噂ですけどね」

 

千聖はそれ以上、何も聞かなかった。

 

衣装合わせは続いた。でも千聖の頭の中は、ずっと修司のことだった。

 

業界での評判がいい。着る人のことを考えてデザインする。寡黙で、でも一言一言が的確で。

 

全部、千聖が知っている修司だった。

 

でも、千聖が知らない修司も、そこにあった。

 

——業界ではそんな風に見られているのか。

 

千聖は修司を、アトリエの中でしか見たことがない。砂糖二つのコーヒーを淹れてくれる修司、千聖をからかう修司、デザイン画に向かう修司。

 

でも修司には、千聖の知らない場所での顔がある。当たり前のことなのに、今更実感した。

 

衣装合わせが終わって、帰り支度をしながら、千聖はスタイリストにもう一つだけ聞いた。

 

「……鷲須さんって、今おいくつなんですか」

 

「確か、二十七か二十八だったと思いますよ。若いですよね、あの実力で」

 

「……そうですね」

 

二十七。知っていた。でも、業界の人が「若いですよね」と言う二十七。修司が積み上げてきたものが、千聖の知らないところにある。

 

千聖はスタジオを出てから、スマホを取り出した。

 

修司への連絡画面を開いた。

 

しばらく眺めてから、打ち始めた。

 

「仕事が落ち着いてきました。近いうちに、伺ってもいいですか」

 

送信した。

 

三分ほどして、返信が来た。

 

「どうぞ」

 

たった一言だった。

 

千聖はそれを見て、小さく笑った。

 

どうぞ。いつも通りの、修司の返し方だった。業界で評判になっても、現場で信頼されていても、千聖への返事はたった一言の「どうぞ」だった。

 

——早く、会いたい。

 

今度こそ、ちゃんと聞こうと思った。誕生日も、好きな食べ物も。

 

修司のことを、もっと知りたかった。

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